表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
提供人形 -Donor Doll-  作者: 皐月うしこ
第一章 先祖返り
9/27

第一話 卑しい体(4)


その日のルノック医院は、外来が普段よりも少なかったに違いない。

直感で不気味だと思ったとしても、自分の悩んでいるものを解決してくれる場所はここしかないのだとしたら、いずれまた沙耶はここに来ることになるだろう。どこかでそう思っている以上、沙耶は病院に「いかない」と決断することに多少後ろ髪がひかれはしたが、空の色と手の中にある包み紙を見比べて、今日のところは引き下がることにした。



「また、会える?」



用は済んだといわんばかりに、無言で背中を向けてきた彼に、慌てて沙耶は声をかける。

偶然とはいえ、せっかく巡り合えた仲間にもう二度と会えないのは悲しい。けれど、彼はそうじゃないかもしれないと、彼の背中に感じた少しの間が、あまりよくない回答を沙耶に想像させていた。



「たぶんな。」



そう言ったくせに、一度も振り返ることなくその青年は雑踏の中を歩きだす。

追いかけるために一歩踏み出そうとしたそのとき、沙耶は病院の方角から誰かに呼び止められたような違和感を覚えた。



「え?」



ゆっくりと視線を前から横に動かす。

確かにその造作はお世辞にも早いとはいえなかったが、別段、遅くもなかったように思う。それなのに沙耶は次の瞬間、すぐ真横に見知らぬ男性が立っていることに何の対処も出来なかった。



「ッヒっ?!」



キャーっと、甲高い叫び声もつい最近どこかであげた気がするが、気が動転して全然思い出せない。突然、本当に突然の出来事に対処する能力も沙耶は持っていなかった。

中年の男性が沙耶の肩を力いっぱい握りしめて強制的に振り向かせ、牙をむき出しにして沙耶の鎖骨付近をかみちぎろうと大きな口を開けて迫ってくる。あまりの恐怖に沙耶は目を見開いた状態で、オレンジ色の空に浮かぶ月を眺めていた。



「ッ!?」



ふいに体が軽くなる。



「こっち。」



どうやら横から中年オヤジに体当たりしたらしいさっきの彼が、恐怖に固まる沙耶の腕を握って走り出した。今度はグイっと、体が前方に引き寄せられる。



「走れ!」



少し怒ったような彼の声に気が付いたのか、沙耶は彼に手を引かれるままに足に力をいれた。

黄昏時の繁華街の路上を手をつないだ男女が走り抜けていく。

カップルに見えるかもしれないその表情は、緊迫した焦燥にかられて青ざめていた。それもそのはずで、沙耶と名もなき青年を追いかけるように、あの中年男性も血相を変えて近づいてきていた。



「マテ、ミツケタ」



くぐもった声がすぐ間近で聞こえているような気がする。

これはきっと錯覚だと、沙耶は足をただ動かすことだけを考えていた。

どこに連れて行こうとしているのかは検討がつかない。いや、わかっていたところで、そこがどこだとしても沙耶は目の前の彼に連れていかれただろう。

正常な思考回路がこの状況で働くのなら逆に聞きたい。

狂ったように血を求める異常者と正体不明の青年。腕をつかまれて助けをすがるのは一体どちらの方かと。



「ニンゲン」



背筋がぞっと泡立つ。

人間だと知っていて襲われている現実が、想像していたよりもずっと怖いことを沙耶は唐突に実感した。



「~っ…いや…っ」



左手首を青年に引っ張られたまま、右手で握りしめていた包み紙に力がこもる。

視界は涙でぼやけはじめ、なぜか息切れる体が"疲れた"と感じていた。沙耶は自分の体に訪れた異変も現象も理解できなかった。理解したくもなかった。人鬼は強靭的な肉体を持っているはずで、望めば瞬間的に移動することが出来る跳躍力も持っているはずだった。

いま、それが沙耶には出来ない。

先ほどから何度も手を引いて助けようとしてくれる目の前の青年を連れて逃げようと思っているのに、沙耶の足はたった一歩前に「少し早く」進ませる命令しか聞いてくれなかった。



「~~っ~」



後ろを振り返るんじゃなかったと思ってももう遅い。

何事かと振り返る人の群れの隙間から、狩りを楽しむ獣のように、その狂った人鬼はゆっくりと追いかけてきていた。

「もう走れない」今すぐにでも口をついて出てきそうになる言葉を沙耶は飲み込む。何か意味があるのだろうか、きっとこれ以上走ったところで、最後には食い殺されて終わるに違いない。

人間となり、ここまで体力を失った人鬼が、狂った人鬼に肉を食われて、当然のように回復できるとは思わなかった。基本、人鬼でも肉までは噛み千切らないが、なぜか追いかけてくる男性にそれはないと本能が教えてくれている。



「こっち。」


「ッえ!?」



進行方向が予想に反して直角に曲がった。

レンガ造りの古いビルの隙間にある狭い路地裏。繁華街も少し道を変えればこんなにも静かな世界が広がっているのかと思えるほど静かな空間に、沙耶は手を引かれるまま足を動かす。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