12話:意地と誇りと死と功績の天秤
朝焼けとともに、雄鶏が夜明けを告げる。
そのけたたましい鳴き声にレフィは目を覚ました。
街からほど近い場所に設営された天幕は、崩されてしまった防壁を跨いで来た朝日をよく浴びていた。
柔らかな光が天幕の中を満たしている。そのキラキラとした輝きは、昨日の惨劇をどこか遠いものにしてしまったように思えた。
第四師団の拠点の1つであるセベルストルには、当然軍用の施設がいくつも存在していてその中には兵舎も備えられているのだが、第二師団の所属であるレフィは一部利用が制限されていた。
例えば、資料室に立ち入れなかったり、食堂の利用は可能だが宿舎の部屋は借りられなかったりしたことなどが挙げられる。
第四師団は部外者の立ち入り禁止を理由としていたが、レフィを、それ以上にスティをあまり自由にさせたくなかったようだ。
身体を起こし、レフィは身形を整える。
さすがに状況が状況だ。上着を羽織りブーツを履いて、細々した物、例えば階級章とか、を確認して完了した。ものの数分だ。
軍に入ってから身だしなみを整えるのが早くなったな、と感じる。と言うか、誰かに着せてもらうのが当然の立場であったために、最初がやたら遅かっただけだが。
人に会ってもとりあえず恥ずかしくないだろう。
そう思える姿になった時、天幕の外から声がかかった。スティだ。
中の様子を窺っていたようなタイミングの良さに、苦笑しながら入ることを許可する。
彼は水桶を持ってやって来た。
それを見て、天幕に水桶を用意しておくことを忘れていたとレフィは気付く。
「あぁ、やっぱねぇな。昨日置いてなかったから持ってきたぜ」
そう言ってレフィの足元に水桶を置くと、彼はさらにタオルを手渡して出ていった。
流れるような動きにレフィはただその背中を見送る。
「……あ、お礼言ってないや」
ちゃぷん、とタオルを水に浸しながら、彼女はそう呟いた。
「あんた、寝癖直ってねぇぜ」
「ええ! うそ!」
天幕を出たところで、待機していたスティに声をかけられた。レフィは食い気味に驚き、慌てて寝癖を確認する。
(……あれ?)
寝癖とはどこのことだろうか。触ってみても、水に映して見ても、さっぱり分からない。
今日もレフィの髪は、いっそ強情なほどに真っ直ぐだ。
そこでようやく担がれたことを悟った。
勢いよくスティを睨めば、犯人は堪えていた笑みを解き放った。
「うそじゃん!」
むくれるレフィと平謝りするスティの元に、伝令が寄越されたのは朝食の前のことだった。
余所者が大きな顔で食堂を利用するのは憚られるので、時間を遅らせたことでそのような形になった。
実際には、第四師団の被害状況的にはそこまで気にすることもないのだが、レフィは相手の顔を立てることを選んだのだ。
スティとしては、半数が死んで広々とした食堂を使うのに気にしすぎだとか、朝食をずらしたくらいで面子が立つなら断食でもしたら何しても許されそうだなとか、言いたくなることは多々あったが全て心の奥底に沈めてレフィの判断に従った。
それまでの監督官と比べれば、レフィの思考は浅はかだが可愛らしく思え、また一々矯正する必要があるほどには愚劣でなかったからだ。
つまり、放っておいた。
伝令から書状を受け取り、中をあらためる。
『今後の作戦行動を通達するために、司令部へ出頭せよ』
まとめるとそのようなことが書かれていた。
貴族的な引用や婉曲表現が多用され、読み解くのにはわずかばかりだが時間を要した。
軍人生活の影響だろうか。
それ以前と比べて、こうした書状の読み解きは遅くなったようにレフィは感じた。
読解の速度そのものは、十分な水準だろう。そこらの貴族将校より断然早いのは依然として変わらないし、正確性も申し分ないはずだ。
しかし、昔の自分に負けると言うのは何であれ受け入れ難いことであった。
「呼びつけんならその紙で命令寄越せよ、気が利かねぇな」
スティがあまりにも正直に苛立ちを吐き出したことに、レフィは少し驚いた。
