8話:彼は来たらず★
また別の視点になります。
「──これより5分後に戦闘が開始される!総員、戦闘態勢用意!」
「了解!」
中隊長からの指示に敬礼を返すも、内心の困惑は拭えなかった。
防壁の上から見れば、竜擬きは数えるのもうんざりするほどに居て、空の上に竜があんなに集まっているのは初めて見た。
周囲の兵士も不安げな表情を浮かべている。
勝ち目が無い。
考えないようにしていても、どうしてもそう思ってしまう。
だってそうだろう。
まだ距離があって魔術も届かないのに、竜擬きどもの打ち鳴らす牙や踏みしめる足音はもう聞こえてきている。
防壁や結界があるから、と言って安心して戦える訳がなかった。
手を止めずに目だけを動かして、陣地の中央付近を見る。
あちらには援軍で来た第二師団の竜浸兵がいると聞いていた。
もっと沢山連れて来いと思わないでもないが、来てくれただけマシだろう。
正直なところ、可哀想にと思う。
セベルストルは今や完全に死地だ。
そんな所に、縁もゆかりも無い身でありながら向かわされ、竜を相手に戦うことを強いられている。その境遇は、同情に値する。
命令されて戦わされて、死ぬかもしれない所に放り込まれて、従わなければ殺されるかもしれないだなんて……。
とてもじゃないが、人にする扱いではない。
大陸南部では罪人をそんな扱いにするなんて話もあるが、竜浸兵は元々普通の軍人だと言う。
口さがない者は、彼らを死に急ぎだとか、生前葬だとか言うが、その気持ちもわずかながら理解出来た。
まったく恐ろしいことだ。
人として扱われていないと言うのにそれでもなお、誰かのために命を賭けられるなんて正気とは思えない。
「おい、ヨゼフ!」
「はっ!」
突然、小隊長に名を呼ばれて肩が跳ねる。
平静を装いつつ、そちらに向かう。
集中していないのがバレたのだろうか。
上官たちの戦意は衰えていない。
その精神力はさすがだと思うが、些か不自然にも感じる。
何か、勝算でもあるのだろうか。
小隊長からは細長い筒を手渡された。
黒い半透明のそれは、中に1本赤い芯が入っている。
持っただけでじんわりと伝わる魔力に、思わず息を飲む。
「……出来るな?」
渡されたのは、大規模攻撃用の術式触媒だった。非常に高価で、滅多に使われない代物だ。
ヨゼフも魔術教練過程の最中に見本を見せられたことしかない。
初めて触れる本物のそれに、手が細かく震えた。
量産が出来ず数が揃えられないこと。
最低でも8人からという起動条件。
戦場で息を合わせて詠唱しなければいけない発動方法。
それらが足を引っ張り、虎の子として死蔵されるばかりであった物が、ヨゼフの手の中にあった。
「はい!」
触媒を強く握り締めながら、小隊長に答える。
……なるほど。
危機的状況なために、使える物は何でも使うと言うことか。
そうであるなら、少しは希望が見出だせるかもしれない。
司令部も、普段は使わないような貴重な触媒を持ち出せばどうにか勝ち目があると踏んだのだろう。
持ち場に戻りながら司令部の考えを推測する。
仮にそれが正しいとすれば。
正しいとすればだ。
生き残りさえすれば、ヨゼフは英雄の仲間入りだ。
敵に大打撃を与えた攻撃の術者として、功績を称えられることだろう。
欲が鎌首をもたげるのが、ヨゼフ自身にもよく分かった。
だが抑えようがなかった。
空想の域を出ない未来像が脳裡を巡る。ふわふわとした期待に胸が高鳴ってしまう。
魔術兵として第四師団に配属されて1年あまり。
目前に迫る活躍の機会は、ヨゼフから落ち着きを奪い去っていた。
幼年学校を優秀な成績で卒業し、学術院附属でも技量良しの評を受けた。卒業時の席次こそ下位であったが、それは生まれが平民であるからだ。
軍事教練過程でも高い評価を貰っていた。
未来が明るいことを信じていた。
だが、1度の失敗で多くを失った。
命令への不服を申し出て、教官と揉めてしまった。
その一件以来、いくら課題をこなしても低く見積もられ、配属先の希望も通らなかった。
