第2話 それは––––理ならざるもの
何千何万何億と過ぎた時間によって精神が侵食され、崩壊の一途を辿る俺の精神。
家族に看取られることもなく、暖かな温もりを感じることすらなく、ただだだ一切判明のしない空間に消え入る。
もう名前すら思い出せなくなってしまった中で、ぼんやりと朧げな思考を空回る。
–––––––––きっとこれは、裁きなんだ。
そう。裁きだ。
これまで多くの、まさに星の数ほどの命の上に成り立つ文明に、堕落して、驕慢に生きてきた。
屍の上に存在する事を意識から遠ざけ、追うべき責務から逃れようとした罪。
そして何より、自分が愛されていた事を忘れ、幻想という高望みを抱いた、身の丈に合わぬものを欲しがった強欲。
それらは、罪人を裁くのには十分過ぎる理由だ。
自分という存在の最後の一欠片が消え始める。
もし、もしやり直せたなら。
やり直すために、どんな対価を要求されたとしても、きっと俺は受け入れるだろう。
想像を絶する痛みだって受け入れてみせる。
俺は覚悟した。
せめて、消える瞬間までは自分で居ようと。
誰かに伝わることはない儚き抵抗だが。
そう思った時だった。
霞行く思考の中で、明確に響く声があった。
(------過去を顧みているというのか。もう意味はないというのに)
◆◆◆
その声は、不思議なほど明瞭に冴え渡っていた。
声自体は老若男女問わず様々な種類が重なっているような、奇妙な響きを持っている。
奇妙に感じるというのに、何故か心が安らぐ。
(ひとまず、汝に消えられては敵わん。
消失を〔停止〕させ、会話可能なくらいまで〔修復〕させてもらった)
少々理解し難い言葉を並べる正体不明の声が聞こえた矢先、俺の思考というか精神は、かつての活力を取り戻している。
霞みない思考に、いつかまたこの空間から脱出してやるという意志すらある。
一体何が起きたのか、いや、彼ら––––––男女様々な声が混ざっているため性別の判断ができないため、彼らと呼ぶことにする––––––が一体何をしたのかの見当すらつかない。
(…助けてくれたのか?)
喉も指もないため喋ることは出来ないが、伝えたい言葉を強く念じた。
すると向こうにも通じたのか、返答が帰ってきた。
(如何にも。未だ継がぬ汝を保護できずに消えれば、全てが解決しない、らしいのでな)
(らしい…って、まるで知らないみたいな口振りじゃないか)
意識がはっきりしてきたから段々とわかってきた。この声は少しというかかなり言葉遣いがおかしい。
小さい頃からゲームやらラノベやらに触れてきた俺には、森か神殿に住まう賢者や仙人のような口調に近いと思った。
(仕方なかろう。我々とて事情は知らぬ。
我々はただ、為すべき事を成すまで)
いまいち実感が掴めないが、助けてもらった礼をしないと。
(礼を言うのが遅れた。助けてくれてありがとう)
(汝にはやらねばならぬことがある故、こうして助けたまでのこと。役目なのでな。礼には及ばん)
俺がやらなきゃいけないこと…?全く心当たりがない。
(仕方ないことだ。今の汝では当然のこと)
(今の俺ではって、どういうことだよ?)
(ああ。時に汝よ。元の世界で生きていた頃、全く心当たりのない記憶を見たことはないか?)
(そんなこと…あるわけ……)
正体不明の声によって助けられたおかげか、俺の記憶のはより鮮明なものとなっていた。俺は直近の記憶から思い出していくことにする。
正直なところ、そんな記憶が存在していた認識は少なくとも俺には無く、見つかるわけはないだろう…と思っていたのだが。
……あった。
それも、本当に最近の出来事だ。
線路に落下する最中、走馬灯を見た。その中には全く見覚えのない、剣…いや、刀か。刀を握り戦う一人称の視界を伴う記憶が確かにある。
(ある。武器を握って戦う記憶が…ある)
(やはりな。それは汝が"継承者"である証だ。
理外の力を時間軸程度の枠組みで縛ることは出来ず、しかし汝の理外率の低さから、大した記憶が流れて行かなかったのだろう)
全く分からない単語を聞き流しつつ、わかる範囲で自分なりに解釈してみる。
記憶が流れて行く。このことが死の間際俺に起こった出来事だとして、その事象そのものが俺を"継承者"たり得る条件ということだろうか。
にしても何故、その事象が継承者となる条件になるのか。
まだ俺には分からない。
(何故記憶が流れることが、継承者として繋がるんだ?)
(汝が継承する力には、時間や空間に縛られぬものだ。
それ故、継承者は時間軸、世界を問わずその力わずかに宿す)
無い学で必死に考えてみる。
その力は時間や空間を飛び越えて、継承者した人物に宿っている…ってことでいいのか。
半疑問のまま反芻し、間違いはないだろうと結論に至る。
(…つまり、無数に分岐した世界線全ての汝には、継承する力の片鱗が宿っているということだ)
(そのうち一人が…俺?)
(そうだ)
なんとか解釈が噛み合いホッとする。
とはいえ、SFやらラノベやらを読み漁っていなかったら決して理解には及ばなかっただろうな…。そう思いつつ、この声はいったいどういう存在なのだろうと疑問が湧き上がってきた。
もしこの空間について理解のある存在で、もし元の世界に戻れる方法を知っているのだとしたら。
ともかく、質問しないことには何も始まらない。
(一つ、質問してもいいかな)
(構わん、申せ)
俺は促されるままに、ずっと考え続けてきたことを質問することにした。
(この空間は、いったい何なんだ?)
