必然の出逢い(4)
血を飲む。
それは進化した人類たちが手に入れた、新しい人生を歩むために必要な行為。信頼できるものと血を共有しあい、その肌に牙を突き刺すことで人は三百年を生きる体を手に入れた。
もちろん沙耶も生まれてからずっとそうしてきた。
親の血を飲み、友人の血を飲み、分け与えて、分け与えられる。
「まだ見つかっていないのか?」
息をのんだまま答えない沙耶の答えをどのように解釈したのか、父は沙耶の答えを待つ前に困ったような息を吐き出した。
「心配しなくても、ちゃんと見つかるさ。」
「う、うん。」
「父さんも昔はそうだったからな。慣れない土地ですぐには見つかりにくいかもしれないが、そのうちお互いに信頼しあえる友に出会えるよ。」
「うん。」
「今夜は遅いからもうお休み。それと、血を交換し合えるまではちゃんと持たせておいた血を飲むんだよ。」
「はい、ぱぱ。」
後ろで何やら母が言っているが、父はなだめるようにそれにこたえると沙耶の電話を切ってしまった。
少しホッとする。
そして、沙耶は父の言っていたことを守ろうと、戸棚に置いてある血液のボトルを取りに立ち上がる。
「飲みたくないな。」
どろりとした浅黒い赤色がフラスコのような酒瓶に入っている。
実はここ三日ほど口にしていない。
空腹を感じること五日。初めの二日は我慢して口に含んでいたが、三日前、なぜか無性に飲みたくなくて、沙耶はこの戸棚にしまったままにしていた。
「血かぁ。」
もしからしたらこの空腹感もまた血を飲み始めればおさまるかもしれない。
沙耶は一種の期待を込めてフラスコ瓶にはいった血液をガラスのコップに注いだ。
「いただきます。」
そして、吐き出した。
「ゴホッ~っ、ぇうッ」
とてもじゃないけど、飲めたものではない。
口いっぱいに広がる独特な鉄分の味がたまらなく気持ち悪いし、舌にこびりつくようなとろみのある感触も気持ち悪い。小さなころから慣れ親しんだ味のはずなのに、嗚咽が漏れ出るほど不味くて受け入れがたい味だった。
「~~~~っ」
シンクの流し台に吐き出した血と、ひねった蛇口からあふれる水に重なるように、ぽたぽたと沙耶の瞳からしずくが落ちて混ざりあう。
本当に自分はどうしてしまったのだろうか。
答えてくれる人も理解してくれる人もきっといないに違いない。
世界で自分はただ一人。
人鬼だというのに、血を飲むことができないばかりか、食べ物を欲しがり空腹を感じるようになるなんて。
「これじゃ、まるで、人間じゃない。」
しくしくと孤独にひとり泣きながら、沙耶は自分の体に訪れた異変をただただ呪っていた。
人間が絶滅し、人鬼となってから約千五百年。
人類の寿命は百年から三百年に変わり、血を主食として地球にやさしい生活を送っているというのに、沙耶はまだ二十年も生きていない体で血を拒んでいる。
人間は三百年も生きられない。
それでもあと五十年はきっと、誰にも悟られないように飢えと戦っていかなければいけないかもしれないと思うとぞっとする。
「怖いよ、ママ。」
心配性で優しい母。
「助けて、パパ。」
頼もしくて穏やかな父。
「人間になんてなりたくない。」
慣れない土地で誰にもすがることなどできないばかりか、医者ですら解決できないかもしれない未知なる現象に、沙耶は絶望に近い恐怖と悲しみを感じていた。
自分を抱きしめる腕が震えている。
ぽたぽたと唇の隙間からシンクの流し台に落ちていく血の味が、まだこの世に人鬼としてとどまりたいという葛藤を沙耶の口の中に広げている。それでもどこか頭の片隅で理解していた。
もう人鬼には戻れないと。
人間になってしまったからには、一生の病として戦っていかなければならないのだろう。受け入れなければならないのだろう。
この恐怖と絶望を。
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繁華街を練り歩く人の波の中を泳ぐように歩いていたその男は、誰にも気づかれないほど自然にその路地へと身を滑り込ませ、地下にむかって口を開けるその入り口を下って行った。
「きーりーぃやぁぁぁぁあ!」
ドーンと大砲のような音が霧矢の前に立ちはだかる。
「なんや、騒々しぃなぁ。」
とくに慌てた様子もなく、霧矢はゆっくりと落ち着き払った動作でその白煙が吹きあがるそばを通り抜けようとした。
「おい、こら。待てや。」
グイっと霧矢の胸元がその白煙の中に引き寄せられる。
「てめ、遅ぇんだよ。俺一人に切り盛りさせていい身分だな。おい。」
ぷはぁと、嫌みな煙が顔に吹きかかるのを手で軽く払いのけるような仕草で追い払いながら、霧矢は胸倉をつかむその男の顔をまじまじと見つめた。
広い肩と鼻筋の通った男前な顔立ち、金髪でちゃらけたような雰囲気はあるが、根は真面目で男気溢れる雰囲気がにじみ出ている。たばこさえ吸わなければ需要はあるだろうに、自分が好きでやっていることなのだから何も言えない。
「黙ってねぇで、なんとか言え。」
この口の悪さもきっと後押しをしていることだろう。