ジョン・マシュー・バーガー
「キスはさっき、したでしょ。だから問題なし。って言わなくてもわかるか。もちろん、舌を入れるのも構わないわ」
「うん? 君にはスーパーコンピュータ並みの注意事項があるってこと? 俺は今、取扱説明書を読み聞かせられてる?」
「ええ、そうよ。取扱説明と、そして機能説明。続けていい?」
男は首を傾げ、目を回して下くちびるを突き出す。
そうやってアメリカ人らしく大仰に、威圧的に肩をすくめると、『やれやれ、仕方ないな』とでも言うように、「どうぞ」と先を促した。
これでやる気が削がれるのでも、一向に構わない。
わたしはベッドに腰かけ、足を組んだ。
くちびるを人差し指でなぞりながら、男の青い目を見れば、白い歯を見せて笑いかけてきた。
それならば、と『機能説明と取扱説明』を続けることにする。
男は見せつけるような仕草でジャケットを脱ぎ、わたしと目を合わせたまま、視線を外さずハンガーにジャケットをかけた。
視線のやり場、動かすタイミング、手の動き、からだの魅せ方。
面倒を持ち込まない男だろうと、確信に近づく。
「顔、首筋、乳首に脇の下、背中、へそ含めた腹回り、手の指、足の付け根にふともも、ふくらはぎまでは、あなたの望むように、気分の高まりのまま、舐めたり噛んだりする。
「縛ったり、締めたり、打ったり、垂らしたりは、要望に応じて。ただし玄人並みのものは期待しないで。負傷させない自信はない」
「これまでところ、君の機能はまさに、スーパーコンピュータ並みに素晴らしいように聞こえるね」
からかうような調子の、男の軽口。
加えて、ピュイッと響く、澄んだ音色の口笛もまた、無視して続ける。
「ただし。ソレと、オシリの穴と耳の穴、足の指は、なにがあろうと、ぜったい舐めない」
Tシャツを脱ごうとクロスさせた手で、裾を掴んだ格好のまま、固まる男。
いったい何を言われたのか。
脳みそが理解を受け付けていないかのように、キョトンと目を丸くする男に、猶予を与えず畳み掛ける。
「あなたも。顔、首、乳首を含めたおっぱい、脇の下、背中、腹回り、手の指、足の付け根にふともも、ふくらはぎまでは何してもいい。――ああ、何してもって言っても、噛みちぎったり殴ったりはしないでよ。痛いから。
「縛られたり、締められたり、打たれたり、垂らされたりするのが好きって趣味もない。舐めたり、軽く噛んだり、擦りつけたりするくらいならオーケーってこと」
つま先に意識をやりながら足を組み換えると、男の視線がソコに移った。
そしてまた戻る。目が合う。
「だけどアソコとオシリの穴と耳の穴はいじらないで。舐めるのも、指をつっこむのもやめて。もちろんオモチャも。
「あなたがわたしのアソコにしていいのは、あなたのソレを挿れて動かすこと。それは大歓迎」
男はTシャツを脱ぎ捨てた。
清潔そうな白いTシャツ。LAっ子のクローゼットに一枚は必ず入っているだろう、ジェームスパースのTシャツ。
それが音もなく、カーペットに着地する。
薄手のTシャツがカーペットのダークブラウンと重なると、ジェームスパースらしい透け感がよくわかった。
「あなたがするぶんには、わたしの足の指は勝手にしたらいい。ピルは飲んでるけど、ゴムはつけて。これでおしまい。飲み込んだ?」
深く頷き、男はわたしの腰の両サイドに手をついた。
ベッドがぎしりと音を立てる。
そのままゆっくりと上半身を屈めてきて、耳元にくちびるを近づけると、そっと低い声で囁いた。
「つまり、君の言い分をまとめたところ、俺は君に糞尿を擦りつけることは許可されてるってことだね?」
「消え失せろ」
男は愉快そうに大きな口を開けて笑った。
「キュリアス・ジョンってよく言われるんだ。君みたいな子、おもしろくて惹かれるね」
「十字軍志望?」
「まさか! キング牧師になら、なってもいいよ」
「あなた、白人じゃないの」
「君は日本人だね」
「わかった。あなた、ムカつくってよく言われるでしょ」
「だからキュリアス・ジョージならぬ、キュリアス・ジョンなのさ」
ため息をついて、男の頬に手を置いた。
そのまま耳の後ろへ手を滑らせ、暗いトーンのブロンドを撫でる。
見た目より固い髪。手のひらに馴染まず、ゴワゴワとしている。
「黄色い帽子のおじさんにはならないわよ」
「もちろん。ホームはまだ、要らないよ」
