『追うこと、逃げ去るもの』
追記です(^_^;)
文章にミスがありまして訂正をいたしましたm(_ _)m
千代田区の国立近代美術館と、上野の国立西洋美術館を混同しておりました(>_<)
外観で、変だな~?見かけない角度からの撮影かなぁ?などと勘違いして、
つい上野と書いてしまっておりました……orz
痛恨の極み(T0T)
薄雪草さま、
誤字報告のご連絡をいただきまして、どうもありがとうございました!o(^o^)o
とても助かりました♪("⌒∇⌒")
『追うこと、逃げ去るもの』
閃きや響きとの出会い
出会ったとき
気づいたとき
本当に必要なもの
その魂、精髄と言えるもの
見いだした瞬間に
それはするりと逃げてゆく
手に残るのは
その残響のような
わずかな閃きの影だけ
その残り香のような何かを握りしめて
その微かな閃きに似た何かを拠り所にして
自らの想いをその中へと加えて似姿を創る
出会った閃きと似ていて、そして何かが違うものができる
その逃げていった影を、想いは追ってゆく
閃きに似せた創作物を、自らの影として
響いたもの、閃いたその何かを追う
逃げ去ってゆくもの、その影を追う
それはまるで、いつか書いた、
一人遊びの影踏みにも似ている
逃げてゆくもの
それを追いかけること
それは書くこと、書き続けること
そして、生きることに少し似ている
-つぶやき-
ある美術番組を観て書き始めたものでした。
でも手を加えれば加えるほど逃げてく感じですね(苦笑)
先日12月13日のテレビ番組、ぶらぶら美術・博物館での、
いま、千代田区、最寄り駅竹橋駅の国立近代美術館で開催されている、大竹伸朗展の放送回で、
ご本人がゲスト解説として出演されている様子を拝見しました(*´∀`)♪
展示作品、とてもエキセントリックですね(^_^;)
とても興味深かったです♪←いろいろと響くものに出会えました。
その中の作品、移行というタイトルのシリーズ。
レディメイドというアートのジャンル、有名なものはデュシャンの既製品の便器を用いて作ったアート作品があります。以前にどこかの番組で観ましたね(^ω^)
宇和島で出会い、譲り受けた酒場の店のニューシャネルのドアの作品、
非常に強い印象を受けるアートの解説でした。
「自分にとっても作品ていうのは手を加えるとか加えないとか関係ないんですよね。
これ(ニューシャネルのドア)は逆に、手を加えるとダメになる」
移行というタイトルの作品。どこかからどこかまで場所を移動するだけで作品にしているものだそうです。
ニューシャネルのドアや、宇和島駅の駅名など。
既製の何かを移すという行為だけで成立させるというアートというのは興味深いです(^ω^)←大竹さんの作品は、レディメイドと言いながらも、デュシャンのトイレをエッセンスとしながらもいろいろと手を掛けている作品とは、すこし違う印象を受けます。フランス料理と日本料理の違い? なんか違いますね(^_^;)
既存のもの、既製品を用いて創る芸術。
移行というタイトル作品は、レディメイドというジャンルでも込める想いが異なるのでしょうね。
「芸術とかアートとかっていうのは、"本質"は 常に逃げてて、
人が見つけた途端、すぐ逃げる」
「アートと重ねて見つけたとたんに、実物は残ったけど、
なんかこの、手に取れないものはもう既にどっか違うニューシャネルの場を見つけているとか」
-(アート、作品って)捕まえたときには死んじゃうんだ。標本みたいなものなんですね-
大竹伸朗さんご本人の言葉を受けた、山田五郎さんのコメント、番組の中でのやり取りは、とても興味深く心に響き、残った気がします。
描いたもの、書いたものと、そこにある想いは僅かに違う、同じではない。
自らの拙い創作物を見返しながらそう感じます。
けれどもそうして形にしたものは、
時には人の感性へと響いたりいたします。
そして描いた当時の自分の心を開くための鍵となったりもいたします。
創作にはそうした層状的なものが込められたりするのだと感じました。
そして相乗的なことも、時にひとつの創作物から起きることがあると。
人へと響いた残響、過去の扉から自らへと響いたものは、
新たな響き、創作へのヒントを与えたりすることもありますね。
それは逃げ去るものを追った結果、得られたものなのかもしれません(^ω^)