第113話 罪禍の行方
「それを話さないなら、今後お前に協力することはない」
俺はそういい放った。
ヌルは動きを止め、こちらへ半分だけ顔を覗かせる。
「……なんだと?」
「もう一度言わないとわからないのか?」
「……なぜだ?」
「理由は単純。お前の隠している情報が必要不可欠だからだ」
そうだ。今後あいつらがまた邪魔しに来るなら、少しでも情報は欲しい。
ヌルが個人的な理由で隠しているのなら、それは許されない。
「お前の得意な交渉か。だが、今のお前は不利だ」
「どこが?」
「両足を失い、満足に動けない。
私に腕を、足を用意してもらわないと満足な生活も遅れない」
「ああ。そうだな。それで?」
「……いいのか。今後一生不便な生活を送ることになるぞ?」
「そんなことはどうでもいいだろ。俺の代わりはいくらでもいるだろ。
でも、理外者の代わりはいないだろ?」
「……ッ、卑怯者め」
「悪いな。でも、話してくれないと協力はしない。
それと、戦力も大幅に低下する」
「お前はそれほどエスティエットやユウトから慕われているのか?」
「寝ぼけているのかよ。ヌル。レアンのことだ」
「……」
ヌルが無言なので、説明することにした。
「レアン。彼女はたぶんユウトやエスティエットを超えるぞ」
「何………?」
「俺の読みが正しければ、だがな。
でも、きっと正しいだろう。そのときレアンは、きっとレギオンにとって必要不可欠になる。
お前の望む強大な戦力という目標を、彼女は達成してくれる。
だが、俺はレアンと契約を結んだ。俺という存在のすべてを対価に、彼女の協力を取り付けてある。
俺の一存で、レアンはお前に協力しなくなる」
「……何が望みだ?」
「だから行っただろ。事情を説明してくれって」
「……話せない」
ヌルは俯き、何かをじっと堪えるように押し黙る。
こうしている時の彼女は、話せない、のではなく、話したくないのだ。それくらいわかる。
「話したくないんだろ。なんでだ?」
「……その理由も、言えない」
「言いたくないんだろ?」
「……ッ」
ヌルは再び俺に近づく。
ガラス玉のようなくりくりとした、透き通る澄んだ夜空のような瞳で俺を覗き込む。
成長した容姿を、その顔をこんな近くで見るのは初めてだった。
その顔立ちは、10歳前後だった時と比べて6つほど齢を重ねたら、ちょうどこんな顔になるだろう。
子どものようなあどけなさに、大人の色香が僅かに漂い始める、そんな年齢にしてはあまりに大人びた容姿。美しい彫刻でも見ているような、えも言えぬ気分になる。
何かを憂い悲しげな表情でさえ、儚げで、何より美しいとさえ思ってしまう。
そんな美しい顔立ちの美少女は、顔同士が触れるほどに接近した。
そして────────。
「なん、んむ………れろ、ん、やめ………んちゅ………っておい!!」
唐突に、唇を重ねられた。
「お、おまえなぁ!」
顔が熱くなる。みみが焼け落ちそうになる………そんな俺を意に介さず。
俺の残った手を強く握りこむヌル。
そして。
「……これで、勘弁してくれ」
「お、お前が勝手にしたんだからな!ってか、話を逸ら────────」
────────耳を疑うほどか弱く、鈴のような声で囁かれる。
「……話したくないの……。お願いだから………」
切に願う彼女の、絞り出したような声に俺は胸を強く締め付けられる。
息をするのも苦しくなる。
でも、俺がこんなことをするのは俺のためじゃない。レアンのためでもない。
「……だめだ。教えてくれ。
嫌な予感がするんだ。このままじゃ、お前は絶対に不幸になる」
「……だからッ!」
「そんなに信用できないか………?」
「ち、違う、けど………!」
「わかった。さっきのサービスのお礼だ。
理由を聞いても絶対に、君を裏切ったりしない。嫌ったりしない。
怪しい言動を取れば、すぐさま俺を殺せ。あるいは洗脳でも何でもしてくれ。
理外の力を使う、ただの奴隷になろう」
「………」
ヌルは果てしない長考の末に。
「……わかった。お前が言ったのだから、反故にするなよ」
と、そう言ってくれた。
「ああ。ありがとう。それと、こんな脅しみたいなことしてごめんな」
「謝るくらいなら最初からするなよ………」
「それもそうだな」
そして、彼女の固く閉ざされた口から七罪の魔王との関係についての話が、ポツリ、ぽつりと語られ始めた。
◆ ◆ ◆
語り始めはこうだった。
────────以前話した、神魔大戦のことを覚えているか?
