みんなが遊びに行く夏祭りの日に一人寂しく受験勉強に勤しんでいたら、クラスの清楚系美少女から電話がかかってきた。
俺、矢代怜斗は高校三年生だ。
今日で学校は終わり、明日からは夏休みに入る。と言っても、そんなものは無いに等しい。
当然、受験生だからだ。明日からは補習もあるし、今日も家に帰って勉強をした後、早めに寝ようと思っていた。
そんなとき、俺は見てしまったのだ。
学校から帰ろうと電車に乗り込むために駅のホームに出て電車を待っていると、駅の構内に続々と人が入ってきた。みんな涼しげな格好をしていて、浴衣を着ている人も多い。
そこで俺は思い出した。ああ、そうだ。今日は近所の夏祭りだった、と。花火も上がるし、屋台もたくさん出る。
なんと、その中にはかなり見知った顔が多かった。同じ学校の三年生だ。正直、お前ら受験生のくせに遊びに行くんじゃねえよ!と思わなくもなかった。
理不尽な怒りである。
そこまでならまだ良かったのだ。
俺の怒り……というか、虚しさはその時頂点に達した。
そのまま単語帳を開いて電車を待っていると、親友の野田豊が現れたのだ。
しかも、何やら浴衣を着たそこそこかわいい女子高生らしき人と並んで歩いているではないか!彼らが仲睦まじく微笑み合っている姿を見て、心底惨めな気持ちになった。
あいつとは一年の最初に席が隣になって以来、お一人様同盟を結成して冬には男二人のクリスマスを過ごしていたというのに!
俺はもう魂が抜けたようになって家に帰ってきた。
別に呼ばれなかったのが悲しいわけではない。きっと、あいつなりに俺を気遣ってくれたのだ。俺はそこそこ難しい大学を目指しているから、邪魔してはいけないと思ったとか、そんなとこだろう。
しかし、あいつは彼女と一緒に歩いていたのだ。きっと、夏祭りに行ったらたこ焼きを「あ~ん」し合ったり、花火を眺めながらキス、とか……あいつの顔で想像するともっと悲しい気持ちになってきた。やめよう。
そんなわけで、俺は悔しさをバネに……ではなく。もはや無心になって勉強していた。
会場から少し離れたここにも、太鼓や笛、祭囃子の音が聞こえてくる。近くでは虫の音が聞こえる。
夏のこの時期にしか味わえないハーモニーだ。
無心で手を動かしていたおかげか、いつの間にか数学の問題集が一ページ終わっていた。素晴らしい。
そういえば、人は悲しい気持ちになった時の方が数学などの繊細な問題を効率よく解けるという研究結果があるらしい。
うん、結果オーライじゃないか。
……悲しくなってきた。
しかし、明日補習で学校に行ったら絶対にあいつを問い詰めてやる。いつの間に彼女なんてつくっていやがったんだ。せめて親友の俺くらいには教えてくれてもいいと思う。
そう思って携帯をとると、メッセージアプリの通知音が鳴った。
「うわっと!」
驚いて落としそうになってしまった。
「誰からだろう……」
まさか豊じゃないだろうな。彼女とのツーショットとか送ってきた暁には引き飛ばしてやる。
「星咲望……?」
画面に映ったその名前を見て、俺は驚愕した。星咲といえば、うちのクラスで清楚系美人と名高い全男子高校生の憧れのような人物だ……と、俺は思っている。才色兼備を体現したような人物で、俺は彼女のことを少し……いや、かなり気になっている。
彼女は真面目な性格で、陽キャギャルっぽい人種とはあまり関わろうとしないので、みんなから好かれているとかそういうわけではない。
彼女が浴衣を着たら似合うんだろうなあ。彼女のさらりと長い黒髪を見るに、きっと水色や薄紫色などの暗すぎない寒色系が似合うのではないだろうか。と、少し気持ち悪い想像をする。
『矢代くん、今どこにいる? もしかして、みんなと一緒に夏祭りに行った?』
「行った?」とあるあたり、彼女は行っていないのだろうか。正直に答えれば、一緒に行く友達がいない寂しいヤツと思われてしまうだろうか。ま、それでもいいか。きっと彼女はそんなことはこれっぽっちも気にしないタイプだ。
「『俺は家で勉強してるよ』っと……」
返事はすぐに帰ってきた。
『今、通話してもいい?』
「は? ちょっと待ってちょっと待って!」
