第8話 理外の力
次の投稿は明日か、今日の10時以降になるかもしれません。
いまだに薄れる気配の無い右肩口から響く鈍く痛みに耐えながら、夕日を背景にしてより一層一層美しさの増す美少女少女……あろうことか、数度俺と会話を交わしただけで"日本語を理解しきって"見せた存在と会話を交えていた。
少し口調が堅苦しいとは思うが、そんなことは重要じゃない。
彼女の名前は、ヌル。
どこかで聞き覚えのある言葉で、思い出そうと記憶を探るとすぐに姿を現したそれは、数字だった。
ドイツ語数字で言うところの、零。つまりはゼロ。0だ。
なぜ日本語ではなくドイツ語を、しかも日本語の強弱をつけて言うのか俺には分からない。
それに、彼女が何故そんな名前を名乗ったのかも不明なのだ。何かしらの意図があり、それをくみ取ってほしいという意思を暗に伝えているのか、それとも彼女自身が自らに虚数的な性質を帯びていて、それを自ら戒めるためにそう名乗り縛ったのか定かではない。
彼女の意図を知ることは簡単だ。
理外権能を使えばいい。それだけの話なのである。
そうすれば彼女の意図以上の真意を知ることができるだろう。だから、しない。それが正しいはずだ。
敢えて意図を伝えたのであって、その内に眠る暴かれることを拒むモノがあったとして、それを無理やりに理外権能で知るというのは恥ずべき行為に他ならない。
とはいえ、彼女のことが知りたいという事実もまた存在する。
彼女が不思議な魅力を備えているということもあるだろうが、それ以上に気がかりなことがあった。
それとは、彼女が確かに口にした「理外の力を持つ俺を探していた」という言葉にだった。
言葉にあった"理外の力"という単語をなぜ彼女が知っているのか。そして、なぜそんな力を持つ俺を探していたのか。
一番手っ取り早いのは、彼女にそれを質問することだろう。
しかしそれは避けるべきだ。何せ彼女は、通常知ることのできないであろう理外の力のことを知っている。俺のことを助けてくれたことで敵ではないにせよ、味方とは限らないのだ。
どちらにしても、彼女の虎の尾を踏まないよう慎重に質問していくほかない。
そう思っていた矢先、まさか彼女の方から話しかけてきた。
「ふむ……。"理外の力を持つ者は、その世界の理から見放される"……か。
どうやら事実のようだな」
「……えっと」
彼女の言葉が難しかったのではなく、世界の法則から見放されるという言葉が何を意味しているのか。
単純に意味が分からなかった。
世界に法則から見放されるといえど、俺はこうして重力を感じながら座っている。
網膜は光を感じて視界を作り、音は空気の振動を鼓膜で感じ取り、皮膚ではその接触が俺に感覚を与え、舌は味蕾で味を感じ、嗅細胞は草と血、鉄の匂いに刺激されている。
これのどこが見放されているのかわからず、俺は思わず首をかしげる。
「当人には自覚無し、と。
なるほど、どうやらお前は本当に理外の力を持つのだな」
「その、ちょっと聞いてほしいんだけど。
世界の理から見放される……って具体的にはどういう部分なのか……って、いや、なんでもない」
考えうる限りのことに思考を行き渡らせてもまるで答えの見つからない現状に我慢ができず、そう質問してしまいそうになる。
彼女は敵かもしれないと数秒前に至ったはずだが、この世界に来て初めて会話のできる存在と出会ったせいか、彼女への対応が甘くなってしまっているのかもしれない。
それに彼女が先ほど言ったのは、俺を理外の力を継いでいる存在かどうかの最終確認であり、それが済めば即座に排除……ということが起きてもおかしくはないのだ。
俺は考えうる最大の解決法を用いることにした。
精神を集中させ、そして唱える。
(理外の力について、世界の理から見放されるということに当てはまる事柄を〔解析〕する)
唱えた途端、それは俺の記憶領域に流れ込み、知識の量は今までと比にならないことを表しているのか、軽い頭痛がする。
思考内に開示された情報を閲覧し、それに近いものを調べる。
そうしていくうちに、一つの情報を見つけた。
〔理外の力、それは縛り封ずる遍くすべての枠組みを超えしもの。
その力を持つ者は如何なる世界の法則より逸脱し、法則により動く世界からはそれらが形成する、如何なる効果の影響を反映させる事象は存在しない〕
……読んでいて全くわからない。
半ば自棄になった俺は、無理やりに権能を使って改善を試みる。