神魔大戦。それは、太古の昔、悠久の遥か彼方に起きた大戦争だった。
九次まで続いたその戦争は、凄惨を窮めし暴虐の世界。極限の暴力が収束せし、まさしく地上を塗り替えた地獄煉獄の有様であった。
厭くまで飽きぬ戦いを繰り返し幾星霜。
地上には”崩壊源素”なる死の骸が積み重なり、最早生き物など生きてはいなかった。
地下には崩壊源素の毒性が染み込み、神すら殺す毒を蓄積した。
空を緑色に汚す死の骸は、いつか晴れる日は来るのだろうか。
それは何年後だろうか。
何十年、何百何万男千何億何京何垓何秭何穣何溝何澗何正何載何極────────いいや、おわらない。
永遠なのだ。この戦争は、決して終わらない。
無限の戦いの中で、弱者の屍がただ積み重なる。
そんな世界の中で、それでも、戦いを終わらせるために動く者達が居た。
それが、人間だった。
戦争を起こし続ける偽りの神々や、原初の魔王が率いる魔族達。
そして、極限の暴力である原初の龍帝。
そんな化け物たちを相手に、人間は塵芥と相違ない。認識すらされない。
人間は崩壊源素の有害事象が及ばないほどの地下に拠点を構え、ひたすらに研究を続けていた。
地上を死の世界に変えた化け物共を、圧倒するだけの力を持つ存在を、作り出すために。
その研究の結果の末、一人の少女が生み出された。
その少女は、世界の根源たる力を植え付けられ神となった。
そして、この世界を爛れさせ続ける戦争を、半日にも満たない時間で終わらせた。
それと同時に、少女をはこの世界から姿を消した。
今となっては、彼女の存在のありかを知る者はいない。
七罪の魔王とは、その彼女を作り出す研究の、失敗作達だった。
彼ら七人は、最初は成功体として扱われた。
世界の根源たる力を七分割し、それを七人が互いに連携し合いながら制御することで、地上の異常存在達と戦える。そう研究結果が出た。
だが、人間は七人に分割しなければ勝てないという、ただその一点だけが気に食わなかった。
完全な存在を求めた。絶対に、神々や魔族、龍帝を殺しきれるだけの存在を。
そうして、一人の少女が生まれた。生まれてしまった。
秘めたポテンシャルは七人全員を足しても釣り合わないほどの才を秘めた、まさしく完璧な存在。
七人は成功体と呼ばれ、戦う準備も進められていた。武装も用意されていた。
戦闘訓練も行なわれていた。だが、それはすべて無駄となった。
不必要となった七人は、しかしその身に宿す力は凄まじいものだった。
故に、食事に睡眠薬を盛り、冷凍して廃棄されることになった。要は殺すのだ。
彼らは処分される寸前で目を覚まし、状況を理解した。
絶叫し、世界を呪うかのような恨みの込めた視線をヌルに突き刺し、殺そうとしていた。
その時の表情は、ヌルの記憶系に焼き付いて離れないのだという。
◆ ◆ ◆
「……」
これが絶句、というやつだろう。
声が出なかった。彼ら七人に、そんな過去があったのか。
だとしても引っかかるのは、その責任の所在は、本当にヌルにあるのか、ということだ。
今の話を聞いただけだと、人間たちがその少女を生み出したのであって、ヌルは何もしていないようだった。
「……私は、あの子たちを処分した。この手で。
……私は反対したんだ。七人の能力はそれだけ確かなものだった。十分だったと。
だが、私の管理下にない部署で計画は進められ、彼女が……オノリアが、生まれた」
