6話:敗残の証☆
スティの視点です。
「……ヴィリ、失敗作とはどんなものを指すのか知っているか?」
「はい? また突然、何のお話でしょうか、閣下。
……それは、成果が出せなかったものではないのですか?」
「それが少し違うのだ。
成果の有無は確かに重要だが、それ以上に理論を実証出来ぬことが失敗なのだ。
要は、再現性だな」
「なるほど?」
「1+1は2でなければ間違いだと言う話だ。0になろうと3になろうと誤りは誤り。どちらも等しく失敗だ」
「そうですか。……しかし、どうしてそのようなお話を?」
「いや、少し前にその再現性の無い男に会ったものだからな。
学術院の奴から聞いた話を思い出したのだ」
♦️
「──なあおい、良かったのか」
「良かったのか、ってどれの話だよ」
シレイヌから投げられた問いに質問の形で答える。
スティらは今、セベルストルを囲う防壁の上に居た。
朝方から動きを見せた竜擬きと竜を迎え撃つ。そのためだ。
周囲の兵士たちに気遣ってか、シレイヌは近づき声を落として言った。
「そりゃ色々だよ。
あの監督官のガキから離れて良かったのかとか、救援に来たのに前線にブチ込まれるのはどうなんだとか。
あとはあれだ。もう昼前なのにつっ立ってるだけってのは暇じゃないか?」
スティは白けた目を向けた。
そんなこと、答えるまでもない。
全部イヤに決まっている。誰がこんな貧乏くじを喜んで引くものか。
出来ることなら旨いものをたらふく食べて、ぐっすり眠って、ちょっとレフィをからかって面白おかしく過ごしていたい。
そんな風に毎日を過ごせていたら、きっと幸せなことだろう。
だが、そうは問屋が卸さなかった。
竜が街を襲わんと迫り、それを防がんと立ち上がる必要がある。
スティは竜浸兵であり、軍人であり、何よりも戦士だからだ。
人々を救い、街を守り、敵を討つ。
それが彼の役目であるからして。
シレイヌの言葉に鼻を鳴らすだけで答え、緩やかに迫る竜擬きどもを見下ろす。
朝方に動きがあると招集がかけられてから昼も近くなった今に至るまで、傍観を強いられていることにスティは苛立ちを覚えていた。
セベルストル司令部が対応方針を打ち出せていないことが原因である。
さすがに、防壁の上で待機している兵士たちにも不安の色が見え始めていた。
司令部が苦慮していることは分かるのだ。
これまでの竜は、確かに都市に狙いを定めて襲撃していたが、少数かつ散発的なものであった。
それが10体以上の群れで竜擬きまで従えて来たとあれば、何らかの異変が起きたと考えるべきだろう。
大陸侵攻の初期には集団行動をする様子が確認されていたという話もあるが、だとしても今再びそうした動きが出たことには何か理由があるだろう。
(だが、それを探るのは今じゃねぇ)
そう。まずは目先の窮地を脱するべく、全力を尽くす必要があるのだ。
理由を探るのも、原因を考察するのも、生き残らなければ出来はしない。
朝から数えて何度目かも忘れてしまった舌打ちをする。
司令部の混乱が兵士に伝わってしまっているために、彼らの士気もいまいち上がらない。
闘争か逃走か。
思考が揺れ、心が乱れている。
意思の統一が必要だった。
現在、セベルストル司令部は2つに分かれて対立している。
そのどちらもが、打って出るという方向では一致していた。
意見が割れたのは、スティの扱いだ。
竜浸兵として竜に当てるべく防壁中央に呼び寄せているこの男を、どの段階で戦場に投入するかで揉めていた。
最初から出すのか、後から出すのか。
出し惜しむかそうでないのか、と言うことである。
これには、第二師団からの救援というスティの立場も悪さを働いていた。
借りたからには返す必要がある。
返せなければ負債となる。
仮に損失したとして、その穴埋めにどれだけのものが必要になるか。
戦場への投入は、第四師団として二の足を踏まざるをえなかった。
スティの持つ空戦を行えるという希少性は、実力と武功に加えて更なる価値を産んでいたのだ。
セベルストル司令部の一部将官の中では、使い捨てる訳にいかない大駒を火を見るよりも明らかな危険地帯に投げ込むことへの抵抗感が勝るようになっていた。
……戦った後を既に見据えているとは、なんとも大きな将としての器を感じさせるものだ。
自分が飛び出して無理矢理に戦端を開くことを、スティは考えなかった訳ではない。
彼とて自殺願望があるわけではない。
ただ、この状況であればより可能性の高い方に賭けるべきだろう。
ついでに言えば、彼の中で自身の命は賭け金としてそこまで高いものではなかった。
