11話:新たな世の礎となれ
前半と後半で視点が変わります。
「……ぃぃや……だ…………。ふ、ふう"ぅ、……あ"ぁぁ……。……じ……くなぃ……、や…………にだ……ぁい。……ん"な、…………なの、み、みどえぇあ"ぃ。っぐぅぅぁぁ"あ"……。…………ぁあ"、じに、じにだぐ…………な"いぃ…………。っ、ぃやだぁ…………」
魔術兵ヨゼフは生きていた。
既に日が落ち夜がやって来ていながら、彼の周りは火に照らされて明るい。パチパチと燃える残火の中に取り残されていた。
生き残れていることそのものが、奇跡であった。
防壁を支える柱の直上に居た偶然。
防壁が崩れた時にその柱だけが残った偶然。
防壁のカーブを描いた形状により、ブレスが脇を通り抜けていった偶然。
座り込んでいて放たれた熱を避けられた偶然。
爆風に飛ばされかけても欄干に身体が引っ掛かった偶然。
周囲が全て消し飛び、ヨゼフを脅かすものがなくなった偶然。
恐ろしいほどの偶然を積み重ねて、彼は生にしがみついていた。無数の兵士と竜擬きが瞬時に炭と化した地獄の中で、彼一人だけが生きていた。
だが、悲しいことにその命も直に尽きる。
いくら直撃を避けていようと、ブレスの熱は彼を焼いた。さらに、ここから逃げようにも他に足場は無い。
残留している熱がじわじわとヨゼフを焼き上げた。そんなつもりはなかろうが、じっくり中まで火が通るように、時間をかけて。
少しずつ己れが死に行くことを実感して、ヨゼフの心は恐怖に満たされていた。
焼けた皮膚が焦げていっても痛みを感じず、萎れた手足に力は入らず、渇いた口内は僅かにも唾液を出せず、湯だった眼は徐々に視界が歪んでいく。
まだ意識がある方がおかしいのだ。
ヨゼフは生への執着を露にし、来るはずの無い助けを求める。彼が己れを保つにはそうする以外の方法が無いことを自然と理解していた。この声が絶えた時に自分は死ぬのだと悟っていた。
だから声をあげ続けた。
死にたくないと、熾火燃える瓦礫の中で。
「──おや」
軽やかな男の声。
ジリジリと焼ける石に囲まれながら、実に涼しげなその声は、転がるヨゼフの正面。ブレスによって崩れた防壁の瓦礫の向こうから聞こえた。
肉を焼く火をまるで意に介さないその声の主は、道端で珍しい模様の石を見つけたような様子でヨゼフの上までやって来た。
ヨゼフは声に反応することなど出来ない。
意識は朦朧として、うわ言のように死にたくないと繰り返すばかりな彼に、そのような判断は下せない。
いや、そもそも既に彼は周囲を知覚出来るだけの感覚が残っていない。
死を拒絶するだけの肉の塊に過ぎない。
「ふむ。まだ息があるとは……」
興味深そうに声の主である影は、転がるヨゼフを覗き込む。
影の大きさは人と変わらないほどだ。火に照らされているのに、その姿を窺い知れぬことくらいしか変わった様子は無い。
角や触手、羽根のような人に無い部位は持っていない。いたって人と変わらぬ形ながら、しかしその容姿が分からないことの一点を以て、それは人と一線を画していた。
ヨゼフをじっくりねっとりと観察していた影は、やがて面白そうに言った。
「……なるほど、強烈な自己暗示を。それでこうも永らえるとは、人はいつ見ても新たな発見がある。素晴らしいものですね」
その声には称賛の念と、明らかな嘲笑が混在していた。
影がモゾモゾと動き、パチパチと音がした。拍手をしているのだ。
目の前の哀れな肉塊の、その愚かなることを悦び愛で蔑んでいた。
「生きたいですか?」
ヨゼフは狂ったかのように死にたくないと繰り返す。
