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レタススラッグ4



◆4



『アンナぁぁぁぁ!』

 醜いワームのしゃがれ声で我にかえった。


 便器と壁の隙間にずり落ちていたワタシは、全身に力をこめてなんとか立ち上がった。


 吐かなきゃ……!


『待て待てアンナぁ! 下手に吐いて毒が気管支なんかに回ったら誤嚥性肺炎になるぞォ!』


 中指からワームが言う。


「なにそれ、知らない。やっぱワタシのまぼろしじゃないんだ』


『今更だろうがそんなのォ! なァ? 細菌が起こす肺炎があるンだよォ! 水を飲めェ、いやキッチンに牛乳ぐらいあるだろォ、胃壁を保護するから牛乳飲めェ!』


 ワタシの知らない知識を披露するワームに従い、トイレを出た。


 店内は騒がしかった。


 目の前にあの男が立っていた。


 黒い胸当てエプロンはワタシがかけた水のせいでピンクに染まっていた。あの水はブリーチを混ぜたものだったんだ。


 彼の顔は不自然なとろみがあった。にっこりと口角を上げると、口の中から指より太く長いナメクジがどろりと這い出してきた。


 うぇえええ…………。


『かッ、完全体だァ……! 羨ましいぜェ!』


 人の毒虫は見えないんじゃなかったの? でも今そんなことどうでもいいや。


 吐く。吐きたい。気持ち悪過ぎる。


 ワタシはトイレに戻り、鍵をしっかり締めた。


 いる。

 中にいる。

 喉の奥に吐き出そうとする毒を塞ぐヤツがいる。


『どうする気だアンナぁ?!』


「ねぇ、キスする?」


『あぁァん?!』

 返事も待たずに、ワタシは中指、ワームを喉の奥へと突っ込んだ。


『こんなキスがあるかよォ! ディープ過ぎんだろがァ!』


 探して。


『あァん?! なんだテメェこら! ココで何してやがる! オモテ出ろやァ! ぎったんぎったんにぶっ飛ばしてやらァ!』


 苦しくて目のはじから熱いものが溢れた。下を向くと、洗面台の白に赤黒い液体が数滴垂れる。


『噛んだぜェ! 引っ張れアンナぁ!』


 慟哭のような声を出しながら口から手を引き抜く。


 べちャァ!


 吐瀉物にまみれ、巨大な青紫のナメクジが洗面台に落ちた。


『オレのアンナをよくも傷つけてくれたなァ! 男同士のステゴロ勝負といこうぜェ?!』


 指から離れて洗面台のフチに移動するワーム。


「どいて」


 ワタシは隅にあったトイレの洗浄剤を手にすると、それを勢いよくナメクジにかけた。


 しかし、

『効いてねェだと!?』

 青紫のナメクジには効果がなかった。ワタシの喉でブリーチをせきとめていただけのことはある。


 ナメクジは体表を赤くし、『キーー!』と鳴いた。


「通訳して?」


『お前の母ちゃん出臍だとよォ。コイツなんで知ってんだァ? 物知りだなァ』


「そう? じャァさ、コレは知ってる?」


 ワタシは棚にあった盛り塩の小皿を手に取った。


 トイレのドアの向こうで、「ヤメロー!」という叫び声がした。


「毒虫退散」


 塩をナメクジにふりかけた。


 みるみるうちに小さくなる毒の虫。


『へへェ! 苦しんでいやがるぜ悶えていやがるぜェ! イィィヒッヒッヒッ! サイコーだなァ!』


「イイ性格してるね」


『アンナゆずりだぜェ』


 ワームはワタシの左の中指に戻った。


 ナメクジは跡形もなく消えた。


 ワタシは口をゆすぎ、それから念入りに手を洗う。


『事後のシャワーは気持ちイイぜェ』

「事後って言うな」


 手の汚れはとれたかよく見る。


『なんだよ見つめてェ……』


 うん。大丈夫だ。次に臭いがついてないかなと不安になり、手を顔に近づける。


「プフッ! あっはははは!」


 そして思わず笑ってしまった。


『なんだよアンナぁ。人のキス顔見て笑うとかマジで酷だなァ』


「キスだと思ったの? ごめんごめん」


 ワームが見たことない表情でしょげている。それも可笑しいけど、そうじゃない。それで笑ったんじゃない。


「アンタ、ちょー玉ねぎ臭いよ」


 笑いが止まらない。


『なッ! そりャァよォ、アンナの臭いだろうがァ!』


 ワームは威嚇姿勢をとった。


「顔も玉ねぎっぽくなってるよ。見てごらん」


 鏡に手を映す。左手は中指だけを立てている状態だ。ふぁっくゆー。


『ぐぬぬゥ……。アンナぁ、本当にオレ好みのイイ性格してんじャァねェかよォ』


「そのままのワタシが好きなんでしょ?」


 なるようにしかならないんだ。自分からは逃げられない。

 ワタシは玉ねぎ臭い女だと認めるしかないんだ。玉ねぎはいくら剥いたって玉ねぎ。剥いても、脱いでも、捨てても、泣いても、小さくなるだけでワタシ以外のものは現れない。


「行くか」


『レジの金を盗んでいこうぜェ。迷惑料だァ』


「アリかも」


『イモムシだってのォ」


 トイレから出る。


 ナメクジ男はまだそこにいた。ワタシも唆しに負け続けていたら、こういうみっともない「完全体」とやらになってたんだな。醜くて不快なイモムシ女に。


 男が大口を開けると、ヤスリ状に細かくびっしりと並んだ歯が見えた。


 素手はやだな。


 ワタシはトイレに引き返し、掃除に使う厚手のゴム手袋を左手にはめた。


 歯食いしばって。


『待てアンナぁ! それは相手に言うセリフだコラぁ!』


 ナメクジ男をぶん殴る。


『ギャアアアア!』


 苦痛の悲鳴はよく聞き慣れたしゃがれ声だった。


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