愚痴とお酒と聖女様
ゆっくり更新です。
とりあえず、私は考えた。
この世界で私がいらないからと言われて、ポイっと捨てられた時どうなるかを。
はっきり言って三日生きられたらマシ。
魔法があるのは解っていたが、魔物もいるし治安がすこぶる良いわけでもないらしい。
お金の単価も解らないし常識すら解らないのだ。
三日で死ぬ自信がある。
その点、ムーレット導師は私が聞いたことを一から十まで教えてくれる優しいおじいちゃんなので着実に常識を手に入れることができ始めていたのだが……。
「これより、聖女に歌と舞を教えることになりました。エリザベートと申します」
このエリザベートさんがなかなかの食わせ者で、周りに人が居れば害はないのだが、一度二人きりになれば馬を叩く鞭で叩いてくるのだ。
非力な貴族令嬢の鞭打ちは多少痛いが、耐えられない程では無かった。
「ヒメカ聖女様は直ぐにできたことが貴女にはできないのですのね」
そして、エリザベートさんはやたらとヒメカ聖女と私を比べた。
私から言わせてもらえるなら、この人の歌も舞も大したことがない。
様子見で歌も舞もできない演技をしたら鼻で笑い、鞭を取り出してきたのだ。
SMの女王様気取りも大概にしてほしい。
いつかこの新緑の神殿を出て行く時には、あの鞭へし折ってやると心に決めている。
実は気づいたことがある。
聖女の歌は音楽の教科書で習うレベルの歌だ。
一番最初に習ったのが『さくら』だった。
よって、聖女は日本人女性であると決まっているように思えた。
「こんな基礎中の基礎もまともにできないなんて、どんな教育を受けて育ったのでしょう? ムーレット様の顔に泥を塗って楽しいのですか?」
彼女の嫌味は二流だと思っている。
「そんな風に言ったら可哀想ですよエリザベート!」
この日、私は初めてもう一人の聖女に会った。
高校生ぐらいの年齢でピンク色のフリフリミニスカワンピースを着ている。
可愛い系の見た目に反して胸が不自然に膨らんで見えた。
アレ、本物かな? 偽物ならパットが五枚ぐらい入ってそうだ。
ダークブラウンの髪に茶色い瞳の純日本人顔からこの子が噂のヒメカ聖女だと瞬時に判断した。
「ヒメカ様! ヒメカ様がこんな何も無い所にお越しにならなくても! こちらから挨拶に伺わせますから」
エリザベートさんは媚を売るようにヒメカ聖女にぺこぺこと頭を下げた。
「貴女がセイランさんね! へー赤髪にオッドアイとか日本人じゃ無いのね。ってか地球人でも無いか。フフフ私がこの歌のお手本を見せてあげるね」
そう言ってヒメカ聖女は『さくら』を歌い出した。
レベルは小学生低学年レベル。
それでも今まで植物の生えていなかった新緑の神殿の周りに小さな雑草の芽が生えたのだと後後気づく。
花壇の一角、三十インチのテレビぐらいの大きさだけだが。
「素晴らしい! 素晴らしいでですわヒメカ様」
エリザベートさんに褒められて私にドヤ顔をしてくるヒメカ聖女に拍手を送っておいた。
歌ってほしいと言っていないのに勝手に歌うメンタルの強さ、拍手ものである。
「フフフ、セイランさんも私を見習って頑張ってくださいね!」
それだけ言うとヒメカ聖女は帰って行った。
あの人暇なんだな。
「嗚呼、ヒメカ様はなんて美しく聡明で慈悲深いのでしょう。こんな駄目聖女にまで目をかけて」
私に聞こえるように独り言を言うエリザベートさん。
独り言に返事をしては失礼だろうから聞こえないフリをしてあげた。
私は空気の読める大人だと実感する瞬間だ。
「聞いてますか? これだから駄目聖女は」
どうやら独り言ではなかったようで、聞こえないフリは正解では無かったみたいだ。
「もう一度言ってもらって良いですか?」
「もういいです」
ぷりぷり怒るエリザベートさんに私は苦笑いを向けておいた。
その日の夜、寝付けなくて庭を散歩することにした。
ウィッグとコンタクトを付け直すのは、はっきり言って面倒臭いが誰に見られるか分かったものじゃないから付けることに。
そんなわけで、コスプレ衣装に着替えた後に何も無い庭を歩く。
「君の召喚した聖女はどうやら残念な女性だったみたいだね」
「自分は残念だと思っていません」
「フフフ。ヒメカに力を貸してほしければいつでも言ってくれていい。王太子の座を明け渡すのであればな」
「……そんな時が来れば」
隣の花が咲き乱れる庭から聞こえてきたのはダーシャン王太子と誰かの声で、私は気になって近づいた。
自分が巻き込まれるのは嫌だが、話だけなら気になる乙女心。
いや、野次馬根性か?
