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10話:死骸を置いておくだけで皆寄り付かなくなる


 じんわりとした鈍い痛みが身体中で声をあげている。それを感じることは煩わしくもあり、喜ばしくもあった。どうしてかはレフィにも分からないが。


 柔らかな暗闇が満ちた無窮にレフィは漂っていた。そのまま吸い込まれて消えてしまいそうだ。しかし、不思議と恐ろしくはない。


 温かな何かが脈打つごとに、どこかから呼ぶ声が聞こえる。


『────ろ』


 聞こえないよ、と言葉を返す。


『───おきろ』


 この心地よい空間から離れるのは抵抗があった。レフィは駄々をこねるように首を振る。


『────起きろ』


 もう少しだけ、そう告げてレフィは無窮に身を任せようとする。


『──えぇい! いい加減起きろ!』

『いや、71番!? 少しは優しく』


 脳天から火花が散る。

 ハッとレフィが目を開く。

 その目に映るのは知らない天井だ。どこか小さな部屋に居るらしい。

 脇にはスティとデラムが付き添っていた。


 むくりと身体を起こすと、自分が居るのが医務室などではないことが分かった。

 どこなのだろうか、ここは。

 壁際に寄せられたスコップや角材を見るに、元は物置小屋か何かだろう。


 レフィが寝かされていたのも、戸板に布を被せただけのものだ。

 身体が痛むのも仕方のない話である。

 ……いや待て。レフィは先ほどの鋭い痛みを思い出す。


「……おい、スティ! ボクを叩いたな!」


「そりゃ、いつまでも眠り姫やってんのが悪ぃだろうが。成長期じゃねぇんだから早く起きろ。あれから3時間経って日も落ちちまったぞ」


 話が飲み込めずに、呆けた顔を晒すレフィ。

 あれから、と言うがあれとは何だろうか。

 スティはそれを見て、これ見よがしに天井を仰いで見せた。


「なんだよ、頭でも打ったかぁ?」


「……さっきお前にぶたれたよ」


 こいつぁ失敬。スティは肩を竦めて笑った。

 何でもないやり取りが、レフィの心をどうしてかひどく落ち着かせる。


 そう考えて、レフィは自分が落ち着かない心持ちであることに気付いた。

 同時に思い出す。

 あの赤い光を。凶星の輝きを。


 呼び起こされた恐怖が心の隅をじわりと染め上げ、己れの居場所に作り変える。

 気付けばレフィは自身の肩を抱き締めるようにして、身体を小さく丸めていた。


「……思い出されましたか、中尉殿。東から放たれたブレスが戦場を縦断し、私たちの居た第三高楼までをも吹き飛ばしました。あなたの竜浸兵である71番が間に合わなければ、私もあなたも髄まで焼かれて消えていたことでしょう」


