瓶に詰めた甘い宝石
女の子はみんなお菓子みたいにふわふわで甘くて、宝石みたいに曇りのない綺麗な存在。
どの子も魅力的で、どの子も素敵で、ボクはただただ目移りばかりだ。
次は誰にしよう、どの子にしようかな。
期待とドキドキで胸が踊って、思わず足をばたつかせて、ボクの耳も尻尾もピクピク動いちゃう。
「あ……」
眺めている湖に映るその子は、淡いピンク色の少しだけ長い髪の毛に、蜂蜜がギュッっと詰まったみたいな綺麗な目をしていた。
ほっぺたも白くてマシュマロみたいに美味しそう……。
《メロウ、貴女また結婚を断ったの?》
《興味がないの。それに、彼は私の自由を尊重してくれなかったから》
《自由って……ただ本を読んでお茶して、気分のままに散歩して、でしょ》
《悪い?》
《悪くはないけど……》
《私は、お姉様のように何かに染まってしまうのが嫌なのよ。それに私は……》
「見つけた」
この子は、ボクがずっと求めて来た子だ。この子とはずっと一緒にいたい。
楽しいことをたくさんしたい。幸せな日々を過ごしたい。
「よーし!今迎えに行くからね、メロウ!」
⭐︎
何気ない日。雲ひとつない空は青くて、差し込む日差しはぽかぽかと暖かくて絶好の読書日和だ。
お庭の木の陰で本を読むは大好きだ。室内で椅子に座って読むのも嫌いじゃないけど、解放的なお外で、シートを敷いて本を読むのが一番好き。
本を読んでいると頭を使うから少しお腹が減っちゃう。だから、読書の時はいつもお菓子やお茶も用意する。
今日のお菓子はクッキーとマドレーヌ。本当はクリームたっぷりのケーキが好きだけど、読書の時には向かないから、それはまた別の機会にしようかしら。
「んっ……この本は当たりね。良いものを見つけられてよかったわ」
書庫の本は読み尽くして、街の古本屋でたまたま見つけた本。
表紙のイラストに惹かれて読んでみたけれど、内容も私好みのものだった。
「本当に、私も物語の一人だったら良いのに……」
優しく、閉じた本の表紙を撫でる。
不意に、誰かが草を踏む音が聞こえて顔をあげた。
「やっぱりここにいたのね」
「……お姉様……」
座っている私の顔を覗き込むように、お姉さまが私に笑顔を向けてくださる。だけど私は、そんなお姉様と目を合わせることができなかった。
「メイドたちが困ってたわよ。メロウお嬢様がまたお庭でって」
「好きなのですから、良いじゃないですか」
「私は別に構わないのだけど、いつお客様が来るかわからないのだから……」
「……そんなに家のイメージが大事ですか」
「メロウ……」
そんなつもりは無かった、というように、お姉様は少しだけ困った表情を浮かべた。別に、お姉様を攻めてるつもりはない。それに、私のためを思って言ってくださってる。お父様やお母様だったら、きっと……
「もうしばらくこのままでいさせてください。少し気分転換をしているだけなので」
「……わかったわ。お父様やお母様には私から言っておくけど、なるべく、ね」
「はい……」
お姉様はそのまま屋敷の方に戻っていかれた。
私はそんな背中を見つめた後、閉じていた本を再び開いて、読書を続けた。
私の家は、世間でも有名な貴族の家。お父様もお母様も厳しい方で、幼少期から色々と貴族の娘としての作法を教えられた。私もお姉様も覚えはよくて、あっという間に基礎は身につき、勉強もとても優秀。
後はそれとなく、ともいかず……もっともっと高いものを求められた。特にお姉様は。
我が家は有名な家ではあるが、生まれた子供は全員女の子。家の後を次ぐために、より優秀な男性を婿に迎えようとした。あわよくば王族を、とも。
より厳しい教育。お姉様は期待に応えようとしたけど、私は途中で逃げ出した。
もう必要最低限のことは身についているし、やるべきことはやっている。それ以外の時間ぐらいは自由にさせて欲しかった。
縛られるのは嫌い。強制されるのは嫌い。
私は私の自由に生きたいのだ。それを認めてくれない人は嫌いだ。
お父様もお母様も、そして紹介される男性も。みんなみんな、私のしたいことを否定する。だいたい私は……
「楽しいことしたいな……」
屋敷の中は息が詰まって仕方ない。こうやってお屋敷の庭で読書をすることさえ許されないのだ。
私も一応気遣って、なるべく人目につかないところで読書をしているのに、それさえも許してくれない。
「ぁ……むっ……………美味しい」
この時間が私の唯一の幸せな時間。
気分が晴れて、難しいことも、嫌なことも考えなくて良い。
「はぁ……んーっ、読み終わった」
それから数十分後、無事に本も読み終わって、そろそろ屋敷に戻らないとと頭の中でぼんやりと考えていた。
だけど、ずっと本を読んでいて、お菓子もたくさん食べてしまったから眠くなってしまった。
お行儀が悪いとは思ってるけど、だけど襲ってくる眠気から逃れることができなかった。
徐々に視界がぼんやり薄れてくる。これはもう、どうすることも出来ないな。
『やっぱり、実物はもっともっと良いね』
そんな時、見知らぬ女の子の声が聞こえた。ゆっくりと顔をあげると、しっかりと姿は見えなかったけど小さな女の子であることはわかった。
『ほら、手を伸ばして。ボクと一緒に行こう』
もしかして、気づかないうちにもう夢の中にいて、この子は夢の中に私を導いてくれる子なのかな……それなら、この手を取っても大丈夫よね。
私は、ほとんど力が入らなくなった体を必死に動かして、その子の手を取った。
『ようこそ、夢の国へ。メロウ』
⭐︎
心地のいい日差し。耳に聞こえる鳥の声と遠く誰かの歌声が聞こえる。
開放的な空間は、私が大好きな外でのお茶会。
テーブルの上に大量に並べられたお菓子と、ほんのり甘い紅茶が心を満たす。
あぁ、なんて幸せな時間なんだろう。こんな日々がずっとずっと続けばいいのに……
「え……?」
手にしていた紅茶を一口、口に運んだ瞬間。私はやっと現実世界に引き戻された。
そこは、さっきまでいた家の庭ではなく、別の場所だった。
目の端に大きな湖があって、反対側には森があって、よく見てみるとなんか花が歌を歌っていた。
「どうしたの?」
辺りをキョロキョロしながら、必死に頭の中で状況を理解しようとした時、不意に聞こえる声。
鈴がなったみたいなその声の方に視線を向けると、私の向かい側。不思議そうにこちらを見ている女の子の姿があった。
白髪に印象的な青い瞳。そして何より、頭に生えているそれがピクピクと動いてる。
「……貴女は、誰……?」
