第66話 大収穫
ヨルムンガンド。
それは、北欧神話に登場する毒を持った巨大な蛇の幻獣。
悪神ロキが巨人アングルボザとの間にもうけた子どもとされている。
主神オーディンの予見により、ヨルムンガンドを含むロキの子らは神々の脅威となると告げられ、霜の巨人族と丘の巨人族たちが住む国ヨトゥンヘイムから連れてこられ、海へと投げ捨てられた。
そのまま命を落とすかと思われてうたヨルムンガンドは、しかし人間の生活圏でもあるミズガルズを取り巻き、自らの尾を加えるほどの巨大な全長を持つ姿、すなわち、世界を一周するほどの長さを持つ巨大な口縄となったという。
その強大な肉体からなる耐久力は凄まじく、無類の強さである雷神トールが振るう戦槌ミョルニルを頭部に受けながらも、海中に逃れることに成功しているほどである。
神々の黄昏たるラグナロク到来に伴い、その巨大な肉体を陸に挙げたとき、地上は大津波によって洗われ、また、その肉体に宿す怨念の詰まった呪毒は、雷神トールの命を屠るほどであった。
そして、俺たちが今後のレギオ村の鉱物資源を安定供給するために、その調査に訪れた大峡谷。
その最深部で出会ったのは、奇妙なことに、ハーレレート・ヨルムンガンドという女性だった。
ヨルムンガンド。
それは、俺の元居た世界であった北欧神話に出てくる、巨大な蛇の名前なのだ。
俺の元居た世界にあったものであり、文明も、法則すらも異なるこの世界で、全く同じ名前の、ヘビを自称する存在……。
こんな偶然があり得るのだろうか。
俺が目にしてきた作品のほとんどにはそういった要素は確かに存在していたし、それらは有名だから、理解されやすいので作品に取り入れるというのは理解できる。
しかし、しかしだ。
ここは本当の異世界。そんなこと、ありえるはずがないのだ。
この世界に刀がある理由も、俺は何となく解明できていないまま過ごしている。
この世界は……なにか、何かがおかしい。
あまりに、知っていることが多すぎる。
違和感を覚えて、深く集中し思考する。
しかし、これまでで聞いたこと見たこと、覚えていることすべてを照らし合わせてもそのこと柄は浮かび上がらず、皆目見当もつかない答えの謎に思考は袋小路へと陥っていた。
「おい、アルナレイト」
ユウトに呼びかけられてようやく何度も名前を呼ばれていたことに気づき、頭を下げる。
「ごめん、考え事してた」
「それはいいけどよ、あのハーレレートとかいうやつ、どうすんだ?」
ユウトの質問通り、俺たちはあの人型実体を調べなくてはならない。
今俺たちは鉱物資源採取のための調査に来ているのだ。
そこで発見した結界で封印されているものが、敵性存在なのか見極めなくてはならない。
俺は浮かんだ疑問を封じ込め、目の前の世界に意識を戻す。
本来俺に届くはずのないハーレレートの思念が、ヌルによって変換されて言葉として届く。
「ね、おねがいなのだけれど、ここからだしてほしいの」
彼女の要望を叶えることは、俺たちにリスクが生じる。
殺人級の魔力のあふれ出る大峡谷に、人を誘う気配まで作ったような存在。
もしかすると、結界を解くと同時に本来の力を取り戻し、俺たちに襲い掛かってくるかもしれないのだ。
千年間閉じ込められていたというし、結界の強度は本物なのだろう。
だったら放置しても問題はない……という簡単な話ではない。ハーレレートを封じる結界でさえ濃密な魔力が漏れ出てきてしまっているのだから、遠い未来でもいつかは崩壊する。
だったら、いまここで無力化しておくのも一つの手ではないだろうか。
しかし、殺すにはもったいない存在のようにも思える。
こいつの脅威度はそこいらの魔物などとは桁違いだろう。
北欧神話が正しいのなら、こいつは神を殺せる猛毒を持つ。強者を集めるというのが俺とヌルの目的に含まれている以上、彼女の力を確保しておいてもいいはずだ。
俺は彼女を仲間にする方針を固め、そのために策略を巡らすことにした。
結界から逃れたいというハーレレートに、言葉を投げかけた。
「……そうだな……そもそも、なんで君が封印されたかの経緯について教えてくれないか?」
「そうだね、それを話さないことには始まらないよね」