 デラムがそう重々しく告げる。

 さらには感謝まで述べた。セベルストルへの救援があなたたちでなければ自分はきっと死んでいただろう、と。


「まぁそうは言うが、騎士デラムもレフィの命の恩人だぜ。高楼からぶん投げた時に、気絶してるあんたを庇ってくれなきゃそのまま死んでたからな」


 スティは気楽に笑うが、レフィとしてはまるで笑えなかった。

 本人の与り知らぬところで命の危機に瀕していたとは。

 レフィがデラムに向けて丁重に礼を言うと、彼は苦笑しながら71番にも伝えた方が良いと話した。ああ言っているものの心配していたのですよ、と。

 スティはそれを聞いて、本人が居んのにそんな話すんなよと顔をしかめる。



 レフィはふと上官であるボルトンに聞いた話を思い出した。 

 曰く、竜浸兵と長く付き合うコツは感謝を伝えることである、と。



 言い様のない恥ずかしさともどかしさ、それから微かな戸惑いを胸に抱えてレフィは、自身を救けてくれた礼を言った。

 父や兄に感謝を伝えるかのように言いにくかったものをどうにか言葉にすると、伝えられた側のスティもどこかぎこちなさを漂わせて一言、気にすんなとだけ答えた。


 良いものを見たと言いたげな顔をしているデラムに、この日初めてレフィは怒りを抱いた。




 何とも表現のし難い生暖かい沈黙を振り切るように、レフィは話題を変えようとした。


「……にしてもお前、よく無事だったね」


「ん?」


「いやだって、竜の突撃に、ブレスだろう? よく躱せたなって」


 スティは大袈裟な身振りで自身をよく見ろと示した。

 その格好は見慣れつつある軍服ではなく、上裸で腰に布を巻いただけだ。

 ただ、筋肉質な体つきなためにそんな格好でも違和感は全く無い。彫像のようだ。堂々とした態度も相まって、普段からそんな姿だった気すらしてくる。


「いやいや、どっちもしっかり食らっちまったからこんな格好なんだよ」


 オレは恥ずかしがり屋だから服は上下着込みたいんだぜ。そう嘯くスティを放置したレフィは、その頑強さを信じ難いものだと感じた。


 彼が嘘を吐いているとは思えない。

 過大な申告は戦場において命取りだ。そんなことも分からぬ男ではない。そもそもあれだけの活躍を大勢の前でしてのけているのだから、今さら評価を上げようと姑息な真似をする必要もない。

 であれば、きっと真実なのだろう。どの程度かは分からないが、少なくとも服が着られなくなる程には攻撃をその身に受けている。


 だが。


 スティの肌は滑らかで傷痕など1つたりともなく、どこかを痛がるような素振りも無い。


 どうしても疑いの目を向けてしまう。


「なんだ、信じてねぇのかよ」


「中尉殿、お気持ちは分かりますが事実です。ほんの少し前までこの男、傷だらけでしたよ。とてもお見せできるような姿ではございませんでした」


 拗ねたようなスティに、デラムが説明を付け足す。

 レフィとしては、そう言われたとて素直に頷きにくいものは残っていたが、一旦飲み込んだ。

 竜浸兵は傷の治りが早いと聞き及んでいたが、そんな出鱈目なものだったのだろうか。


 レフィの胸の内の疑問は消え去らなかったが、2人にあの赤い光が放たれた後のことを聞くことにした。





 話を聞くに、被害は壊滅的と言ってもいいものだった。

 ヴィヘイレンから放たれた竜のブレスは、戦場を縦断して直線上にあった第三高楼のすぐ側を掠めるように通り抜けた。

 ブレスが直撃した防壁は粉砕され、第三高楼も崩落していた。

 発せられた熱は凄まじく、ブレスの進路周辺の様々な物を焼き尽くした。防壁を構成した石材は未だに熱を持ち、進路上で原型をとどめるものは無いと言う。直撃せずとも余波だけで人が丸焼きになったそうで、防壁の上に居た兵士は生存が絶望的だった。

 夜になっても火は残っており、消火や救助活動が急がれていると2人は口々に語った。


 不幸中の幸いと言って良いのか、ブレスは竜や竜擬きも巻き込む形で放たれたために敵の姿も見当たらない。だが、同じくらい生存者も見つからないため全く喜べなかった。


 スティが言うにはブレス痕に残存する赤銅竜の魔力が、竜擬きを追いやっているそうだ。中られてしまうのだと言う。

 仲間意識は無いのか、レフィがそう呟くとスティは頭を振った。

 曰く、あるわけがない、と。

 竜擬きは竜からすれば鑑賞の対象でも愛玩の対象でもなく、人ではないという一点をもって殺戮の対象から外れているだけの存在である。そんなものに気を遣うことなどなく、またヴィヘイレンの赤銅竜ほどに強力な個体からすれば同族の竜すら駒より上の価値を持たない。