「……あぁそっか。目が覚めたんだね。おはようメロウ」
無邪気な笑みを浮かべて私に挨拶してくるその子は、目の前にあるケーキを一口食べて、ペロリと口の周りについたクリームを舐める。
「ボクはホワイト。甘いものと綺麗なものが大好きなうさぎさんだよ」
自分の両手を頭の上に持って来て、すでに兎耳があるのに、もう二枚耳を増やしたかのように動かした。
「ここは夢の国。みんなの幸せが詰まった世界だよ。不安も恐怖もない。みんなが楽しい毎日を過ごす世界だよ」
「夢……ここは、夢の世界なの?」
「ん?違うよ。ここは、メロウがいたところとは別の世界。夢の世界じゃなくて、現実だよ」
疑問を抱いている私に反して、ホワイトという少女は、ずっとニコニコと笑みを浮かべるだけ。その笑顔が、私の不安をさらにかきたてていく。
「メロウをね、一目見た瞬間に。この子だって思って、すぐに迎えに行ったの」
「迎えって……」
「普通に連れて行っても嫌がられると思ったから、寝てる時に連れて行こうと思って」
「それって……」
そんなことを言われたら、流石に自分が誘拐されたのだと理解する。しかも、こんな小さな子供に。
無邪気に笑うその子は、自分が何をしたのか全く理解してない内容で、ただ自分の好きに話を続ける。
「ねぇ、お茶会が終わったらメロウは何がしたい?ボクはね、追いかけっこしたいなぁ」
私は、この子の遊び相手になりたくない。私はただ、自分の自由を誰にも邪魔されたくない。この子に振り回されるなんてごめんだ。
「メロウ?」
私はテーブルを強く叩きつけながら立ち上がった。それに、向かい側にいる彼女は目を丸くして驚いていた。
「帰る」
一言そう口にして彼女の隣をすり抜けようとした。
「どうやって帰るの?」
さっきと同じ、無邪気な少女の声なのに、確信を着くような言葉に足が止まる。
ゆっくりと彼女の方を向けば、変わらず笑顔で私のことを見ていた。
わかっているんだ、私がここから帰れるはずがないって。
なんだか自分が彼女の思い通りに動いているようで嫌だった。そのまま彼女の言葉を無視して私は歩き回った。
「またホワイトが新しい子を連れて来た」
「お菓子みたいな子ね」
「私は宝石みたいな子だと思うわ」
ここはとても不思議だ。
見たことない動物がいて、なぜかみんな言葉を話してる。動物も、草木も、全部。
「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……」
歩いても歩いても、出口らしいところが見つからなかった。
同じ景色が続いてばかりで、やっと出られた!と思っても、あの子のいる湖の広場。つまり最初に戻ってしまう。
「大丈夫、メロウ?」
膝をついて、ゼーハーゼーハーしてる私に対して、彼女はそう尋ねてくる。この状況で大丈夫なはずがない。
「どんなにメロウが頑張ってもここからは出られないよ。だから諦めてボクと一緒にいよう」
「誘拐しておいて、よくいうわね……」
「だってボク、メロウのことが大好きだから」
「わっ!」
勢いよく飛びついて来られて、疲れているせいもあってバランスを崩してしまい、そのまま押し倒される形になってしまった。
「……青いな」
疲れてうまく酸素が回ってないせいか、空を見上げて思わずそんな風に言葉がこぼれた。
こんなに、息が上がるまで歩き回ったのはいつぶりだろうか。
昔は、無邪気に庭を走り回ってたけど、勉強が本格的に始まるとそんなことも出来なくなってしまった。
「メロウ眠いの?じゃあ、ボクと一緒にお昼寝する?」
本当にこの子は、こっちの気も知らずに無邪気にそんなことを聞いてくる。
なんだか私が馬鹿みたいに思えてしかたがない。
「はぁ……考えるのはやめた」
「メロウ?」
どこまでも広がる青い空。雲一つなくて、なんだかキャンパスに空色を塗っただけの無機質さ。だけど、どうしてか目を惹かれるような、そんな感じ。
いつ、自分の世界に戻れるかわからない。明日かもしれないし来週かもしれない。もっといえば、数ヶ月、数年ってなるかもしれない。
不思議と、あんなに必死に帰ろうとしていたけど、帰ったところでまた不自由が生まれるだけ。
ここはなんて言うか、開放的だし、この子の相手さえしていれば、後は自由にできそうな気がした。
とりあえず今は……
「疲れたから寝る」
そう言って、私はこの子……ホワイトを抱きしめた。
今後、いろいろなことに振り回されそうだし、その対価として、眠る時の抱き枕になってもらわないと。
「えへへっ、メロウあったかい……それに、甘い匂いがする」
「大人しくしていて。眠れないでしょ」
「ふふっ。うん、ごめんね」
本当にこの子は、何をしても笑って……何がそんなに楽しいのかしら。
(まぁ今はとりあえず……眠たい、わ……)
重くなった瞼を下ろして、そのまま私は眠りについた。
どのくらい眠ったかはわからないけど、目が覚めてもまだあたりは明るかった。
そして、ホワイトが私の顔を覗き込んでいた。
「おはよう、メロウ」
「……おはよう」
ゆっくりと体を起こして辺りを見渡すけど、眠る前とは変わらない。心のどこかでは、これが夢であって欲しかったと思っている。
「お腹減った?またお菓子いっぱい準備したよ。さっきは聞けなかったけど、メロウはどんなお菓子やケーキが好き?」
楽しそうに、草原を駆け回りながら、ホワイトは転びそうな勢いで振り返り、私にそう尋ねてくる。
振り向きざまの笑顔は、なんと言うか……綺麗……可愛い……いや、そんな言葉では言い表せない、心にくる何かがあった。
「……クリーム系とスポンジ生地のお菓子とケーキが好き」
「そうなんだ。ふわふわの生地と甘いクリームはボクも好きだよ!」
そのまま、私たちはまた向かい合わせに座り、お茶会をする。
落ち着きなくはしゃぎながらケーキを食べるホワイト。なんとも危なっかしくて、紅茶を飲んだりお菓子を口に運ぶ時もずっと彼女のことを見ている。
「ねぇ、この後は何する?またお昼寝する?お腹いっぱいになると眠くなるよねー」
「また寝るの?」
「え、いやだ?じゃー……あ、追いかけっこしよ。ボク、結構足速いんだ。まだね、追いかけっこで負けなしなんだ!!」
自信満々にそんなことを言うホワイトに、思わず笑ってしまった。まぁうさぎだし、当然足は速いでしょう。
ピクピクと動く耳に視線を向けながら、私は心の中でそう思った。