そんなことを思った瞬間。
「クソ、誰が王太子になんか、なりたいと言った」
悪態をつきながらガサゴソと音を立てて出てきたのは間違いなくダーシャン王太子だった。
生垣から頭と手足を突き出した状態の彼と目が合い、気まずい空気が流れた。
「あーお散歩ですか? セイラン聖女」
「はい散歩です。あの、たまたま聞いてしまいまして……すみません」
ダーシャン王太子は深い深いため息をつき、生垣から出てくると私の両肩をガシッと掴んだ。
「聖女様、愚痴らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「聞かなかったことにするのでは無くて?」
ダーシャン王太子の瞳には鬱々とした色が見てとれた。
「聞くことしかできませんよ」
ブラック企業に勤めていたから、この目をしている人がいっぱいいっぱいであることは容易に想像できてしまったからである。
「場所を移しましょう」
ダーシャン様はそう言って私の腕を掴むと歩き出した。
逃がさないと言いたげな意志を感じてしまい、抵抗もできない。
連れて来られたのは何も無い庭にポツンとある東屋だった。
「ここなら誰が近づいてきても解ります」
誰にも聞かれたく無いから全方位を確認できる場所を選ぶとは。
「どこから話しましょうか? ああ、さっき話してたクソ野郎が王妃様の実の子で長男のナルーラ王子です」
完璧に笑顔を貼り付けているが、目が笑っていないダーシャン王太子に私は口出しすることもできずに話を聞くはめになった。
「もちろん、アレが最初は王太子でした。学園を卒業後、侯爵家の御令嬢と結婚して国王になるはずでしたが、男爵家の娘と浮気しているのが発覚しとんとん拍子に貴族社会から爪弾きにされました。詰めが甘いせいか、馬鹿だからなのか知りませんが父にも簡単にバレ王太子の座から転がり落ち、王太子で無くなったからなのか男爵令嬢に振られ、王太子の座に返り咲くために勝手に聖女を呼び出し抱え込んで居るのです」
この人、無口キャラかと思ってたけどむっちゃ喋る〜。
息継ぎしているのか、心配になるレベルで喋る〜。
彼はゼーハーしながら喋り終わると、深呼吸をした。
「自分は王位継承権を辞退して騎士になるつもりでした……だって、面倒臭いじゃ無いですか? 自分の母親元メイドなのに王太子なんかにします?」
項垂れてしまうダーシャン王太子……王太子が嫌なのに王太子と言い続けるのは可哀想か?
「ダーシャン様は、頑張ってますよ」
項垂れたままの彼の頭を優しく撫でてしまったが、良かったのだろうか?