俺は急いで辺りを見渡す。学校に帰ってから勉強道具を出した以外は、部屋はきれいに片付いていた。もともと、趣味は本と音楽くらいなので、散らかる理由もない。俺は散乱していたプリント類をさっと片付けてから気付いた。
「――何やってんだ、俺」
別に家に来るわけでもないのに部屋を片付けるとは、アホにも程がある。俺はそんなに彼女のことが好きなんだろうか。そう思うと、勝手に顔が熱くなってきた。
そんなことよりも、早くメッセージを返さなければ。既読スルーなどあってはならない。特に女子とのやり取りでは。
『いいよ』
余計なことをしでかさないように、俺は端的にそう返した。
すると、すぐに通話がかかってきた。一度息を大きく吸い込んで、ゆっくり吐いてから画面をタップする。
『あっ、もしもし矢代くん?』
耳元で優しげな声が聞こえる。俺は彼女の声が好きだ。落ち着いていて、聞いていると癒やされるような、まるで小川の流れとか、木の葉ずれの音のような。そんな穏やかさがある。
「うん、こんばんは。突然どうしたの?」
俺はなるべく落ち着いて答えた。声が震えていなければ良いが。
『今日、夏祭りじゃない?』
「うん」
『でもきっと真面目な矢代くんのことだから勉強してるんじゃないかと思って』
「? うん」
なんだろう、話が見えてこないぞ。
『私もさっきまで勉強してたんだよね』
「でも、なんか下駄っぽい音が聞こえるけど……もしかして星咲さん、夏祭り行くの?」
携帯の向こうからはカランコロンという音が聞こえていた。
『ううん、そういうわけじゃないんだけどね……』
――ピンポーン
と、そこで玄関のチャイムの音が聞こえた。
「あ、ゴメン。来客だから一旦切るね」
『うん』
階段を降りて玄関に向かう。
…………俺は、驚くときに声を上げるタイプではない。だから、口をあんぐりと開けるようなコミカルなリアクションはできない。だが、その時は自分の目が大きく見開かれたのがはっきりと分かった。
「な、なんで……」
「えへへ、来ちゃった」
「来ちゃった、って……」
そこに立っていたのは、ついさっきまで通話をしていた星咲さんだった。
水色に、紫色の水面のさざめきのような模様が入った浴衣は……それを着た彼女は、とても綺麗だった。
彼女がふふっ、と笑う。
「な、何?」
「いや、矢代くんていつも落ち着いて大人だなあって思ってたから、珍しいところを見られたなあって」
「ど、どうしたの星咲さん。今日テンション高くない?」
「そうかな? うん、そうかも」
そう言うと、彼女はちょっと目線を反らして横を向いて僅かに頬を赤らめた。かわいすぎる。
「と、取り敢えず上がる? 今、誰もいないし……」
「へ!?」
途端に、星咲さんの顔が真っ赤に染まった。それを見てから、俺は自分の発言ミスに気付いた。
「ち、違っ!……変な意味じゃないから」
「そ、そうだよね、わかってる! ごめん! 私、過剰反応しちゃって……」
「じゃあ、二階の俺の部屋に上がって待ってて! 今お茶とか持ってくるし!」
「あ、ありがとう」
俺はお茶やら菓子やらを用意しながら心を落ち着かせようと試みた。彼女は前に、俺が風邪を引いて学校を休んだときに、プリントやらなんやらを家まで届けてくれたのだ。だから、俺の家を知っていることに驚きはない。
ただ、その謎の行動力には驚嘆するばかりだ。こんな大胆な行動ができる人だとは思っていなかった。
それにしても、彼女の目的は何なのだろうか。見当もつかない。都合の良い方に解釈してしまいそうになる。
俺は、妹が友達と花火を見に行っており、父母も揃って夏祭りに繰り出していることに感謝した。
「お待たせ!」
「ありがとう」
星咲さんはローテーブルの前にきちんと正座をして座っていた。浴衣を着ているので長い髪は後ろで結ってあって、普段は見えないうなじが眩しい。
悶絶しそうになりながらも、あまりじろじろ見てはいけないと思い目をそらす。
「どうしたの?」
「いや、えっと……浴衣、似合ってるなって」
「えっ! あ、ありがとう……」
彼女は少し頬を赤らめ、照れているようだった。うん、やっぱりかわいすぎる。
俺は彼女の正面に座り、さっさと本題に入ることにした。
「今日はどうして……その、来てくれたの? あ、脚崩していいよ。疲れるでしょ」