この世界はいろいろなことが私の常識とは違う。この子も言っていたけど、ここは私が元いた世界じゃない。私の世界での常識は、ここでは通用しない。つまり、この世界ではこれが常識。受け入れるしかない。
(別に、考えるのを放棄したわけじゃなくて、単純にこれはそういうものだと思っているだけ)
自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、もう何杯飲んだかもわからない紅茶を口に運ぶ。
「ねぇ、メロウは何がしたい?」
「……別に、なんでもいいわよ。あなたのしたい事をしましょう」
「ボクのしたい事?んー……あっ! そうだ」
何かを思いついたようで、大きな声を上げるホワイト。
次は何かしら……さっき言っていた追いかけっこでもするのかしら……。
「近くにね、綺麗なお花畑があるんだ。一緒にお花積んで、お花の冠作ろ」
「お花……畑……」
「メロウ?どうかしたの?」
「……ううん、なんでもない。いいわよ、いきましょう」
「やった!えへへっ、楽しみだな」
ニコニコとルンルン気分のホワイト。私もニコッと笑みを浮かべるけど、頭の中に浮かぶのは遠い過去。
幼い頃、確か私もお姉様とお花畑に行って、一緒にお花を摘んで、一緒に冠を作ったっけ。
お姉様は綺麗だったけど、私のは不恰好で……上手にできなくて泣いてたっけ。それでも、お姉様は私が作った冠を被って、笑顔でありがとうって……
「メロウ」
懐かしい思い出を思い出していると、不意にホワイトが私の名前を呼ぶ。なんだろうと思って顔をあげると、さっきまでの笑顔が消えていた。なんていうか、普通の表情なんだけど、なんだかちょっとだけ怖い。
「な、何……」
じっと、私のことを見つめるホワイト。私のことを見ているようで、別の何かを見ているような……もっと言えば、私の心の中を見られているような恐怖心に駆られてしまう……
「楽しみだね」
だけど、パッ!と笑顔に戻って、そのままお菓子を食べ始めた。
なぜかその笑顔を見てホッと胸をなでおろした。
ずっと笑顔を向けられたせいか、さっきみたいな表情をされると怖くて仕方がない。なんていうか、あれを見ていると自分が本当に今、誘拐されていることを怖いぐらい実感する。
「そうね」
なんとか必死に笑顔を浮かべてそう答えた。
多分笑顔は引きつっていたと思うけど、ホワイトは特に気づいていないようで、幸せそうにケーキを頬張っていた。
「メロウは、なんの花が好き?」
「え……あー……なんだろう……特にないけれど、珍しい花は好きよ」
「珍しい花?」
「えぇ。特に青いバラが好きね」
「青いバラか……花畑にはなかったと思うけど、青が好きなの?」
「いいえ。色はそうね……暖かい色……赤にオレンジ。黄色にピンクが好きね」
「そうなんだ。僕は綺麗な色が好きだな。濁った色は好きじゃない」
私も暗い色は好きじゃない。例外はあるかもしれないけど、基本的にはペールカラーが好き。ふわふわとした感じが好きで、それこそ飴やケーキ……甘いお菓子を連想させるから幸せな気持ちになる。
「メロウは、お菓子やお花が好きなんだね」
「……そうね。嫌いではないわ」
「ふふっ。幸せな顔してる」
無自覚に笑っていたのか、ホワイトのその言葉に急に体が熱くなってしまう。それなりに家で作法も教わったし、感情を素直に出さないように特訓もした。
いけない。これじゃ、あっちに戻った時にお父様やお母様に怒られて、自分の時間が作れなくなってしまう。
「ボクも、お菓子とお花、好きだよ」
一通り、お茶とお菓子を堪能した後は、ホワイトに連れられて花畑へとやって来た。
種類も色も、様々な花。知ってる花もいくつかあるけど、絶対に一緒の時期に咲かない花などがあった。
きっと、こういう光景は、この世界だからこそ成り立ってるんだと思う。
「素敵ね……」
元の世界に帰れば、もうこの光景は見ることはできない。
ホワイトが満足するまでは帰れそうにないし、それまではのんびりここで時間を過ごすのもいいかもしれない。
そのまま花畑の上に腰を下ろして、一息を着く。優しく吹く風がとても心地いい……
「メロウ!」
ぼんやりと花畑に目を向けて、そんなことを考えていれば、不意にホワイトの明るくて無邪気な声が耳に聞こえる。
そのまま特に警戒心などを抱くことなく振り返れば、彼女が目の前にいて、視界を花びらが舞い、頭に少しだけ違和感を感じる。何かが、私の頭の上に乗っているみたい。
「メロウにあげる。ボクが作ったお花の冠」
満面の笑みでそういうホワイトは、目を奪われるほどに、私の心を刺激する。
私を誘拐した、ここに連れて来た相手だというのに、それを感じさせないほどに、この子は私の心の糸を解いていく。
妹がいたら、こんな感じなのかしら……
「ホワイトは、器用なのね。ありがとう」
抱きしめるのとはワケが違う。優しく触れた彼女の頬の感触は、とても柔らかくて、スベスベで、ほんのり冷たい……。
「ん……えへへっ。2回目だ。メロウからボクに触ってくれたの」
「……ホワイト、作り方教えて。私、こういうのは少し不器用なの」
「っ!うん、ボクに任せて!」
ただひたすら遊んだ。
お花畑でこうやって冠を作ったり、テーブルを囲んでお茶を飲んだり、草原を全力で走ったり寝転んだり。そんなことを繰り返し繰り返し行い続けた。
だからか、ふと私は思う。どこまでも続く青空を見つめながら。
「ねぇホワイト」
「んー、どうしたのメロウ。何かしたいことでもあるの?」
「いや、今は特に……ただ、いまって何時かなって」
「時間?んー、何時だろうね。あんまり気にしたことないな」
「気にしたことがないって……夜になれば寝たりするでしょ?」
「……この世界に、夜なんてものはないよ」
「え?」
私はホワイトの発言に驚いた。
だけどすぐにホワイトは自分の発言に少しだけ修正をした。
正確には、夕方や夜がない訳ではないとのことだ。
この世界は”赤の女王”と言われる存在が支配しており、彼女の気分次第で時間帯が変わるらしい。こうもずっとお昼が続いているのは彼女がお昼の時間帯が好きだからという理由だ。
夕方や夜が来なければ、彼女の大好きなお茶会をずっと続けることができるから。
「ボクらにとってはそれが当たり前だから特に気にしてなかったけど、やっぱりメロウには違和感を感じるよね」
「……そうね」
ぼんやりと不思議な力だな。なんて思いながら、私はまた空を見上げた。
青い空と白い雲は私のいたところと同じ。違うとすれば、見たことない動物が空を飛んでいることぐらいだろうか。
