5話:星を見た日
セベルストルに来てからの2日間は、特に何事もなく過ぎ去った。
レフィがしたことと言えば、挨拶回りくらいだ。
スティに連れられて、他の竜浸兵や監督官に会ったのだ。
1度失敗して学んだので、今度はさすがに軽率な発言をしなかった。
サリスたちも別に言い触らして回るような真似はしなかったため、挨拶は穏便に済んだ。あまり相手にされなかったとも言えるが。
どうやら竜浸兵からすると、竜浸兵と契約している監督官かそうでないのかは一目で判別がつくらしく、書類上の監督官でしかないレフィはまだ心許せる相手ではないようなのだ。
彼らの瞳には度合いの違いこそあれど、一様に警戒の色が浮かび、当たり障りのない会話をして挨拶は終わった。
実績や信頼の無い者に対して、軍自体が大概にして厳しいものであるためレフィはそれほど気にしていなかった。だが、スティはどうにも気になるようで、レフィのことを慰めようとしていた。
彼の一面を見られたことが、ある意味挨拶回りでの一番の収穫であったかもしれない。
──セベルストルに来て3日目の朝。
レフィは打ち鳴らされる鐘の音で目を覚ました。
その早いリズムは、朝を告げるものではない。
慌ててベッドから降りると、身支度を整えていく。
普段着のように着ている軍服に加え、今日はマントや杖も用意する。
戦支度である。
鐘のリズムは、敵の襲来を告げるものであった。
レフィの長い1日が始まった。
♦️
セベルストル司令部からレフィに通達された任務は、第三高楼からの索敵であった。
高楼上部で、索敵用の魔術を使用することが仕事だ。
半時間に一度起動することで周囲の敵影を確認し続けることができるこの魔術は、敵の動きを見ることで作戦を立てられるために非常に重要な役割を果たす。戦場を覆い尽くせるように複数か所で展開されるこの魔術を、行使する人員としてレフィは割り振られたのだ。
戦場において重要な役目にレフィが抜擢されたのは、残念ながら軍からの期待の表れというわけではない。
第二師団からの預かりであることに、セベルストル防衛を務める第四師団が気を遣ったのだ。
なるべく死ににくく、ついでにそこそこ大きな働きを。
そうした考えの下、レフィは第三高楼での任務を言い渡されたわけである。
第三高楼の物見台から、レフィは敵の軍勢を見ていた。
戦場はレフィから見て右の方、方角にして東側で広がりそうであった。
陽射しが少し強く軍服の上からマントを羽織ると蒸し暑かった。しかし、これは防御術式の触媒を兼ねるために脱ぐわけにはいかない。もしもの時に、生死を分けるかもしれないと思えば我慢する他ない。
軍帽の位置を直し、ゴーグルに手を添える。
こちらのゴーグルにも術式が仕込まれており、遠見と対閃光防御が可能となっていた。
ゴーグルは持ち場である第三高楼に来る時にスティから手渡された物だ。遠距離から攻撃する魔術師の必需品だと、彼は話していた。
(でも、ボクの出番は無いなぁ)
戦場から外れた配置に不満が無いとは言えない。だが、他の兵士が命を賭けている場面で我が儘は通せない。
レフィは、今回は見学だと割り切って考えることにした。
チラリと脇に立つ全身甲冑の騎士を見る。
すぐさま視線に勘づいたようで、騎士の鎧がわずかに音を立てた。
今、レフィの隣にスティは居ない。
あの『竜浸兵』は、レフィと対称的に戦場のど真ん中に配置されていた。
全力をもって、竜を撃滅するように。
第四師団の士官が言うには、彼ならば複数体を相手取っても戦えるだろうと。
また、レイモンドが居なくなって任務をゴネられずに済む、とも。
レフィとしては、多分後者が本音の大部分を占めるのだろうと思う。
そうした訳で、竜浸兵の代わりに護衛として騎士が付けられていた。
騎士の名はデラムと言った。
帝国内で、騎士とは称号である。
優れた戦働きと能力を有する帝国軍人に授与されるもので、人品骨柄申し分無しという証明でもある。
