第111話 七大罪の魔王
オルクス山脈全域を統べる、龍人国ヒルデガルドの王、クロム・ナバーロ。
彼はつい先刻、空に生きるものとして耐え難い屈辱を受けた。
(何の断りもなしに俺様の国の空を横切っただと……?)
謎の存在が自身の統べる国の領空侵犯した。
しかも、その存在の放つ気配は先日消し飛ばした有角人種の国から漂っている。
(舐めたマネしてくれるぜ……)
クロムは即座に王座から飛び立った。
「いかがなさいましたか、クロムさま!」
従者のムート、ナーウィンがそう叫ぶ。
「ついてこい、二人とも!」
「「はい!」」
そうしてクロムは移動を開始し、今に至る。
「……この気配は、あいつか」
飛行の最中、自身と同じ龍の力、その波動を感じ取った。
「……ダファルニクスは軍事国家、フォルフェンリーヒは有角人種国か。後五匹はどこに居やがる?」
クロムはそうつぶやき、アーバンクレイヴの上空に到達すると、追い付いてきた二人に言う。
「ムートはともかく、ナーウィン。もっと速度を上げろ。遅いぞ」
「申し訳ございません……」
「また稽古をつけてやる。ひとまずそれは置いておくとして」
クロムは王城から響く戦いの音へ向かって進む。
城壁に開けられた大穴の奥から見えた光景に、クロムは確信した。
光の龍の力を使う男と、奇怪な様相をした、卓越たる技量を持つ異形の存在。
その二つの存在に押されている7人。
(……これは興味深い)
クロムは見入ってしまったもののすぐさま冷静さを取り戻し、ひとまず戦いを止めるためにその場へ乱入するのだった。
◆ ◆ ◆
煌めく閃光と刀身の輝きが織り成す戦場の中、現れた男はユウトと同じく、龍の姿を得た人型だった。
「「───────よぉ」」
たった一言。
しかし、その言葉の重圧にその場にいる誰もが動きを止めた。
(まさか……あの、破壊の龍人が……!?)
濃密な気配、圧倒的な威圧感は最早質量を帯びていた。
まるで空が落ちてきたような、吐き気すらする存在感。
ユウト、ニーア達、そして理外の獣でさえ動きを止めた。
「俺様を前にして、額を地に擦り付けないとは、何様のつもりだ……?」
空間すら歪むほどの殺気に、胆力の低い者は体の底から震え上がる。
生態系の頂点に君臨する者が、今この場に居る。
「クロム……ナバーロ」
ケイン帝国に屈することなく己の国家を守り続けてきた、大陸最強の存在達。
その名を、至者達。
常人を超え、英雄から逸脱し、高次元の領域へと至った者。ゆえに至者。
そのうちの一人、それも単体戦力で国家を滅ぼせる程の、至者の中でも一際武闘派の男。
「……まあいい。戦り合っている所に割り入ったのは俺様だ。
だが、我が空を侵犯した愚か者どもには、その命を以て無礼を詫びろ」
殺気立った言葉。その波動に後ずさる、というよりも実際に気配に押され後退を余儀なくされるほどだった。
「……お前が、クロムか」
「如何にも。侵犯者よ。そして名乗ることを許そう。
骸を埋めた墓に名も刻めないなら、辱めることも敵わんからな」
「……いいだろう」
そうして、七人はその真名を明かす。
「我らはノーツレニムア大陸より参った大陸を支配する魔王である。
我が名はレーヴァンティア。レーヴァンティア・ルシファーである」
赤い髪の、端正な顔立ちをした筋骨隆々とした、アルナレイトとレアンを殺した男がそう名乗る。
「……私は、フェルリノーテ・レヴィアタン」
紫紺の美しき長髪に、橙の瞳が特徴的な女がそう名乗る。
「俺はカル=ルス。カル=ルス・サタン」
黄金に染まった髪を搔き上げ、眉間に深く皺を刻む男がそう名乗る。
「ボクはウィロロージュ・ユイルヴェゴール」