(さっきあれだけお菓子とか食べたのに、すごくお腹が減った……なんだかお肉が食べたいな……)
「メロウ、ちょっと休憩してご飯にしよう!ボク準備するね!」
そう言いながら湖の方に走り出し、どこからか取り出したのか、シートを敷いて、またどこから取り出したのか、カゴをその上において私に手招きをする。
立ち上がってホワイトに近づき、シートの上に腰をおろした。
「じゃーん!」
開けられた籠の中を覗き込めば、そこにはサンドイッチが入っていた。
具材は様々で、中には私がふと求めたお肉入りのものもあった。
ゴクリと生唾を飲み込む。はしたないとわかって入るけど、こんなものを見てしまってはひどくお腹が空いてしまう。
ゆっくりと手を伸ばして、一つ手にして口に運ぶ。あぁ……塩っぱさやお肉の脂身が口の中に広がってとても満たされる。
これはこれでとても素敵な食べ物よね。
「よかった。気に入ってもらえたみたいだ」
その後も、サンドイッチを食べながらのんびりと穏やかな時間を過ごす。長く続くお昼の時間にはまだ少し違和感があるけど、なんていうか、こんなにも周りのことも気にせずに好き勝手に振る舞えるのは肩の力が抜けてとても落ち着く……そう、私が求めていたものはこんな感じ。誰にも何も言われず、自分の好きなように振る舞って、行動すること。そう……ここには”自由”がある。
「ん、どうしたのホワイト?」
なぜか彼女がじーっと私のことを見つめてくる。
よくよく見たら、とても大きな瞳。まるで大きなサファイアを埋め込んだみたい。
「あむっ」
「んっ!」
彼女の瞳に見とれていると、そのまま頬を甘噛みされた。
あまりに突然のことで、驚いて思わず固まってしまった。
「え……何をしてるの……?」
「んー?メロウのほっぺた、マシュマロみたいに白いから、甘いのかなって思って」
「……そんなわけないでしょ。人の体が甘かったら問題よ」
「え、どうして?甘いって素敵なことだって思うけどな!」
目をキラキラに輝かせてるけど、そんなこと絶対あり得ないわ。
甘いかどうかはさておき、確かに例えとしてはわからなくないわ。
なんていうか、ホワイトもよくよく見たら私と同じように肌が白い。まるで、甘い生クリーム見たい。
「メロウ?」
「な、なんでもないわ!」
我に返って、私は彼女から顔をそらした。
私は何を考えているのかしら。こんなこと、今まで一度も考えたこともなかった……。
ぼんやりと、私は目の前の湖を見つめる。
キラキラと光る水面それをじっと見つめていると、本当に何気無く……私はホワイトに訪ねた。
「ねぇホワイト……貴女はどうして私をここに連れてきたの?」
素朴な疑問だ。この子は本当に悪気があってやってるわけじゃない。
私をどうしたいとか、私を利用して何かをしようとしているわけじゃない。貴女の目的はなんなの?貴女は、私に何を求めてるの?
「んー、とねぇ……”一目惚れしたから”」
それは、純粋な答えの一つ。それ以上でも以下でもないと言われれば納得してしまう言葉だった。
この子が私を好き?今日会ったばかりなのに?いや、その前に私たち女の子同士……そんなの……。
「メロウを一目見た瞬間に、ボクは好きになったの」
満面の笑みを浮かべてそんなことをいうホワイトに反論の言葉なんて出なかった。実際、私に問いかけに対して答えになっていないように思った。
「はぁ……」
「メロウ?疲れちゃった?」
「……うん、そうね。ちょっと疲れたかも」
「大丈夫?ちょっと寝る?」
「そうね……ちょっとだけ……」
と、その時だった。
ピクリとホワイトの耳が反応し、彼女自身も勢いよく後ろを振り返った。何事だろうと、私も後ろを振り向いたけどギョッとした。
「ホワイト殿。女王様が及びです。隣の方と共に城へとご同行ください」
赤や黒の服に身を包んだ、剣を持った数名の男性。一部甲冑を身にまとってもいるから、兵士なのだろうけど……え、何事?
「はぁ……もうバレたんだ。早いな……」
小声で何かを言ったホワイトは立ち上がり、私に手を差し出す。浮かべる表情は笑顔だけど、いつもの無邪気さはなかった。
「ごめんねメロウ。悪いけど、ちょっとだけ付き合って」
「……よくわからないけど、私も行かないといけないの?」
後の状況……絶対に面倒な気がする……正直行きたくない。
「ごめんね。女王様を怒らせるわけにはいかないから。それに、あの人を怒らせるとメロウが酷いこと……」
首とか切られるのかな。なんて頭の中で本の中でよく見るシーンを想像する。
「ホワイト殿。女王様をあの人となどと口にしないでください」
「わかってるよ。まったく、兵士はお固くてやだなぁ……行くならさっさと行こう。早く終わらせて、またメロウと遊ぶんだから」
私と手を繋いだまま、子供っぽく怒りながら先を歩くホワイト。
握ってる手はなんだか強くて、やっぱり様子がおかしかった。
「次はこの子か……」
「可哀想に……」
「だからこそ女王様がお呼びになられたんだ」
私たちに道を開けている兵士たちがコソコソと何かを話している。
【”病兎”に選ばれた憐れな”アリス”の代用品……】
⭐︎
こっちに来て、元の世界に帰ろうといろいろな所を走り回ったのに、あっさりと森を抜け、その先に広がるのはとても大きなお城だった。
今までいた場所からは全く城なんて見えなかったのに。というよりも、なんでこれが見えなかったんだろうと疑問に思ってしまう。
唖然としている私のことなどお構いなしに、私以外の人たちは当然のように城へと足を進めた。
「ご苦労であった」
しばらくは案内された場所であたふたと、あたりをキョロキョロして少しばかり落ち着かなかった。
それから数分後、視線の先の玉座と言っていいのだろうか。そこに座る、真っ赤なドレスに身を包んだ女性。彼女がきっと、話に出ていた赤の女王だろう。
跪く兵士たち。私とホワイトだけがそのまま立っているけど、私も膝をついたほうがいいのだろうか……?そう思いながら、ゆっくりと腰をかがめていけば。
「主は良い、異界の者よ」
「え、あ……はい」
「逆に、主は妾に対してやるべきなのだぞ、ホワイト」
キッ!と鋭い視線をホワイトに向ける。その表情は随分と迫力があって、私の肩がピクリと跳ねる。
だけど、その視線を向けられている本人。ホワイトは特に気にした様子もなく、ただつまらなそうに視線をそらして自分の髪の毛先をいじってる。
(他の兵士でさえ、身をすくめているというのに……ホワイトは一体何者なの?)
