第22話 越えなければならない壁。
次話投稿は今日の8時半以降になります
気配を気取られぬよう、呼吸をなるべく抑えて進む。
森の中はでこぼこした地形が多く、レアンが何度も転びそうになっていた。
転倒による怪我を負ったなら、すぐさま帰還すべきだろうと考えていた時。
(そこで止まれ)
俺だけに聞こえる声でそう話しかけてきたヌル。
停止の合図は、魔物からこちらの存在を感知されないぎりぎりの範囲になって時に送ると言われていたことを思い出し、レアンの前に手を出し、停止を伝える。
魔物の感覚の鋭さがどのようなものかわからないが、もしかすると、微かな声にも反応してくるかもしれない。
俺はレアンの前に出した手の平に、この世界の言葉で「近くに魔物がいる」とホログラムで表示してもらおうと思っていたのだが……。
ギュウ。と強く手を圧迫される感覚。
振り返ると、レアンが力いっぱいに俺の手を握りしめていた。
(仕方ない。レアンの右耳の裏に義手の手を当てろ)
どうやってか知らないが、魔物は愚か周囲から感知されないようにしているヌルからそう指示が飛んでくる。
俺はレアンに向き直り、右腕を差し出す。
すると。
ポスっ、と体の前面の触覚が反応する。質量が俺に覆いかぶさってくる感覚。
何事だと思った次の瞬間、花のような香りに俺の嗅覚が包まれた。
(……こわいよ。アルナ)
抱き着かれていることに気づいた俺は、非常事態であることも相まって、俺の人生を狂わした"悪癖"が発動することは無かった。
俺はレアンの右耳、その裏に触れる。
(レアン。アルナレイト。聞こえるか?)
「えッ……ぁ」
大きな声を出そうとしたレアンに、俺は思わず左手で口をふさいでしまう。
それを謝りながら、唇の前で一本指を立てる。
このジェスチャーは全世界共通なのか、レアンがコクリと頭を下げる。
(アルナレイトに停止の指示を出したのは私だ。
その木をから一歩以上進めば、魔物との戦闘は避けられない。
ここを過ぎれば魔物から逃げることは難しい。引き返すなら今だぞ)
ヌルは丁寧に忠告してくれるが、俺の腹はもう決まっている。
戦闘が近いということで、俺はいつも通り、精神統一を開始する。
俺が深呼吸を始めるのを見て、レアンもゆっくりと頷いた。
(俺もレアンも大丈夫だ。少し時間があれば、戦える)
(この木の先を少し進めば開けた場所があり、そこに件の魔物は居座っている。
お前たちがそこから進んだ後、私はお前たちが今いる場所で待機する。
何かあればすぐに引き返してこい)
俺はレアンの肩に手を置き、頷いた。
レアンも覚悟を決めたのか、真剣なまなざしでこちらを見つめる。
俺はレアンに戦いの意志があると確認が取れた直後、精神統一を開始する。
瞼を閉じて、深く息を吸い、吐く。
呼吸を何度も繰り返し、繰り返し、繰り返す。
徐々に無になっていく思考と意識。その奥に、何かが開けた。
……よし、これで、いける。
俺は立ち上がり、レアンも例の策の準備を終えたようだ。
「……いこう」
「うん」
俺とレアンが立ち上がり、刀に手を掛けた。
木陰から一歩、踏み出す。
……何か、おかしい。
直感的に、或いは無意識的にそう感じる。
一歩を踏み出すはずの脚を、戻す。
そして、やはり気のせいではなかったと答え合わせのように。
ビュッ!
遠くで、いや、すべての音が遠ざかって聞こえる今。
その音は至近距離で鳴ったのだろう。
そう思考した次の瞬間。俺はレアンの肩を取ってその場に伏せた。
俺とレアンに影を落とすのは、4メートルはあろうかという魔物。
一切の無音で器用に近づいてきた魔物は、2メートルもある鎌から必殺の一撃を放っていた。
ズシャアアアン!!
