他人の恋路?
エルマさんのメイク指導のせいか、私の侍女になりたいと言う人が増えた。
そんなことを言われても、私に人事の資格は無いから掃除に来たり、食事の配膳に来てくれた侍女さん達の悩み相談を聞き、できるアドバイスがあればするようになった。
「昨日来た新米侍女ですが、無事意中の男性にクッキーを渡せたようです」
いつも無表情に成功談を説明してくれるのはエルマさんだ。
「エルマさんはどうなんですか? 最近モテまくりらしいですね」
グッと息を呑み込み、私から視線を逸らすエルマさんの耳が赤い。
「エルマさ〜ん、恋バナしましょうよ〜」
「職務中ですので」
「誤魔化されないですからね」
エルマさんは更に押し黙ると、意を決したように口を開いた。
「どうしたらいいのでしょうか? セイラン様」
エルマさんは若干早口になりながら、ことの顛末を話してくれた。
エルマさんは最近、たくさんの男性から声をかけられるようになった。
でも、今まで経験したことのない展開に気持ちが追いついておらず、男性から声をかけられるたびに動揺してしまうのだと言う。
「その中でも文官の人から声をかけてもらったのですが、実はその人エリザベート様の想い人だったみたいで……」
私は軽く頭を抱えた。
「それは災難でしたね」
「その文官様はいい人なんですけど……」
エリザベートさんの想い人がエルマさんを好きだなんて、考えただけでもどんな仕打ちをされるか。
「困ってませんか?」
「……」
だいぶ困っていることが、全身から出る雰囲気で伝わってくる。
その時、私達の居る部屋のドアが勢いよく開いた。
バーンッと凄い音をさせて、入って来たのはヒメカ聖女とエリザベートさんだった。
「ちょっと! 貴女のせいでしょ!」
何を言いたいのか分からないが、言いがかりをつけようとしているのは解る。
「何をおっしゃりたいのか、解るように説明していただいてもよろしいですか?」
「惚ける気? あんたがこの女を唆して、人の婚約者に色目使わせたんでしょ!」
婚約者?
私が自然に首を傾げると、ヒメカ聖女に何故かビンタされた。
何故私が殴られなきゃならない?
「セイラン様!」
エルマさんが慌てて私に駆け寄る。
「人の婚約者に手を出すからこんな目にあうのよ! 分かった?」
何を分かれと言うのか? 殴られたことにより頭に血が上って考えがまとまらないが、やられたのだから、やり返していいだろうか?
私は殴られた頬に手を当て、ニッコリと笑顔を向けた。
「えっ? 婚約者が居るのにエルマさんにちょっかい出したなら、その男がカス野郎なだけじゃ無いですか? 何で私が殴られなくちゃいけないんですか? カス野郎を殴るのが普通じゃ無いんですか? 私が殴られる理由にはならないと思うんですけど」
「貴女の侍女の不始末なんだから、貴女が殴られて当然でしょ」
今までたくさんの理不尽に直面してきたけど、男女間の問題で起こるトラブルなんて経験が無い。
「で、エリザベートさんの婚約者とやらは何処の誰なんですか?」
ヒメカ聖女は自慢げに胸を張って言った。
「文官長補助のアーデンベルグに決まってるじゃ無い!」
文官と言う言葉に、薄々気がついていたけど、さっきの話の人だと理解した。
私の腫れた頬に濡らしたタオルを持ってきてくれたエルマさんに私は言った。
「エルマさん、そのアーデンベルグとか言う奴のところに案内してください」
婚約者が居るのに私の大事なエルマさんにちょっかい出すなんて、許せない。
エルマさんはオロオロしながらどうにか私にタオルを渡そうとするが、それを無視して神殿を後にした。
目的地は文官長の執務室だ。
「セイラン様、とりあえず冷やしてください」
私にタオルを渡そうとするエルマさんに、私は優しく言った。