彼はとうに壊れていた。生に心囚われ、死を否定する。それしか彼には残っていない。
思考は無い。感情も無い。
死した仲間への悔恨も、今生き残っている幸運への感謝も、あからさまに怪しげな影への警戒も無い。
思い上がり故に失態を犯し、惰弱であるが故に仲間を失い、蒙昧故に生き永らえ、愚かであるが故に命を拾い、そして全てを捨てようとしていた。
彼はただ死にたくないと呟き続ける。生きたいのではない。死にたくないのだ。
「ええ、良いでしょう」
影は愉しげな声で囁いた。
ヨゼフの望みを聞き、それを受諾する。
今、影とヨゼフとで契約が為された。
「人の真似事をするのもまた一興。あなたは束の間の生を享受し、私は更なる学びを得る。契約成立です」
ドプン、とヨゼフの身体が床に飲まれる。彼が居た場所は水面のように揺らいでいたが、それも直に収まった。
影が小刻みに揺れる。笑っている。面白くてしょうがないと言わんばかりに笑っている。
一頻り笑い、それから影は霧散した。
影は次の学びを求めて、目星を付けていたものを見に行く。
元々その予定のところで、向かう途中に偶然ヨゼフが目に入ったから立ち寄っただけのことだった。
***
「いやぁ、もう痛快としか言いようがねぇよ!」
上機嫌に笑うスティに、レフィは頭を抑えた。
残念なことにレフィには彼の笑う理由がよく分かっていたし、なんならそれはレフィのせいだった。
レフィは小さくため息を吐きながら、敷物の上に寝そべった。
まだ愉快そうに笑いながら、スティは何かの樽の上に腰掛ける。
割り当てられた天幕の中であるため、レフィはもう知るかと言わんばかりにくつろぐことにした。
靴を脱ぎ捨て、上着を放って、ぐだっと力を抜いて寝転がる。
「くくっ。『脅威を調べもしていないとは何のために居るのです?』」
「ぐぅ……」
スティは先ほどまで行われていた作戦司令部での方針会議、そこに乱入した時のレフィの言葉を真似た。
レフィは顔を手で覆う。
その様子を見ながらさらに真似は続けられる。
「あとは、『それで見捨てるのですか。自分たちだけが助かるために』だったか」
「うぅ……」
悶えるレフィ。
耳は真っ赤で、手の隙間から見える顔も赤い。
「それから、『いいよ、ボクらで竜を討つ。そこで見ていろ、自分の街が他人に救われるところを』なんて言ってもいたなぁ。最後の方は取り繕うのも忘れて」
「うぅわぁあああぁ…………」
呻きながら転がり回る。足をバタつかせ、全身から恥ずかしさを発散させていた。
そうでもしないとこの羞恥に堪えられない。
スティは、レフィの晒す醜態にやや冷めた目を向けた。そのはしたなさを恥じるべきでは、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。
心を許している証だと好意的に捉えることにしたのだ。
……だから問題無いのか、と言えばそうでもないが。
しばらくジタバタと暴れていたレフィは動きを止めると、話を変えようと切り出した。
寝そべったままで、彼女の顔はスティから見えないように隠されている。
「ねえ、何で竜浸兵やってるの?」
いつか出てきた質問だ。
スティは、もう話しただろうと答えた。彼にとっては終わった話なのだ。
だが、レフィは納得していなかった。
加えて言えば、彼女が聞きたいのはそこではない。
「前に言ってたのは要するに、いつでも逆らえるけど面倒だから従っているっていう消極的な話でしょ。
ボクが聞きたいのは竜浸兵として戦う積極的な理由だよ」
やっぱり、復讐とかなの?