凄まじい轟音が鳴り、木が一本倒れたことに気づいた。
「レアンッ!後方へ!」
「うんっ!」
レアンと俺は刀を抜刀し、その魔物を正面から見据えた。
どぎつい極彩色の外骨格に身を包み、刺々しい外見からは保護色などという概念を嘲笑うかのような見た目のカマキリ。
その姿を認識した次に起きたのは、地面が抉られた爆音と、その衝撃で後方へ吹き飛ばされたことだった。
「がはッ……!?」
後頭部を強く打ったのだろう。
吐き気が止まらない。視界が歪む。
それでも、戦わねばならないという気力が俺を前に向かせた。
「「キッシャァアア!!」」
人間の脚と同じ太さであるにも関わらず、その巨体を支えている凄まじい筋力。
その優れた筋力によって跳躍を行ったカマキリは、大きく振りかぶって鎌を振るう。
俺は迎撃すべく刀を鎌の軌道に置いた……が、次の瞬間。
「「……(声にならない叫び)……ッ!!!!」」
大声を出せばほかの魔物も近寄ってくるかもしれないと思い、なんとか泣き叫ぶことは胆力で耐えた。
しかし、鎌を受けた刀身は半ばから両断され、それでも余りある威力の鎌は残る俺の左腕を肩口から斬り飛ばしたのだ。
溢れて止まない血、スパークが脳天に直撃し思考を震わしたのは、痛みだと認識できないほどの激痛。
地面を抉り、なんとか勢いが収まったが、小石などで体のあちこちが切れている。
「「アルナッ!!!??」」
意識が朦朧とする中、ようやく。見えた。
彷徨っていた意識が、そこを目掛けてまっすぐに飛んでいく感覚がする。
喉もつぶれてしまったのか。かすれた声で、呟いた。
「……〔解析〕〔分解〕〔再構築〕」
肉体の損傷部位を〔解析〕して特定し、その部位を〔分解〕し〔再構築〕する。
そう念じることで権能は発動する。
数秒も経たないうちに全身から痛みは引いていき、戦闘前と何ら変わらない状態へと戻る。
「俺は……大丈夫だ」
レアンを安心させるためにそう言い、時間を一瞬でも無駄にしないために続けざまに思考する。
対象を定め〔解析〕する。
対象は……既に俺を殺したと勘違いしているこの魔物の、すべての攻撃の軌道。
「すぅ……ふぅ……ッ」
視界が開けたような感覚と、音を置き去りに時間が進むような感覚。
それらが齎す万能感が全身を満たし、やがてそれは、俺の肉体ではない義手、刀にまで及ぶ。
集中するのだ。
ただただ、集中するのだ。
瞼を閉じて、吸い込んだ空気を吐き出して。それを繰り返す。
脳に酸素が行き届いていき、思考が澄み渡っていく。
徐々に徐々に"ソレ"が見えてくると、そこに意識をひっかける。
「……ッ!」
ドクン。
何かが切り替わった。そんな感覚が全身を迸った。
聴覚の拾う音が遠ざかっていく。
閉じた瞼を開くと、引き延ばされたように視界がゆがんでいる。
以前、俺は自分の肉体に秘められた力について知った。
常人ならば肉体に魔力回廊を持つ。しかし俺には魔力回廊はない。
であれば、その分の肉体に与えられるはずの、リソースはどこへ向かったのか。
答えは、これだ。
深呼吸の空気の震えを感じ取った魔物は、追撃を行うべく行動をとる。
目の前で怯える少女を鎌の標的より外して、背後にいる者へ、捉えなおす。
今度こそ、標的である俺の命を、その鎌で刈り取るために。
気づくと俺は、刀を構えていた。
二本の大鎌が怪しく煌めき、凄まじい魔力が立ち昇っているのだろうと察する。
俺は魔力を視覚で捉えることはできない。だが、高密度の魔力が起こす光の歪曲を捉えることはできる。
これが、魔物が魔力により身体能力を向上させる証……。
俺はその魔力を〔分解〕することも忘れて、その鎌を迎え撃った。
「「キシュアアアアアア!!!!」」
互い違いに放たれる大鎌。
その大鎌は、ワンテンポずらして放たれたにもかかわらず、ほぼ同時に轟音を響かせる。