「エルマさんは気にする必要ないですよ」
「そんなわけにはいきません」
真剣な顔のエルマさんをのらりくらりとかわして、歩いていると前方からダーシャン様とムーレット導師が歩いて来るのが見えて、思わず踵を返した。
ムーレット導師は、腫れた頬を見たら大騒ぎしそうだからだ。
まあ、派手な赤髪に派手な白い服を着ている私を彼が見逃すはずが無いのだが。
「セイラン聖女?」
はしゃいだような弾む声に足が止まる。
振り返ったら終わる。
そう思った瞬間、目の前にエルマさんが立った。
「さあ、冷やしてください」
終わった。
私はエルマさんからタオルを受け取り、そのままエルマさんの陰に隠れた。
「セイラン聖女、冷やすとは、何の……」
ムーレット導師はエルマさんを上から見下ろすように見たかと思うと私の真横に立った。
「誰がこんなことを?」
ムーレット導師の声が真横で聞こえた。
「侍女副長、誰です。セイラン聖女の顔を殴ったのは?」
ムーレット導師の聞いたことの無いぐらい低い地を這うような声にエルマさんもプルプルと震える。
「あの、えっと……私のせいなんです!」
エルマさんは顔色を悪くしながら今までのことを事細かに説明した。
「アーデンベルグ補佐か」
いつのまにか、私が握りしめたままだったタオルを奪い取ると腫れた頬に当ててくれるダーシャン様が呟いた。
「アーデンベルグ補佐がそんなことをする男だとは思えないのだが」
「彼がエリザベート嬢と婚約なんて、弱みでも握られたのでしょうか?」
真剣な二人に気づかれ無いようにその場から離れようとしたが、あっさり捕まった。
「セイランの護衛なのに側に居なくてすまない。とりあえずアーデンベルグに会う前に頬の腫れをどうにかしたほうがいい」
心配そうなダーシャン様に私は不満を言った。
「顔を腫らして行った方が大事だと思ってもらえると思って」
「いや、ムーレット導師を見ろ、問答無用でアーデンベルグを殺しそうな顔をしているだろ、被害を最小限にするためにも腫れは治せ」
私は仕方なく手で頬を押さえて、前にムーレット導師に見せてもらった踊りの本に書かれていた癒しのダンスのステップを高速で踏むと、頬の痛みは無くなった。
ただ、エルマさんが目を大きく見開いていた。
「えっ、セイラン様?」
「侍女副長、今のは見なかったことにしてくれ」
ダーシャン様の言葉にエルマさんはグッと口を閉じてコクコク頷いた。
とりあえず、ダーシャン様達も連れてアーデンベルグさんの元へ向かった。
たどり着いた文官長の執務室には凄い量の書類が積まれていて顔色の悪い文官さんが五人机に向かって仕事をしていた。
「おや、ダーシャン様、手伝いに来てくださったんですか?」
書類を抱えた白髪混じりのクマの酷いおじさんがやってきた。
「文官長、アーデンベルグはいるか?」
「ええ。今は仮眠しているんですよ。後三十分後に起こす予定なので待っていただけませんか? 彼は徹夜明けで」
ブラック企業だ。
この職場は過重労働している。
「えっと、何か手伝いましょうか?」
思わず口から言葉が出てしまった。
「本当ですか!」
文官長が泣きそうな顔をしながら私に書類を渡してきた。
見れば簡単な計算の書類のようだ。
「これを全部足して、ここに書いていただきたいのです」
全部足すだけで良いなら簡単だ。
小さい頃にそろばん教室に通っていたから暗算には自信がある。
十枚ほど渡された書類を高速暗算して書いていく。
「はい。できました」
私が書類を返すと、周りの空気が凍りついた。
「えっ、まさか」
文官長がそのうちの一枚を手に取り計算を始めた。
「あってる」
「あ、暗算得意なので」
文官長は目に涙を浮かべた。
「て、手伝っていただいてもよろしいですか?」