少しの間を置き、彼女が話始める前にヌルたちにヨルムンガンドのことをそれとなく聞いてみる。しかし、この峡谷の存在すら知らなかったゼディアスメンバーはともかく、ヌルでさえしらないことだとわかり、結局振出しへと戻ったころには、ハーレレートの話がちょうど始まっていた。
「わたしがまだ、海にいた時。
暗くて湿って汚れているあんな場所が嫌になって、陸に上がっていろんなものが見たくなったの。
だから、わたしはこの大陸へと上がった。
体の大きさを変えて、どうにかこの大地へと登った。陸にはどんなものがあるのかと心を躍らせて、わたしは地上を進んだ。
訪れた街を破壊したわけでもないし、どこかの国を滅ぼしたわけでもないのに、この体に宿る力の隠し方がわからなかったわたしは、町の衛兵に追われる身となってしまった。
にげて、にげて、にげて、でも、逃げきれなくて。
最後に会った一人の男につかまって、ここへ連れてこられて、それで、おしまい。
そこからは、千年間、ここにいる」
「……それは、気の毒なことだな」
危害を加えたりしたわけではないのに、強大な力を持っているからという理由だけで追われる身になってしまうとは。
しかし、人はわからないものを恐怖する。
それが、彼女の持つ強大な力を恐れてのことならば尚更だ。
「なんで抵抗しなかったんだ?」
「え……だって、誰も傷つけたくなかったから」
「……ふむ」
こいつの言葉を〔解析〕に掛け、発言の真偽のほどを確かめているが、どれも真実ばかりで噓はない。
それに、彼女の持つ言葉の響きには一切の害意が感じられない。
きっとそれは、封印から逃れたいがためについた嘘ではなく、俺の問いに対し真摯に答えようという姿勢から来るものでもあり、また彼女自身の善性を示しているようでもあるようだ。
俺はそんな彼女に対し、既に開放してやりたいという思いを抱いていた。
彼女の思念波を変換しているヌルも、俺と同様のことを感じ取っているのだろう。目を合わせると皆頷き、異論はないようだった。
「そうだな……。
ハーレレート。俺は君を縛るこの結界から解放してやりたい。
そこでだ。結界解除の代わりに、君に手伝ってほしいことがある」
まずは本心を話してみる。
今後国を興す予定である俺たちには、規模が小さくとも、いや、規模が小さいからこそ高い武力を保有している必要があるのだ。
要は舐められないために、というわけだ。
これだけ強力な魔力を常に放出できるほどの存在が世界に放たれたのなら、とは思うが、それを従える存在がいるのなら、その存在の所属するグループにちょっかい掛けるようなことはしないはずだろう。まさに抑止力というわけだ。
さて、どうでるか。
と、向こうの出方を窺っていると、意外にも肯定的な内容が返ってきた。
「わたしの力が誰かのためになるなら、私はそれに協力したい」
どうやら肯定的なようだ。しかし、それでも口だけの可能性もあるので言葉の真偽を〔解析〕してみるが、噓は検知できない。
これは変な駆け引きをせず、協力してもらったほうがよさそうだ。
「じゃあわかった。ハーレレート。君の封印を解こう」
と俺が口にすると、先ほどまでうるさいほどになっていた思念波が嘘のように弱くなって、それに伴い言葉も弱弱しいものへと変わった。
「……本当にここから出られるの?」
「まあな、やりようはある」
そういった数秒後、俺は目を閉じ、すうぅっと息を吸い、そして吐き出す。それを繰り返すごとに三度、だんだんと思考が明瞭に、澄み渡っていく。
イメージを固める。
俺の体から溢れる理外の力。その流れを、左手へと集める。
流れを変え、起点を作り、すべては左手へと帰結するように。
第六感のようなもので感じる。何かの波のようなものが、徐々に左手へと集まっていく感覚。
ある程度までそれを行うと、俺は次に、集めた理外の力を小さく圧縮するイメージを浮かべ、そのまま湖に左手で触れた。
「「っ!!??」」
皆一様にして驚く。
それもそうだ。こんな強力な存在を封印する結界を、ただの人間が完全に破壊したのだから。
理外の力。その性質である「世界の法則による効果を受けられず、弾く」という性質を利用して、結界を消し飛ばしたのだ。
手ごたえから察するに、この結界は世界に対する脅威すら一時的に封じ込められるほどの強度を持つ。このような結界まで用いて彼女を封印した男の真意が那辺にあるのか見定めることはできないが、それだけ彼女の存在を恐れていたということはわかる。