力だけの馬鹿には与えられないのだ。
騎士のご多分に漏れず、このデラムという男も優れた兵士で、甲冑を着込みさらには身の丈程もある大楯を携えて悠然と護衛に立っていた。
デラム自身が平均を大きく超える丈夫であるため、その鎧も楯も特注だと聞いた。他の物より重く頑丈に作らせたのだそうだ。
そして護衛として不服な様子は微塵も出さずに、話しかければ朗朗と答える姿にレフィは感心した。
(武功を挙げたいだろうに)
騎士は竜浸兵に次ぐ帝国の精鋭だ。
その力を示す機会が惜しくないはずが無い。
言ってしまえば、レフィは余所者だ。
しかも配置は戦場から外れている。
そんな余所者の護衛を真面目に務める騎士デラムのような男は少し珍しくすら思えた。
太陽が中天にさしかかった頃、敵の軍勢に動きがあった。
セベルストルに向かって少しずつ動き出しているようだ。
こちらの防衛戦力に動きはない。準備を整え、迎え撃つ用意をしている。
レフィはゴーグルの遠見の術式を調整して敵の動きを注視する。
数百から千に届くだろうか。
"竜擬き"の群れだ。
竜はただそこに居るだけで周囲に影響を与える程の魔力を常に放出しているが、とりわけ強力な竜ともなるとその魔力で物体を変容させる。
生き物の死体、剥がれ落ちた竜鱗、流れ出た血液などなど。それらに仮初の命と虚構の肉体を与えて叩き起こす。
それが"竜擬き"である。
ごちゃごちゃと集まる竜擬きの上空には、竜が飛び交っている。
(……8、9、…………12体も)
竜は基本的に少数で行動する。
2桁もの竜がまとまって行動するとは聞いたことがなかった。
「ふむ……。やはり、ヴィヘイレンに陣取る赤銅竜の影響でしょうか」
デラムが呟く。その声には、確かに緊張の色が見えた。
やはり、異例なことであるようだ。
レフィたちの居る第三高楼から、戦場を挟んで反対方向に数里離れた所に丘がある。
その丘がヴィヘイレンと呼ばれているのだが、しばらく前から一頭の巨竜が縄張りとしていた。
デラムはその巨竜がこの襲撃を企てたと睨んでいた。
それは、セベルストル司令部と一致した見解であった。
セベルストルは帝都と違い、都市結界の強度が低い。いや、この場合は帝都が他の都市よりも都市結界の強度が高いと言うべきだろう。
帝都以外の都市は、防衛戦を行うために結界に意図的な緩みが作られている。
迎え撃つ、あるいは打って出ることが出来るようにしてあるのだ。
逆に帝都はそうした穴が無い。
帝都の陥落は滅亡と同義であり、他都市からの救援まで凌げるように亀のように堅牢に作られているのだ。
もし、他の全ての都市が滅びてしまえば、帝都はゆっくりと干上がるのを待つだけとなる。
棺桶と呼ばれているのはそれが所以であった。
とにかく、帝都外では竜との争いはままあることだ。
竜は強く、騎士とて容易に食い殺される。竜擬きですら、並みの兵士では小隊を丸々潰されるような怪物だ。
しかし、日頃から目にする機会の多い敵であるが故に、第四師団をはじめ各師団の兵士にとって慣れた相手なのであった。
だが。
「数が、多い……」
いかんせん、数が問題であった。
敵の歩調は乱れ、隊列など組めやしない。
当然だ。
指揮官の居ない烏合の衆なのだから。
しかし、それが獅子の群れなら?
それよりさらに恐ろしい怪物であったのならば?
対処は困難を極めるに違いない。
一手過てば都市が滅びかねないのだ。
ゆるゆると距離を詰めてくる竜擬きに対して、セベルストル防衛軍は出方を決めあぐねているようだった。
打って出るには数が多く、また上空の竜が邪魔である。
しかし、迎え撃つにも数が多く、対処が間に合わなければ防壁は破壊されてしまう。
司令部の方針に迷いが出ているためか、兵士たちにも落ち着きがない。
空を飛ぶ竜どもは、まだ様子見をしている。
結界が破られた所を狙うつもりだろうか。
離れた所から見ていることしか出来ないレフィは、歯噛みして怒っていた。
(守りに入っても勝てないんだよ!)