言葉を交わしながらくちびるを重ね合わせ、ゆっくりとベッドに沈み込んだ。
わたしの名前は結城 蘭。
この名前と体と頭。
両親から押しつけられて以降、それなりに愛着をもってメンテナンスして、使い続けているもの。
他はぜんぶ捨てた。オーラル・セックス指南を含めて、ぜんぶ。
つまり、わたしの両親はクソ野郎だったってこと。
捨てた過去について、それ以上語ることは、何もない。
それだから、さっさと次の話題へ移ろうと思う。
キュリアス・ジョンについて。
ジョン・マシュー・バーガー。金髪碧眼の美青年。
簡単に言及する。
めずらしく一夜限りで終わらなかった相手。フレンドウィズベネフィット。ファックバディ。
いわゆるセックスフレンドだ。
ジョンはニューヨーク州立大学バッファロー校を卒業したばかりのアメリカ人で、モデルをやりつつ、バンドを組んでいたらしい。
優れた容姿を生かしてフロントマンでもやっていたのかと思いきや、リードギターと、たまのバッキング・ボーカルに徹していたそうだ。
「俺が前に出なくても、ボーカルのルックスが悪くなかったからね」とは、本人の弁。
ただし、カラオケボックスで一度、オフスプリングの『セルフエスティーム』を歌ってもらったところ、思わず眉根が寄ったので、理由はそれだけではなかったと思う。
カラオケの選曲はジョンがした。
ふざけ過ぎてて、大笑いした。
惚れた女にいいようにあしらわれ、自尊心を粉々にされながら、それでも縋りつく、情けない男の歌。卑猥なスラングだらけの。
どこを切り取っても、ジョンと共通するところが見当たらない。むしろ、その逆。
――そんなこと、させたことあった?
――それは、あなたもでしょ!
本来の旋律から大いに外れた歌声に、やいのやいの茶々を入れると、ジョンは片眉をくい、と上げてウィンクで返した。
それはともかく。
卒業してしばらくは、モデル業とバンドをのらりくらりやっていくつもりだったジョン。
だが、音楽性の違いを主張するボーカルの希望によって解散し、手持ち無沙汰になった。
実際のところ、フロントマンたるボーカルが、ジョンの人気に嫉妬し、逆ギレして仲違いしたというオチらしい。
「まぁ、仕方ない。あいつもそれなりに見栄えはしたけど、俺は特別だから」
それで、本人曰く、なんとなく日本に来た。
なんとなく日本で外国人モデルをやっている。主に下着モデルとか。
解散したバンドのリーダーが、ジャパニーズアニメを愛するギーク――ウィアブーではないらしい――で、ジブリ教を布教されていたジョンは『もののけ姫』の光景を期待して、来日した。
「サンはどこにいるんだろう?」
わたしを見て、ジョンは首を振る。
「サンの年齢をわかってる? あなた、ウディ・アレンにでもなる気? それともロマン・ポランスキー?」
「俺、ドイツ系だよ。彼らの天敵だ」
「あらそう。それは失礼。でもどうかしら。ここにはクラークがいないわ」
「彼はアメリカ人ではなく、クリプトン人だからね。仕方ないよ。
「ラン、君はアメコミをもっと読むべきだ」
「最近のアメコミ映画ブームは飽き飽きしてるの」
ジョンとの会話は楽しかった。
その場限りで、ジョークと上っ面なデータだけのやり取り。
深く追求せず、追求されず。
わたしが知らないタブーに触れても、声を荒らげて逆毛を立てたり、押し黙って軽蔑することはなかった。
皮肉げに片眉をあげ、嘲るように冷笑することはあれど、その程度。
さすがキュリアス・ジョン。
わたしという異文化の女をおもしろがるおおらかさがあった。
「さて。今日も俺はジミー・ハットを被らなきゃいけないのかな?」
「おイヤならどうぞ、お帰りになって」
ツンと顎をあげて高慢に見下ろし、足を組みかえてドアを指し示すと、ジョンは「仰せのままに、日本のキャサリン・トラメル」と胸に手を当て、慇懃に礼をした。
「アイスピックの用意はないから、安心して」
「代わりに俺が、ラバーを被って君を刺してあげる」
「それはさすがにセンスがないわ」
「やっぱり?」
ジョンとのセックスもよかった。
まぁ、セックスがよくなければ、セックスフレンドにはならない。当然のこと。
「ラン。俺はそろそろ本国に帰る。君との時間は楽しかったよ」
「ええ。わたしも楽しかった。幸運を祈ってるわ」
言うまでもなく、特別な愛は、お互い持ち合わせていなかった。