強引にでも戦闘を始めることで、兵士たちのスイッチを入れる。
以前の、レイモンドと組んでいた頃のスティならばきっとそうしていた。
あの男に迷惑をかけることは躊躇う必要などなかったからだ。
ああいや、あの男以外にも迷惑をかけかねないため、やはり動かないでいたかもしれないが。
渋い顔で上空を舞う竜を見つめるスティにシレイヌが話しかける。
「あたしらだけなら特攻かけても良いのにな」
彼女もスティと同じようなことを考えていたらしい。
「そん時ゃ、突っ込むのがオレだけになるじゃねぇか」
「どうせ突っ込むのはてめえ1人だろうが。
そもそもてめえに着いてって空飛ぶ竜に突撃かませる奴なんていんのかよ」
「中央に2人と第三に1人だなぁ」
うへえ、とシレイヌが呻き声をあげる。
何人かの兵士は聞き耳を立てていたようで、スティに嘘をつくなという視線を向けていた。
身体機能の向上を図り、改造する施術を受けた竜浸兵と言えど限界がある。
魔術を用いて対空攻撃を仕掛けることは出来ても、竜と同じ目線まで上がって空戦を行うには無理があった。
シレイヌは目の前に立つ男がそれを可能にする数少ない1人であることを知っていたし、セベルストル司令部もまた同じことを知っている。
戦端を開くには欠かせない戦力であることも承知していた。
しかしながら、その希少性は軽々しく用いるには仇となっていた。
苛立ち紛れに、再び舌打ちをする。
これで事態が好転することはないと知っていても、つい、出てしまう。
褒められた仕草ではないことを自覚はしていた。
(……あー、このクセ治すかぁ)
スティの脳裏に1人の少女が思い浮かぶ。
新しく監督官になった華奢な少女。
その小柄な背丈はスティの胸元にも届かない。
こう言うと彼女に怒られるだろうが、幼年学校を出たばかりだと言われたら今でも信じてしまいそうだ。
とても軍人には見えない。
紫紺の軍服は全然似合っておらず、子どもの真似事のように見えた。お父さんの真似です、と言われたら似合ってるねと世辞を言ったことだろう。
貴族のお嬢様ならみんな背中から腰にかけて髪を長く伸ばすというのに、肩口で切り揃えられた淡い茶色のそれは、軍人として生きる覚悟の表れだろうか。
青灰色の大きな瞳は強気な光を宿しているが、その実それは仮面に過ぎないことは見ていて察することが出来た。生真面目なのだ。その真っ直ぐな視線が、いつか折られるのではないかと危惧してしまう。
無理して口調を崩しているようだが、本人としては舐められないようにしているつもりだろうか。残念なことにそれは上策と言えなかった。
その強がりはほとんどの兵士に通じていなかったし、一部からは虚勢が可愛いと却って評判だった。
(まぁ、気付いてねぇから教えねぇけど……)
知らぬは本人ばかりなり、とは良く言ったもので、レフィはあまり自身の評判を自覚していなかった。
兵からは遠巻きに見られていて、疎まれているとすら思っていた。
実際は違う。
若くして監督官に就いた事実だけで軍での地位はある程度固まるものだ。加えて、容姿の整った少女が精一杯の背伸びをして見せている。
とくれば、大半の兵はすぐさま骨抜きだ。
遠巻きに見ているのは、単純に彼らが声をかける勇気のないヘタレなだけだった。
スティとしてもそれ込みで挨拶にレフィを連れ回したのだが、にしても釣れ過ぎだろうと少し呆れていた。
(いや、あいつらを笑えねぇか)
スティは自身の言動を振り返り、そう自嘲した。
あの少女に随分と入れ込んでいる自覚はあった。
苛立った時に舌打ちをするのに代わるストレス解消法を思案していると、サリスが駆け戻って来るのが見えた。
監督官として司令部と作戦立案に携わっていたはずだが、そんなに慌ててどうしたのだろうか。
いや、監督官が戻ってきたとあれば、理由は決まっている。
竜浸兵を動かすのだ。
打って出ることになったということである。
「ったく!ようやくかよ」
シレイヌがぼやくのもよく分かる。
スティとしても、待ちくたびれたというのが正直なところだ。
「これより5分の後に、攻勢に出ます。戦闘準備!」
息せき切って2人の居るところまで上がってきたサリスは、そう告げると自身の装備を整え出した。彼は脱いでいたマントや術式触媒の点検をしていく。
スティはシレイヌと目を合わせて、ニヤリと笑みを浮かべると固まっていた身体を解し始めた。
周囲の兵士たちにも伝令が行ったらしく、慌ただしい雰囲気が伝わってくる。
「手筈は?」
柔軟をしながら発せられたスティの問いに、サリスは点検の手を止めずに答える。
「いつも通り、あなたが穴を空けて私たちが魔術で抑えます。止まったところをバリスタで狙い撃ちです」