ダーシャン様はゆっくりと顔を上げ、困ったように眉を下げた。
「子ども扱いしてますか?」
「慰めてるんです」
私が胸を張って言えばダーシャン様もハハハと笑ってくれた。
「それに、そんなに嫌だったら逃げちゃいます? 私も聖女なんてしたくないですし、一緒に逃げてくれたら心強いんですけど」
ダーシャン様はキョトンとした顔の後吹き出した。
相当面白かったのか、お腹を抱えて笑っている。
「素晴らしい案ですね。逃げてしまえば無責任だと王太子から外してもらえるかもしれない……一緒に逃げちゃいましょうか」
ダーシャン様はその辺に居そうな普通のお兄さんの様に柔らかく微笑んだ。
「ダーシャン様って王族ですけど、庶民の暮らしに詳しかったりします?」
「自慢じゃないが、視察と称して遊び歩いていたから詳しいし、頼れる知人も沢山居ます」
「わ、便利〜」
抑えきれない心の声が出てしまったが、ダーシャン様は気にした様子が無かった。
「せっかくだから酒でも持って来れば良かった……いや、セイラン聖女は未成年」
「いや、成人してます。えっ? いくつに見えてます?」
ダーシャン様はアゴに手を当てマジマジと私を見た。
「小さいから、十二、三ぐらいかと」
「若! そんな小さく見えるんですか?」
「最初は十五、六ぐらいの少年かと……」
ダーシャン様の視線が胸元を見ている。
「セクハラって知ってます?」
「セクハラ?」
言っておくが胸もサラシを巻いているから、少年に見えてもおかしくない。
「女性をジロジロ見るのはマナー違反ですよ」
「……失礼、セイラン聖女は実際いくつでしょうか?」
私は苦笑いを浮かべた。
「二十一歳です」
「えっ? 自分より二歳上……」
「この国の成人っていくつですか?」
「十五ですね」
十五歳で成人か、その年の私は夢も希望もある若者ではなく、ただ漠然と学校に通っていた気がする。
「ヒメカ聖女はいくつですか?」
「さあ、興味が無いので……彼女の胸は本物ですか?」
お酒を飲んでいたら噴いていたと思う。
「気づかないフリをしてあげるのがマナーですよ」
ダーシャン様は私から視線を逸らし遠くを見つめる。
「やっぱり酒を持ってきましょうか」
ダーシャン様がバッと立ち上がった。
「いいですね」
ダーシャン様はちょっと待っていて欲しいと言って走って行った。
しばらく星を見ながら待っているとお酒とグラス、簡単なおつまみを乗せたおぼんを持ってダーシャン様は帰ってきた。
「美味い酒を持ってきました」
楽しそうにお酒をグラスに注ぎ私にさしだす。
もうひとつのグラスにお酒を注ぎ、乾杯しようと言うダーシャン様は無邪気だ。
お酒の入ったグラスを優しく合わせて乾杯をすると、私達は一気にグラスの中身を飲み干した。
ゆっくりちびちび飲むのが正解だと判るほどの高そうな美味しいお酒だったのに、二人して一気に飲んでしまうのが、ストレス社会を生き抜いてきた戦友のような親近感を感じてしまう。
「いい飲みっぷりですね」
「セイラン聖女も」
「聖女をするつもりは無いので、セイランとお呼びください。後、堅苦しい喋り方もやめません?」
「そうですね。ではセイラン、もう一杯どうだ?」
美味しいお酒に、お互いの愚痴を言い合っていると、段々楽しくなってきた。
「ヒメカ聖女はあまり歌が上手くないですね」
「そうなのか?」
「そうですよ」
「セイランの方が歌も踊りも下手だと報告されているぞ」
私は声を上げて笑った。
「そりゃそうですよ。わざとだもん」
「へ?」
私は楽しい気分のまま、キラキラと輝く星に向かって『さくら』を歌った。
歌い終わりダーシャン様の顔を見ようとしたが、彼は私では無く東屋の周りを見て固まっていた。
「ダーシャン様?」
「セイラン……酔いが吹き飛んだぞ」
首を傾げながら東屋の周りを見て、私の酔いも吹き飛んだ。
東屋の周りは森になっていたのだ。
数分前まで土しか見えてなかった場所に木々が覆い茂っている。
「……逃げよう。こんな凄い聖女呼び出したとか知れたらすぐさま国王にされてしまう。うん。逃げよ」
ダーシャン様はしみじみと呟きながらグラスに残ったお酒を飲み干したのだった。
読んでくださりありがとうございます。