自分は少尉、あるいはそれよりも上に就くことだって出来ていたはずだ。
ヨゼフはそう信じていた。
それが今、見返すチャンスが来ている。
竜が襲い来る危機だ。賭けな部分はあるだろう。
だがそれを乗り越えれば、栄光を手にすることが出来る。本来得られるはずだった地位も名誉も、全てがヨゼフの元に帰るのだ。
第四師団上層部がこのタイミングで触媒をヨゼフに預けたことも、彼の妄想を加速させていた。
魔術兵としての技量への評価を、己れの価値への評価であると履き違えてしまったのだ。
周囲の兵士も、彼の上司である小隊長もそんなヨゼフの内心には気付かない。
時間はするすると進み、5分はすぐに過ぎ去った。
「詠唱開始!号令あるまで発動待機!」
「了解!」
いよいよ魔術の行使が成されるその時、ヨゼフの心は緩んでしまっていた。
浮わついた心持ちで流されるように詠唱を始める。
『──"其の戴くは回祿の宝冠" "赫々たる玉星が額に輝きて" "東天は燃ゆる" "解放の時は近い"』
他の魔術兵と声を揃えて唱えていく。
『──"彼よ、来たれ"』
いよいよ近付いてきた軍勢に兵士たちが息を呑む。
半分崩れた魚、頭が手に置き換わった人、鳥の翼が3つ生えた馬、顔が2つある蛙。
姿形は様々な竜擬きどもにも、1つ共通点があった。
『──"払暁の衣を纏いて" "荒野を裂く" "四つの瞳" "まやかしを貫いて"』
全ての竜擬きの身体に鱗が生えていた。
むしろ、鱗くらいしか同じところはないと言うべきかもしれない。
『──"彼よ、来たれ"』
高まった魔力が魔術触媒を繋いでいくのが感じられる。
視界の端に何かが空へと飛び上がっていくのが見えた。
第二師団の竜浸兵かと理解するが、そんなことに思考を割く余裕などなかった。
『──"銀光が注がれた杯" "青き深淵を跨ぎ虚空を覗く" "中天に座す" "審判の時は近い"』
全神経を魔術に集中させる。
多くの魔術兵と同調させるのは骨が折れた。
どくりと脈打つように、形成された魔術陣に魔力が循環していく。
『──"彼よ、来たれ"』
兵士たちがどよめいた。
彼らも感じ取れたのだろう。押し潰すような圧力を。
『──"宝杖振るいて遍ねく染め上げる" "単色の虹" "西天にて嘆く" "別離の時は遥か彼方"』
誇らしさがヨゼフの胸を満たす。
術の構築を果たしたという達成感と、これから偉業を成す優越感が彼を支配した。
『──"彼は、来たれり"』
魔術が、完成する。
カチリ、と鍵を開けたような感触に、ヨゼフの背筋がひどく震える。
余人の踏み込めない領域に立ち入った興奮たるや、凄まじいものであった。
自然、唇が弧を描く。
ここが戦場であることも忘れて、彼はその感覚に酔いしれた。
号令はまだかからない。
司令部は何かを狙っているようだった。
待機状態の魔術陣は淡い光を放ちながら頭上に鎮座している。
早くその力を見たいという欲をどうにか抑えつつ、ヨゼフは触媒を掲げて号令を待った。
後方の兵士たちがざわめいているのは、これから発動する魔術への期待感によるものだと思っていた。
ざわめきは伝播し、それぞれが上を気にするようなことを口にした。
ヨゼフも揚々と仰ぎ見る。
あれは自分が作り上げたのだという傲りとともに。
そして見た。
天から力なく落ち行く竜の姿を。
「……は?」
疑問が形を成す前に口から漏れ出した。
思考が、理解が追い付かなかった。
四肢を投げ出し、噴き出す血で顔を濡らしたその竜は、明らかに死んでいた。
竜の死体が落ちてきたのだ。
そのまま、竜擬きを巻き込んで地面に叩き付けられたそれは、息を吹き返して起き上がることもなくぐちゃりと潰れていた。
皆が見ていた。
ヨゼフも見ていた。
自分たちが恐れ、必死に備えていた敵の呆気ない死に様に愕然とした。
ヨゼフの身体から力が抜ける。
うっかり。
本当にうっかりだ。
握り締めていたはずの手が緩んでしまった。
触媒を取り落としてしまった。
