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2話:1週間の断食明けのロイヤルミルクティー


「──レイモンド・ハートは死んだよ」





 研究所の地下室を盛大に吹き飛ばして見せた『竜浸兵』に抱えられて、レフィは帝国軍の駐屯地まで戻ってきていた。

 勝手知ったる我が家のように、ずかずかと先へと進んでいくのには困らされたものだ。

 と言うか、荷物のように小脇に抱えて運ぶのは非常に恥ずかしいため、すぐさま止めてもらいたかった。

 それ以上に、幽霊にでも会ったかのように蒼白な顔をした兵が幾人か見られたことに戸惑ったものだが。


 そうして止められることもなく奥に辿り着いた彼女らは、ある部屋へと入る。

 そこはこの駐屯地でも指折りの高官の執務室であり、レフィの叔父が働く部屋でもあった。

 レフィの上官の、そのまた上官に位置する男の部屋は、軽々しく立ち入って良い場所ではない。

 現に、姪であるレフィも扉の前まで来たことはあれど、中に入ることまで許されたことは無かった。

 驚きに目を見開くレフィを抱えたまま、入室の許可も取らずに踏み込んだ『竜浸兵』が開口一番放ったのが最初の言葉だ。



 机越しに叔父であるオレーグと目が合った時、レフィは消えてしまいたいと願った。

 普段は相手を鋭く見据える目が大きく見開かれ、髭を蓄えた口元がポカンと緩んでいるのを見た。

 しかし現実は無情である。

 脇に抱えられてしまっては逃げることはおろか、顔を手で覆うことすら許さない。

 視線を切るようにギュッ、と目を瞑ることがレフィに出来る精一杯だった。


(……?)


