必然の出逢い(5)
雑多な人が往来する繁華街の一角に、人知れず運営されているバーが存在している。
普段滅多に客は来ない。路地裏の地下にひっそりとある隠れ家のような場所が、余計に客足を遠ざけているのだろう。いや、傍目で見ても絵になる端正な男前の二人が切り盛りするバー「玉響」は密かに街の噂の中心といっても過言ではなかった。
「壱月くん、ドアちゃんとなおしといてやぁ。」
「あ、ちょ。おい!」
胸倉をつかんで至近距離にあった顔が、気づけば横を通り過ぎている。ありえない現象に驚いた壱月の声が慌てて霧矢を追いかけた。
バタんと少し乱暴に閉じられた店内は、外の喧騒を遮断するかのように静かに音を吸収する。
「てめぇな。俺の話を少しは聞けよ。」
カウンターの中に入って好きな酒を物色する霧矢の背中に、壱月の声があきらめたように吹きかかっていた。
別に霧矢がマイペースなのは今に始まったことではない。長い付き合いだ。伝えたいことを全部伝えられた日がたった一度でもあっただろうか。
「はぁ、もういいや。で、どうだった?」
これ以上、何かしらの合図を送っても無駄だと壱月は観念したのだろう。たばこの灰をカウンターの上にあった灰皿に押し付けながらイスに腰かけると、酒の銘柄が決まったらしい霧矢に本題をぶつけることにした。
「ん~?」と霧矢がまるで猫のような声でボトルのフタを回し始める。
こういう時、霧矢の頭の中ではものすごい勢いで情報処理がされているということはわかっている。けれどいつだって、その口から出てくる言葉は、相手の求める情報ではないことが多い。
「ええ子、見つけた。」
「は?」
何の脈絡もない単語だらけの回答に、壱月の口元は引きつっていた。
「てめぇの出逢いなんか微塵も興味ねぇんだよ。」
ぐしゃぐしゃと前髪を崩しながら、壱月はあきれたような顔でグラスに酒をそそぐ霧矢を見つめる。
男から見てもキレイだといえるその横顔に騙された女は数知れず。霧矢がお気に入りを口にすることは確かに珍しいかもしれないが、今はそんな話をしているのではない。
「壱月くん、顔に全部出てるで?」
コンッとカウンターに二人分のグラスが置かれた。
オレンジ色の照明に照らされたそれは、浅黒く深紅のビロードのように濃厚な黒い液体。
「本物の人間の血が飲みてぇ。」
「始祖の本能が求める夜やからね。」
カランとグラス同士が合わさる音が軽やかに響き、二人の男は同時にそのグラスに口をつける。
どろりとしたのど越し、口いっぱいに広がる生き物の味。
「壱月くんはいつ見てもやらしい飲み方するなぁ。」
くすくすと霧矢は、血を味わうように唇を舐める壱月の癖を笑った。
ぎろりと壱月の鋭い視線が霧矢をにらむ。
「てめぇに言われたくねぇよ。」
その本能は血を飲み干すほどあさましく、どこまでも貪欲に求める衝動。
柔らかな肌に牙を突き立て、恐怖におびえる瞳の中にうつる自分が笑っている。絶望に叫ぶ慈悲の求めをあざ笑うかのように、力を失っていく生き物の血を最後の一滴まで吸い上げて、その魂までも奪っていく。
「変態が。」
よく食事の光景を目にしたことがあるが、あまりに陰惨な美しさに誰もがその場に凍り付くだろう。
グラスに入った血酒を飲む姿でさえ情景がよみがえるような「飲み方」をするのは霧矢くらいだと、壱月はぼそりとつぶやいた。
「で、今日も出たんだろ?」
すっかりずれてしまった本題を戻そうと壱月はたばこに火をつけながら霧矢に顔を向ける。
「あぁ。」
ニコリと笑うその唇に一瞬タバコを落としそうになったが、壱月は取り繕うように咳ばらいをしてその先を促した。
「出たよ。お行儀の悪い哀れな子やったわ。」
「ここんとこ毎日のように出るな。」
「せやなぁ。ちょっと最近、目立ってきてる気がするわ。」
今度は手酌で血のような酒を注ぐ壱月に、霧矢の視線が流れていく。
酒とたばこ。これで酔い知らずなのだからタチが悪い。
「俺かよ。」
手酌酒を指摘されたことに突っ込んだ壱月の肺から、白い煙が吐き出されていた。
毎日変わらない光景。
客のいないバーのカウンターで、男たちは向かい合いながら別のことを思案している。
「そういえば、いい子見つけたって言ってたな?」
「せやったかなぁ。」
「とぼけるなって。霧矢が気に入るなんて珍しいじゃねぇか。なに、どんな子?」
結局、本題がずれてしまうことに変わりはないのだろう。
尽きない会話と何の脈絡もないのに気兼ねしない間柄。
「なんや、興味あるんやんか。」
そんな関係だからこそ長年連れ添っていられるんだろうと思いながら、霧矢は困ったように笑ってグラスの血を飲み干した。
「ちゃんと連れてくるわ。」
そのしなやかな指先が、わざとらしくコンッと音を立ててグラスをカウンターに置く。
おっ。と、壱月は珍しい返答に興味をひかれたが、彼が連れてくるといった以上、それ以上の詮索が無意味なことはわかっていた。
フッとたばこの煙と一緒に微笑がその場に流れていく。
暗がりの場内で、二人の男の瞳だけが闇夜に光を放っていた。
────────To be continue.