1話:鎖に繋がれた『竜浸兵』
よろしくお願いします。
「──よぉ!
帝都地下動物園にようこそ!
まぁ、ここに居るのはオレだけだし、客なんざ来るわけねぇんだけどな!」
地下室の奥から声が響いてくる。
少し湿った空気の溜まったここには、灯りの1つもない。
とても人が居るべき場所には思えなかった。
だと言うのに聞こえてきたのは、いやに明るい、陽気な声だ。ケラケラとした笑いすら含んでいる。
自棄になっている風なことを言いながら、しかし暗闇からこちらを窺う鋭い視線を隠していない。
こんな陰気な場所に似つかわしくないなと、レフィはわずかにだが背筋に冷たいものが流れていくのを感じた。
帝都ボラネプレア。
ジュッサーム帝国を支える大黒柱であり大陸最大の都市である。
まあ、帝国に匹敵する国そのものがもう他には無いのだから最大なのも当然の話なのではあるが。
この帝都は、人族の存続のための重要拠点となっていた。
ジュッサーム帝国の存亡ではない。
人という種族、それそのものが追い詰められているのだ。
その元凶とは、竜による侵攻であった。
突如として人を襲い始めた、悪意に満ちた怪物。
御伽噺の中だけの存在だと思われていた彼らは、大陸南端に姿を現した後に恐ろしい速度で勢力を広げていった。
人を食らい、村を焼き、畑を潰して、国を壊した。
無論、人族とてやられたままとはいかない。剣をとり、槍を構えて、襲い来る竜どもを迎え撃った。
そして無惨にも叩き潰され、いくつもの国が滅んだ。
竜は総じて巨躯であり、城壁をも砕く膂力に攻城戦用のバリスタでの射撃をも弾く鱗を備え、さらには魔法の行使すらして見せた。
人族が正面から戦って、勝ち目などあろうはずもなかった。
そうした中で、ジュッサーム帝国が未だ滅亡せずにいる理由はいくつかある。
一つは、帝国の立地だ。
南北に長いアルダンブロ大陸の北部を支配する帝国は、竜が現れた南端から最も離れた国であった。
いかな竜とて大陸の端から端まで移動するのには時間がかかる。
その移動に要する時間が、そのまま帝国の延命に繋がった。
この延命期間で役に立ったのが、魔術であった。
帝国が持ちこたえている理由の一つでもあるのだが、帝国の有するような高度な魔術を竜は持ち合わせていない。
彼らは魔法が使えたからだ。
蟻を殺すのに剣を持ち出さないように、あるいは肉を焼くのに溶岩に放り込まないように、竜の強大な魔力や優れた肉体は複雑な魔術を必要としていなかった。
これが良い方向に働いた。
竜たちは人族の行使する魔術に対して力ずくのアプローチしかとれなかったのだ。
攻撃にしろ罠にしろ結界にしろ、全て正面から踏み潰そうとするという点が時間稼ぎに役立った。
しかし、所詮は時間稼ぎ。
根本的な解決とはなり得ない。
人族の防衛線はズルズルと押し下げられ多くの国が滅ぼされていく中、帝国も竜の脅威を認めその対抗策を模索した。
武器の改良。
魔術の改良。
城壁などの建築技術の改良。
軍隊の用兵の研究。
決して成果が出なかったわけではない。
最初期は文字通り手も足も出なかったのだ。
一方的に叩き潰され、吹き飛ばされ、焼かれ、食い殺されてきた。
それに比べれば、竜を誘い込む形で作られた砦と足止めに特化した魔術で出足を鈍らせて貫通力を高めた巨大なバリスタでハリネズミにすれば、殺せる可能性が出てきただけマシと言うもの。
だが、それでは足りない。
勝つことが出来ない。
敵を討ち滅ぼせない。
脅威を拭いされない。
そのままであれば、人族は滅びの道を辿り行く他なかった。
当然、帝国はそんな未来を許容など出来ない。
そうして禁忌に手を伸ばす。
なんとしてでも、安寧を得るために。
彼らは、神の領分を侵した。
人の、人たる身体を造り変えようとしたのだ。
──このままでは勝てぬことなど自明の理。
