一台のパソコンから
二か月前。長野県長野市。
信濃町との境にある、のどかな自然に囲まれ近くにはその自然を楽しめるキャンプ場。
瓦屋根の家々が並び近代的要素の無い良きこの町にある一軒家。
カーテンをすべて締め切った暗い一階の部屋の中は、開いたままのパソコンの明かりだけが眩しかった。
風呂場の隣にあるトイレで水を流し、その音は鍵を掛けていても部屋の外に漏れていた。
ガチャンと金属音がなる。ズボンのチャックを上にあげながら男が扉を開けて出てくる。
男は冷蔵庫から冷えた缶コーラを手に取ってソファに浅く腰を掛け、パソコンでニュースを見ていた。
東京ニュースのアナウンサーが伝えていたのは、中国が尖閣諸島周辺で軍事訓練を行ったという内容。
ごくりと喉を鳴らし炭酸の弾けるのどごしを感じその気持ちよさに浸ったのもつかの間、
パソコンの向こうから聞こえてきたそのニュースに強く憤りを覚え、手にしていたその缶を強く握り、
アルミ缶は形を変えた。内閣総理大臣菅田良成はその件を記者に聞かれ、
「誠に遺憾である。強く抗議していきたい」と答えた。男はすぐさまSNSを開いて世間の反応を確かめた。
すぐさまその内容はトレンドに上がり、普段政治に興味を示さない人々までもが中国に対して怒った。
普段この手の話題はこの男を含めた保守派の人々が事実を広めようと呟いている。
だから彼らにとって今回の中国に対する世間評価はには少しだけ安堵した。
それから数週間後。男はSNSでこの間の一件について再び世間の様子を探りつつ、自らもその事を呟いた。
「時の経過に流され真実を見失うな」と世間に対して意見を放った。しかし彼の想いとは裏腹に、
世間はその事をすっかり忘れ、今世間を騒がす芸能人の不倫騒動に熱を入れ、
一部を除く誰一人として彼の様な政治思想的呟きは見当たらない。男はパソコンの画面の前で落胆する。
「何故だ、なぜ日本人は危機感を、恐怖を感じない? 時の波に流されその時ばかり声を上げ、
祭りが済んだらそれを忘れる。祭りの後に上がる花火がある事も知らないで。
あのテロの事件だってそうだ……」
残りのコーラを一気に飲み干してその缶を地面に叩き付けた。かつてのテロ事件、外交問題、領土問題。
幾度となくこの国の危機感は高まりをみせた。だがそんな事もこの国では一週間を過ぎれば過去の話。
「そんな事もあったよね」程度の発言をするだけ。メディアの大半も継続してそれを強く発信もせず。
悶々とした気持ちがやがて吐き気に変わり男は嗚咽をした。
そんな彼の気持ちを察するかのようにパソコンに一通のメールが届く。
絶望的な表情のまま視線を画面に向けメールを開いた。それは男の知らないアドレスからで、
件名には”この国の未来”と書かれていて、そして本文には次のように記されていた。
「貴方の様な国士を歓迎します。我々と共にこの国の永久を築きましょう」
謎の文に魅力を感じながらも宛先の分からないその文に怪しさを感じ、
「私と考えが同じなら、その証拠を見せて頂きたい」と文章を添えて男は取りあえず返信をする。
それからパソコンの前で十分ほど待ったが一向にその返答も無く、
ふざけたメールだと、書かれた文章に心が動きかけた自分に落胆し車の鍵を手に取って家を出た。
白の四駆に鍵を刺して回し勢い良く発進させタイヤが滑る。
車中でも男は危機感と民族的意識の低い日本人を嘆き、この国を嘆いた。
「俺が出来る事は無いのか。この表面的平和に騙された国民をどうすれば……」
いくら考えた所で答えは一向に浮かばない。それどころか脳内の思考回路が熱を帯び、
今にも爆発しそうだった。無論彼に国政を動かす力など一ミリも存在しない。ましてやかつての大戦時、
国民を言葉で動かし、第三帝国を築き上げた指導者。彼のような言葉の表現力は男の苦手とする所。
