新生活を始めます
あの後、護衛に残ると言うダーシャン様を送り返そうとするムーレット様をどうにか説得して城に帰ってもらった。
勿論、あの森の中を歩いて帰るのは可哀想だから、白い扉から帰ってもらった。
あの扉があるなら、あの距離を歩く必要は無かったのでは? と思った。
ムーレット導師にそのことを言えばもし万が一、扉を使えなくなった時に迷子にならずに神殿に辿り着けるようにしたかったのだと教えてくれた。
ごめん。道なんて覚えてない。とは口が裂けても言えない。
二人が帰る前に、三人で街に行き買い物をした。
この世界のお金を初めて見たが、何とも分かりやすい。
小銅貨が一円、銅貨が十円、小銀貨が百円、銀貨が千円、小金貨が一万円、金貨が十万円、白金貨は百万円らしい。
物価はかなり安いと思う。
ジャガイモ一個が小銅貨五枚と言う。
日本では駄菓子屋ですら五円では何も買えない。
自炊は、就職する前からやっていたから心配は無いはずだ。
街に出て見て一番驚いたのは人々の髪の毛の色がとてもカラフルだったことだ。
派手な色もパステルカラーの人もいたが、黒や茶色といった日本に馴染みのある色合いは一人も見当たらなかった。
瞳の色も一緒だ。あの中でコスプレしていなかったら悪目立ちすることこの上無いだろう。
街に馴染むためには、別のアニメのコスプレにし直すのも良いかもしれないと思った。
その日は疲れが一気に出て、夕飯も食べずに妖精三匹と眠りについたのは仕方がなかったと思う。
次の日、ムーレット導師が朝やって来て不自由は無いかと聞いてくれたが、不自由なんて無いし楽しくてしょうがない。
なにせ憧れのスローライフを始めたばかりなのだ。
しかも。ムーレット導師は毎朝様子を見に来てくれると言う。
心配だからそれだけは許してほしいとお願いされた。
ダーシャン様はどうしているか聞くと、ムーレット導師が作った私の替え玉人形を護衛するフリをしながら神殿で書類仕事をしているのだと言う。
時間を有意義に使っているようで安心した。
たまに、白い扉を潜って差し入れするのもいいかも知れない。
寂しさも、妖精達と一緒に過ごしているせいかあまり感じられない。
私はスローライフを満喫していたのだった。
「あ! ルルハちゃん今日も新鮮なフルーツ入ってるよ」
「お兄さん、どんなフルーツ? 見せて見せて」
街に行く時の私は『マジカル少女、ルルハル♡ルルハ』の主人公のルルハのコスプレをしている。
髪色はパステルピンクでポニーテール、瞳も両方ピンクのカラーコンタクトをいれている。
明るい元気っ子のイメージだ。
一度、街中でダーシャン様とすれ違ったがバレなかった。
「ほら、味見してみな。『いちご』って言う珍しいフルーツだ」
この世界の野菜や果物は地球と同じ名称のものもたくさんある。
昔から聖女を召喚しているからなのか『聖女様の名付けた…』と言われるものもたくさんあって、知ってる名称のものが多いようだ。
「美味しそうですね。でもいいんですか? 珍しいフルーツなのに味見して」
「ルルハちゃんが美味しそうに食べてくれたら、みんな食べたくなっちゃうからね! ほら一つどうぞ」
果物屋さんのお兄さんから、いちごを一粒もらって口に入れた。
程よい酸味と甘味に頬に手を当て唸る。
「う〜〜ん。美味しい〜。ジャムにしてもいいかも……どうしよう。買おうかな?」
真剣に悩んでいる横で何人かがいちごを買って行く。
もたもたしているうちにいちごは売り切れてしまった。
残念である。
まあ、慣れたもののように言っているが、森で暮らすようになってから一週間しかたっていない。
街の人達は皆んなフレンドリーで治安も良い。
勿論、悪い人が居ないわけでは無いが、絡まれたりとかはしないし、絡まれている人も見たことがない。
なんとも平和に見える。
本当にこの世界に聖女は必要なのか?