「はぁ……お前は、何年経とうと変わらないな……」
一瞬、女王と目があった。びくりと体をはね上げたが、向けられた視線はまるで私を哀れんでいるようだった。どうして、私がそんな風に見られないといけないのか。
女王はすぐに視線をホワイトに向け直し、眉間に深くしわを寄せた。その表情からは苛立ちのようなものが伺える。
「また、人間を勝手に連れて来たのか」
(”また”?)
何気ない言葉だったけど、私はその言葉にひどく反応した。
またって……もしかして前にも同じように、私じゃない誰かを連れて来たってこと?
ただ、それが事実ならホワイトがここに呼ばれたことにも納得する。この世界では、他の世界から人を呼んではいけない。だから勝手に呼んだホワイトは女王様に呼ばれてしまった。
うん。納得だ。納得だけど……なぜか、私の心は酷くモヤモヤしている。どうして?私は、何に対してこんなにもモヤモヤしているのだろうか……。
「ボクは何も悪いことはしてないよ。それに、この子は特別だ」
自分は悪いことなんてしてない。そういう気持ちでホワイトは答える。私もそう思う。この子は純粋な気持ちで私を呼んだんだ。私が訪ねた時の答え。「一目惚れしたから」という理由で。
「あぁ、やはりホワイト殿は壊れてしまった」
「アリス様が亡くなったあの日から」
「もうこれは一種の病気だ」
「彼女も可哀想に」
「”病兎”の目に止まってしまうとは……」
ざわざわと後ろにいる兵士の小声が私の耳に入ってくる。
私は、ホワイトのことをよく知らない。知っているのは、ここに来てからの彼女のことだけ。兵士たちが噂するような子だとはどうしても……。
だけど不意に、あることを思い出す。
数時間前と言っていいのか、数日前と言っていいのかわからない。ここに来て、ホワイトが花畑に誘った時、私がお姉様のことを考えていた時の、あのホワイト……ゾッとするようなあの感覚……もしあれが、本当のホワイトだったら。
不安が……恐怖が……残り続けるモヤモヤが、私の気分を悪くさせる。
あたりがザワザワする。
だけど、女王が手にしていた杖を一度、強く地面に打ち付けた瞬間、先ほどまでのざわめきが嘘のように、しんっと静まり返った。
「ホワイト」
口を開いた女王は、冷たい目で、怒りの表情を浮かべて、自分を見上げるホワイトを見下しながら……
「そう言って、お前は何人の人間を”殺した”」
一気に、自分の体内の血液の温度が下がったような気がする。
殺した?ホワイトが?私以外の人間を?
「勝手に連れて来ては、ひとしきり遊んだと思えば”違う”と言って殺して。それをお前は何度繰り返した」
「ボクの勝手でしょ?女王様に文句を言われる筋合いはないよ」
「文句も言うに決まっておろう。死体の処理をするのは誰だと思っておる。妾たちなのだぞ」
「勝手に処理してるんでしょ。そのままにしておけばいいのに」
「ここは妾の国じゃ。死体など汚いものが転がっていては不快でならぬ。で、その人間もまた殺すのか?」
女王の視線が私に向く。すでに私は腰が抜けてその場に座り込んでしまっている。何が何かわからない。周りは一体、なんの話をしているんだろう……。
「……やはり聞かされておらぬか。まぁホワイトにとってはどうでもいいことじゃから、全員、事情も知らずに死んでいくからのう」
「事情って……なんですか……私は……なんのために、ここに……」
声が震えているのが私自身でもわかる。
女王は少しだけ溜息を零しながら、話をしてくれた。
「”アリス”という名を知っておるか?」
ピクリとホワイトの耳が反応する。だけど当然私が知っているはずもなく、首を左右に振る。
「アリスというのは、この世界に来た最初の人間であり、ホワイトの最初の”恋人”の名じゃ」
あぁ、察したくはないけど、なんとなく全部察した気がする。兵士たちの言葉から、女王様のやり取りから。全部をまとめて、出た答えは本当に単純であり、兵士も言っていたこと。
「私は、その子の代わりだと」
「違うよ!」
ホワイトが必死に否定するけど、周りからしたらそういうことだ。
「アリスとホワイトはいい関係じゃった。じゃが、アリスの好き以上にホワイトの好きが圧倒的に大きく……歪んでおった。その大きさと歪みに耐えることができず、アリスはそのまま首を吊って死んだ」
自殺……好きという気持ちがあったからこそ、きっと別れを告げることはできなかったんだろう。好きだからこそ、無残な自分の姿を見せなかったんだろう。アリスは、好きな子を悲しませないようにと、きっと傷のない死を選んだのだろう……結局は、といいたいが、少女なりのホワイトへの思いやりだったんだろう。
「その日から、そいつは壊れた。勝手に人間を連れて来ては思う存分遊び、アリスではないとわかれば殺して次を探した。何度も、何度も、何度も……「違う」と「君はアリスじゃない」と言いながらな」
——— ある者は、ホワイトを拒んだがゆえに殺された
——— ある者は、ケーキの好みで意見がぶつかって殺された
——— ある者は、花が嫌いだと言って殺された
——— ある者は、ホワイトの行動について行けずに殺された
——— ある者は、………殺された
——— ある者は、………
———
そんな彼女の姿を見て、周りは口々に病気だのなんだの口にし、やがてホワイトは”病兎”と呼ばれるようになったらしい。
そして私もまた、アリスの代用品としてホワイトに連れてこられた……そういうことだ。
「違う!」
不意に、ホワイトが怒鳴るようにそう口にした。
全員の視線が彼女に注がれるが、子供の癇癪のように「違う違う」と何度も口にする。
「メロウは違う!メロウは特別なんだ!彼女は殺さない。絶対に殺したりなんかしない!」
「その言葉を信じろというのか?笑わせるな。お前は前科がありすぎる」
「メロウは殺さない!ボクはただずっと一緒に居たいんだ!殺しちゃったら、もうずっと一緒にいられないんだもん!」
「うるさい。これ以上妾の手を煩わせるな。お前はしばらく、地下牢に幽閉する!」
女王の命令で、後ろの兵士が一斉に動き出し、ホワイトを捕まえようとする。当然だ。これ以上犠牲を出すわけにはいかない。まぁ女王様は、面倒ごとが嫌いなだけだと思う。