進むしか活路が無いとレフィは考えていた。
戦って勝つしかないのだ。
その決断を下せないでいる司令部を、心の中でとても外には出せないような言葉で扱き下ろした。
苛立ちとともに時間が過ぎていく。
雑然と歩む竜擬きの群れが、攻撃魔術の射程圏内に入ろうかという時、味方側で動きがあった。
中央付近の兵士が何やら並び替えている。
陣形を変え、戦闘態勢へと移行していく。
「おお!」
傍らでじっと成り行きを見つめていたデラムが歓声を挙げる。
「中尉殿、あそこをご覧下さい!」
彼は興奮して上擦った声で叫びながら、防壁の上で組み替えている陣形より少し前の辺りを指差した。
ゴーグルをいじりながら、指差している方を見る。
周囲の兵士が鎧を着て楯を構えている中、いつもと変わらぬ軍服のままで彼が立っていた。
金髪が風になびく。
清々しい程に無防備な姿で笑っている。
スティだ。
防壁の張り出した小塔に居る。屋根の上だ。
(えっ、何故そこに?)
レフィは戸惑ったが、同じものを見ているはずのデラムの感想は異なった。
彼は歓喜に打ち震えていた。歩いている時よりも鎧がガチガチと音を立てている。
しきりに頷き、胸の前で拳を握り締めた。
そのテンションの高まった姿に驚き目を向けると、私よりもあちらを見てくださいと叱責された。
視線を戻せば、スティがどこからともなく大槍を出してみせるところだった。
身の丈を遥かに超える真っ白な槍だ。
昔、騎兵が使ったと聞くランスに似ている。
「あれは……。魔力生成武装!?」
確かに彼なら使えるだろうが、それでも驚きだった。
いや、それよりもだ。
「接近戦を挑むのっ!?」
たとえ強化されたとしても、竜浸兵のサイズは人間大である。
人間の十数倍はある竜と正面から相対して打ち合いなど、正気の沙汰ではない。
単純に質量が違う。規格が違う。
生き物として違うのだ。
爪楊枝が深く刺されば、それはもう痛いだろう。
涙も出るだろう。
叫びもするだろう。
だが、それでそうそう死にはしない。
刺さった所が悪ければ、酷い怪我になることはある。死ぬ可能性だってもちろんある。
ただそれは、可能性があるだけだ。
現実的ではない。
ましてや、それが足元をうろちょろするだけの虫けら相手の話だとしたら?
脅威に思う方がバカらしい。そんなもの、踏み潰して終わりだ。
そもそも、空を飛ぶ竜に接近すること自体がまず出来ない。
人間では勝負の土俵に立てていないのだ。
竜に接近戦で挑むということは、そういう話なのだ。
故に、レフィは自然とスティが何らかの魔術で戦うものだと考えていた。
初めて会った時に、地下室を吹き飛ばすところを見ていたのもそれに拍車をかけた。
ここからどうするのか。
レフィは固唾を飲んで見守った。
そしてスティは、さらにレフィの思考を置き去りにしていく。
小塔から、身を投げた。
「嘘っ……!?」
物見台の端に駆け寄る。
柵から乗り出し、よく見ようとした。
そして信じられないものを見た。
小塔から身を躍らせたスティが、空中を駆け昇っていく。
爆発的な速さで。
矢よりも速く、稲光のように。
白い槍が、尾を引いた。
「く、ふふっ」
上空の竜目掛けて、一直線に向かって跳ぶ彼の姿にレフィは思わず笑い出してしまった。
(なんだ。心配して損した)
レフィは、スティの槍の残光に見惚れた。
「中尉殿、そろそろお戻りを」
背後から聞こえたデラムの声に、レフィは正気に戻る。
柵から身を乗り出したレフィが落ちぬように支えてくれていた。
礼を言いながら物見台の中へと戻る。
デラムは気にしないでくれと笑った。
続けて言った。
あなたもあの流星に心奪われたのでしょう、と。
レフィは平静を装う。
表情は取り繕えたのだが、自身の耳の色が変わっていることに彼女は気付いていなかった。
それを見て、デラムは面頬の下でこっそり笑みを浮かべた。
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