オノリア。聞いたことない名前だが、恐らく……。
「オノリア。私が殺してやらなければならない少女の名前だ」
そうか。それが、ヌルの目的の人物の名前か。
「今の話だけ聞くと、お前に責任の所在があるのか?」
「……行動を共にしていた人間達。彼らの管理者は私だ。
その私が彼女の出産を許してしまった以上、責任は私にある」
「……お前が背負うというなら、俺はこれ以上何も言わないさ」
彼女がそう言うなら、俺から言うことはない。
「だから、俺も一緒に背負う」
「違う……違うんだ、アルナレイト、私は………」
ヌルは、何かに苦しんでいるようだった。
それが責任だったら、俺も共に背負う。契約者として、七罪の魔王を殺そう。
「……お前に、まだ伝えていないことがある」
「なんだよ」
「……オノリアやレーヴァンティア、彼らは、人間と相違ない生まれ方をする」
人間の出産過程は、誰もが知っていることだろう。
それに、何を言うべきことがあるのか。
「彼らは、地上を跳梁跋扈する化け物たちと戦うべく品種改良されている。
その身にあらゆる種族の因子を持っているのだ」
「……それで?」
「ほかにどの方法を試しても失敗した。資源は限られていた。仕方なかった。
……あらゆる生命の因子を埋め込んだ人間と、その女性との間に子どもを産ませる………。
それ以外に、なかったんだ」
「……ッ!?」
こいつ、まさか。
人の尊厳が無いように扱われているのを、見過ごしていたのか。
「……非協力的にならない、と言っていただろう」
「ああ。わかってる。
その状況でお前がそう判断したのなら、俺から言うことは何もない。
その場にいない俺が、お前の判断をとやかく言う資格なんてない」
そうだ。事情を知らない俺にそんな権利はない。
「だが、俺が協力する以上は……」
「分かっている」
「ならいい」
俺は思う。やはりヌルは優しい人柄だと。
他の奴なら、自分に責任はないと逃げるだろう。
それを正面から向き合う。
自分に責任があると認識し、オノリアや七罪魔王の想いを受け止める。
彼女は、彼らの憎しみをその身で受け止めると決めたのだ。
だったら、俺はその手伝いをする。
俺自身の目的も、果たせそうだしな。
「ヌル、お前は優しいんだな」
「私に感情などない」
こいつはいつもそう言う。
オノリア、七罪魔王のこと、彼らの母親や父親のことを考えるなら、確かに感情がある者にはできない。
そんなに酷い所業は、自分の感情が許さないだろう。魂が、心にある良心が許さない。
だから、ヌルは自分に感情などない。心などないと言い張っているのだ。
そうでなければ、悪虐非道の行いなどできるはずもないと。
だがヌルは、彼らの想いを受け止めるべく果てしない旅をしてきたのだ。
その行いの原動力は"優しさ"以外にあり得ない。
「お前がどう思おうと知らないが、俺はお前のことを優しい心を持っていると思うよ」
「……好きにしろ」
自罰意識の高さは、彼女の優しさの裏返しだろう。
いつか、その重荷を取り除いてやることが出来るのだろうか。
……いや、そうじゃないな。
俺が、俺だけが、彼女を救ってやれる。
甚だしい思い違いかもしれないが、そんなことはどうでもいい。救ってやりたい。
……きっと、俺じゃない奴らも、それに気づいたからだろう。
……なら、すべきことは自ずから定まる。
これまで頼っていたのが、情けなくなるな。
なぁヌル。後は任せてくれ。