アーデンベルグさんが起きてくるまで待たなくてはいけないのだし、私は快く計算書類を手伝った。
三十分後、アーデンベルグさんが起きて来た頃には、文官の皆さんから女神と呼ばれていて、ちょっと怖かった。
「アーデンベルグさんですか?」
「はい。僕がアーデンベルグ・リグラグトですが?」
何故私達が会いに来たのか分からないと言いたそうな顔のアーデンベルグさんは疲労の色が大々的に見えるものの、少し武術の心得があるのかがっしりとした体格の美丈夫だった。
他の文官さん達は蹴ったら折れそうな人達ばかりだが、この人は守ってくれそうな雰囲気がある。
ちなみに、エルマさんは侍女の仕事として、王太子達のお茶のお代わりを持って来るため不在だ。
「アーデンベルグさんは、婚約者が居るのにうちのエルマさんにちょっかいかけているって本当ですか?」
私が怒り心頭に言えば、アーデンベルグさんは首を傾げた。
「えっ、僕に婚約者が居るのですか?」
いや、こっちが聞いているのだ。
「エリザベートさんの婚約者だと聞きましたけど」
「はあ? 有り得ない」
アーデンベルグさんはうんざりといった顔をした。
「エリザベート嬢と婚約だけは絶対にしません。エリザベート嬢のダビダラ家は第一王子の派閥の筆頭じゃないですか。我が家は第二王子の派閥の筆頭ですよ。
有り得ませんし、僕は文官になった頃からエルマ嬢を陰ながらお慕いしておりましたので」
後半、顔を赤らめだしたアーデンベルグさんが嘘をついているようには見えない。
「えっ、じゃあ、言いがかりで私はビンタされたってこと?」
殺意しか生まれない。
イライラが顔に出そうになったところでノックの音が響き、エルマさんが新しいお茶を持って戻って来た。
その瞬間、アーデンベルグさんの背筋がピンと伸び、疲れた様子も無くなったように破顔した。
あ、これは、エルマさんが好きで仕方がない顔だ。
一眼で分かる反応に、周りも驚いた顔をしていた。
「エルマ嬢」
だが、エルマさんの顔は一切笑っていなかった。
「アーデンベルグ様、婚約者がいらっしゃるなんて存じ上げず、お食事の誘いを受けてしまい申し訳ございませんでした。私の主人が私の代わりに怪我をする事態になってしまったので、これからは私に一切話しかけないでください」
完璧なお断りの言葉に、アーデンベルグさんが呆然としてしまって動かなくなってしまった。
エルマさんは言いたいこと言ったとばかりにいい笑顔で頭を下げて部屋を出て行ってしまった。
「アーデンベルグ?」
ダーシャン様が心配そうにアーデンベルグさんに声をかけると、アーデンベルグさんは意識を失ったように倒れた。
「アーデンベルグ〜」
そんなアーデンベルグさんをダーシャン様が支えてあげていた。
私はとりあえず、エルマさんを追いかけた。
エルマさんは、新緑の神殿に帰って来ていて先ほどとは別人のように部屋の隅に蹲っていた。
「エルマさんもアーデンベルグさんが好きだったんじゃないの?」
私の言葉にエルマさんは声を出さずに首を振った。
でも、泣いているのがすぐ分かってしまう。
「アーデンベルグさんは婚約者なんて居ないって」
エルマさんは更に首を横に振った。
「アーデンベルグさん、エルマさんのこと本気だと思うよ」
「嘘です」
これが俗に言う両片思いってやつか。
私は場違いにもそんなことを思った。
両片思いなら、私がとやかく言わなくてもきっと大丈夫だろう。
「エルマさん、これだけは覚えててね。私はエルマさんの味方だよ」
エルマさんは私に抱きついてしばらく泣いた。
両片思いなのにな〜とは思ったが、本人が納得しなければ良好な関係なんて望めない。
早く誤解が解けてほしいと思いながら、私はエルマさんの頭を優しく撫でるのだった。