であるならば、勝てるだけの力を得よう。
その結果は、帝国が今なお存在していることによって示され続けている。
レフィがこれから会おうとしている彼は、その結果の1つだ。
帝国学術院対竜魔導兵器開発研究所。
明かりもろくにない、暗い地下室のさらに奥。太い鉄の格子で閉じられた牢の中に収められて、それでも男は笑っていた。
その笑い声から湿っぽさやドロドロとした情念が感じられなかったことに、レフィはかえって慄いた。
牢に近付くのは躊躇われた。
見張りと護衛を兼ねた案内役は、どうしてか入り口でレフィと分かれている。一人きりで地下室に放り出されたのだ。
ドアまで案内するだけなら犬でも出来るぞ。そう心の中で悪態をつく。
だが、近付かねばならない。何故ならそれが、レフィに課せられた任務であるからだ。
一歩一歩牢へと近付いていきながらも、腰が引けていたことを誰が笑えようか。
レフィはやっとの思いで牢の前に辿り着き、その手に持ったランタンで中を照らしてよく見ようとする。
すぐ正面に男が立っていた。
ガシャン。
冷たくざらついたコンクリートの感触。
ランタンを落としたことと、それから自分が尻餅をついていることをレフィは遅れて認識した。
余りにも驚くと喉が貼り付いて悲鳴なんて出ないんだ、と妙に冷静な頭が思考する。
逃げろ。
レフィの頭はすぐさまそう判断した。
だが、身体は彫像のように動かなかった。
無限にも感じられる一瞬が過ぎ去り、バツの悪さが滲む声が地下室に響く。
それは、ランタンの光に照らされた男の声だった。
「……ありゃりゃ。その、大丈夫かい?」
声の印象はまだ若い。
少しおどけた調子でありながら、その声音にはレフィを心配するものが含まれていた。
腰を抜かし床に座り込んだまま、男を見上げた。
背の高い男だ。
着替えさせられることなく、軍部の制服を纏ったままで、その姿は煤けていると言うか汚れていた。
細身ながらも筋肉質な体つきで、トレーニングで鍛えたのではなく実戦の中で自然と身についたようなしなやかさがあった。
黄金色の髪と髭は痛み放題伸び放題で、目の下の隈とかさついた肌が牢での生活が過酷なものであることを伝えてくる。
荒んだ容姿からは年齢を推察するのが難しいが、それでもレフィの父親よりは年下だろう。一番上の兄と同じか、少し上くらいか。
分厚い金属製の首枷は鈍色に光り存在を誇示していた。両手も枷で封じられ、彼が虜囚であることを如実に物語っている。
その青い瞳は静謐な泉のようで、レフィは思わず見とれた。
強い。
レフィはそう直感した。
それだけの迫力があった。
そしてそれ以上に異質だった。具体的に何が異質であるのかを聞かれれば答えられないだろう。だが、何かが普通と違っていた。それだけは確信できた。
立ち姿か、その目に宿す光か。はたまた、その身に纏う空気感か。
帝国軍に属して2年。
間近で見るのは初めてだが、これなら噂になるのも納得だった。
「そんなに驚くとは思っていなかったんだ。悪かったよ。怪我はないかい?」
「だ、大丈夫です!」
レフィは震える声でどうにか返事をした。
「そんなに怖がるな。いや、脅かしたオレが悪いんだけどさ」
内心を見透かされ、顔が熱くなるのを感じた。
帝国軍に所属し、戦場にも出た。竜の姿も拝んで来た。もう一人前だと自負していた。
それが、地下室で驚いて腰を抜かすだなんて。
プライドが傷つけられたレフィは唇を噛む。
みっともない言葉は口に出したくなかった。
「まあなんだ。気にするなよ、ガキんちょ」
「バカにするな、ボクはもう成人している!」
張っていた意地は即座に破れ、後先考えずに噛みついた。
言ってから、しまったと気付く。
レフィの容姿は、小柄で華奢だ。骨は細く肉の付きにくい身体は折れそうなくらいで、幼い顔立ちと相まっていっそう子どものように見えた。