ホワイトが捕まれば、もう犠牲者は出ないし、私も元の世界に帰れる。やっと、私は……
————— メロウ
「…………なんのつもりじゃ、人間」
気づけば、私はホワイトを庇うように、彼女の前に立った。
本当に、どういうつもりで私は前に立ったのか。この子は私を誘拐して、そして殺そうとしていたかもしれない人物。私が庇う理由なんてないはずだ。
「なぜ、ホワイトを庇う。其奴は、主をこの世界に無理やり連れて来て、殺そうとしていたかもしれぬ人物じゃぞ」
「そうですね。そうかもしれません」
女きっと、彼女たちが言っていることは正しいかもしれない。だけど……
「さっき会ったばかりの貴女の言葉よりも、こっちに来てからずっと一緒だったホワイトの言葉を、私は信じます」
あぁ、我ながらなんて馬鹿なことを言っているんだろうか。もしかしたら私もここで女王に逆らったことで拘束されて、下手をすれば殺されるかもしれない。だとして、私はこの子を守りたい。
過去のことや、他の代用品のことなんてどうでもいい。私が知っているホワイトは、いつも笑って全力で自由に、何にもとらわれることなく日々を過ごす女の子。
「それに、女王様が問題視しているのは、私がこの世界に来て、ホワイトが私を殺してその”処理”をすることですよね」
面倒ごとが嫌い。死んだ人間をホワイトは放置して次をすぐに探そうとした。結果、その死体を女王が処理することになった。彼女はそれが面倒だから、私が殺される前にと考えているだろう。
「だったら、私がこの国から出れば問題ないでしょ。女王様ならできますよね。それとも、別の世界から人間を連れてくるのはホワイトだけの力ですか?」
「……生意気な小娘だ」
ボソリと何かを女王様は呟き、小さく溜息をこぼすと私の方をみる。キッと鋭い目つき。少しだけその目は、両親や周りの使用人なんかが私に向けるような目に似ていた。
「特別、ホワイトがその力に特化しているが、妾ができないわけではない」
「だったら……」
「じゃが、根っこは断たなければならない」
強い言葉。それはもっともだ。たとえ私が帰ったとしても、またホワイトが別の子を連れてきて同じことを繰り返すかもしれない。だったら、大元をどうにかしないといけない。
「それは……」
「待って!」
女王との一対一の対話。完全に周りのことなど忘れてしまっていて、突然間に割って入った。
涙目で、すがるように私の背中に抱きつくホワイト。必死に泣くのを我慢しているようで、ビクビクと体を震わせている。
普段は感情を表に出しているのに、今は込み上がる感情を必死に抑えているみたいだった。
「勝手に、話を進めないで……ボク、メロウとずっと一緒に居たい。アリスの代用品じゃない。メロウがいい……メロウと一緒にいたい……お願い……行かないで……ずっとボクのそばに居てよ……」
その後も、ホワイトは弱々しく口にする。「嫌なことはしない」「変なところも治す」「ちょっと違ってても怒ったりしない」。縋るように、必死に必死にそうやって……だけどそのどれもが、彼女を殺すものだ。それをしてしまったら、ホワイトはホワイトじゃなくなる。
この子には、自分が思うがままに行動して欲しい。確かに、殺す行為だけはやめて欲しいけど……。
この子は悪いことをしてるわけじゃない。ただ、この子は過去に縋ってるだけ。最後を知ることなく、突然大好きな人がいなくなったしまった。それを、受け止め切れていないだけ。
……殺させない。ホワイトも、もしまたここにきてしまうかもしれない子たちも。
「女王様、もし可能なら二つほどお願いがあります」
「……この状況で、お前は何を妾に願うというのじゃ」
「一つ目は、私が帰ることでホワイトを殺さないこと」
「……二つ目は?」
「今後、同じようにホワイトが誰か連れて来たら、彼女が殺す前に人間を元の世界に戻すこと」
私がこっちにきてかなり時間はたってはいたが、女王様は私がこっちにきたことを認知した。だったら今後、こっちに他の子が来ても見つけて返す事は可能だろう。
「ふむ……その二つからして、主は誰かが死ぬ事を望んでおらんということか?」
「えぇ。一つ目に関しては、完全に私のわがままです。二つ目は、もしかしたら死体処理より手間が関わるかもしれない。それでも、私はこの二つを望みます」
女王は考える。一つ目は本当に私のわがままだ。女王からしたら、こっちに呼ばれて返す手間、処理する手間を考えれば大元であるホワイトを殺したほうが手っ取り早い……どうする……女王は、この条件を飲んでくれるだろうか……
「主は、妾がその条件を飲むと思っておるのか?」
やっぱり……
「思い上がるなよ。手間や面倒ごとをなくすことを考えれば、ホワイトを殺した方が早いに決まっておるじゃろ」
「お願いします女王様!どうか、ホワイトを殺さないでください」
言いたい事はわかるし、その考えは当然だ。だけど、どうしてもこの子を殺して欲しくない。
「あぁ可哀想に、きっと病兎に洗脳されてしまったのだ」
「そうだな。じゃないと、自分を連れてきた相手をあんなに必死で助けようとしない」
周りの兵士たちがざわめく。コソコソと聞こえる会話内容に、私はひどくイライラする。
貴方達に何がわかるの……確かに、ホワイトはおかしいかもしれない。純粋の中にある狂気。きっとそれがホワイトという存在だ。子供の無邪気さ、だけど突然見せる自分の中にないものに対しての恐怖や不安。そして、嫉妬。スイッチのオンオフのように、それが不意に表に出る。私自身も、一度経験した。確かにあれは怖いものだった。だけど、それ以上に彼女の無邪気な子供らしい明るい部分を見てる。まぶたの裏に焼きつく、彼女の満面の笑み……あれを……私は消したくない。
「うるさいぞ。黙らぬか」
杖を一つつき、女王が低い声でそう口にする。不機嫌そうな声だ。
しばらくの沈黙。女王の言葉を待っているが、それと同時に先ほどの表情と言葉に全員が気圧されてしまって、声を漏らせば殺されてしまうと緊張していた。
女王はじっと私を見る。少しだけビクビクと震えながらも、私も女王をじっと見返した。逸らしたら負けだと、心の何処かでそう思った。
