はじめましてでいいですか?2
あの日から、平和な日々が訪れた。
なんてことは一切なかった。
ヒメカ聖女は度々新緑の神殿に来ては文句を言って帰るようになった。
それと言うのも、エリザベートさんが寝込んでしまったらしく、それが私とエルマさんのせいだと言っているのだ。
まあ、婚約していないのに婚約者だと言うストーカー行為をしてしまったのだから、自業自得ではないだろうか?
ヒメカ聖女の質が悪いのが、ダーシャン様がいる時だけ被害者ぶるのだ。
「私はずっと信じていて、だからあんな風にしちゃって。ダーシャンなら分かってくれるよね?」
言葉遣いが気になって内容が頭に入ってこないが、ダーシャン様にだけはいい子であると思わせたいようだ。
私とムーレット導師はそんな二人を見ながらお茶を啜った。
「セイラン聖女、助けてあげないのですか?」
「いや、だって、助けてって言われてませんし」
そんな私達にお茶菓子を出しながらエルマさんが呟く。
「目が助けてほしそうですが?」
言われて見れば、瞳孔がゆらゆらと揺れている。
しかも、たまにチラチラとこっちを見ているようだ。
私は気づかなかったフリをしながら言った。
「うわ〜今日のお茶菓子も美味しそう」
今日のお茶菓子はクリームのたくさん乗ったシフォンケーキで、テンションが上がる。
「聖女の羽って言うケーキです」
ファンシーなネーミングにちょっとたじろいでしまった。
「美味しいですよね。このケーキは前回の聖女様が広めたのですよ。最初は違う名前だったのですが、この名前にしてから急激に広まったケーキです」
口に入れるとフワフワの生地が幸せな気持ちにしてくれた。
「ヒメカ聖女、仕事があるのでお引き取りください」
ダーシャン様がとうとう痺れを切らして口を開いた。
「仕事? 私にもお手伝いさせてください」
ダーシャン様はヒメカ聖女の後ろからやって来た人を見て頷いた。
「では、文官長の執務室に行きヒメカ聖女がここ一ヶ月で購入した物の伝票の整理をしていただませんか? 毎日たくさんの伝票の整理で文官はヒーヒー言っているので助かります」
やってきたのはアーデンベルグさんだった。
沢山の書類を抱えている一枚をヒメカ聖女の前に差し出す。
びっちりと数字で埋まる紙を見たヒメカ聖女は一瞬にして顔を背けた。
「あ! 私、もうお祈りの時間だわ‼︎ 手伝いたいのはやまやまだけど、自分の神殿に帰りますね! ダーシャン、送ってくれない?」
名指しでダーシャン様を連れ出そうとするヒメカ聖女のガッツに、拍手したくなった。
「申し訳無いですが、ダーシャン様に直してほしい書類もあって……廊下に護衛の騎士が四人ほど立ってらしたようですが、あれは確かヒメカ聖女様の護衛では? 人事の書類も有りまして、そちらも確認していただけるのであれば直ぐにお持ちしますが?」
アーデンベルグさんがニコニコしながらヒメカ聖女に近づくと、大きな舌打ちをして、ヒメカ聖女は逃げて行った。
「品位のかけらも無い」
アーデンベルグさん、小声でも聞こえちゃいましたよ。
見れば、嬉しそうにアーデンベルグさんとダーシャン様用のお茶を淹れていたエルマさんに何だか癒される。
アーデンベルグさんは申し訳なさそうに、抱えていた書類を私に差し出した。
「いつも手伝っていただいて申し訳ございません」
「私、書類仕事得意なんで大丈夫ですよ。それに、簡単な計算ばかりですから」
「本当に助かります」
最近では、文官一人分の書類を手伝うようになっていた。
私がお手伝いすればお休みをもらえる文官が増えるらしいし、私は暗算でできるからスピードが早い。午前中にパパッと終わらせられる。
伊達にブラック企業で朝から晩まで働いていたわけじゃ無い。
「アーデンベルグ様もお茶で一息ついてください」
「エルマ、ありがとう」
幸せオーラ振り撒く二人とは対照的なダーシャン様の疲れ切った顔に苦笑いしてしまう。
「ヒメカ聖女はダーシャン王太子のことが好きなようですな」