〔その情報をわかりやすく間違いの無いよう、例を示しつつ〔解析〕する〕
と、ほとんど不可能で自分で読み解いた方が早いだろう権能行使は、まさかそんな無茶な情報を開示するとも思えず、俺はその情報が入ってきたときに驚愕せざるを得ない力だと再認識した。
〔理外の力を所有する存在は、その法則が効果を及ぼしたのちに反映させるパターンを持っておらず、ゆえに法則すら存在しない理外存在には、それを反映させようとも不可能〕
やっとわかりそうなくらいまで簡単にしてから、俺はそれを飲み込んで解釈する。
理外の力を持つということは、世界の理から外れているということ。
つまり将棋で例えるなら、将棋の盤上にコインが一枚並べられているとすれば。
そもそも盤上に異物が存在すること自体ルール違反になるのだろうが、細かいルールはこの際考えないようにしよう。
将棋のルールでは、一手で動かせる駒は一つまでであり、一手でコインを何回動かしてもルール違反にはならないということだ。
いや。正確に言うなら、ルール違反とする項目が存在しないのだ。
自分なりに考えるなら、これは理外の力が法則というルールを無視して理外権能という効果を発動できるように、将棋のルールではコインの暴挙を止める項目がなく、理外の力を止める手段はこの世界にはない……ということなのだろうか。
……ってことは、その逆もまた然り。ということなのではないだろうか。
つまり、将棋でいう歩が"成る"ことでその動き方を変えられるというルールは存在するが、コインにはそのような効果はない。
それに、コインに何か強化効果を付与するという例外中の例外的な法則が存在するわけがない。つまり、無いということ。
これは、その世界に存在する力……つまり、スキルや魔力といった存在や、最近のファンタジーではよく見かける、風水の力や呪術の力、信仰力で発動する祈祷術などの力を持たず、またそれらの影響を受けることができない……。
つまり、理外の力を持つ者は、理外の力が齎す効果のみ適用され、そのほかの世界の法則などで存在するスキルや魔力などが扱えず、またその効果を受けることもできない。
要するに。理外の力を有する者は与えられた理外の力しか行使できない。
そして、世界の法則によって存在するスキルや魔力などの特殊能力を獲得できず、またそれらから発生する身体能力を強化したり、傷を癒したりする効果を受けることもできない……。
ということは、俺が今まで読み漁ってきたファンタジー小説の知識は、すべて無駄……?
「おい、何を黄昏ている」
少女がこちらを揺さぶるまで気づかないほど熟考していた俺は、熟考の末に捻出したものの答え合わせを求めるべく、彼女に質問をした。
「なあ、ヌルさん」
「敬称はいらない」
「じゃあ、ヌル。
俺から魔力だったり、魔法の才能だったり、スキルの予兆だったり、呪いの才能とか……そういう異能の存在を感じられるのか」
俺は彼女の瞳を見つめながらそう言うと、赤とも青とも緑とも形容のし難い色を変える、人外。それも無機物的な印象を抱かせる光彩が開かれ、その直後すぐに平然と戻る。
「アルナレイト。お前のいる座標とお前の体積分、その空間からは魔力反応や源素波。呪念などのを測る機器に一切の反応や成分が検出されない。
逆を言えば、お前の物理的な肉体から発生する音や光の反射のみでしか計測できない。
人間の体一人分の空白がそこにある」
……そうか。やはり。
「ありがとう。ようやっと理解でき……」
と、そこまで考えてまた一つ、疑問が浮かんだ。
それは「じゃあなぜ、今の俺はこの世界に存在できているのか」というモノだ。
世界の法則に囚われないのなら、物理法則すら俺を無視して光も反射せず音も反響させやしないだろう。いったいこれはどういうことなのか––––––––––––––––––。
「どうかしたか?」
「ああ、いや、なんでもない」
再び深い思考に落ちてしまいそうになるのを抑え、目の前の少女に向き直る。
本当に美しい顔で、夕焼けが地平線に沈んでいく光景も相まって、彼女の存在は目の前に存在しているというのにもはや幻想的ですらあった。
何か考え足りないことがあるような、もやもやとした記憶があるものの、それは自分の奥へと追いやってまた今度、思い出すことにした。
「もうすぐで夜になる。この森は比較的安全だが魔物が出現しないというわけではない。
先ほどの戦闘で、相当数周囲に寄って来ているが、どうする?」