 覚悟していた叱責の言葉が飛んでこない。

 ふるふると震えながら薄目を開けてオレーグを見ると、何やら考え込む仕草をしていた。

 若い頃には自ら剣をとり戦場に立った男はゴツゴツした手で顎を擦り、続けてそのすっかり白くなった頭を掻いた。


 突如襲う浮遊感。


 べしゃり、と床に落とされる。

 キッと頭上を睨めば、ニヤニヤとした笑みが返ってきた。


「……無事だったか。しかし、1週間も何をしていた?」


「学術院の連中が特別に部屋を誂えてくれたもんで、折角だし世話になっていたのさ」


「それで1週間もか?」


「まぁね。オレだって休みたい時くらいある」


 レフィは、オレーグが右眉をわずかに上げているのを見た。

 あれは苛立ちを我慢している時のサインだ。


「何故、今になって出てきた?」


「迎えも寄越してもらったし、さすがに飽き飽きしていたからな」


 あいつら話し相手にもなってくれないんだぜ。『竜浸兵』の男はそう言って笑う。

 学術院の人間のことは小馬鹿にしているようだった。

 オレーグが鼻を鳴らした。


「ボルトンの仕業か」


 オレーグが小声で呟いたのは、レフィの上官の名前だ。

 その声音の低さに、上官が根回しを済ませていなかったのだと悟る。

 汗が一筋、頬を伝う。


「まぁまぁ、いいだろう? オレーグ」


 『竜浸兵』が親しげに名を呼ぶと、オレーグは忌々しげに舌打ちした。


「これから貴様が何を言うのか。私にはもう察しがついておる。ついておるが、認める気は無い。だから言わんで良いし、宿舎に帰って寝ろ。

後の事は追って通達させる」


「いいや、すれ違いがあると困るから伝えておくよ。

この子をオレの主にしな。あんたの拒否権は悪いが無しだ」


 苦虫を噛み潰したような表情をするオレーグと、優位に立ち勝ち誇った顔をする『竜浸兵』を交互に見ながらレフィは疑問を口にする。


「あるじ?」


 レフィの疑問に答えたのはオレーグだった。


「こいつは監督官のことを主と呼んでいるのだ。

……いや、だが、レイモンドのことはそう呼んでいなかったな」


「あの裏切り者のカスとは無理矢理に組まされただけだからな。死んでも主だなんて呼ばねぇよ」


 『竜浸兵』はそう吐き捨てた。


「貴様。まさか、レイモンドが死んだというのは監督官を変えるためではないだろうな?」


「ちげぇよ。

……話すと少し長くなるぜ。

ヴィリさん、紅茶出して。オレのはミルクと砂糖も入れて」


「おい、ヴィリは私の補佐官だぞ。勝手に命令するな。

紅茶を3人分用意してくれ」


 書類仕事の手を止めて話をしていたオレーグは立ち上がり、窓際に設えてあるソファを指差し言った。


「座れ。話を聞こう。

中尉、貴様もだ」


 レフィは怒られる前の子どものように怖々と近寄る。

 一方『竜浸兵』は、軍服の汚れをまったく気にせず悠然と椅子に腰掛けた。



♦️



「……なるほどな」


 オレーグが低く唸る。

 眉間には皺が寄せられ、顔面はわずかに紅潮していた。

 その現役の頃よりも幾分かふっくらした身体を不機嫌そうに揺らし、上層部への不満を胸中に押し留める。


 無理もない。

 脇で聞いていただけのレフィでも嫌気が差すような内容だった。

 ソファの感触を楽しむことも、ヴィリが淹れてくれた紅茶の香りを味わうことも出来なかった。

 彼女の淹れた紅茶は絶品だと聞くのに。


 第二師団所属の元監察官であるレイモンド・ハートと軍中央司令部との癒着。

 そのレイモンドによる学術院との内通と軍への背信。

 そして、学術院によるレイモンドの殺害。

 付け加えて言うならば、この駐屯地は第二師団のものであり、必然、オレーグは第二師団に属する人間であった。


 そんなただでさえ面倒な事態を、学術院に監禁され研究所を破壊して逃走した『竜浸兵』、という存在がさらにややこしくしていた。


 オレーグの額には脂汗が浮かぶ。

 その様子をヴィリが気の毒そうに見ている。


 コンコン、とオレーグが黒檀を切り出した机を叩く。


「貴様、よくも私の前に顔を出せたな」


 地を這うように低い声に、レフィは向けられた相手ではないと言うのに身体が震え上がるのを感じた。

 オレーグのその言葉からは、激発する直前まで抑え込まれた怒りが透けて見える。

 グツグツと煮えたぎる溶岩のごとき激情が、いつ拳に乗って放たれるか。レフィは戦々恐々とした。


「役立つ自信があるから、あんたのところに顔を出したんだぜ」


 『竜浸兵』は、オレーグの様子を歯牙にもかけない。

 気が付いていないはずはない。

 オレーグの固く握り締められた拳には筋が浮き、その目はくわっと大きく開かれている。

 その姿を見て楽しそうだなんて感じるのであれば、コミュニケーション能力に難ありにも程がある。

 だが明らかな怒りの形相も、『竜浸兵』にとっては気に留める必要の無いことであった。