ムーレット導師の言葉に更に嫌そうな顔をするダーシャン様。
「そうでしょうか? 彼女の場合、コレクションしたいだけでは?」
アーデンベルグさんの言葉に、私達は首を傾げた。
「要するに、見た目のいい男をそばに置きたいだけな気がします。後、自分はモテると思い込んでいる」
「ああ〜」
ダーシャン様が理解したように頷く。
「だから、アーグも『私の専属文官にしてあげてもいいのよ!』とか言われてたのか」
ええ、ダーシャン様の似ていないヒメカ聖女のモノマネにムーレット導師が盛大にお茶を噴いてしまったのは、仕方がないことだと思う。
エルマさんにいたっては、何が起きたのか理解できなかったように固まっている。
「ダーシャン様、前にも言ったけど似てないからね」
「和むかと思って」
私の横で呼吸困難になりそうなぐらい笑い転げているムーレット導師が死なないか心配になる。
「お爺ちゃん大丈夫」
思わず背中をさすりながら聞いたが、大丈夫そうには見えない。
和むどころか、地獄絵図である。
「昔は王妃様のモノマネしてよく怒られてたよねダーシャン様」
しみじみと遠くを見つめるアーデンベルグさんを見て、心中お察しする次第だ。
「そう言えば言われたね。ただでさえ死ぬほど忙しい原因がヒメカ聖女の浪費なのに個人の文官になんかなったら数日で死ぬと思ったからお断りしたんだ」
ああ、文官が忙しいのってヒメカ聖女のせいだったんだ。
普段、ヒメカ聖女が派手なドレスや宝石を付けているのが、そう言うことなのだろう。
「あの、それで言ったらなのですが……最近第一王子殿下がセイラン聖女に会いにくるのも何か意図があるのでしょうか?」
エルマさんの質問に、私は思った。
あの人は自慢話をしたいだけで私に会いに来ているだけだと。
だって、こんな凄いことができるとか、あんな貴重な物を持っているとか、自慢話をして満足して帰って行くのだ。
「それは、いつの話ですか?」
「最近は良くいらっしゃいます」
ムーレット導師とダーシャン様の目つきが変わった気がした。
「昨日もいらしてました」
さっきから思案顔だったアーデンベルグさんが、解ったと言うような顔をした。
「ダーシャン様とムーレット導師が会議などで、絶対に来れない時を狙って訪問しているみたいだね」
アーデンベルグさんの言葉に、ムーレット導師がニッコリと笑顔を作ったが、目が笑っていない。
「害虫ってやつは本当に厄介ですなー。早めに駆除しなくてはのさばらせてしまうことになるのでは?」
「同意見だ。あの二人が絶対に入ってこれない結界でも張るか? ルリをけしかけて二度と寄ってこないようにするか?」
「素晴らしい。空からヒスイに監視させれば神殿に近寄る前に対処できるかもしれませんね」
いつも言い争って代理戦争までさせようとする二人が、同じ敵を得て仲良くしている様に何だか感動してしまう。
「ヒメカ聖女の評判が悪いからってセイラン聖女を自分のものにしようとしているってこと?」
アーデンベルグさんが聞けば、ムーレット導師の額に青筋が浮いた。
「うちの聖女があんな頭空っぽの男にちょっかい出されるなんて、虫唾が走りますね」
頭空っぽは分かる。
「セイラン様の見た目がお気に召さないようで、髪ぐらい染めたらどうだ? とかその色じゃなければな〜とか言って帰って行くんですよ。本当に失礼なんです」
エルマさん、その話を今する必要あった?
見れば、ダーシャン様からもドス黒い雰囲気が漂っている。
「セイランはそのままで、充分可愛い。ふざけるな」
ダーシャン様の突然の言葉に心臓がビクッと跳ねた。
何を言ってるんだこの人と思いながらも、心臓のダメージはでかい。
「おお! さすが王太子だけある。セイラン聖女の真実の姿を知らずとも、可愛いと言えるとは」
ムーレット導師の言葉に、私は飛び跳ねそうなぐらい驚いた。
「真実の姿とは何のことだ?」
ダーシャンの疑問にムーレット導師が口を開こうとするのを、私は慌てて手で押さえて黙らせた。
何故私に真実の姿があるってこの人は知っているんだ?