何のかんのと文句を言っても、彼は軍に対してかなり従順であった。レフィから見れば、辛辣な言葉を口にするのは前監督官について話す時くらいのものだ。
それがこの程度のことであからさまに不平をこぼすとは、不審にすら思えた。書状を運んだ兵士が居るというのに、当たり散らすような真似をするとは……。
だが、兵士から隠すようにされたウィンクで、レフィはこれが芝居であることを理解した。
スティは何かを狙って、わざと兵士の前で不満を露にしたのだ。
すぐにその狙いに思い至る。
伝令で送られてきた兵士は単なる歩兵ではない。階級の低い兵は、あらかたブレスに巻き込まれてしまった。
レフィの所へ寄越されたのは、作戦司令部に付く補佐官の1人だ。よくよく記憶を漁れば、挨拶に出向いた時に壁際で控えていたことが思い出された。
スティは牽制しているのだ。
第四師団に対して我々に気を遣え、と言外にメッセージを送ったのだ。
彼の態度はおそらく司令部に伝えられる。それを見越してのものだろう。
敬礼をして、伝令役は走り去っていく。慌てた様子だ。
その後ろ姿を見送りながら、スティは笑う。
「じゃぁ、ゆっくり行こうか。我が主殿」
「……なんでそんなご機嫌なの?」
「そりゃ、あんたがオレの狙いを読んで手伝ってくれたからな」
何のことだろうか。
ニマニマとしたその笑顔を見上げる。
「おいおい、伝令の奴を黙ってじぃっと見詰めてただろ。圧力かけてたじゃねぇか」
言われてみれば、心当たりがまったく無いわけではない。
確かに何も話さなかったし、伝令に来た兵士をじろじろ観察してもいた。
「あ、ああ。そういうことね」
合点がいったとばかりにレフィの口から飛び出した言葉を聞いて、スティは呆れたような目を向けるばかりだった。
……ああいや、肩を竦めて頭を振ってもいた。
♦️
「……待っていたぞ」
参謀室まで直通だったことは、レフィも予想外だった。
それまでの第四師団の対応からは考えられないことだ。
彼らは、レフィたちを出来るだけ奥に立ち入れないようにしていた。
宿舎の代わりに天幕を用意し、応接室より先に招くことは無かった。例外はレフィたちが押し入った昨晩の会議だけ。それも無理に通させたのだから、あちらからしたら面子的にも管理問題的にも好ましからざる話だろう。
「お待たせしたのでしたら申し訳ございません」
「いい、こちらの都合で呼んだのだ。多少のことに目くじらは立てん」
余所行きのレフィに応じる第四師団の参謀は、そう言いながらもどこか不服そうだ。
先ほどスティが不満を隠さずに吐いたことが気に入らないのか、あるいはそもそもレフィたちが気に入らない可能性もあるか。
(どうせ隠すならうまいこと隠してくれないかな)
「それで今後についてとは?」
心の中と外面は別物だ。
にこやかに問いかける。
レフィの顔はそれなり以上に良い。背丈も体つきも育たなかったためにナメられがちだが、柔らかに微笑むと若い男も年嵩の男も態度が軟化する。
それが嫌でボクと言ったり雑な言葉遣いをしようとしたりしてきたが、ここ最近では容姿を利用することへの抵抗が少し弱まってきた。
ナメられるのは御免だが、甘く見られているならそれを逆手にとってやろう。そう思えるようになってきたのだ。
「貴官らの申し出を受けて、司令部は今後の動静について会議を開いた。
そして、第四師団参謀として貴官らの要望を受諾し、行動の『許可』を与える」
「了解しました」
決定を受領したと敬礼も合わせて答える。
参謀は面白くなさそうに目を眇めた。
「なら行け」
「はっ、失礼しました」
ほんの数分、10分に届くかどうかの短い時間であったが、レフィとしては望んでいた回答を得られたために不満は無い。
そのまま退室しようとすると、それまで静かにレフィの後ろに控えていたスティが言った。「あんたみてぇな忠義者は嫌いじゃないぜ」と。
それを参謀は鼻で笑うと、さっさと出て行けと言わんばかりに手をヒラヒラと振った。