そして、女王は目を伏せながら深々とため息をこぼした。
「最低限の対処はする」
「っ!……ありがとうございます」
つまり、条件を飲んでくれるという事だった。
私は深々と頭を下げてお礼の言葉を口にした。
「すぐにでも主を元の世界に戻そう」
「その前にもう一つだけお願いを」
「……はぁ……これ以上、主は何を望むというのじゃ」
頭を抱えるように、疲れた表情を浮かべる女王様。大丈夫です。本当に大したことじゃないですし、貴女の手を煩わせることはありませんから。
「ホワイトと……少しだけ二人で話をさせてください」
女王様は私の願いを叶えてくださった。
あの後、女王はすぐに私を戻すための準備を始めた。その間だけならと、ホワイトと二人で話すことを許してもらった。
「ホワイト……」
「嫌だ!行かないで……ボクを、一人にしないで……」
「……ホワイト、私にアリスさんのことを教えて」
「え……」
私は本当に話をしたかった。私の知らない貴女のことを。貴女がそこまで求める”アリス”という存在のことを。
「大好きだったんでしょ、アリスさんのこと」
「……うん」
ホワイトは、ポツリポツリとアリスさんのことを話してくれた。
アリスさんは、13歳の女の子。正確には、当時は13歳になる前だったらしい。金色の癖のある髪に、青い瞳の女の子。無邪気で、好奇心旺盛な子だったらしい。
この世界に来たのは、事故のようなものだったらしく、女王の命令で別の世界に行っていたホワイトの後をついて来たてここに来てしまったらしい。
それに気づいたホワイトはすぐに返そうとしたが、アリスさんは「もう少しだけ」と国の中を探検した。仕方なく、ホワイトは彼女について行くことにしたらしい。
色々なものに興味津々で、そして話もとても合う。だんだんとホワイトはアリスさんに惹かれていき、この城にたどり着いた頃には、二人は互いに愛し合っていたと。
そして、アリスはこの世界に残り、ずっとホワイトと一緒にいる。そう、思っていた。だけどある日、一緒に生活していた部屋の中で、アリスが首を吊って死んでいた。ホワイトはその現実を受け止めることができずに、アリスの代わりの子を探した。
だけど、当然その子は”代わり”であって、”アリス”本人ではない。少なからず、彼女とは違う部分はある。容姿も仕草も性格も。全く同じ人間なんて存在しない。
ホワイトは本当に悪意なんてなかった。
幼い子供が何かを真似て作って、本物と違うから壊す。そんな感覚だったんだと思う。
しかしも、ホワイトは違うと思ったらその存在も記憶から消えるらしい。
———誰かを好きになって、だけど違うと思って新しい子を探した。気づいたらその子はいなかった。ボクが殺して、それを処理したのが女王様だってことを知るのも、基本的にしばらくしてなんだ。
本当にこの子の頭の中には、アリスさんしかいないのだ。
話を聞けば聞くほど、ホワイトの言葉を信じることができなかった。本当に私は”特別”なのだろうかと。
「ホワイト……」
「ん、なーに?」
「私は、ホワイトと一緒にはいられない」
多くは語らず、ただ一言だけ。
当然それに対して、ホワイトが「わかった」とか「いいよ」なんて、聞き分けがいいはずもない。
「嫌だ!行っちゃやだ!ずっと一緒にいよう。ボク、メロウが求めるならなんでもする。なんでもするから、だからお願い!行かないで!」
必死に縋ってくる。そして、私に向けるその瞳は、徐々に濁っていっているように感じた。
私は納得した。この感情の高まりの限界が、ホワイトの行動元なんだと。きっと落ち着けば、元のホワイトに戻る。
そう思いながら、私はそっと額に口づけをした。これは小さい頃、お姉様が私によくしてくれていた御呪い。
「メロウ……?」
「……好きになってくれてありがとう。とても楽しかったわ」
これは心からの私の気持ちだ。
屋敷での息苦しい感覚。色々と苦しくて、我慢できなくなりそうだった。
でもここに来て、ホワイトに振り回されて、疲れたりしたけどとても清々しい気持ちになった。
楽しかった、自由があった。誰にも文句を言われない。たくさんお菓子を食べても、地面に座ったり、横になっても。ドレスで走り回っても。
本当は戻りたくない。またあそこに行くのは嫌だ。だけど、私はこれが夢の出来事だと思うことにした。
ホワイトとの出会いも、ここでの出来事も、全部夢の出来事。
庭で本を読みながら、うたた寝してしまった私の夢……。
「だからね、ホワイト」
わかって。そう言おうと思った瞬間に、俯いていたホワイトは私を抱きしめた。
ぎゅっと私の服を握りながら、耳をピクピクと震わせながら。
「本当に行っちゃうの?」
「……うん」
「楽しかったんだったら……ずっといればいいのに……」
「でも、戻らないと。ここは、私の居場所じゃない」
こんな楽しい場所が現実であってはいけない。だから、私は戻らないと。
しばらく、ぎゅっと私を抱きしめていたホワイトだったけど、そのまま私から離れて扉の方にある壁に移動する。
「ご準備ができました」
それと同時に部屋の扉が開き、数名の兵士が部屋の中へと入ってくる。
チラリとホワイトの方を向く。ホワイトは笑みを浮かべてくれたけど、私が見たかった笑顔ではなかった。
案内されたのは、小さな部屋だった。入って来たものとは別に、もう一つ扉があるだけの部屋。そこには、女王様がいた。
「話はついたか?」
「えぇ。でも……」
最後に、ホワイトの心からの笑顔が見たかったな……。
「……アリスはな、妾にとっても心惹かれる存在じゃった」
「え……」
「ホワイトとは違い、恋愛的なものではなく、良き友人といったところじゃよ」
女王様は、特に聞いて欲しくて話す感じではなく。ただ独り言を私に聞かせるような感じで、話始めた。
「好奇心旺盛のじゃじゃ馬じゃった。女王である妾に対しても臆することなく意見を言ってくる、そんな子じゃった。恐らく、妾はそういうところに惹かれたんじゃろう」
死ぬのが嫌だ、誰も女王の意見を否定しない。皆ビクビク震えて従う中、自分の意見を否定するアリスさん。女王にとっては、今までにない存在だったんだろう。