不審そうなダーシャン様とエルマさんとアーデンベルグさんに私は引き攣りそうになる口元を無理矢理上げて笑った。
「ムーレット導師は何を言っているんだか」
言いながら、かなり無理があると理解できた冷静な頭が憎い。
「セイラン、秘密の一つも打ち明けられ無いほど、俺はそんなに頼りない男か?」
ダーシャン様の捨て犬のような瞳に、若干イラッとする。
この人、自分の顔面偏差値高いこと分かっていてやってるのだろうか?
質が悪いんじゃないか?
「ダーシャン様、乙女の秘密を暴こうなどとはいささか問題があるのでは? その点、私は同じ女ですし隠すより打ち明け、共に歩む覚悟があります! どうかこのセイラン聖女の侍女である私にお話しください!」
エルマさんの演説に怯む私。
エルマさんの後ろで苦笑いを浮かべるアーデンベルグさん。
「エルマは、僕と共に歩んでくれなきゃ困るな〜」
もっともなアーデンベルグさんの呟きは、エルマさんによって聞こえなかったフリをされた。
私にも聞こえたのだから、絶対に聞こえていたはずだ。
動揺する私がオロオロする中、ムーレット導師がぐったりし始め、そこでようやく、ムーレット導師の口と一緒に鼻まで押さえていたことに気づいた。
「ひゃ! ごめんなさい」
「危うく召されそうになりました」
ムーレット導師はが大きく深呼吸をしていた。
「ムーレット導師だけ知っているのは不公平だ!」
「そうです。そうです」
不満そうなダーシャン様とエルマさんに、私は深いため息をついた。
「なんでムーレット導師は知ってるんですか?」
「私は妖精ですので」
そんな言葉で片付けられてしまう秘密だったのかと悲しくなる。
「絶対に他言しないでくれますか?」
「ああ、分かった」
「私も誓います」
私は、クローゼットにしまっていたトランクを引っ張り出してきて、開いた。
そこには色とりどりの衣装にウィッグ、コンタクトレンズが入っていた。
「こ、これは?」
明らかに異様なトランクに、動揺するダーシャン様。
「人の髪ですか?」
不思議そうにウィッグの一つを手に取るアーデンベルグさんに、私は笑いながら言った。
「これは化学繊維ですよ。自信ないけど、人の髪から作るウィッグは高額だって聞くし、この手の色で生まれる人は、私の世界にはあまりいませんから」
私の説明を聞きながら、エルマさんがコンタクトレンズの入った瓶を日にかざす。
「それはガラスです。目に入れると目の色が変えられます」
「目の色が?」
私は自分の頬の上に人差し指を乗せた。
「これもガラスです」
周りから、不思議そうに見られる。
「ピンクの髪がここにあると言うことは、街で見かけた姿も作り物だったと言うことだな」
「はい」
「髪がズレたり取れたら大変だから、頭を撫でられたくなかったのか?」
「そうです」
ダーシャン様はふーっと息を吐いた。
「本来の色は何色なんだ?」
ダーシャン様の確信をついた質問に、私は苦笑いを浮かべた。
「皆さんを信用しているから見せます。絶対に誰にも言わないでくださいね」
私はそう前置きしてから青い方のコンタクトを外した。
ウィッグは外したら付け直すのが大変だからコンタクトにした。
「この色です」
そう言って見せた瞬間、時が止まったように全員が固まった。
「初代聖女様のような漆黒の瞳だ」
ムーレット導師が泣きそうな顔で呟いた。
「えっ? 知っていたんじゃ」
「瞳の色までは」
騙されたのだろうか?
他の人には見られたくないから、すぐにコンタクトを付け直す。
「夜空のような漆黒の瞳、私、初めて見ました」
「僕もです」
エルマさんとアーデンベルグさんがウキウキとした雰囲気で言えば、ダーシャン様がゆっくりと深刻そうに言った。
「それは、ここに居る人間以外に知られるのはマズイな。凄く危険だ。この世界の人間ならば、喉から手が出るほど欲しい存在と言うことだがらな」
「だから、隠していたんです」
私のもっともな言葉に、全員が黙った。
知りたいと言ったのはそっちだ。
私は悪くない。
「すまない」
ダーシャン様は申し訳なさそうに頭を下げた。
言うて、まだ私には名前と言う秘密があるのだが、そっちは言う必要もないだろうと口をつぐんだのだった。