糸目が特徴的な男は、くすんだ緑色の髪をかき分けてがりがりと搔きながら気だるげに名乗る。
「あたしリジー!リジー・ヴェアルゼブル!」
藍色の髪をツインテールにした、黒目の女は子どもっぽくそう言う。
「アタシはヴレア・アサディーエルス」
中世的な顔立ちの長身の者がそう最後に名乗る。
「そこのみじめに這いつくばる女。貴様も名乗ることを許そう」
「くっ………はぁッ………ウチはニーア……マモンや」
その名を聞き、ユウトは納得が入った。
(七つの大罪。それに対応した魔王どもってことか……)
レーヴァンティア・ルシファー。
フェルリノーテ・レヴィアタン。
カル=ルス・サタン。
ウィロロージュ・ユイルヴェゴール。
リジー・ヴェアルゼブル。
ヴレア・アサディーエルス。
そして、ニーア・マモン。
多少読み方が違うが、原型は判る。
ユイルヴェゴールはベルフェゴール。
ヴェアルゼブルはベルゼブブ。
アサディーエルスはアスモデウス。
すべて七つの大罪に対応した大悪魔の名前だ。現代日本に生きていたユウトにはすぐにそれとわかる。
「そうか。貴様ら向かいの大陸を統治する魔王どもが一体何の用だ?」
「簡単に話すとでも?」
「まあいい。毛ほども興味ないわ。蟻が何しようとどうでもよかろう。それと同じことよ。
それで、我らが空を汚しておいて詫びもないとはどういう了見だ?」
クロムがこの場にやってきたのは侵入者への無慈悲な罰が目的。
この場のことなど関係ない。
「それについては謝罪しよう。俺達は末妹の生命危機を感じ取り緊急で参った次第。
情けなく余裕もなかった。配慮を怠ったことは申し訳ない。お許し願えるか?
そして願わくば、この場より立ち去ることを望む」
「ほう?」
「妹を助け、我らを封じたそこの女を殺せさえすれば、我らの目的の一部は達成されるのだ」
「つまり、部外者の俺様には立ち去れと?」
「いいや。介入するなら敵と見做す。そう言っているだけだ」
クロムはその場を一瞥し、刹那の時間に思考を逡巡する。
「……ふむ」
クロムの目に映るのは、興味の尽きない者達。
魔王たちのことに興味がないわけではないが、それよりもそそるものがある。
(この状況を打開するのに、彼らは必要かもしれないな)
クロムはその場で己の立場を決めた。
「立ち去るのは貴様らの方だ。魔王ども」
「……介入すると受け取るが、構わないのだろうな?」
「一つ勘違いしているな貴様は。
その問を向けられるべきは俺ではない。貴様らの方だ」
クロムはユウトに一瞥する。
ユウトはその意図までは読めずとも、何かを求められていることは察した。
「……どういう意味だ?」
「くくッ……たかが魔王が、龍種二体を相手に勝てると思っているのか?」
その直後───────地震が起きた。
否、地震ではなかった。それはユウトの放つ龍種の威圧と同等以上のプレッシャーだった。
「「……ッ”!?」」
クロムからめらめらと立ち上る殺意、敵意は空間を歪め景色を揺らし、輪郭がぐにゃりと曲がる。
距離感すら測れなくなるほどの濃密な殺気に、その場にいる何人もが気絶した。
「愚か者共が………!!」
爪を立てた手を震わせ、鍛え上げられた大胸筋を大きく張ったクロムは、自身の内側で生み出されるエネルギーを練り上げ、肉体へと纏う。
「………まずい!」
その場にいたヌルたちは、通信機から流れる高エネルギー存在の検出時に流れるアラートが流れる。
その状況が如何に危険であるかをヌルの表情が告げていた。
眼孔から眩い光を放ち、エネルギーの奔流が周囲の空間を乱していく。
こうなればもはや、エスティエットであっても魔術の編纂などできない。
「……空間を、ゆがめている………!