「茶会も楽しかった。まぁ、ホワイトは随分と不服そうな顔をしておったのう」
「あはは、目に浮かぶようです」
「まぁ、嫉妬せずともアリスがホワイトを好いていたのは知っておったから、妾は良き友人として接しておった……じゃから、アリスからホワイトのことで相談を受けておった」
女王は、アリスの相談内容を口にした。
日に日にホワイトの愛情が大きくなっていることに。それはいつしか、アリス自身の重荷になり、縛りになり……彼女の心を病ませた。
「好きだからこそ拒むことが出来ず、ただただ心に貯めるばかり。妾に相談して解消もしておったようじゃが、それも追いつかず……」
結果彼女は自殺を選んだ。
そして、その現場をホワイトが見つけてしまった。
どんな気持ちだっただろう。本人は全くそんなつもりがなかったのに、知らないうちに好きな人を苦しめていた。
自分の愛情が、恋人を殺したと。
「主はどこか、アリスに似ておる。じゃが、アリスとは少し違う。そう感じる」
「……当然ですよ。私はアリスさんじゃなくて、メロウ・ジュエリー。それ以外の何者でもありませんから」
そのまま私は扉の前まで来て、ドアノブに手を伸ばす。この扉を開けば元の世界。やっと私は帰ることができる。
「メロウ!!」
不意に、勢いよく扉が開いた。振り返った先にいたのは、息を切らしたホワイトの姿があった。
「好きだよ!」
顔を上げたホワイトは、顔をぐちゃぐちゃにしながら、ぐっと胸を抑えながらそう言った。
「好き、好き、大好き……ボクはメロウが……」
「おい、ホワイト。主、まさかここで……」
不安げな表情をしながら女王はホワイトを止めようとする。
私はじっとホワイトを見つめる。彼女は、必死に自分の感情を口にしていた。言葉から、表情から……恐怖は感じなかった。
「出ろ。ここでこやつを殺すつもりか!」
「メロウ、メロウ!ボクは……ボクは!」
「ホワイト」
だから私は最後に、彼女にお願いをした。
「笑って。私は、あなたの笑顔が大好きよ」
子供らしい、コロコロと表情が変わるホワイト。怒ったときも、悲しい時も。彼女は感情と表情がとても素直で、特に私はこの子の満面の笑みが大好きだった。最後に、あの顔が見たい。苦しい笑顔じゃなくて、心からの笑顔。
「……うん。また、会おうね!」
「……バイバイ、ホワイト」
⭐︎
「……ウ……ロ……メロ……」
「ん……」
誰かが私を呼んでいる。その声で、私は目を覚ました。
「お、姉……様」
「また眠っていたの?」
まだ意識がぼんやりしている。あれ、私いつの間に眠っていたんだろう……
あたりには読んでいた本とお菓子がある。
「はぁ……」
「そろそろ屋敷に戻りましょう。長くいると風邪をひくわ」
「……えぇ、そうですね」
もう十分お菓子も読書も、お昼寝もすませたし、そろそろ部屋に戻ろう。
私は周りのものを片付けるけど、その間にあること思い出そうとしていた。何か、すごい夢を見ていたような気がした。ここでは体験できないようなことを体験して、そして……
「どうかした?」
「いえ……何か、不思議な夢を見ていたような気がして……」
「そうなの?ふふっ、必死に思い出そうとしてるところを見ると、楽しい夢だったみたいね」
「よくは、わかりません」
忘れているのだから、きっと大したことではないのだろう。
だけど、ぼんやりとだけど覚えてる。その夢にはある女の子が出て来た。その女の子は、とても……
「ねぇお姉様」
「ん、なーに?」
「もし私が、男性ではなく、女性が恋愛対象だと言ったら、驚かれますか?」
ずっと、隠してた。だって言えるはずがない。自分が同性を好きだなんて。
仕方なくお見合いを受けていたし、政略結婚は愛のない結婚だし都合がいいと思っていたけど、やっぱり私は……。
「驚かないわよ」
「……どうしてですか?」
「薄々気づいていたもの。だってメロウ、男性に全く興味なさそうだし、同性とのお茶会や夜会では随分と楽しそうに会話しているんだもの。だから今聞いて、あーやっぱりって思ったわ」
てっきり怒られるかと思っていたけど、そうか……お姉様は気づいていたのか。
「何、お目当ての女性でもいたの?」
「それは……」
————— メロウ!
「どうでしょう。ぼんやりとですが、夢の中で出会った少女はひどく惹かれました」
「そうなのね」
まぁ、こんな話はこのぐらいにしておきましょう。お父様やお母様にこんな話をしてしまったら、絶対に怒られてしまう。
「そうだわ、今の話を聞いて一人、あなたに紹介したい子がいるの」
「紹介したい方ですか?」
「えぇ。私の友人なのだけど、その従妹が貴女と同じように女性しか愛せないの。会ってみない?」
「突然ですね。どんな方なんですか?」
どこの令嬢だろう。お姉様が仲良くしてる方だし、身分はそれなりに高いのだろう。じゃないと、両親が許すわけがない。
「えーっとね、白髪に青い瞳の、小柄で可愛らしい子なの。甘いものと綺麗なものが好きな、うさぎ見たいな女の子よ」
「え……」
思わず足を止めてしまった。なんで、そんな行動をとったのかわからないけど、思わず……。
「どうしたの?」
「い、いえ……すみません……つい」
「もしかして、興味出た?」
「……はい。是非会ってみたいです。私も、甘いものと綺麗なものは好きですから」
不思議と胸が高鳴る。どうしてかはわからないけど、きっとこれは素敵な出会いなんだと思うから。
⭐︎
カツカツとヒールを鳴らし、私は案内された扉の前に立つ。
扉の前で深呼吸をして、軽く扉をノックする。
「はい」
扉の向こうから、愛らしい声が聴こえる。あぁ、声だけでもひどく胸が高鳴ってしまう。顔を見たら私はどうなってしまうのだろうか。
ゆっくりと扉を開き、私は部屋の中に足を運んだ。
「初めまして、メロウ・ジュエリーと申します」
ドレスの裾をあげ、私は軽く会釈をする。
部屋の窓のそば、少しだけおどおどしている彼女。
「ボク……あ、私は……」
私はにっこりと笑みを浮かべ、ゆっくりと近づき、その手を握る。
「大丈夫です。落ち着いてください……」
「は、はい……わ、私の名前は……」
【完】