「こき使われるのが宮仕えの辛いところだねぇ」
「頼みましたよ」
適当に返事をしながら、腰周りの筋肉を伸ばしていく。
長時間立っていたからか、少し強張っていた。
念入りにストレッチをする。
三十路が見えてきてから、急に無理が利かなくなった。
竜浸兵の身体はよほどの負荷がかからなければ壊れず、また壊れたとしてもすぐに治るものだが、だとしても怪我は歓迎出来ない。
若年の方が手術の成功率が高いために、三十路手前のスティは竜浸兵の中では年嵩になる。
加齢について、ふとした時に気になるようになっていた。
「準備は整いましたか?」
サリスに声をかけられ、益体もない思考を中断する。
その場で軽く跳ね、具合を確かめる。
「こっちは問題ねぇな」
そう返すと、サリスは大きく頷いた。
あちらも準備が出来ているようである。
強く踏み切り、防壁の上に設えてあった小塔の屋根に跳び上がる。
竜を見上げれば、先程までよりも近付いていた。
もうあまり猶予がない。
息とともに余計な力みを吐き出した。
「──【恐るるべき牙】」
囁くように名を口にした。
魔力が一瞬、大きく膨らんだ。
そのまま右手の掌中に流れ込んでいく。
膨大な魔力が収束し、凝縮し、1つの形を作り出していく。
やがてそれは、長大な槍となった。
兵士たちはその様子を感嘆とともに見守った。
魔力生成武装。
その名の通り、魔力を用いて生成された武装である。
2種類に大別されるそれは、顕現に莫大な魔力を要求するためにまず拝むことが出来ない代物である。
片方は、核となる物品を用意しておくことで魔力収束時のロスを軽減する"拡張型"。
そして、もう片方がスティのように核を用意せず魔力のみで武装を生成する"完全生成型"である。
完全生成型は顕現させる際に魔力のロスが大きくなるものの、圧縮する密度を自在に操作できるために魔力を注ぎ込める限り強度を上げられるという特徴があった。
そこに目を付けたスティが作り上げたのが、【恐るるべき牙】である。
その高い強度は竜浸兵の膂力で乱雑に扱っても全く問題なく、むしろ頑丈さは武器となった。
右手に握る巨大なランスに、スティはチラリと冷めた視線を向ける。
純白、と言うより象牙色の大槍は、全長が4mに迫るだろうか。
円錐形の穂が全体の半分を占め、残りが柄となっている。
装飾は少ないが、柄の握りと穂の根本に紋様が刻まれていた。帝国の様式ではない。
それは彼の故国のものだった。
最大の特徴は、槍の穂が僅かに反っていることだろう。反った槍とはつまるところ曲がっているということであり、突きには向かない欠陥品である。突進を武器とするランスであればなおのこと。
本来直すべきであるそれを、しかし彼は放置していた。完全生成型の魔力生成武装は、その気になればいくらでも後から形を変更出来ると言うのに。
フン、と鼻を鳴らす。
右手に掴んだ槍は骨から削り出したかのような見た目である。
艶やかな光を放つそれは、名前と形が示す通りに彼の牙であり、また蹄でもあり、そして己を写す鏡であった。
顕現した槍の重さに耐えかねて、小塔の瓦が砕ける。足元の屋根が悲鳴をあげていた。
「──今日もまた死ぬには良い日だろうよ」
一言呟き、身を投げる。
重力はすぐさま彼を捕まえ、大地へと引きずり下ろす。
浮遊感が落下感に変わり、地面が迫った。
頭が下になっていた体勢をくるりと逆さまに変え、1歩空を蹴る。
落下が上昇へと切り替わる。
「だからよぉ……」
それまでの加速が、一斉に負荷へと転じた。
身体が悲鳴をあげる。
十数m分の位置エネルギーは、常人であれば死に至らしめるに十分だ。
それを肉体の強度で捩じ伏せた。
2歩目、加速しさらに空中を駆け上る。
人の業ではない。
これはスティが竜浸兵であるから可能となった魔術でもない何かだ。
透明な足場を作り出し、宙を自在に駆ける。
ただそれだけであるはずが、竜浸兵としての身体能力が決戦兵器へと押し上げる。
3歩、防壁の高さまで戻ってきた。さらに4歩目、既にバリスタに匹敵する。5歩、6歩、7歩……。
加速は続く。
矢よりも速く、音にすら追い付かんとスティは宙を駆ける。
目指すは竜の群れ。
目的はただ1つ。
「死ね」
誰かに任せるつもりなどない。
ご覧いただきありがとうございます。
評価、いいねをいただけると大変励みになりますので、よろしくお願いします。
補足になります。
『里』:距離の単位、作中では約500mになります。(日本では約4㎞を指します。)
前話で出たヴィヘイレンまでは、3㎞弱くらいと思ってください。