第二話 恐怖の洗礼(7)
人鬼は人間の名残が消せなかったのか、最初の百年は人間のような学習をし、次の百年でそれを極め、最後の百年で人生を謳歌する。それにならって体が出来ているため、年の取り方もその流れで徐々に老いていく。
大抵、二十歳を迎えるまでに体は完全に出来上がり、二百歳くらいまではその姿のまま生きるといわれ、三百になるまでにその人生を終える。
しかし、始祖と呼ばれる彼らはこの現象には当てはまらない。
彼らは一番美しいときのまま時が止まり、その姿のまま永久に生き続けることができるらしい。まあ、人によっては自分の好きな容姿に変化できるという噂もあるにはあるらしいが、一般的にそれが当てはまることはないのだろう。
「今更、あんな堅苦しいところはごめんだぜ。」
壱月は煙草をくわえながら、ぐるりと首を一周させる。
カキコキと小気味いい音が聞こえてきた。
「霧矢も苦手だろ?」
想像するだけで壱月は、やはり笑えてくるらしい。
「前に冷やかし半分で遊びに行ったときにえらい目にあったからな。」
「ああ、そういえばそんなこともあったなぁ。」
霧矢も思い出したのか、苦虫を噛みつぶしたように眉をしかめて苦笑する。
「若いパワーに満ち溢れてる人鬼の女の子は怖かったわ。」
ぶるっと何かを恐れるように自身の体を抱きしめるそぶりを見せるが、壱月はふっとからかうように口角を上げて霧矢の記憶を否定した。
「人目のあるところで、好き放題やりまくるからそうなるんじゃねぇか。自業自得だろ。」
その言葉に思い出したのか、霧矢の顔も面白そうに口角が上がる。そのいたずらな笑みに触発されたのか、壱月はたばこを肺に送り込むように深く息を吸い込んで、懐かしい思い出を吐き出していく。
「今でも噂になってるぜ。青い麗人伝説は永遠に不滅だな。」
「壱月くんはそういうところ、うまくかわしてたもんねぇ。」
「ああいうのは公共の場じゃなくて、目立たない場所に連れ込んでやるもんなんだよ。」
「血ぃもらうだけやのに?」
「血以上のもんをもらうために決まってんだろ。てか、てめぇみてぇに、公共の場で襲うやつのほうが珍しいんだよ。」
霧矢の顔が舐めるように壱月のほうを見上げた。
壱月の口から灰皿に移動したタバコの煙が、白い輪を描いて霧矢の顔にぶつかる。
「おなかすいとってん。」
ニコリと悪びれもなくそう言い放った霧矢の笑顔に、壱月は肩をすかせるだけで応えて見せた。
灰皿に押し付けられたタバコが小さくつぶされていく。
壱月の指の下でただのおがくずに変わったタバコの吸い殻は、灰皿ごとカウンターの脇に追いやられて、次の出番がくるまで大人しく待つことにしたようだった。
「ま、誰かさんがほとんどの大学を出禁にしてくれたせいで、俺らには無理な話なわけだし。義治にでも見張りを頼むのがいいんじゃね?」
壱月は見下ろすように霧矢の眼光を受け止める。
「最初からそのつもりで昨日、義治を使ったんだろ?」
にこり。
霧矢の物言わぬ笑顔は、壱月の質問を肯定していた。
「先に見つけたのが壱月くんでも、同じことするやろ?」
にこり。
壱月も物言わぬ笑顔で霧矢に肯定の意味を伝える。
「若い人鬼の女を何十人食うより、人間の女ひとりに勝るもんはねぇ。」
「他に奪われる可能性があるもんは、どんな手段使ても手に入れるのが俺らや。」
「たとえそれが人道に反していても。」
「永久に生きる飢えが満たされるんやったらかまわへん。」
クスクスと、血の気もよだつような冷たい笑い声が店内に響く。
のぞかせた牙、するどい爪、獲物をとらえる鋭利な瞳。
人の皮をかぶった悪魔だと、大昔の人間は始祖にむかってそう口にしたらしいが、自分たちでさえその言葉通りだと霧矢と壱月は笑いあっていた。
誰が理解できるだろうか。
この胸の奥から沸き起こる残虐な血のうずきと、狂えるほどの渇望を。
「誰にも渡さへんよ。」
「その血の最後の一滴まで俺らのもんだ。」
沙耶に向けられた視線が狂気に渦巻いていく。
か弱い、か弱い、脆弱な人間。愚かで浅はかな、快楽を求めるだけの空虚な傀儡。
その命が尽き果てる最後の時まで永遠に、彼らからは逃げられない。
「…っ…ん…」
悪夢でも見ているのか、眠る沙耶がわずかに眉をしかめて寝返りをうつ。
「今はゆっくりおやすみ。」
「起きたら、今度は俺がじっくり可愛がってやるよ。」
両ホホから授けられる契約の唇は何を意味するものなのか。
「…っまま…っぱぱ……」
悪夢の中で零れ落ちていく沙耶の涙は、もう誰にも届かない。
光を求めるように伸ばされたその手がつかむ先は、悪魔のように黒い世界をたずさえた永久の生き物の腕の中に引き込まれて消えていく。
人間として生まれ変わって一日目。
沙耶は二匹の悪魔に殺される夢を見た。
────────To be continue.