軍服が似合わないことも自覚している。なんと言おうか、着せられている感が拭えないのだ。
だから、そういう扱いには慣れている。
……慣れているはずなのだが、何故だか目の前の男にされるのは気に入らなかった。
「おぉう、……そいつは悪かった」
あまりムキになるのもみっともないように思える。
だが、気にしてないように振る舞うにはまだレフィは若かった。
結果、すました表情を取り繕いながらも唇は引き絞られ、震えを堪えようと力が入る。そんな少女が出来上がってしまった。
その様子を一瞥し、『竜浸兵』は触れぬことにした。
とうに人であることをやめた身なれど、さすがにそれくらいの情けはかけられる。
「さて」
仕切り直すように男が口を開く。
ノロノロとレフィは立ち上がった。
「わざわざこんなところまで来たんだ。監督官になりたいんだろう?」
そうだ。
レフィはそのためにこの牢に来たのだ。
監督官。
それは帝国の戦線を支える魔導技術の産物たる『竜浸兵』と対になるものである。
『竜浸兵』を制御する優秀な魔術師、それが監督官だ。
まだ年若いレフィであるが、学院を卒業した時分に成績優秀であるとして監督官資格を与えられていた。
これは帝国が人的資源の確保においても窮地に陥りつつあることの証左でもあるのだが、それは置いておく。
問題は監督官資格の保有者に対して『竜浸兵』の数が足りていないことだ。仮に資格保有者と同数の『竜浸兵』が居たならば、帝国は一部地域で攻勢に出ることも可能だと試算されている。
だが、現実には守勢に回らざるを得ず、複数の地域で遅滞戦闘を強いられていた。
苦しい戦況はまだ未熟なレフィにも大きな影響を与えていた。
レフィと組む『竜浸兵』が居ないのだ。
監督官は『竜浸兵』が居なければただの魔術師でしかない。
配属されたのが後方勤務だったためにレフィはまだ生きている。だが、これが前線の部隊であったのならば、恐らくもうこの世には居なかったことだろう。
そんな状況を覆したく上官に相談したことで、レフィはここに来ることになった。
何か不穏な動きと言うか、権力闘争のようなものが裏で行われていることは薄々察していたが、首を突っ込んでも良いことは無いとそこは知らぬ振りをした。
そしてその『竜浸兵』の一人が、牢に入っているこの男なのだ。
管理番号ー71と呼ばれるこの『竜浸兵』が、どうして牢に入れられているのかレフィは知らないが、上官に命じられて接触を図ったのが今の状況である。
監督官になりたいか、という問いにゆるゆると首肯を返すレフィを、男はじっと値踏みするように見つめていた。
「そうかい」
男は視線を切り、天井を見上げる。
何か考え込んでいるようであり、何かを諦めているようでもあった。
二言三言何がしかを呟くと、男はレフィに向き直る。
「あんたはどうして戦おうとするんだい?」
「……ぇ?」
「戦う理由だよ。理由。何もないなんてことはないだろう」
男の言葉に、レフィは口ごもる。
理由はある。
羅針盤のように進むべき道を示し続けてきたそれを、今も確かに胸に抱えている。
だが、これまでに肯定されることの少なかったそれを、躊躇いなく口にすることは難しかったのだ。
口を開いては閉じるのを繰り返すレフィ。
男は何も言わずにその様子を見つめている。
逡巡は長く続かなかった。
やがて観念したかのように、レフィは胸に秘めたそれを言葉にした。
「……空が欲しいんだ」
「そら?」
男が怪訝そうに聞き返す。
「竜から空を、取り戻したいんだよ!」
虚を突かれたように、いや真実、男にとってその答えは予想の外のものだ。
目が見開かれ、まじまじとレフィを見る。まるで初めて視界に入ったかのようであった。
その炯々とした瞳に、レフィはたじろぎそうになるが堪えた。
目をそらしてはいけない。
正面から受け止める必要がある。そう直感した。