 にこやかに踏み倒し、伝えたいことを勝手に話し出す。


「安い手で強い役を作る。大駒を取る。ゲームの基本だ。

オレを捨てるのは悪手だぜ。

抑えれば、中央にも学術院にも睨みが効かせられる。

第二師団でのあんたの足元もより強固に出来るるだろう。

……姪っ子に良い顔も出来るぜ」


「……ゲームなどと、同じにするな」


 視線を落とし、机の天板を見つめながら震える叔父に、レフィは憐れみを覚えた。

 こんな風に苦しめてしまうのであれば戦場に出られなくても良いと、わずかにだが決意が揺らいだ。

 そして、そんな己を恥じた。


 オレーグは叫び出したかった。

 家族を前線に送り込むことなど出来ない、と。

 だが、そんなことは口が裂けても言えなかった。

 どれだけ感情が荒れ狂っても、理性はそれを許さない。

 これまでに送り出した兵を思えば、逃げた答えなど口に出せようはずがなかった。

 茨のような責任が、彼を縛り上げていた。


「……オレーグ、良い方に考えろ」


 ぽつりと『竜浸兵』が言った。

 その声には、苦悶に歪むオレーグへの気遣いがあった。

 家族を思うものの、責任との板挟みで苦しむ男への同情があった。

 お門違いな怒りはどうだって良かったが、その煩悶には手を差し伸べるだけの価値があるように思えたのだ。


「……ッ! どの口がッ……」


 口から飛び出そうとする呪詛の続きを、オレーグは必死に抑えた。

 目の前の男に責を問うことは出来ない。それをする前に己と帝国の責任を追及するべきなのだ。

 この兵器を作り上げたのは自分たちであるのだから。


「あんたの姪っ子だって、いずれは戦場に赴く。そういう場面が来るだろうし、それはそう遠くない話だ。恐らくな。

その時に、十分な戦力が近くにあるのか?

『竜浸兵』と組めているのか?

誰かが守ってくれるのか?

……答えは分かるだろう。

全て否、だ。

悪化する戦況でそんな余裕はねぇ」




「だが、今ならオレが居る」




「あんたの姪っ子と組めて、守ることが出来て、竜をぶち殺せる戦力が浮いているんだ。

そりゃ、前線は良いとこだなんて天地が逆さまになっても言えねぇが、今の内に行けば足場を固めることだって出来る」


 レフィは横に座る男のことをまじまじと見た。

 人への気遣いなど出来るように見えなかったから意外だったのだ。

 不躾に横顔を眺めてしまうが、『竜浸兵』は彫像のようにまばたき1つせずにオレーグに視線を注いでいる。


 呻きながら俯き、まさしく葛藤という言葉を体現したかのようなオレーグ。


 やがて、意を決したかのように顔を上げて言った。


「……貴様の話に乗ってやる」


「閣下、宜しいのですか?」


 ヴィリに脇から問われ、オレーグは答えた。


「こいつの籍は第二師団(うち)にあった。どうにか残させたからな。行方不明で処理されている今なら、中央の横やりなしで動かせる。向こうが動く前に形を整えて頭を抑える。

……レイモンドを捩じ込まれた時は私とて臍を噛む思いだったのだ。次はやらせん」


 身を乗り出してオレーグは話す。

 熾火のような怒りが視線に込められていた。

 覚悟を決めた姿は、一回り大きく見えた。巨石のような重さを感じさせた。

 対して『竜浸兵』は風のように軽やかに言い放つ。


「よし、決まりだな!」


「いいか、中尉を死なせるなよ。

死なせたら私が貴様を必ず殺す」


 垣間見えた私人としての叔父に、レフィの胸に熱いものがこみ上げる。今までもこうして守ろうとしてくれていたのだと、初めて理解した。

 手元に置いて、危険から遠ざけて。

 レフィは思い描いた未来に向かって進めていないと不満を抱いていた。だがそれは、与えられていた愛情の裏返しだったのだ。

 だからこそ、絶対に死ぬわけにはいかない。

 無駄には出来ない。

 この連鎖を、次に繋げるために。


 レフィが新たな決意を胸に刻んだその時、隣に座る『竜浸兵』の男はオレーグの言葉を笑って切り捨てる。


「いやいや、そいつは無理な話よ」


 オレーグが青筋を立てて怒鳴りつける。


「何だとッ!」


「この子が死ぬ時に、オレはもう居ねぇからな」


 オレーグが絶句する。

 軽い調子で放たれた言葉は、何かその表面的な意味以上のものを抱えているようだった。

 オレーグの顔が悔しげに歪む。

 ヴィリの『竜浸兵』に向ける視線にも、嘆きの色が混ざっていた。


 沈黙の帳が下りる。

 静寂が刺すようであった。


 1人、事情に明るくないレフィは、その居心地の悪さに身動ぎする。




 その彼女を脇に置いて何事も無かったかのように『竜浸兵』は、オレーグと今後の段取りについて話し始めた。


 話すべきことは少なくない。

 事態の詳細についてとその証拠。『竜浸兵』はレイモンドと中央司令部や学術院のやり取りしていた文書の一部を保管していた。その隠し場所や所持していた写しをオレーグに譲り渡していた。