「え、あ、本当に?」
「嘘をついてどうする?」
彼女はやれやれ、と首を振り俺の方を呆れた目で見る。
「仕方ない。これは一つ貸しだぞ」
彼女は地面に手をかざし、何かを地面に設置した。
するとたちまちそれは光の柱を形成し、俺とヌルの周囲を覆った。
何かの結界かとも思ったが、俺が何故中にいるのに効果を発揮するのかは不明だ。
「これで魔物は入ってこられない。とはいえ12時間程度しか持たない。朝になれば移動するぞ」
「ああ。わかった」
ヌルは周囲に一目遣ると、今度は俺の方を見る。
その美しさは陽が沈んだ後でさえ劣らず、相変わらずの美しさをしている。
「それはそうと、アルナレイト。その傷、治さないのか?」
「え、ああ。なんか、治らなくて」
さすがに治らない理由まで話すことはできないが、それでも魔物除けまでしてくれたのだから、その程度答えなくては。
……おそらくこの傷が治らないのは、先ほどの話に通ずるものがあると思う。
きっと、あの男はこの世界に新たな法則を設けたのだ。
この世界に「理外の力をもとに発動する効果で、右腕は直せない」という法則を。
理外の力を持つ俺には、先ほどの考察通りだとどんな傷を与えても理外の力で修復できてしまう、そしてそれを止める手段は通常ない。
しかし、そうした新たな法則を設けれたのなら、この傷がまるで再生しないのはうなずける。
とはいえ、理外の力が持つ「枠組みを超える力」が働いていないようにも感じるし、きっとそこは何かの作用が働いており、優先順位が逆転しているのだろう。
そういったことについてもまた考えておかないとな。
「なるほど、世界の法則を書き換えられ、その結果理外の力による回復が阻害されている。
そういうわけだな?」
「––––––––––––––––––ッ!?」
具体的なことは何も話していないのに、それを言い当てヌル。
これはもはや洞察力の域を超えている……。
「その反応、やはり事実か」
「……あ。かまかけたのか?」
どうやら仮定にまでは至っていたようだが、あまりに考慮すべきことが多く確証はなかったらしい。
……ポーカーフェイスみたいな技、磨いとかないとな。
「腕が再生できない……か。
なら、良い提案がある」
すでに日が沈み、暗闇となった一帯を光の柱が照らす中、ヌルは言葉を続ける。
「お前が失った右腕。その代わりを用意しよう」
「代わり……?」
腕の代わり。そう聞いていまいちわからなかった。
まさか手術して俺の右腕に代わる新しい腕を付けるつもりなのだろうか。
そんな設備がこの世界にあるとも思えない。
この世界でいう治療は、きっと魔力やスキルによる手段だろうから、俺はその効果を受けられないはずだ。
理外の力を然り理外権能然り、今の俺には余る力ということはよくわかる。
俺はそもそも理外の力は緊急時にしか使わずに、通常時はファンタジー小説や漫画で得た知識を活用しようと考えていたのだ。
とはいえ、もうそれに頼ることはできないし、何か別の頼りになるものを探しておくべきか、それとも理外の力への理解を深めるべきか。悩ましいところだ。
「案ずるな、異能の力でなければ良いのだろう?
私ならばお前の腕の代わりを用意できる」
必死に腕のことを考えないようにしていたが、それでもやはり元に戻せるならそれに越したことはない。
「本当か……? だったら、じゃあ!」
「その前に、ひとつ」
ヌルは前のめりになる俺をひと指を、ぴっ、と立てて静止をかける。
「私と契約を結べ。
お前が力を貸すのなら、私も手を貸す」
契約と聞いて、残滓と結んだ契約の記憶が浮かんだ。
あの時は助かるために必死だったが、今はそうではない。
俺は落ち着いて真剣にヌルはの言葉に耳を傾ける。
何せ彼女との契約は俺にとって必要なものかそうでないか、わからないのだ。
それに、理外の力を悪用されでもしたら困るのは俺なのだ。
冷静に、彼女に問う。
「理外の力を借りて、ヌルは何がしたいんだ?」
投げかけた問いに、彼女はまるで思い出したくもない忌むべきモノから目を背けるように俺から視線を外し、うつむいたまま言う。
「……ある、ひとりの少女を殺すことだ」
しんと静まり返った宵の帳が覆う中。その声は弱弱しく、しかしはっきりと響いた。
お読みいただきありがとうございます。
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