あっと声をあげる間もなく、触媒がヨゼフの足元に落ちる。
カシャン。
実にあっさりと触媒は砕けた。
同時に、待機状態だった魔術が始動する。
中隊長の怒声が響くが、もう遅い。
動き出したそれは止めようがなく、また止める手段もなかった。
唸りをあげて術式が駆動し、魔力が高速で循環し精錬されていく。
練り上げ高められた魔力がさらに術式を走らせて、より高次の力を引き出していく。
空間のひび割れる音がした。
結界の術式と干渉しているのだ。
あれだけ見たかったはずのものが、誇示したかった力が、彼の腕前の証明が、成されていると言うのにヨゼフの顔は青かった。
額から噴き出す汗は止まらず、指先は細かく震え、視線はあちらこちらを彷徨っている。
彼は失敗したのだ。
土壇場でしくじったことを、さすがのヨゼフも強く自覚していた。
セベルストル司令部や魔術兵たちの焦燥を余所に、術式は無情にも展開を続けていく。
魔術陣を満たした魔力が巡り行き、渦を巻いて扉を作る。
空間を押し広げて、それが姿を現そうとしているのが誰の目にも明らかだった。
今回の防衛戦に準備されたのは、とある召喚術式用の触媒だった。
ごく短時間ながら、陽神の力の一端を顕現させるというその術式は、教練過程で儀式魔術の手本として教えられながらも、手間と費用の関係で実際には使われないものの代表格だった。
しかしながらその力も範囲も絶大で、起点になる術者の視界内であれば全てが効果の対象となる。
鉄を蒸発させるほどの烈日が辺り一帯を照らすのだ。
魔術が空転する。
展開されていた魔術陣が揺らぎ、高まっていた魔力が少しずつ漏れ出していく。
霧散していく圧力に、兵士たちは声にならない声をあげた。
本来、触媒は一斉に砕かれなければならなかった。それが起動条件であり、安全装置だからだ。
ヨゼフが1つだけ割ってしまったために、起動こそしたものの術式は途中で機能を停止した。
設計通りの動きであり、司令部としては恐れていた事態の発生だった。
「──再詠唱、用意!」
「各員、抜剣!時間を稼げ!」
「バリスタ照準合わせぇ!目標、緑!」
上官たちが慌ただしく指示を出すのを、ヨゼフは放心しながら聞いていた。
彼らの顔色は悪かったが、それでも抗う意思があった。ヨゼフには無いものだ。
「……そいつは邪魔だ。転がしておけ」
小隊長の声がした。
聞いたことのないような酷薄な声色は、怒りを通り越してもはや感情が無かった。
冷徹に、周囲の兵士にヨゼフの排除を命じる。
殺さなかったのは後で責任追及の場でもあるのか。いや、単に面倒を嫌っただけだろう。
今にも竜が来るというのに抵抗をされると困る。ただ、それだけだ。
ヨゼフは手を縄で縛られ、防壁の隅に座らされた。
扱いに手荒さはない。ヨゼフも大人しく従った。
兵士たちの顔には、単純に関わりたくないという嫌悪が滲んでいた。
「──来るぞぉ!!」
5体の竜が舞い降りてくる。
結界によって防壁に取り付くことが出来ずに上空を旋回するその姿は、死肉に群がる鳥を思わせた。
「バリスタ、撃てぇ!」
人の脚ほどに太い杭が勢いよく放たれる。
しかし竜たちは悠々とそれを躱す。
「第二射用意、撃てぇ!」
再び放たれる杭。
そしてそれを躱す竜。
焼き増しのような光景に、雷光が変化をもたらす。
バリスタの射撃を囮に、竜浸兵の魔術が直撃した。
苦鳴を上げて、動きが鈍った竜目掛けて追い打ちの魔術が飛ぶ。
さらにバリスタが照準を定めて、集中的に射かける。
たまらず上空へと逃れて行く竜の姿に歓声が上がった。
その時、防壁下部に変化があった。
竜擬きが到達したのだ。
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陽神顕現の魔術はいくつか存在していて、今回使用が予定されたのは最も攻撃的なものです。
鉄の沸点がだいたい3000℃なので、当たれば基本的に何でも消し飛ぶか融けます。その分消耗も著しいので、顕現出来るのは長くても数秒です。