彼の中に不満と同様にあるのは、この国とその民を愛しているという想い。
その矛盾が彼をより一層に苦しめる。
そんなこと考えている間にいつも行くスーパーに着く。新鮮さが売りの野菜を見ながら、
今日の献立を何にするかを考えていると、男の左足に軽い衝撃が走る。その衝撃の原因は直ぐに分かった。
小学三年生位と思える女の子がかれにぶつかって来たのだ。男が店の入り口には行った時、
店内を走り回っていた子だった。まぁ子供からすればスーパだって遊び場なのだから無理も無い。
女の子は何も言わず男を見つめ彼もまた女の子を見つめ返した。すると向こうの方から、
慌てた様子でその子の母親が走って来て女の子に注意をし、男に「すいません」と頭を下げた。
「良いんですよ、お気になさらず」
「本当にすいません。ほら、ごめんなさいでしょ」
「ごめんなさい」
「今度は周りに気を付けて遊びなね」
男は女の子に対し怒りはしなく優しく言葉を掛けて微笑んだ。すると女の子は男をじっと見つめ、
心配そうな表情を浮かべて「おじさん悲しそう」そう言葉を発した。すぐさま母親が、
「変なこと言わないの」と娘を叱り、重ねて男に謝った。
まじりっけの無い白は他の色を優しく包み込む。彼は女の子に聞き返した。
「そう見えるかい?」
「うん、良く分からないけど」
「あはは、お嬢ちゃんが言うならそうかも知れないね。心配ありがとう。優しい子だ」
男が女の子にお礼を伝えると満足そうに、安堵したように屈託の無い眩しい程の笑顔を見せ、
そしてその子は母親と共に出口に向かっって歩いて行った。男は手を振って見送った後、
再野菜を選び買い物を済ませ、その袋を持って車に乗り込んで来た道を戻る。
「疑う事を知らない天使は微笑むか」
そう呟いてアクセルを踏み込む。時間にすれば一瞬の出会いが、
彼の意識の中で何かがより強固なものになった。それは絶望しかけていた世界に対するある種の責任感。
「何でもいい、行動を起こす」その言葉を口に出し頭に留まらせながら、
車を駐車し買い物袋を下ろして家に入り、殺風景な冷蔵庫に買ったものを不特定に置きカーテンを開けた。
そしてソファーに足を広げて座るとパソコンを開き電源を付けた。
するとメールが届いている事に気付く。二分前に謎の差出人からの様でその内容を確認する。
「では貴方に贈り物を届けましょう。明日の朝、玄関をご覧くださ
きっと貴方が起こす革命の役に立つでしょう」
差出人は誰なのか、なぜ自分の事を知っているのか疑問が残るところだが、
増々魅力的で怪しい文に乗ってみようと思い明日の朝を待つ事に決めた。
とにかく気を紛らわせようと、地下室を改造して作ったトレーニング室で汗を流す事に決めた。
上半身裸になり腕立てで始まって、腹筋、懸垂、ベンチブレス慣れたようにメニューをこなし、
次にサンドバッグへの打ち込みを始める。右に左にとサンドバッグが大きく揺れ、
室内には川と拳のぶつかり合う破裂音が響く。締まった男の体をよく見ると、
心臓の辺りに大きな傷跡が付いている。
二時間ほど汗を流して部屋を出た。冷蔵庫
窓の外の景色は美しく、太陽が奥の山に姿を隠してその周りが鬼灯色に染まり、
手前の空は紺に色を変え空の色合いは表現に困る程美しくその景色を男は一人占めしている感覚を覚え、
「この国は美しい」と染み入るのだった。
そして翌朝。新聞屋がポストに新聞を入れる。原付バイクの音に目を覚まし、
寝室のドアを開け一階に降りた。歯磨きとうがいを済ませ玄関の鍵を開けて外に出た。
清々しい朝の空気に背伸びをする。ふと足元を見るとそこには大きめの紙袋が置かれていた。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
考え事で頭がねじれそうなときは、田舎道をドライブしてます。
次回も是非読んで頂けたらと思います。