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パウダーウルフ



◆パウダーウルフ



 目が覚めた。薄暗い天井が見える。ベッドに横になっているようだった。十中八九、道玄坂のラブホだろう。


 カラダが思うように動かない。

 顔が熱い。

 気分が悪い。

 飲酒による倦怠感とは異なる靄がワタシの脳内にたちこめていた。


 男2人が低い声で言い合うのが聞こえてくる。


「オマエさ、間違って俺のグラスにも混ぜちまったんじゃねぇのかよ」


「そんなわけねえだろ。たとえそうだとしてもさ、少量でも効くっつってもさ、そうはならねえって」


「じゃあさっきのなんだよ。あんなの見ちまった理由を教えろよ」


 憤っているのが知らない声。いささかうろたえているのが、あの男の声。


 ワタシは重たいカラダをゆっくりと起こした。


『あ、起きたかァ?』


 ワームのしゃがれ声をきいて、ホッとするなんて思わなかった。


 辛うじて2対2の構図になっていることが、ワタシにわずかながらの安堵感を与えた。


 けれど、自分の服が全て脱がされていることを知り、全身に鳥肌が立つ。同時にこみ上げた吐き気にたえられず、ベッドの横に吐いた。


「ほら、もう起きた。そんなはずねえのに。失敗したんだろオマエ」


「そんなに言うならお前ぇがやりゃよかっただろ」


 言い返した男のブタのようなビール腹は、身につけた唯一の衣類であるパンツに乗っかっている。その姿は滑稽で、無事に帰れたら、思い出し笑いに変えられそうだ。無事に帰れたらだけど。


 鼻の低いブタ鼻の男が冷蔵庫を開け、缶ビールをコップに注ぐと、相棒であろう男に手渡した。コップを受け取った方の男は飢えた狼のような顔と体つきをしている。妙なコンビだ。


「これ以上飲ませたら、どうなるか分からねえぞ」


 狼男は緊張した面持ちで、粉状の何かをビールにまぶした。


 落ち着いた声音のワームが言う。

『アンナが起きるまで待ってたんだよォ』


 待ってた?


「何を?」


 ワタシの呟きに、ブタ男が振り返る。


「こわい粉薬だよ。聞いたって忘れちまうだろーけど」


『聞いてくれよアンナぁ。きっとアンナは自分の身におぞましいことが起こったと嘆いているんだろォオ?』


 その通りだ。

 ブタ男を甘く見ていた。今思うとあの薬は、ワタシが2杯目を頼んでからトイレに立った時、ビールに混ぜられたのだろう。混ぜてから、ヤツは来た。あの自信ありげな顔は、もう勝負はついたという顔だったんだ。クソめ。


「何が起こったの?」


 男たちは答えない。


『そりャァ酷な質問だァ。コイツらは答えられねェさ。笑っちまうぜェ? コイツら股ぐらにぶらさがったオレをさ、イィィヒッ! 必死におっ勃たせようとしてたんだぜェ、ヒヒッ、イィィヒッヒッ!』


 ワタシを犯そうとしたら、突如不能者になってしまったわけか。不能…………と言うよりは、自分のモノが醜悪なイモムシに。


 あれ、でも見えないんじゃないの? 他の人には。


『基本的にはなァ。でも人を毒することは可能なんだぜェ。オレは毒蛾の幼虫だからなァ』


 さっきの男たちの口ぶりから察するに、今は元に戻ってるらしい。薬の幻覚作用を疑い、自分たちが誤飲してしまったのではないかと言い争っていたのか。


「ヒヒヒッ……!」


 笑ってしまった。


「何笑ってんだよ、殺すぞ」


 もうこわくなかった。

 狼男の脅し文句は震えている。


「へぇ。どうやって?」


「殺すっつってんだよ……コロ、コロ、こ、コロぉスぞォ……」


 彼は急に頭を抱える。耳を引っ張る。髪をかき乱す。


「どうしたんだよ、おい。ヘーキかよ、なぁ?!」


 ブタ男がオロオロと声をかける。狼男は悶えていた。


 ワタシは2人をよそに中指を見た。ヤツはいない。


「あたま、ア、アタマが、バグっちまう……! バグるよォん。ばっ、ばがぁ、アタマがバグッちゃうよぉォオオおお!」


 彼はあたりを転げ回った。コップが落ちた拍子に割れ、その破片が体を傷つける。


 ブタ男は立ち尽くしていた。


「え? ええ?」


 自分のパンツの前を引っ張り、中を確認している。


「切らなきゃ……」


 床に落ちているガラスの破片を拾い上げ、まじまじと観察する。


 ワタシは目をそらした。

 直後、野太い悲鳴が部屋に響き渡る。


『よぉ、ブタ男ォ。オレはこっちだぜェ〜?』


 おちょくっている。


「き、きき、切らなきゃダメだ……! 指もね、あっ、ァァあ、あああああああああ!」


 血があたりを汚した。


『どうだい、アンナぁ?』左手からワームが言った。『あぁ、やっぱりココが一番落ち着くなァァ』


 ワームのカラダは白いのっぺりとしたものでなく、肉感が強まっていた。中身が詰まっていそうな感じだ。


 駅前で気付いたワームの変化が、今はもっと如実にあらわれていた。


「なんか、デカくなってない?」


 突き指して腫れたようなサイズにワームは成長していた。


『そうだよォ、アンナ。オレはよォ、アンナを唆すと腹が満たされるんだよォオ』


 ワタシを唆すと……?


『そうさァ。正確には、オレが唆して、アンナが実行したらさァ。これからも美味しい思いをさせてもらうぜェ、なァァ? 愛しのアンナぁ〜!』


 ワームがにったりと笑った。


 ワタシは一瞬で正気に戻った。そして総毛立つ。放り捨てられた服を身につけ、荷物をかかえ、その場から逃げ出した。


『また飲もうなァァ』


 でもどんなに速く走ったって、コイツからは逃げられない。


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