なんてエネルギーなんでしょうか……!?」
その状況に、ユウトも龍の力を振り絞りクロムの隣に並び立つ。
「俺達を相手にして、生きて帰れると思ってんじゃねぇだろうなあ、おい!?」
「光龍を宿す者よ!ともに暴れようぜ!!」
この場に満たすエネルギーがすべて破壊力に変換されたなら、星の形すら歪めかねない。
その力の化身である龍が、二体。
(……ここは引くべきだな。まだ準備は済んでいない)
「……撤退だ」
苦虫を嚙み潰したような顔でレーヴァンティアがそう告げると、全員はそれに従い退却する準備を始めた。
「おいおい、やる気になったんだからよぉ、ちょっとくらいつまみ食いさせろよ?」
視界から二人の姿が消え、次の瞬間レーヴァンティアを挟んで二人が同時に攻撃を行う。
しかしレーヴァンティアもまた、赤黒い荊を纏い二人の攻撃を止めた。
「図に乗るなよ。守るものがあれば十全に戦えぬ。それだけのことよ!」
「言い訳にしちゃぁきついぜ?」
二人の攻撃を振り払うと、レーヴァンティアはどこからか取り出した凶悪かつ歪な、巨大な刃を持つ大剣を取り出し、何にもない空間を切り払う。
すると空間に太刀筋が残り、空間が剥がれていく。
奥には奇妙な模様が広がる異空間が顔を覗かせていた。
「今は見逃してやろう。だが、覚えておけよ、サイファー。
お前が、諸悪の根源だ。お前こそが死ぬべきだ」
「……レーヴァンティア」
ヌルに怒りを込めた視線を突き刺すレーヴァンティアは、振り返るとそのまま異空間へ向かって歩き出す。残った七罪の魔王達は彼に続き向かっていく。
───────その時。それまで怒りを押し殺していた理外の獣が駆けだした。
「ヴルァァァァァ!!!!!」
全員が瞼を見開く。しかし動けない。
残像を残し、理外の獣は〔加速〕死ながら駆ける。
四足歩行で狗の様に走り、跳躍して体を捻り、そのまま巨大な刀を左の腰だめに構える。
そして、理外の獣の青白い腕が大量に生じた。
───────拡張斬撃。理外の力によって限界の楔を断ち切った理外の剣技が、7人へ同時に放たれた。
「グルァァァァッ!!!!」
唐突の出来事であったものの、躱せない速度ではなかった。
だが、躱せなかった。そう。躱させなかったのだ。
大量に、同時に放たれる一閃からニーアを守るために体を張った全員に、深々と、確かに傷を刻んだ。
「くっ………この外道が!」
撤退の空気になったその場。膠着状態となったそのわずかな時間。
もちろん警戒などしていないわけがない。だが、七罪の魔王からすれば誰を警戒すべきか、まだわからない。
そんな混迷の時に、攻撃を放たれれば本能が動く。
ニーアを狙うだろうという読みが無ければできない芸当だが、その意味は?
なぜ今、攻撃を行ったか。
その理由は、能力の解除だった。
「気づいとったんか!!!」
ニーアは確かに致命傷を受けた。だが、スキルの解除は行っていないのだ。
一度ニーアの攻撃を受けたレアンは、ニーアの支配下に有った。
逃走と同時にレアンを、ロディナンテスや強欲の三騎士の成れの果てと同じように、化け物へと変えようとしていたのだ。
「素直に引くほかなさそうだ……」
今度こそようやく、七罪の魔王達はその場を去ったのだった。
全員が異次元空間に入るとそのまま空間は元に戻る。
ようやくエネルギーを引っ込めた二人。
二人の気配が周囲の環境を荒らしていた。目の前で起きることに気を取られていただけで、クロムとユウトが並び立った時、周囲は未曽有の大竜巻が起きていたのだ。
気配だけで天候を変えるほど、龍の力は強大であることの証だった。
………
……
…
こうして有角人種国に起きた騒乱は収まったのだった。
今後、レギオンという集団が起こす波に世界が飲まれていくことになる。
そして今回の出来事は、その最初の出来事であったことを、後に世界は知ることになる。