それに、彼女を封印するこの結界には、奇妙な性質があった。
結界崩壊前に結界を〔解析〕してみて判明したのだが、どうやらこの結界、外敵から身を守るための効果も付与されてあったようだ。ゆえに、この結界の本来の力が失われ、魔力が流出していたということらしい。
俺は湖に入れない(今後いつか、彼女の膨大な魔力がしみ込んだ湖を何かに使えないかと思ったため)ので、ユウトにハーレレートを連れてきてもらおうとしたのだが、彼女はどうやっているのかわからないが、水面を渡ってこちらへ来た。
「……まずはじめに、私を助けてくれてありがとう」
そこにいたのは、深い海のような色をした長髪と瞳の色をした、少し気だるげな半目の表情……いわゆるダウナー系の容姿をした女性だった。
背丈はおよそ160台後半。かなり背が高く、また纏う雰囲気もどこか上品なものだが、目の前に立ってみるとわかる。これは、人間の形をしているが、人間などではないと。
「いや、これからやってもらうことがあるからな。
お礼はなしってことにしようぜ」
俺がそう言うと、周りをきょろきょろ見るハーレレート。
「どうしたんだよ」
「え、あ、いや、結界からは朧げに気配を把握することしかできなくて、四人だけだと思ってたから……」
俺の顔をじっと見つめるハーレレート。
「あなた、どうして魔力がないの?」
「……やっぱりそうなるよなぁ」
俺はまだ、自分が理外の力を持つことをヌルやレアン、イリュエル以外には教えていない。
理外の力はおいそれと他人に話していい代物ではないからだ。
しかし、仲間同士の不信感につながる問題なら、どこかで話しておかなければならいのもまた事実だろう。
「……僕もそれ、実は気になってました」
「俺もだ」
「わたしもー」
どうすべきか悩んでいると、エスティエットが口を開いた。
「気になりはしますが、人は誰だって他人には言えない秘密があるものですから。
話してもいいとおもったときに、話してくださればそれで構いません」
と言ってくれたので、俺はそうすることにした。
「それでハーレレート。千年間ここの主だった君に聞きたいんだが、ここの鉱石資源を使いたいんだが、 許してくれるか?」
彼女にとってこの峡谷は、もはや自分の家のようなものだろう。
それを勝手に掘り進めて穴ぼこだらけにするのは気が引ける。しかし、俺たちも今後のために必要なのだ。
そう申し訳なく思いながら彼女に訪ねると、思いのほかあっさりと、
「いいよ、好きにして」
と言ってくれたので、俺はその好意に甘えることにしたのだった。
地下湖から出た俺たちは、消失した大扉の前であるものを眼にした。
そこにいたのは、大量にひしめき合う魔物。
俺は現状を理解する前に最大限の速度で刀を引き抜き、臨戦態勢を整え……たのだが。
そこにいる魔物たちは、皆一斉にひれ伏した。
「「世界蛇様!よくぞご復活なされました!」」
「ふぇぇ?」
魔物の声が理外権能によって翻訳され、鮮明な日本語として俺の耳に届く。
彼らはどうやら、ハーレレートが流出させた魔力から生じた魔物達らしい。
「ああ、その身目麗しいお姿を拝観できるとは……、もう死んでも良い気分です」
「うつくしい……われらの創造主はかようにも美しいお姿をされていたとは………」
まるで新興宗教の教祖を崇めるような彼らの姿勢にハーレレートは身に覚えのないことで困惑していたが、ひとまず彼らの話を聞くことに。
しかし、彼らの話には、自分たちを作ったハーレレートに一生付いていくとしか言わず、それ以外の質問をしたとしても最終的には信仰心の高さを誇る話へと持っていかれる。
まあともあれ、この魔物たちがハーレレートに従うのなら、彼女に協力してもらえれば、魔物という恐怖の対象であった存在すら、俺たちは操れるようになったということではないだろうか。
詳しいことは帰路で話しつつ、俺は魔物が仲間になったと、どうレギオ村の人々に伝えようかと思い悩むのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、☆評価は結構ですので、もしお時間に余裕がありましたら、もう一話読んでいただき、作品をお楽しみください。