ここが分水嶺だ。
退けば何か、大事なものを取り零してしまう。
レフィは男の目を真っ直ぐに睨み返した。
やがて。
「いいな」
男が呟く。
「いいな、それは。
実に良い。
最高だ。
あんた、最高だよ! 気に入った!」
叫ぶやいなや、男の身体から魔力が迸る。
全身が、押し潰されるかと思った。
魔力はジリジリと肌を焼く陽光のようだった。
荒れ狂い、男を包み込み渦を巻く。
無造作に発散される魔力が牢はおろか、地下室全体を満たしていく。
『竜浸兵』は、手枷を嵌められた両の手を胸の前まで持ち上げて、なんてことはないように軽々と捻った。
それだけで金属製の手枷がねじ切られ、ゴトリと床へと落ちる。
自由になった手首の調子を確かめながら、男はさらに魔力を放出し続けた。
天井が軋みをあげ、床が震えた。
ミシミシとコンクリートがひび割れていく。
鉄の擦れる音。
牢の格子がひしゃげ、歪む。
膨れ上がった魔力が空気を圧し退けていく。
レフィは、この莫大な魔力によってこれから何が引き起こされるのかを理解した。
すなわち、解放である。
(っ、間に合わない!)
咄嗟にその場で伏せて頭を覆えば、地響きが次第に強まっていく。
レフィが未だ感じたことのない魔力の高まりと、その圧迫感に呼吸が詰まった。
恐れを感じる余裕すら無かった。
振動の波は増大し続けていく。
床に伏せていても吹き飛ばされそうだった。
あまりの揺れに、上下の感覚すら失いそうになる。
一際強く下から打ち上げるように揺れた。
間近で雷が落ちたかのようだった。
もしかしたら、天が落ちたのかもしれない。そんなことはないと分かりつつも、レフィにはそう思えてしまった。
音なのか揺れなのかも判別出来ない程に凄まじい衝撃がレフィの身体を通り抜ける。
内臓まで揺らされる衝撃に、肺腑の空気が口から漏れ出した。
胃の中身までもをぶちまけてしまわなかったのは、淑女としての意地に他ならない。
静寂が、訪れる。
揺れが収まり、圧迫感も取り払われた。
耳が聞こえなくなってしまったかのように、辺り一帯が静まりかえる。ともすれば、あまりの轟音に本当に耳が聞こえなくなっているのかもしれない。
床に手をつき、ゆっくりと身体を起こす。
(……さっきのは)
間違いなく魔術の発動、ではなかった。
レフィとて未熟な身、全ての魔術を知っているなどと到底言えはしない。
だが。
(あんなもの、近衛でもそう使えはしない……!)
魔術師であれば発散された魔力の質や量から、ある程度術者の業前や能力を推し量れる。
そうしてレフィは理解した。
いやさ、そもそもそんなことを考えるまでもなかった。
術式を組み上げるような素振りなどなかった。ただ乱雑に、出来ることを出来るからやっただけだった。
男には余裕があった。
笑っていたのだ。あのような力を行使しながら、しかし些事であるようだった。
それでいて、加減をしていた。レフィが近くに居たために。
レフィは、自分が何かとんでもない間違いを仕出かしたのではないか、と不安に駆られた。
ここに来るべきではなかったのではないか。
あの男と話をすべきでなかったのではないか。
そんな思いがレフィの胸に去来する。
そこで、あることに気が付いた。
(あか、るい……?)
バッ、と勢いよく天を仰ぐ。
あるべき物が無かった。
もうもうと立ち込める砂埃の隙間から、帝都の緑色の空が顔を覗かせていた。
「……天井が、無い」
地下室は、既に地下室と呼べる状態ではなくなっていた。
天井を吹き飛ばされ、剥き出しとなったそこはいいとこ大穴だ。
わずかに、風が吹く。
男が高らかに告げる。
「──そんじゃぁ、こんな辛気臭い場所からはさっさとおサラバしようぜ!」
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