地面を貫き深々と突き刺さる大鎌の、その先には。
「「い、いやぁぁっ!!」」
レアンは想像してしまった。
地を抉り取る一撃が、彼の身体を深々と貫くのを。
思わず目を塞いだ。耳を塞いだ。
しかし、おぞましい音は聞こえてこない。
代わりに鳴ったのは、りぃん、という金属が震える音だった。
「……ぇ?」
落雷の如き威力で放たれた大鎌は、結果として彼の身体を貫いてなどいなかった。
「……ふぅぅぅ」
そこには、凄まじい威力の大鎌を"完璧"に受け流して見せた、銀髪の少年が無傷で立っていた。
「なんとか、いけたな」
先ほどまで、全く認識することすらできなかった攻撃。
俺は、体の両端に円を描くような軌道で攻撃を受け流した。鎌が触れ、刃によってわずかに押し出され、軌道を変えさせたのだ。
なぜ今回は完璧なまでに受け流すことができたのか。
答えは、この肉体に秘められた能力にあった。
◆◆◆
記憶は遡ること、ほんの数分前。
大鎌が目前まで迫ったその瞬間に、俺は瞬時に悟った。
ここで使わずして、いつ使うのか?と。
俺が左腕を欠損しても気が狂わなかったのには理由がある。
それは、痛みに慣れたというのもあるかもしれないが、一番の理由は、俺のこの肉体に秘められた能力が関係していた。
その能力とは"超集中状態に於ける、反応速度、思考速度の超向上"と。
加えて、"無意識的には働く肉体保護の出力制限の解除"だった。
この、出力制限の解除というのが痛覚を抑制しているらしかった。
この能力は"高い集中力を保った状態"という、非常に限定的な場面でしか発動できない。
その要因は、二つある。
この超集中状態を阻害する要因は、この義手の使い心地と、その義手によって握られた刀というのは、自分の狙った場所に斬撃を当てることができないほど、元の腕に比べて集中を崩すことだ。
それを普段から"自分の腕はもともとこのような状態であり、それを修正する必要がある"と自己暗示させ続けることにより、脳と肉体の間で起こる想像と現実の差をできるだけ緩和し、加えて戦闘中の緊張感で自身の集中状態を極限まで引き上げておくこと。これが大切なのだ。
きわめて限定的な場面でしか発動できない。
けれど発動できたなら、俺の集中力すべてを使い切って気絶するまで、この状態を維持できる。
「……ッ」
しかし、これはあくまで第一段階に過ぎない。
この状態を維持しつつ、理外権能を発動させることで行える、一つの技があるのだ。
その技を作り上げるうえで、俺は自らの内側に新たな概念を想像するに至った。
理外の力には「時間や空間を無視」する特性があり、今の俺はある一つの事象でのみ、未来から〔記憶〕を引き出すことができる。
それは、いつか至る剣術の記憶。
いつかの俺が到達する、いわば、未だ到達することを許されない至高の剣技。
これに、ひとつの名前を与え概念とした。
それは【未踏剣術】。
俺という存在が、足をつけることすら許されない領域。遥か高み。
俺が新たに得た権能〔模倣〕の効果は「対象を定め〔模倣〕する」というものだった。
俺は最初〔解析〕したものを〔模倣〕する効果だと思っていた。
例えば、致密な石膏像を〔解析〕し〔分解〕した素材の形を〔模倣〕する。といった具合に。
もちろんこれも可能だったが、俺が今からしようとしていることは、そういった〔模倣〕ではない。
未来の自分の剣術。その動きを〔模倣〕するのだ。
足取り、間合いのはかり方。体の使い方。力の込め方、そして、刀の扱い方を。
超集中状態ですら、まるで肉体が追い付かないほどの太刀筋を己が身体に"強制的"に与え、そのはるか高みに存在する剣術を盗み使う。
感じろ。未来の自分が扱う剣術の数々を。
その技術を盗め……【未踏剣術】を〔模倣〕するッ!