「ありがとう。今日来たのはね……うーん……」
またしても、だんだんと彼女の顔が赤く染まっていく。俺は黙って彼女の言葉を待った。
「……そう! 矢代くんと勉強したいな、と思って! 英語の問題でちょっとわからないところがあって。矢代くん、得意だったよね?」
それだったら別に通話でもよくないかとは思ったが、あまり追求しないことにした。見れば、ちゃんと手提げバッグの中に英語の参考書やら問題集を持ってきているようだった。
「ん、じゃあ勉強会ってことだね。俺も数学で聞きたいことあるから丁度いいね」
「う、うん。よろしくね」
勉強会の時間はあっという間に過ぎていった。俺は彼女のいい匂いや横顔の美しさのせいで終始心臓がバクバクと鳴っていたが、それも気にならない程集中できた。彼女は流石学年一位の成績というだけあって、教えるのがとても上手い。
「そんなこと言って。矢代くんだって、定期考査はいつも二位じゃない。私、実は毎回ハラハラしてるんだよ。今回こそは抜かれるんじゃないかって」
ご謙遜を。あなたを超えられる気がしません。
「ああ、もう八時か……そろそろ休憩しない? あ、門限とか大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫! 八時ってことは、そろそろ花火が始まるね!」
「あ、うちのベランダはよく見えるんだよね。どうせなら、休憩がてら花火見よっか。俺、虫除けとか取ってくる!」
俺は下の階に降りたついでにアイスも持ってきた。ちょうど二つ、カップのアイスがあった。うちの家族はみんな棒アイスよりカップのほうが好きなのだ。
「取ってきたよー」
「あ、矢代くん、早く早く! 始まっちゃうよ!」
やっぱり今日の星咲さんはテンションが高いような気がする。いつもはこんな感じじゃない。けれど、こどものようにはしゃぐ彼女は、いつもよりいっそう魅力的に見えた。
「そういえば星咲さんは、友達に誘われたりしなかったの? ほら、武内さんとか……」
武内さんはうちのクラスの女子で、星咲さんととても仲がいい子だ。
「あー……梨奈は最近彼氏ができたらしくてね。その人と一緒に行くみたいだったから」
なんだろう、俺と似ているような、似ていないような。
「でも、私も一緒に見たい人とは見れるから……」
「え? ごめん聞こえなかった」
「な、なんでもないよ!」
彼女の声はあまりにも小さく、夜空に吸い込まれて聞こえなかった。二人でベランダの手すりに身を預けながら他愛のない話をしていると、ついに花火が始まった。
ひゅるるるるるるる――――どん!
最初の一発が、夜空に大輪の花を描く。すぐにぱらぱらという音が聞こえ、その光の芸術は儚くも消えていく。
「きれいだねー」
「……うん…………ほんとに」
花火が消えるときのちらちらとした光に照らされ、夜闇に浮かび上がった彼女の横顔は、本当にきれいだった。
「ん?」
彼女がどうしたの、といったふうにこちらを向く。彼女の黒い宝石のような瞳に映った光の粒子がきらきらと輝いて見えた。
どうしてだろうか――その顔から、目が離せなかった。
「えっと……矢代くん?」
「星咲望さん」
「はいっ!」
思わずフルネームで呼んでしまった。でも、それでいい。しっかりと、誰に伝えるのかわかるように。
彼女は期待を込めるような眼差しでこちらを見詰めてくる。
それを見た俺はもう、昂ぶる気持ちを抑えきれなかった。
「好きです」
短く、そう伝えた。
最初は、勝手な仲間意識のようなものだったのかもしれない。普段は友達と笑い合ったり、ときにはバカやったり。彼女も表立って自分の努力を誇示したりはしない。影では血の滲むような努力をしているところが似ているような気がした。
けれど、今度は別の面に惹かれていった。
彼女は優しい。友達に勉強の質問をされれば、分かるまで教えてあげる。
彼女は誠実だ。人の陰口を嫌い、そういうのは良くないと、はっきり言う。
彼女は綺麗だ。長くて黒い髪も。白くて清らかな肌も。
そして今日、新しい一面を見た。
彼女は、ものすごくかわいい。花火を見たいと笑ったその顔は、幼いこどものようにはしゃいでいて。