「ルルハちゃん、こんにちは」
そんなことを考えながら歩いていると、突然声をかけられた。
躊躇いもなく振り返ったことを強く後悔した。
そこに居たのは良く声をかけてくれる騎士様とダーシャン様だった。
「あっ、騎士様! こんにちは」
そして、さよなら〜と言いたいのを我慢して笑顔を向けた。
ちょっと逃げ腰だったのは、仕方がないと思う。
「ルルハちゃんこの街には慣れた? 困ったこととか無い?」
騎士様が優しく聞いてくれるが、私はダーシャン様が気になって気が気じゃ無い。
「え〜と、皆さん優しくしてくれて助かってます。困ったことなんてありません」
騎士様に話しかけられたのが一番困っている。
「騎士様はお仕事でよね。頑張ってください」
ニコニコしながら逃げるタイミングを図っていると、ダーシャン様が騎士様の肩を掴んだ。
「おいラグナス、そろそろ行くぞ」
こちらをチラッとも見ないダーシャン様って素晴らしいと思う。
「国民を気にかけるのも騎士の仕事じゃないですか!」
「お前の場合は下心が透けて見える。控えろ」
不満そうな騎士様を他所にダーシャン様は歩いて行ってしまった。
「あいつ、無愛想なんだよ。許してあげて」
「許すだなんて。怒ってませんよ」
「後で文句言われたく無いから、行くよ。今日は森に魔物退治に行くんだ。明日聖女が森に行くから魔物を先に倒しておくんだって」
はーっと深いため息をつく騎士様に私は苦笑いを浮かべた。
「それ、機密情報なんじゃないですか?」
「あっ……ルルハちゃんはそんな情報悪用しないでしょ! 信じてるもん」
私はニコッと笑って騎士様の手を取ると言った。
「とにかく、お怪我しないように頑張ってくださいね」
「う、うん。じゃあ」
私は手を振って騎士様を送り出し、青い扉に向かった。
青い扉をくぐれば、目の前にムーレット導師が立っていた。
「お帰りなさいませセイラン様、それは……変化の魔法ですか?」
ルルハのコスプレ姿を見ても驚いた様子の無いムーレット導師にこっちが驚いてしまう。
「何故私だと分かったのですか?」
ムーレット導師は優雅に微笑んだ。
「私はセイラン聖女と契約していますから、それに魂の色までは変えられ無いですよ」
ムーレット導師は妖精だから、魂の色が見えるようだ。
「そんなことより、この家に結界を張った方がいいのでは無いかと思ってまいりました」
結界?
首を傾げる私にムーレット導師は本を差し出した。
本をパラパラとめくると、どうやら振り付けの本であることが分かった。
「この踊りでこの辺一帯を認識できないようにできますよ」
「明日聖女が森に行くと聞いたのですが、そのせいですか?」
ムーレット導師は困った顔をした。
「ご存知でしたか。ここまでヒメカ聖女が来るなんてことは無いでしょうが、護衛の騎士が来ないわけでは無いとは言えませんから、念には念を入れましょう」
私はムーレット導師の肩をバシバシ叩いた。
「そんな心配そうな顔しないでください。ちゃんと結界張りますから。ただ、街を見て歩いていても平和そうに見えますけど、聖女を森に連れて行くのですか?」
私の疑問にムーレット導師は答えようとした時、緑の梟もといヒスイがムーレット導師の肩に乗った。
ヒスイはムーレット導師がお気に入りのようで、ムーレット導師の顔に擦り寄っていた。
「この森の家以外は結構な数の魔物がうろうろしているんですよ。セイラン聖女の聖女の力が強いからか、何故か魔物達はセイラン聖女を避けているみたいですけど……心当たりはございませんか?」
心当たりなんて全く無い。
私がうーんうーん唸りながら考えていると、ヒスイがホーっと一鳴きした。
「なんだって、そう言うことか」
ムーレット導師は納得したように頷いた。
「ヒスイが何を言っているのか解るんですか?」
「私も妖精ですから。どうやらルリが頑張っているみたいですね」
朝勝手にお散歩に行って夕方帰って来る水色の狼を思い出す。
「近くに寄って来る魔物はルリが狩っているようです」
な、なんて優秀なボディーガードなんだ。
私が驚いている中、ヒスイが更にホーホーと鳴いた。
「夜は、ヒスイが警護していると言っています」
心なしかヒスイが胸を張っているように見える。
「いつもありがとう」
私が口に出してお礼を言うと、ヒスイは私の肩に移動して来て私の顔にモフモフの羽毛を擦り付けてきた。
可愛いかよ。
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