妖精って本当ですか?
あの日の朝、神殿は大騒ぎになっていた。
新緑の神殿の中に小さな森ができていたのだからそりゃ、騒ぎにもなる。
「昨日ヒメカ聖女様がこちらの神殿を訪れ、神歌を歌って下さったお陰ですわ」
エリザベートさんが声高にそう言ってくれたお陰で、私がやったとは思われずに済んだ。
私以外にダーシャン様も安心したに違いない。
そのこともあり、エリザベートさんが私の指導役をしたく無いと駄々をこねているようで、私を訪ねて来る人は居ないだろうと高を括って少ない荷物をまとめていると、ダーシャン様がやって来た。
「昨晩はどうも」
私の言葉にダーシャン様は勢いよく頭を下げた。
「昨夜は兄へのイラつきも有り、愚痴や弱音を吐いてしまい申し訳ない」
「気にしてませんよ」
ダーシャン様は何だか思い詰めた顔をしていた。
「どうかしましたか?」
「逃げるのか?」
どうやら私が荷物をまとめているのを気にしているようだ。
「ええ。その感じだと一緒に行くのは止めるみたいですね」
ダーシャン様はしばらく思い詰めた顔で黙り込みゆっくりと口を開いた。
「逃げ出したいのはやまやまだ。これで貴女について行ったら、国民を導く役目をいずれ兄がする事になる……自分が簡単に投げ出せる話では無い」
私はクスクスと笑い、ダーシャン様の肩をバシバシ叩いた。
「それが分かっているなら、ダーシャン様はいい国王になれます」
私が叩いたぐらいじゃ痛くも何とも無いだろうが、ダーシャン様は私の叩いた肩を軽く撫でると笑ってくれた。
「でも、私は逃げますよ」
そう宣言した瞬間、突然部屋のドアが勢いよく開いた。
そこにはムーレット導師がニコニコと笑いながら立っていた。
「逃げる?」
威圧感を感じたのと、私の前にダーシャン様が庇うように立ってくれたのは同時だった。
「セイラン聖女、貴女は今逃げるとおっしゃいましたか?」
ここで怯んでしまっては、逃げ出すことは一生できない気がする。
「はい。私は聖女にはなりません」
ムーレット導師はツカツカと私に近づくと、ダーシャン様を押しのけて私の手を両手でしっかりと握った。
「やはり、貴女ほど力のある聖女は権力には溺れないのか」
ムーレット導師はキラキラとした瞳で私を見つめた。
「な、何のことかさっぱりなのですが?」
私が戸惑う中、ムーレット導師は私の手を離すと、ひとまずソファーに座るように促してきた。
「長い話になるので、お茶でも飲みながら話しましょう」
ムーレット導師は魔法を使って、手際良くお茶の準備を始めた。
空中にティーポットとカップが浮かびお茶菓子のクッキーも何処からともなく現れテーブルの上のお皿に品よく並べられていく。
「セイラン聖女は逃げると仰っていましたが、行き先はお決まりですかな?」
「いいえ。ひとまずこの場から逃げようかと」
「それは良かった。では、私の家に行きませんか?」
突然の申し出に私は戸惑った。
「ムーレット導師はどう言った場所にお住まいで?」
私の問いに答えたのはダーシャン様だった。
「導師は城に部屋があるだろ? 家とは?」
ダーシャン様も何だか戸惑っているように見えた。
「私の家はこの新緑の神殿の更に奥にあるのです。小さな泉も在りますし街に買い物に行くのも苦も無く行けます」
森の奥なのに街にも近いとは?
「そんな場所があるのですか?」
「はい。妖精の森ですから」
は? 妖精の森とは?
私はダーシャン様に視線を移したのだが、ダーシャン様も首を傾げていた。
「妖精の鍵を持った者だけが辿り着ける秘密の森で、その鍵さえあれば街に直通の扉に繋げることができるのです」
そう言ってムーレット導師は私の手の上にキラキラと光るクリスタルを乗せた。
水色と紫色が絡み合うマーブルカラーでとても綺麗だ。
私がクリスタルに見入っていると、クリスタルは突然ドロリと溶けて私の手に吸い込まれてしまい、慌ててムーレット導師の顔を見て更に驚いてしまった。
「ムーレット導師?」
そこには見知った老人はおらず、モスグリーンの長い髪に金色の瞳を優しく細める美人が居た。
「これで貴女は私の主人です」
「?」
言っている意味が分からず首を傾げてしまう。
「私は昔、初代聖女様とも契約守護していた妖精です」
ニッコリ笑顔の美人に私は何と答えるのが正解なのだろうか?
「勿論、初代聖女様と契約していた時はまだまだ未熟で身長も二十センチ程度の小さな妖精でしたが、今は違います。必ず貴女を護ります」
「え〜っと、ムーレット導師は何処に?」
美人さんはクスクスと声を上げて笑った。
「ここに居るではありませんか」
「え? ムーレット導師なんですか?」
ムーレット導師のフリをしてやって来た妖精では無いのか?
「何百年も聖女を見て来ましたが、貴女は初代聖女様と同じぐらい神聖力が強い上に私と契約したので私の本来の姿が見えているのでしょう」
それは私だけ、ムーレット導師が美人に見えているってこと?
「じゃあ、ダーシャン様にはムーレット導師に見えているのですか?」
不思議そうな顔のダーシャン様はやはり見えていないようだ。
「あの、ムーレット導師……できることならお爺ちゃんの導師の姿に見えてた方が」
「この顔はお気に召しませんか?」
うるうるとした美人の破壊力に思わず、自分の顔面を両手で覆う。
「いや、美人は目に毒で、その顔面偏差値高すぎてしんどい」
「美人とは?」
不思議そうなダーシャン様の声にムーレット導師はまたクスクスと笑った。
「王族の方でも、もう自分が妖精族だと知る者は一人も生きて居ませんからね」
そう、言いながらムーレット導師がパチンっと指を鳴らした。
「うわ!」
ああ、視覚をいじる魔法か何かをしたのだろう。
「これは、美人だ」
「あはは、気持ち悪いですよ。こんな見た目でも男ですから」
ダーシャン様が苦笑いをしている。
「ではそろそろ行きますか」
ムーレット導師はそう言いながら、ソファーに近づきクッションを一つ手にとると、何やらモゴモゴと呪文を唱えた。
クッションが私そっくりになり、ソファーにポスンと座る。
「目を閉じて寝ているように偽装しましょう」
元クッションの目元をムーレット導師が覆うと目が閉じられていた。
何だか自分の死体を見ているようで凄く嫌だ。
「これでいい、では行きましょうか」
こうして私はお城から脱出することになったのだった。
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