もう、学校で見るようなお淑やかな彼女だけでは足りなくなっていた。もっと彼女を知りたい。そして、できることなら彼女にも同じ気持ちでいてほしい。
真っ赤に染まった彼女の顔を、枝垂柳の三尺玉が照らし出す。
「……私、さっき勉強したくて来たって言ったじゃん」
「うん」
「あれ、嘘なんだ。本当は、その……矢代くんといっしょに、花火見たいなって……そう、思って……」
「……うん」
星咲さんは湯気が出そうなほど真っ赤になった顔で、続ける。
「だから、その……私も……すき、です……」
「……うれしすぎる」
彼女の言葉があまりにも嬉しくて、俺は思わず彼女を抱きしめていた。彼女は初めは戸惑った様子だったが、やがて俺の背中を抱き返してくれた。
どのくらいそうしていたかわからないが、どちらからともなく俺たちは体を離した。正直名残惜しかったが、またこれからいっぱい触れ合っていけばいいと思った。
「ごめん、暑苦しかったよね。アイス、食べない? 持ってきたんだけど」
「だ、大丈夫。う、嬉しかったし。アイス、ありがとう。いただきます」
こんなこともあろうかと、保冷剤といっしょに保冷バッグに入れて持ってきたのでアイスは溶けていなかった。
味はバニラとストロベリーの二種類だった。星咲さんにどちらがいいかと聞くと、少し迷ってからバニラが食べたいと言った。
「ね、これからは、その……恋人同士ってことで、いいんだよね?」
「うん」
「じゃあ、さ……こんなことも、しちゃおうかな……なんて」
彼女はまだ赤い顔のまま、木のスプーンにのせたバニラアイスを差し出してきた。
「い、いただきます」
「ど、どうぞ」
彼女からもらったバニラアイスは、いつもの数倍は甘く感じた。
「……じゃあ、こっちも」
仕返しとばかりにストロベリーのほうをスプーンの先にのせて差し出す。
「ありがとう」
彼女は自分から顔を寄せて俺のスプーンからアイスをもっていった。なんだかいけないことをしているような気分になってきた。
「あのさ……俺たち、つ、付き合うことになったわけじゃん」
「……うん」
情けないことにまだ言葉につかえてしまう。まったく緊張が抜けていない。それもこれも、俺の彼女が綺麗すぎるせいだ。
「だから、名前で呼んでもいいかな」
「…………もちろん、いいよ。私も怜斗くんって呼んでいい?」
「いいよ」
花火はまだまだ終わらない。今度は賑やかなスターマインが夜空を色とりどりに塗りたくる。
「望さんは、どうして俺を好きになってくれたの?」
こんなことを言うんじゃなかった。自分で言っていて恥ずかしくなってきてしまった。
「うーん、理由はいっぱいあるけど……いちばんは、一生懸命なところかな? 努力してるところが、素敵だなって」
でも、と彼女は続ける。
「そんなの、本当に一つに過ぎないんだと思う。優しかったり、私のことを気遣ってくれたり、かっこよかったり、ちょっとかわいかったり。そんなとろをぜんぶ合わせて、怜斗くんのことが好きなんだ」
限界だ。そんなことを言われたらもっと好きになってしまう。
俺は半ば無意識に彼女に口づけをしていた。
「んっ」
とんでもない失態に気付いた俺は、すぐに唇を離した。
「ご、ごめんっ! つい……望さんがかわいすぎて」
「かわっ!? う、ううん、大丈夫だよ。その、今度はもっと……長く、してくれてもてもいいんだよ」
そう言って真っ赤になった彼女に、もう一度唇を重ねた。
お読みくださりありがとうございます。
何気に初の短編でございます。温かい目で見ていただけると幸いです。うまく甘い感じに書けていたらいいなと思います。もしよろしければ感想、お待ちしております。
夏は受験の天王山ってよく言われますよね。
因みに私はカップアイス派です。皆さんはどうですか?
追記
まさかの7.27日間ランキングに載らせていただきましたー!とても嬉しいです。改めてお読みくださり、また評価してくださりありがとうございます!
よろしければこちらも。
夏祭り第二弾的な作品。これとは別のお話です。
一人で夏地元の祭りに行ったら、知らない美少女に声をかけられた。
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