 スティはそう言い切った。




「──さてと。元気そうだし、そろそろ行こうぜ」


 立ち上がったスティに、レフィは問う。


「行くってどこにさ?」


「そりゃ、もちろん作戦司令部よ! カチコミに行こうぜ!」


 デラムとレフィは揃って驚きの声をあげた。

 お前は何を言ってるんだ。

 2人してスティを諫める。すると、スティからは反論が返ってきた。


 1つ、生存の報告が必要であること。

 これはレフィにも異存はない。第二師団の所属であるレフィたちは、その安否は第四師団の責任問題に関わってくる。

 無事を知らせなければならない。


 1つ、状況の報告が必要であること。

 これもまた同意する他ない。詳細な報告はいくらあっても良いものである。加えて、レフィたちは竜浸兵や騎士、魔術師と視点が様々でそれだけ情報は貴重になる。

 確かに必要だ。レフィが頷く。


 1つ、これからの動向を知る必要があること。

 これもまあ、その通りだろう。

 これだけの被害が出ているのだ。今後の方針は知っておきたい。

 とは言え、レフィは第二師団の兵である。そこまで重要な話ではない。

 向こうも教えてくれるとは限らないことだ。


 1つ、作戦行動の提案が必要なこと。


「どういうこと?」


 レフィが口を挟んだ。

 レフィたちにそんな権限は無い。部外者がしゃしゃり出ていい場面とも思えなかった。


 まあ聞け。

 スティは手振りでレフィを制すると、今後の予想を始めた。



 第四師団の動きとしては、セベルストルの放棄が最も現実的である。それが彼の見解だった。


 防壁が大きく崩れて結界が破損した状態で都市の防衛は困難、いやもう不可能だった。


 わずか数里の所にあるヴィヘイレンを我が物とする竜は、今回攻撃してきたことから鑑みるに積極的に攻勢に出て来ることは想像に難くない。

 あまりにもタイミングの良い大規模襲撃も合わせて考えると、ヴィヘイレンの赤銅竜は竜を指揮することが出来る可能性も十二分に考えられる。

 群れていた竜は多少の違いこそあれ、どれも五十歩百歩な出来だった。であれば、長距離砲撃が可能で他より優れたヴィヘイレンの竜が統率個体である方が自然だ。


 竜への迎撃に戦力を集中させてからブレスでまとめて焼く、なんて動きをされては堪らない。

 どう転んでもセベルストルは守れないのだ。



「だけどな」



 スティは語気を強めた。


 それは致命的な選択だ。

 セベルストルを放棄すれば、一帯は竜の手に落ちる。

 そうなれば、大陸北部に竜の勢力が食い込むことになり戦線に綻びが生じる。

 切れ目が入ればそこから侵攻は進められ、残り少ない人族の住まう土地は遠くない内に奪い去られることだろう。

 今だって帝国は苦心して踏ん張っているのだ。

 ここで生存圏を切り取られてしまうと、少ない足場を掘り起こされるようなものだ。足元が崩れてしまう。


 それに、とスティは息継ぎをする。



「他の都市に余裕が無い」



 それはある意味、最も残酷な事実だ。

 都市結界で守りを固めている都合上、都市の収容人数には限りがある。

 全ての空間を居住地とする訳にも行かない。食糧や物資の生産に使われている部分もある。


 分散すれば、隙間無く詰め込めば受け入れが出来る可能性は存在する。

 だが今度は、そんな悠長に事を運ぶ余裕が無い。

 受け入れ調整をしながら、住民を転移陣で送り出して、穴の開いた都市結界で時間を稼ぐ?


 現実的な話ではない。それは無理だ。



 つまり、どうなるか。


 セベルストルは放棄される。そこに住む人々諸ともに。





「なら……。なら、どうしたら良い?」


 淡々と質問するレフィ。

 デラムはその様子に意外感を覚える。これまでの彼女は感情的なタイプに見えていた。慌てたり声を荒げたりするものかと思ったが、そんなデラムの見立ては外れたようだ。


 分からない問題を教師に聞くような穏やかさに、スティはにっこりと笑みを浮かべた。

 見たいものが見られた。そう言わんばかりの笑みだ。

 そして答えた。


「簡単なことさ。ヴィヘイレンの竜を殺せば良い」


 その言葉と事態の解決は、レフィの中でうまく結び付かなかった。

 それが表に出ていたのだろう。

 スティはどこか楽しげに説明を始める。



 ──ヴィヘイレンでは赤銅竜が、土地から魔力を吸い上げている。それは次のブレスのためだ。

 おそらく先の一撃は試射だったのだろう。

 次に狙うはセベルストル中心か、その辺りなはず。ただ、現状のペースでは同程度の威力のブレスを吐くまでに4日はかかる。

 それはつまるところ、4日は動かずに同じ場所居るということだ。


 その間に仕留めれば大きな脅威が取り払われ、第四師団は強力な個体の亡骸を得ることが出来る。研究にも触媒の生産にも売っても良いそれで、損失を少しでも補填出来るのだ。


 それから、統率個体がヴィヘイレンの竜だとする仮説が正しいなら、それを排除すれば後は組織だっての行動が出来なくなる。さらに今回襲撃してきた竜は全て死んだため、戦力的な空白地帯が生まれる。