その直後、肉体に明らかな変化が訪れた。
何かが鼓動を繰り返し、その度に帯びる熱が上昇する。
「うぐッ……!」
その時、アルナレイトの身体には、奇妙な物が痣のように浮かび上がっていく。
頭頂部へ、肩部へ、腕と義手へ。腰部へ、脚部へ、つま先まで。
刀を握り込む手までもが、覆われていく。
「なんだ……これ」
それは、痣と呼ぶには奇怪過ぎた。
心臓から先端に伸びていくのは、理外素と同じ蒼く輝く色相。
しかしその形は、線は、幾何学的に枝分かれ、つながり、全身に伝播していく。
それは、血管。あるいは神経。
理外の力が〔模倣〕の権能の効果を全身に伝えるための、力の流れを制御するために、力を全身に浸透させるための、導線。
そう直感的に理解すると、全身に青い導線が行き渡った途端。
先ほど魔物に食らった一撃より、何倍も何倍も強い、重力場の圧力が全身を軋ませた。
––––––––––––––––––これが、この圧力が、今の俺と未来の俺の差……か。
またしても直感的にそう理解すると、いかに未来の自分の技術が高く、その差はまさに、歴然……。
いや、顔を覗せない霊峰などでは表現できない、涅槃寂聴すら霞むほどの久遠の彼方に揺蕩うのみだと思い知らされる。
今の自分に、未来の剣術を〔模倣〕したとしても、碌に体が動かない。
ゆえに、凄まじい技術の過程を行うたびに弾け飛んでしまう体を、何度も〔分解〕〔再構築〕する必要があるのだ。
しかし、通常の思考速度では連続での権能の発動より、肉体の自壊の方が早い。
だからこそ、超集中状態でしか扱えないのだ。
何度も、凄まじい技術に耐えられない肉体の壊滅的な破損部分を〔解析〕し〔分解〕し、そして〔再構築〕することにより、全身からは青白い粒子が煙のように立ち上る。
これが、今の俺の限界点。
理外権能何もかも、すべて出し切った【権能多重行使戦闘状態】だ。
視界に映るすべてが遅く見える。
まるで時間が地面を這って進んでいるようだ。
この状態でも〔解析〕〔記憶〕によるカマキリの軌道予測像はしっかりと継続している。
理外権能は、定めた対象に効果を及ぼし、その効力を発揮する。
その効果は、たとえ権能を複数発動させたとしても失われることは無い。
迫りくる大鎌も、今ではこんなにもスローモーション映像の様に捉えられる。
さらには––––––––––––––––––【未踏剣術】の〔模倣〕により、最適な受け流しの一太刀を繰り出せる。
魔物が繰り出した攻撃は、計三十二回。
そのどれもが恐るべき速度を誇っていた……が、俺はそれらすべてを無傷で受け流すことに成功していた。
受け流しが成功するたびに思考力も回復し、最初の予定だった魔力の〔分解〕も行うことができた。
あとは、レアンに施した策が成功するのを祈るだけ。
レアンが攻撃に転じる瞬間まで、こいつの攻撃を凌ぎ捌き続けるだけだ。
◆◆◆
致命的な攻撃を二度設けたのにも関わらず、彼は全身の傷を瞬時に再生させた。
それだけで"奇跡"と呼べる偉業だが、彼が起こした"奇跡"はそれだけではなかった。
血塗れで左腕すら無くして立ち上がった彼。
しかし光に包まれたと同時に肉体を瞬時に再生させた。
次の瞬間には、全身に彼の瞳と同じような、宝石のような輝きを湛えた規則的な線が全身に張り巡らされ、いつの間にか体と同じく再生していた刀にも纏われていた。
そこからは、驚くべきことが起こったのだ。
凄まじい威力を伴い放たれた大鎌を、瞬時に受け流して見せたのだ。
それからというもの、即死級の攻撃が何度も何度も難なく受け流され、気づいたときには魔物は魔力を失っていた。
きっと彼の心に余裕が生まれ、魔力を消すために意識が回り始めたのだろう。
私は魔物の魔力消失を合図と捉え、あの技を用いることに決めた。
五日という短い期間で、こんなに複雑な技を伝授してくれた彼の指導技術は凄まじいものだった。
そう試行しながら、彼に教わった手順を一つ一つ、冷静にこなしていくことにしたのだった。
……待っていてね。アルナ。
必ず、成功させるから。
お読みいただきありがとうございます。
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