レフィの問いにスティは思わず口ごもる。
ぼかして伝えたことを見抜かれていたこともそうだが、正面から答えるつもりがなかった所に直截な質問を投げ込まれてかわせなかったのだ。
スティは、甘く見ていたと少女への評価を修正する。
彼の動揺を感じ取ったか、少女は言葉を重ねて畳み掛ける。
「だって普通ムカつかない? 偉そうにしやがって、って思うでしょ。ずっと一緒に組んで仲が良いってわけでもないのに、命懸けるなんて出来ないよ」
ひどく一般的な、ありふれた視野から放たれた言葉がスティを直撃する。
その通りだと少女の言に道理を認めた時点で、彼の負けと決まっていた。
身体から力が抜け、樽が軋みをあげた。体重を預けて、天幕の中央に吊るされたカンテラを眺める。
反応が無いことを訝しんで、またぞろ誤魔化すつもりかとレフィがそちらを向けば、煤けた男の姿があった。
光の具合か、落ち窪んだ眼窩には闇が溜まり今にも溢れ出しそうだった。
あれほどに気力に満ちているように見えていた男が、枯れ木のように見えてしまったことがレフィの心を大いにかき乱す。
「オレは聖人君子じゃねぇから、腹立つこともあるし我慢ならねぇ時もある。でもよぉ、それでも竜をぶち殺してやりたいから頭を下げてきた。
……そうだなぁ、復讐心ってやつは確かにあるわ」
ボソボソと聞き取りにくい声でスティが話し始めた。
聞かせるつもりの無いそれは、独り言に近い。
「帝国に忠誠を誓ってるわけでもねぇんだ。他国の出身だしな。
竜浸兵になったきっかけだって、負傷兵を同意無しで被験体にした学術院のボケナスどものせいだ」
カンテラの火が大きく揺れた。
影が揺らめき、一瞬スティが居なくなったように見え、レフィは慌てて身体を起こす。
彼は変わらずそこに居た。
ただ、先ほどまでよりも身に纏う空気が昏い。
「国は滅んで、家族は死んだ。戦友も殆ど居なくなっちまった。名前を失くして番号で呼ばれるようになって、道具みてぇに使われて、あの時死んでいたらと考えたことが無ぇとは言えねぇ」
レフィには、スティの眼窩から闇が零れて滴り落ちたように見えた。目を擦って見直せばそんなことはなく、傷ついた男の顔が見えた。
「でもよぉ、オレは生きている」
その一言が発された時、レフィは確かに感じた。天幕の中が一気に明るくなった。
カンテラを見つめ、上を向いていたスティの顔がしっかりとレフィの方を向く。
力強い瞳がまっすぐに見つめていた。
「なるほど、復讐心ってのは確かにあった。あったがぁ……、それだけじゃねぇ。
オレは取り戻したかったんだ。かつての日々を。でもそいつは叶わねぇから、世界をあそこに少しでも近付ける。そのための礎になる。そう決めた」
カンテラの火は揺るがずに2人を照らす。
影がスティからすぅっと離れたように思えた。
「あんたがオレの戦う理由を気にすんのは、心配だからだろ?」
その言葉に虚を突かれたレフィは、間の抜けた声を出した。
心配、あるいは不安。それがレフィの心の奥底にあったことは否定出来ない。
レフィは恐れていた。彼女の掲げる理想は実現が困難で、周囲の人々からはそれとなく諦めるよう促されてきた。
この男も、スティもまたそうした1人になってしまうのではないか。
彼女は信じられなかったのだ。確たる理由がなければ、己れに賛同してくれるはずが無いと考えていた。
だからまた、問いを投げたのだ。
防壁が崩され多くの兵士が死んだ今回の戦いは、レフィに現実を叩き付けた。
諦めてはいない。ただ、恐ろしくなってしまったのだ。
彼も、目を覚ませと言う側に回ってしまうのではないか、と。
俯き黙り込むレフィに、スティは優しく声をかけた。
「安心しろ。止めやしねぇ。あんたの望みは、オレが礎になってやるよ」
カンテラの火が揺らめく。
天幕中が大きく揺さぶられたように見えた。
レフィは何か答えたかったのだが、どんなことを口にすれば分からずにモゴモゴと肯定とも否定ともつかない謎の声を発した。
真剣な顔をしていたスティはそれに対して、困ったように眉尻を下げた。
「……んだよ、しまんねぇな。あんた、こういう時は『勝手に死んだら許さないから!』とか、『希望通りこき使ってやるわ!』とかなんとか言やぁいいんだよ」
はぁ、まったくクソ真面目な。彼は呆れたように首を振った。
そうは言うが、彼の出した例は些か高飛車が過ぎるのではないだろうかとレフィは疑問に思う。
これが普通なのか、それとも文化の違いなのか。
どうでもいいことで悩み始めた彼女のことを、ニヤニヤとした笑みで眺めるスティ。
からかわれていることに気付くまで少し時間のかかった少女は、性格の悪い大人に手近にあったクッションを投げつけた。
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