 それから、所属手続きも進められた。行方不明の扱いを取り消してすぐに諸々を済ませるために書類が整えられていく。決裁するのはオレーグであるため、大変スムーズに進められていった。


 さらには、実績作りの仕事先の相談も。

 事務手続きを済ませても、中央司令部が強引に動いてくる可能性は否定出来ない。

 監督官になるレフィには、何も実績がないからだ。既に功績を挙げていて、かつ組んでいる『竜浸兵』のいない元監察官は多くないが、中央司令部ともなればそういった人材を用意できる。

 そうなった時に反論するためには、レフィが監督官として実績を挙げてしまえば手っ取り早い。


 加えて、支援の体制も確立された。

 物資の補給が受けられ、現場に向かう手段も用意された。

 『竜浸兵』の男は、着の身着のまま拘束されていた。軍服は汚れ、裾はほつれていた。

 むしろ、1週間も拘束されていたと言うには綺麗過ぎるくらいなほどだ。

 着替えが支給され、また食事の用意もされた。

 「学術院の連中は大した吝嗇家だ」などと冗談めかして『竜浸兵』は笑っていたが、瞳の奥に渦巻く剣呑な光は恨みを抱いていることを物語っていた。



「──だが、何故奴らは貴様を監禁するなどと回りくどい真似をしたのだ?」


 オレーグが疑問を挟む。

 それについてはレフィも気になっていたところだ。

 逃走や発覚といったリスクを鑑みて、拘束して監禁など割に合わない。

 現に、こうして逃げられてしまっている。


 『竜浸兵』は笑いながら答えた。怖かったんだろうよ、と。


 どういうことだとオレーグが視線で問えば、さらに続けて答えていった。


 『竜浸兵』と正面から戦闘になれば学術院側に勝ち目は薄い。また、勝てたとしても損害が出るのは確実であり大きな騒動になることも予想出来る。そうなれば、事態が露見しかねない。

 監督官権限で抑え込もうにも、その監督官を既に殺していたためにその手も打てない。

 仕方がないので衰弱させてから処分しようとしたのだろう、と。


 レフィは遠回しの自慢なのでは?なんてことを考えていたが、オレーグは違うようだった。

 納得したように深く頷き、さらに質問を重ねた。ならば何故、逃げ出さなかったのか、と。


 それを聞き、レフィは思い出す。

 牢を出る時、『竜浸兵』の男はこちらの助けなど必要としていなかったことを。

 それはつまり、いつでも好きな時に逃げ出せたということに他ならない。

 ……いやそもそもの話、捕まることだって避けられたのではないか。

 男は変わらず笑みを浮かべていたが、それまでよりも疲れの色が濃くなっているように見えた。



「夢をな、見るんだよ」



 男は語り出す。

 滅びた国に居た家族のことを。友人と過ごした学び舎での日々を。遊び、語らい、怒られ、泣いて、笑った。あの、もはや戻らない過ぎ去りし日常を。

 竜から逃れて辿り着いた帝国で面倒を見てくれた兵士長のことを。戦線で新たに育んだ友情を。一丸となって竜に挑んでいた時の胸の高鳴りを。


 だからこそ、憤っていた。

 帝国内の権力闘争に。

 戦場から離れれば一体となれない人の愚かさに。

 深く、深く失望していた。

 ひどく、うちのめされていた。



 大丈夫か、などという安直な問いを投げることは出来なかった。

 どう見ても大丈夫ではないからだ。


(……もしかするとこの人は、何もかもを投げ出してしまいたかったのかもしれない)


 レフィはそのように感じた。





 『竜浸兵』の男はゆっくりと立ち上がる。


「だけどまぁ、やるって言ったからには最期までやってやるさ」


 その分うまいもんでも食わせてくれや、男はそう言うとへらりと笑った。


 レフィはその笑顔から目を背けた。


ご覧いただきありがとうございます。

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