俺を助けてくれたこの声のような存在を確認できる時点で、おそらく俺の体が植物状態による意識のみが残っているという状況ではなく、本当に謎の場所にきてしまったことがわかる。
もしかしたらこの声も気が狂った自分自身の作り出した幻なのかもしれないが。
(汝の考える、意識が作り出した幻などではない。
此処は"混沌"という、森羅万象一切のありとあらゆる遍く悉くが存在し、その存在が否定肯定されている状態が重なり合っている空間……)
辛うじて混沌の部分は理解できたものの、そのほかすべてが全くと言っていいほど頭に入ってこない。なんとかこの空間、混沌があらゆるものが存在する空間ということが理解できた。
(……つまり、ここにはすべてが存在しているってことで良いか?)
(間違いはない)
そこで一つ思い浮かんだのは、なんで俺がこんな空間にきてしまったのかということだ。
なぜか、単に死んでしまったからと言ってこれるような場所ではないような気がする。
何というか、ゲームのバグでたまに入ってしまう、いわゆる"裏世界"的なヤツのように思える。
しかし今はそんなことはどうでもいい。
今最も知りたいのは、そんなことじゃない。
俺は理解を飲み込んで、再び質問を投げかけた。最も知るべきであろう、その質問を。
(……この混沌から元の世界に帰ることは可能なのか?
……それとも、あのまま放置されていたら、溶け消えてしまっていたのか?)
もし仮に、俺と同じようにこの空間にきてしまった人がいるとしてだ。
この声に助けて貰うこともなく、数刻前の俺と同じように、ゆっくりと消えてゆくことしかできなかったのだろうか。
(汝が自力で帰ることは不可能だろう。
我らが見つけることのできなかった者たちは、無限の有象無象へと回帰しただろう)
あのままでは確実に消失してしまったと思うと恐ろしいことこの上ない。
しかし、そんなことがどうでもよくなってしまうほど気にかかる言葉があった。
(……俺だけでは帰れない……って、どういうことなんだよ?)
確かに彼らは、俺一人じゃ帰れない。と言った。
もしかすると…誰か外部の協力があれば、或いは可能ということなのではないだろうか…?
舞い上がってしまいそうになる気持ちを抑え込み、続く言葉を待つ。
(汝は片鱗を持つのみ。我らが力を継承すれば、元の世界へと帰する術など数多に有る)
(…本当なのか、それは)
彼らが持つ力を継承すれば、俺は元の世界に帰れる。
それが本当なら、継承しないという選択はありえない。
……しかし本当なのだろうか?そんな上手い話があるとは思えない。
もう少し、話を聞いてみるしかない。
(いずれかの汝が力を継承すれば、すべての汝に力は行き渡る。
しかし、それはあくまで片鱗。
汝がその力を扱うには、我らより本質を受け継がねばならない)
(なんとなく話はわかったけど、その力とやらを継いだとして、俺のやらなきゃいけないことってのは何なんだよ)
俺が継ぐことになるであろう力は、多分とんでもない、それこそ常軌を逸したような代物なのだろう。
だが、そんな力が必要になるような問題を、俺なんかが解決できるとは思えない。
(汝には、世界を均衡に導いて貰わねばならん)
そこから先、不思議な声が俺に教えたのは以下の様な内容だった。
声曰く、今俺たちが漂っている空間には、宇宙に存在する星々のように様々なら世界が存在しているのだという。
その世界のうち一つが、俺が生きてきた世界らしい。
すべての世界は互いに不干渉であり、均衡を保つために同程度の規模にとどめていた。
互いは干渉を禁じられ、偶に世界を行き来する存在が例外的に世界を移動するくらいの例外しか起きなかった。
しかし、その不文律を破った世界がひとつあると言う。
その世界は、他の世界を侵食し吸収して規模を拡大し始めた。
均衡を崩す存在は排除せねばならない。
世界の規模拡大を図る存在を罰するべく、その世界に72人もの使者を送った。だが、結果は悲惨なものだった。
すべての使者は殺され、規模拡大を止めることは叶わなかったのだ。
今もなおその世界は拡大を続け、それを抑止する力は限りなく弱り、残滓が残るのみだという。
(じゃあ…その残滓っていうのがあなたたちなのか…?)
(如何にも)
小さく、そう一言で肯定する残滓。
その不協和音にも聞こえる声を重ね作る一つ一つからは、無機質な響きであるものの何処か、無念さと悔しさの念が伝わるのは気のせいではないだろう。
(世界同士の均衡が崩れてたならば、すべての世界は夢幻泡沫、まほろばのように儚く消える。
何も知らず、唐突にいきなりに突拍子もなく自らと住まう世界が消え、消えたものたちはそれを認識することすらできぬなどという仕打ち、必ず阻まねばならない)
自らの意思を初めて顕した残滓の言葉には、その時だけはすべての声が明確な強い意思を持っているように感じた。
(えっと、じゃあ俺にしてほしいことってのは、世界を導くこと…であっているか?)
(肯定する他ない。
世界の拡大を行う者と接触し拡大行為を止めさせること。それが、汝に継ぐ事を願う我らが宿命だ。
方法は問わない。如何なる手段を用いてでも阻止するのだ)
強い意思を持って俺に響く言葉には、必ず成し遂げねばならないという想いが込められている。
…さて、どうするか。
力を継ぎ、世界を均衡に導くか。
それとも、全てを諦め死を待つか。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、☆評価は結構ですので、もしお時間に余裕がありましたら、もう一話読んでいただき、作品をお楽しみください。