 通常、1週間の内に10体も襲撃に来ない。失われた戦力の補充だって緩やかに進む。

 奴らは人をいつでも殺せると思っているが故に、急いで全滅させようと動かない。



「つまりだ。

ヴィヘイレンの竜を殺せば、第四師団はいくらか財布がマシになって、デカイ危機が1つ消えて、防壁修復の時間稼ぎが出来て、帝国市民は街1つ分生き延びんだよ」


 まぁ、全部うまいこと行けばの話だがな。

 そう付け足すことは忘れずに、スティは説明を締め括った。


 レフィとしては、まだ突っ込んで聞きたい部分も無くはないがその気持ちは抑えた。

 スティのような竜浸兵でないと分からない部分や、経験を積むことで理解できる点もあるのだろう。そう考えたのだ。


 何にせよ、カチコミという表現が穏当ではなかっただけで、作戦司令部に出頭することは必要だ。

 どうせ行くのだからと、レフィはスティを止めないと決めた。

 決を採るのが司令部の仕事だと、考えることを投げたのである。




♦️




 3人は物置小屋を出て、仮設の作戦司令部がある方へと歩いて行く。

 現在、突発的な事態への対応のために崩落した防壁のほど近くに大きなテントが張られ、そこが仮の作戦司令部として機能していた。


 移動の間も、デラムは努めて平静を装い続けていた。


 決して悟られてはならない。少女と談笑している怪物に。



 デラムはレフィに嘘を吐いた。



 管理番号ー71が監督官の少女が目覚める少し前まで傷だらけだったなんて嘘だ。

 ブレスの射線上のものが全て跡形もなく消し飛んだなんて嘘だ。

 全ての竜がブレスに巻き込まれたかのように伝えたのも嘘だ。



 デラムは気を失わなかったために、見てしまっていた。



 スティはブレスに飲み込まれていた。デラムとレフィを第三高楼から投げた直後に光の中に消えた。デラムはそれを確かに見た。


 焼け跡から黒焦げの人型が出てきた時には敵と疑った。

 炭化した身体がみるみる再生していくのを見て目を疑ったし、それがスティと分かった時には自身の正気を疑った。



 ものの数分で全身が再生するなんて、いくら竜浸兵でもあり得ない。

 そこまで人から隔絶した存在ではないはずなのだ。

 だと言うのに、それが目の前で起きた。


 あまつさえ、治りたてのその身体で、ブレスから生き残っていた2体の竜をさっさと殺して見せた。


(化け物……)


 そんな感想しか出てこない。




 その時、なんとも有り難くない天啓がデラムの元に舞い降りた。


(もはや竜浸兵ですらない怪物を、果たして竜浸兵用の契約具で抑え込めるのだろうか?)


 最悪の気付きだ。吐きそうになる。

 抑え込める訳がない。

 それが可能なら、今頃竜はペットにでもなっている。

 論じるまでもなく不可能だ。

 あり得ない。



 デラムは、目だけでそっとスティを見る。


 スティのにぃっと弧を描いた唇に、立てた人差し指が添えられる。

 一言も発していないのに、デラムへの要求を雄弁に語っていた。


 デラムの口からは、短く乾いた笑い声しか出なかった。



ご覧いただきありがとうございます。

評価、いいねをいただけると大変励みになりますので、よろしくお願いします。


ヴィヘイレンの竜くらいになると、死骸は放置しておくだけで竜除けになります。




デラムは気付きを得ましたが、これまでに気付いているのは2人だけ、デラムで3人目です。既に2人とも死んでいるので、今知っているのはデラムだけです。やったね。


その内の1人はレイモンドです。と言っても、なんかおかしいなレベルの気付きでしたが。

彼は直感に従い、スティへの命令に人殺しをいれませんでした。そのため、わざわざ逆らうのも面倒だなというラインに居続け、スティは惰性で従っていました。

横領や収賄、命令無視、情報流出など様々な悪事を働き、スティに呆れられていたレイモンドですが、優れた危機察知能力を持っていたのです。スティの中の一線を越えずにコントロールしていたあたり、立ち回りが上手でした。金銭への執着が薄いことを見抜いていたり、孤軍奮闘が一番パフォーマンスが上がると理解していたりと、割りと人の内面を見るのは得意だったようです。

……学術院の連中に裏切られたとは、死ぬまで気付きませんでしたが。



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