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提供人形 -Donor Doll-  作者: 皐月うしこ
第一章 先祖返り
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第一話 卑しい体(3)


せめて人鬼に戻してくれればそれでいい。

沙耶は住所通りに存在する病院を前にそう思っていた。

病院はイメージとは違い、雑居ビルの真ん中に立っていて、お世辞にもキレイとは言えない外観をしている。



「どうしようかな。」



急に不安が沙耶を襲う。

雑誌の広告を見て、勢いのままにやってきてはみたものの、想像と現実のギャップに体が拒絶反応を見せ始めていた。まあ、簡単に言えば足がすくんで動けなかった。



「んー。」



通り過ぎていく人が不審に思うほど、沙耶は雑居ビルの前で腕組をしながら思案する。

あれだけ大きく宣伝していた割には人の出入りが多くないように見えるのも原因として大きいが、はっきり言って、うさん臭さが沙耶の感性に上書きされていた。

甘い宣伝文句につられて体感してしまえば、そこから莫大なお金を要求されるかもしれない。

慣れない土地で初めて訪れる病院にここを選ぶのはどうだろうかと、沙耶の胸中はぐるぐると決まらない答えを探して彷徨っていく。



「やめたほうがいい。」


「え?」



突然、声をかけられた方角に沙耶は顔を向ける。

顔の半分は前髪で隠れていてよく見えないが、漆黒の髪の色と少し褐色めいた肌にドキリと沙耶は心臓が鳴くのを感じていた。



「どういう意味?」


「そういう意味。」



安易に病院に行くことを引き留めてくれているのだろう。

それはわかるが人とは不思議なもの。引き留められると、行きたくなる。



「だから、やめたほうがいい。」



パシッとつかまれた腕に驚いた。

振りほどけない。

相手もきっと同じことを思ったのだろう。お互いに沈黙したまま数秒間微動だにしなかった。



「あ、ごめん。」


「え、う、ううん。」



見知らぬ彼の手が体から離れていってもドキドキと鼓動が鳴りやまない。

きっと変に思われたに違いなかった。

人鬼なら例え異性だろうと簡単に掴まれた腕を振りほどけるはずだった。見知らぬ土地で出会った見知らぬ彼は、人間かもしれない少女を発見したことに、どういう反応を示すだろう。

人間は美味しい。

有名な哲学者の言葉が脳内に反芻していくせいで、恐怖に固まった沙耶はがくがくと震える膝をごまかすようにジッと地面を見つめたまま硬直していた。



「ちゃんと食べてる?」


「え?」



一瞬、耳を疑ったかと思った。

思わず顔をあげた沙耶の反応に、彼はなぜか優しく微笑む。



「おなかがすくのは悪いことじゃない。」



きっと泣き出しそうな顔をしていたのだということはすぐにわかった。

ガサゴソと持っていたらしい鞄の中から彼は不思議な包みを沙耶のほうへ差し出してくる。



「誰にも言わないほうがいい。」


「え?」


「人間だということはバレたら危険だ。」



手にその包みを押し付けてくるついでに、耳にまで押し付けてきた彼の唇が熱い。

まるで囁くように小さく吹きかけられた言葉は、沙耶の心中を読みあてるように、そっと離れていった。

彼は知っている。

沙耶を「人間」だとわかって話しかけている。

挙動不審になっていくのが傍目で見てわかるほど動揺し始めた沙耶に、目の前の彼は少し困った感じでため息を吐く。そんなつもりはなかったのにと、ぼそぼそと小さな困りごとが聞こえてきた。



「あ、あなたも、なの?」



声がうまく出てこない。

かすれた自分の声が行き交う人の雑踏に紛れてかき消されてしまったんじゃないかと、再度確認するように口を開きかけたが、どうやらその必要はないらしい。



「ああ。」



彼は、沙耶を見ながら真っ直ぐに首を縦にふった。



「夜は家にいるほうがいい。」



いつからそうなのかとか、人間としてのアドバイスを聞きたかったのに、彼は空を見上げたかと思うと周囲を警戒しながら声を落として沙耶に警鐘を口にする。

まもなく時刻は黄昏時を過ぎようとしていた。

「夜」それは人鬼が一日の中で一番活発に動くとき。人は人間ではなくなったあの日から、月を太陽替わりに一日を回している。沙耶も空を見上げてみると、満ち欠けのある月の姿が、オレンジ色の空の中に浮かんでいた。



「今夜は半月ね。」



のんきな沙耶の声が雑踏の混ざる路上に溶けて消えていく。



「ここから家は近いのか?」


「え?」



空から目の前の人物に視線を下げた沙耶は、聞かれた質問の内容を頭の中で繰り返してから慌てて首を縦に振った。ぶんぶんと無言で頭を上下に動かす風だけが聞こえてくる。

雑誌で見つけた病院は、意外にも一人暮らしをしているマンションから近かった。

結局入ることはできなかったが、名前も知らない彼に引き留められなかったとしても、たぶん足を踏み入れることはなかっただろう。良くも悪くも、それは直感というものがしっくりとあてはまる。

何か良くない。

何かいやだ。

そう思う場所には近寄らないほうがいいと、自分の中の何かが教えてくれているようだった。

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