第3話
その日の午後の授業もあまり集中出来なかった。ヒロシの発言を聞いて、いろんなことがまざまざと思い出されたからだ。
あれは中学一年の二月、俺が慕っていた父方の祖父が癌で亡くなった。癌だと診断されたのはそれよりも三年くらい前で結局完治せず息を引き取った。そして祖父が亡くなる半年前の八月、病院にお見舞いに両親と行った時、
「ユウジ、お前は勉強が出来るだけじゃなくて人に優しく出来る心も持ってる。だから何か人の役に立つような仕事に就いてくれると嬉しいな。」
と慕っている祖父から頼まれたことと祖父が弱っていくのをただ見ているだけしか出来ない歯がゆさから、俺は祖父の目をじっと見つめて、
「安心しておじいちゃん。俺、将来医者になるから。そのためにまず県内で指折りの進学校の〇〇高校を目指すから。」
と返答した。俺の返答を聞くと祖父は微笑み
「そうか。これで安心してあの世に行けるな。」
と冗談(この時は悪い冗談だろうと俺は思っていた。)を言った。すぐに俺や両親が
「そんなこと言わずに長生きしてよ。」
と訴えたら、祖父は笑いながら
「分かってる。分かってる。」
とだけ返事をした。祖父のお見舞いの帰り道、両親に
「本当に医者を目指すのか?」
と尋ねられたが
「うん。本気で目指そうと思ってる。」
と俺が答えると
「とりあえず○○高校に合格してから考えれば良いよね。」
と含みのある返答をされた。両親としては地元の公務員になって欲しいのだろうけど、俺は祖父に宣言した時から医者を目指す気が満々だった。
それから俺は医学部の学費とかを本やネットで調べ始めた。そして、国公立大学の医学部の学費は私立大学の医学部の学費よりもはるかに安いことが分かった。しかし、国公立大学の医学部は私立大学の医学部よりも受験科目が多く、全ての科目で高得点を取らなくてはいけないことも分かった。家計のことを考えて俺は学費の安い国公立大学の医学部を目指すことを決意した。そのためにはまず家から通えて県内有数の進学校である○○高校に合格することを目指そうと思った。自分を奮い立たせるために仲の良い友人だったヒロシに
「俺医者を目指すよ。」
と教えていたのだった。
それからは勉強を頑張り、特に偏差値の高い進学校って訳ではなかったのだが、通っていた中学の定期試験では常に上位五人には入るようになっていた。そして中三の進路を決める三者面談では○○高校を受験することを担任の先生に反対されることもなかった。それで大丈夫だろうと思って受験した○○高校に無事合格することが出来た。自分が合格したことも勿論嬉しかったのだが、一緒に受験したヒロシも合格したことが何よりも嬉しかった。
しかし、喜んでいられたのは高一の五月くらいまでだった。初めての定期試験の結果が芳しくなかったからである。それも仕方がなく、○○高校は県内有数の進学校なので、周辺の中学でトップの学力を持った学生が入学してくる。だから、進学校でもない中学の定期試験で五位以内に入るのがやっとだった俺が、○○高校で良い成績をとれるはずがなかった。
(まあ、次の定期試験で頑張ればいいさ。)
それでも俺は甘い目論見を立てるくらいの余裕がまだあったが、一学期の学期末試験で、その目論見も粉々に打ち砕かれた。試験を受ける前から分かっていたが、数学の授業に付いて行けなくなっていた。進学校の早いペースの数学の授業では、俺の理解力だと予習・復習しても付いて行けなかった。国公立大学の医学部を受験するためには、数学も高得点を取らなくてはいけない。そのため俺は定期試験で良い成績が取れるようになるまでは
「医者を目指しています。」
などとは口が裂けても言わないようにしようと考えた。けれども、いくら予習・復習しても、分からないところを先生に聞いても、次の授業でまた分からないところが出てきてしまうのを繰り返すうちに数学に苦手意識が出来てしまった。そうなると落ちぶれるのは早かった。定期試験の目標点数が八十点、七十点、六十点と下がっていき、文系か理系かどちらのクラスに進むか決める高一の三学期には学年平均点より高い点数を取れればいいと思うようになっていた。更にその頃には医者を目指すという目標も見失っていた。しかも俺の試験の結果を見ていた両親からの
「別に無理して理系に進まなくてもいいんだよ。私たちは将来、ユウジが地元の公務員になってくれればいいと思っているんだから。」
という甘いささやきに乗ってしまい、クラス選択で文系を選択してしまった。
今でもその選択が間違っていたとは思っていない。その当時は数学で良い点数を取れないことでかなり追い込まれていて、文系のクラスに進んだことでかなり解放された気持ちになったのも事実だからだ。でも、今考えてみるとそれが一番良い選択だったかは自信がない。さっきヒロシが言っていた、西本という講師の数学の授業を受けてから数学の苦手意識が少なくなってきたからだ。西本先生はいつも
「数学は論理的思考を身に付ければ簡単に解ける。」
と常に言っている人で、一つの数学の問題で何パターンも解き方を教えてくれたりした。西本先生の授業をもっと早く受けていたら、高校で理系のクラスを選んでいたかもしれないと今は思ってしまう。それだけでなく、今からでも遅くはないのではないかと思い、また医学部を目指したい気持ちに火が付き始めていた。だが、そんな考えを振り払うように
「でも今更こんなことを考えても無駄だよな。今から医学部目指せるわけないし。数Ⅲ・数C、高校で習ってないしな。」
と自分を納得させる言い訳を口にしていた。
そう考えをまとめたところで、午後に受講している授業が全部終わった。普段ならこの後自習室で自習するのだが、今日は集中出来そうになかったので帰宅することを選んだ。