「ねえ、あれってどういうこと?」
「ん? あぁ、さっきのか」
天幕に戻ってからスティに尋ねれば、彼は何てことないように答えた。
「あの参謀は忠義者だってのは事実さ。
ハハッ! いや中々どうして冷静な奴も居るじゃないか」
「……どういうこと?」
レフィは、スティが嬉しげな理由が分からず質問を重ねる。一体何を、喜んでいるのだろうか。
第四師団のために、あの参謀は自分を賭け金にしたんだよ。
スティはそう答えると、身体の向きを変えた。椅子に腰掛けたレフィに正面から向き合うように立ち、3本指を立てて見せた。
「勝つ、負ける、相討ち。オレたちが竜に挑んで起きるのは、大まかに3つだ」
こくり、とレフィが頷いたのを確認してスティは話し続ける。
「そんで、第四師団が採れるのは無視、静観、協力だ」
「……無視と静観は同じじゃない?」
いいや、と彼は首を横に振る。
無視は静観よりもリスキーなだけで旨味が無い。無視と静観では責任を問われた時の対処法が異なってくる。さらに言えば、問われる責任の重さも変化する。
報告、連絡、相談はいつの世でも重要だ。それは、形だけであってもそう。同じ手を出さない、という選択にしても通達したか否かが焦点となる。
感情的にレフィたちの意見を握り潰していたならば、後になって第二師団を筆頭とした他の師団から追及される可能性が生まれる。可能性とは恐ろしい。それを確かめるには、現実にしなければ分からないからだ。
「でも第四師団は一応協力してくれるんでしょ?」
「だから彼は忠義者なのさ」
そう言ってスティは、立てていた指を人差し指だけにする。
協力を選ぶというのは、賭けに出るということだ。リスクを抑えるだけなら静観で良い。レフィたちは第二師団の兵。立ち回り次第で、十分責任は被せられる。
だが、協力したなら話は変わる。
失敗した時、その責任は第四師団にも問われてくる。
ならば何故、協力という手を選択したのか。
それは、レフィたちがヴィヘイレンの竜を排除出来ると踏んだからだ。勝ち負けではない。
脅威を退けることが出来るかどうか。その一点で秤にかけて選択したのだ。
勝てば協力した第四師団の決断は英断となる。
相討ちでも、いやむしろ相討ちならば第四師団が功績を総取りだ。最高の展開になる。
しかし、それなら負けた時は?
それが彼を忠義者と評した理由である。
彼は「参謀として」と話していた。それは彼の権限の元での発言ということを示し、判断が彼の責任であることを明言したことになる。
負けた時の責任は自分が取ると宣言したのだ。
もちろん、そんな事を言ってようが責任追及の手は第四師団に伸びることだろう。だが、先手を打って参謀が詰め腹を切れば、話はそこで終わりになる。
責任があることを認めて、死んで詫びたならば周りはそれを呑む他無い。
「ついでに言やぁ、別に自決は必要ねぇ。最後までセベルストルに残って、街が滅ぶのを見届けりゃ良い」
レフィは少しだけ、少しだけ不思議に思ったことがあった。
スティにそれを遠慮する必要は無いと思い、口に出す。
「えっと。……そこまですることある?」
「さぁな」
彼は両の掌を上に向け、肩を竦めた。
さっぱり分からんというジェスチャーだった。
「でもまぁ、彼らにとっては大事な話だったんだろ」
第四師団が協力を選んだのには生臭い理由もあります。
・参謀を蹴落としたい派閥
・陥落間近なセベルストルから、全ての兵力を引き払う余裕が無いから有効に活用をしたい
・懲罰部隊を死地に送って兵の手綱を握っておく
・単純な時間稼ぎ
・兵数を削減することで、目減りした師団としての財を少しでも温存する
・第二師団への当て付け(援軍はもっと役に立つのを寄越せと主張する布石)
などですね。
なお、参謀は恩義ある師団長のために自ら首を差し出しました。
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