魔法の国ソレスト
もしも、
もしも自分が今まで歩んできた道が間違っていたとして、
もしもそれがなんなのかわかっていたとして、
同じ失敗は、繰り返さないだろうか。
赤い染みが、服の上に広がっていく。時が止まったような静寂の中、街灯の明かりがそっと、おれと彼女を照らす。そよ風が、彼女の長い前髪を揺らした。おれは目を見開いて、彼女を見つめた。
「お前、は――」
目の前に立つ彼女の手には鈍く光るナイフが握られ、その切っ先は赤い染みの中心に埋まっていた。驚きのためか、刺されたにもかかわらず不思議なくらい痛みを感じなかった。
「なんで――」
彼女の口の端が、にぃっと持ち上がる。
「言ったでしょ、あなたの役目は終わったって」
次第に視界がぼやけ、意識が遠のいていく。薄れゆく意識の中、おれは心の中でつぶやいた。
――なんで、そんなに。
「――イくん、レイくん」
耳元で声がして、おれは我に返った。
「しゅ、宿題は明日提出だったろ!」
がばっと体を起こす。
「うん、そうだけど、授業、もう終わったよ?」
あわてて目をこすると、クラスメイトたちは帰りの支度をしているところだった。居眠りをしている間にずいぶん時間がたったみたいだ。おれに話しかけていたのは口うるさい委員長、じゃなくてとなりの席のユウカ、おれの友達。傾いた日の光が窓から差し込んで、彼女の茶色い髪をきらきら照らしている。
「そっか、今日終わりか――――よっしゃあ! ユウカ、遊びに行こうぜ!」
これから放課後だと思うと自然とテンションが上がって、おれは叫んだ。けれどユウカは申し訳なさそうにほほえんだ。
「えっと、今日は用事があるの。ごめんね」
「そ、そんなぁ~」
おれは肩を落とした。
「あの、レイくん。授業のときは、先生のお話ちゃんと聞いてなきゃ、だめ、じゃないかな」
「ふっふっふ、おれには必要ないね。なぜなら――」
おれには夢があるんだ。勉強なんかよりずっと大事な夢が。
「おれは勇者になる男だからな!」
ユウカはなぜだか困ったような顔をした。
「う、うん、目標があるのはとってもすてきなことなんだけどね、でも――」
「ユウカちゃん! さっきの音読良かったぜ!」
おれとユウカが話をしているところに、ヤンキーみたいにカバンを肩にかついだ大柄の少年がやってきた。学ランの金ボタンを全開にし、その下に真っ赤なTシャツを着たこいつの名はエイジ。おれの親友だ。おれとエイジとユウカは2年前に仲良くなり、今年も3人同じクラスになった、友達同士である。
「ありがとう、エイジくん」
ユウカは笑って手をふった。
「レイ、相変わらずのアホ面だな。寝ぼけてんのか?」
「むー、おれはアホじゃないし」
むくれてそう言うと、エイジはカラカラと笑った。
「っはは、そういうことにしとく。それより明日は、わかってんだろーな」
その言葉に、おれは力強くうなずいた。明日の授業のこと、忘れるはずもない。
「あったりまえだろ。ちゃんと準備してこいよな!」
「オメーこそ、足引っ張ったら承知しねーかんな」
軽口を叩きながら教科書とノートをカバンに詰めこみ、いつの間にか床に落としていたシャーペンも回収して、よいしょ、と席を立つ。
「おし、エイジ、遊びに行こうぜ!」
「ワリ、これからバイトなんだわ」
「そんなーっ!」
おれは頭をかかえて膝をついた。言われてみれば今日はエイジがピザ屋でアルバイトをする曜日だった。おれは一人になってしまった。
「レイくん、明日また遊ぼ? ね?」
ユウカがなぐさめるように体をかがめておれの頭をなでた。彼女が首にかけているジグソーパズルのピースが揺れる。
「……落ち込んでない、勇者はこんなとこで落ち込まない」
「レイ、いつもみたいに途中までケツに乗ってくか?」
「……うん」
おれがこくん、とうなずくと、エイジは教室の後ろの方へ歩いていく。教室の後ろの壁には体育祭の写真だとか、小テストの解説といったさまざまなプリントが画びょうで留められている。
そしてそれらの張り紙の下には、木でできたホウキがずらっと並んでいた。ホウキはどれも太く長い木の枝の先にシダをおおざっぱにくくりつけて作られたもので、身の丈にせまろうかというくらいの長さがあった。
エイジは行儀よく立てかけられたそれらの中から一つを手にとると、足の間にくぐらせた。ホウキにまたがる体勢になり、とっとっ、と軽く何度か床を蹴る。
「《ストラス》!」
エイジが呪文を唱えると、かすかに風が起こってカーテンが舞い上がった。風はエイジを中心に渦をまきながらだんだん強くなり、やがてその足が床から離れた。ホウキに乗るエイジの体が空中にふわっと浮いている。
「乗れ!」
また明日な、とおれはユウカに別れのあいさつをして、エイジの後ろにまたがった。おれが乗るとホウキは一度沈み、また浮き上がって、おれの足は床から離れた。エイジの腰をつかむと、彼は体を沈めた。
「そんじゃ、出発進行! またなユウカちゃん!」
彼のかけ声と同時にホウキは動きだし、教室の窓から飛び出した。
校舎から出た瞬間、肌が空気の冷たさを感じた。耳元でびゅうびゅう風切り音がなる。夕日に照らされながら、おれとエイジは空を飛ぶ。グラウンドにはユニフォームを着てサッカーに興じるサッカー部の部員たち、ベンチの近くには壁に向けて杖から炎を放つ生徒の姿が見える。
「いやっほぅい!」
気分がよくなって、おれはさけんだ。
学校の敷地をすぎ、ホウキはおれの家のある方向へ進んでいく。一軒家がたくさん建っている住宅地の上を通り、高いビルがいっぱいある駅のほうへ。ガタゴトという音が聞こえてきて、おれは下を見た。線路の上をオレンジ色の電車が走っているところだった。線路の周りには家やらお店が並び、にぎわいを見せている。
「やっぱり、ホウキに乗るのはサイコーだな!」
風切り音がすごいので、おれの叫びがエイジに聞こえていたかはわからない。ただ、後ろから見たエイジの横顔も楽しそうだった。
ふと遠くを見わたすと、かすんで見えなくなるくらい離れた空に、黒い点がうかんでいるのをおれは見つけた。
「エイジ! あそこ飛んでるのワイバーンじゃないか!?」
「バッカ言え、飛行機だろ飛行機」
「そんなことないって! クロアラシワイバーンならあれくらいデカいぞ!」
「おいおいおい揺らすな落ちる!」
おれが体を動かしたのに合わせて、ホウキがぐらぐら揺れた。それが楽しくて、おれは笑った。おれの方を振りむいたエイジも、しょうがねぇなぁというような笑いを浮かべた。
ここは魔法の国、ソレスト。おれたちは、魔法と共に暮らしている。