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提供人形 -Donor Doll-  作者: 皐月うしこ
第一章 先祖返り
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第一話 卑しい体(5)

闇に吸い込まれていくような錯覚。

いつの間にか夜になった空には変わらない半月が浮かんでいるだろうが、その弱い光ではこの路地裏までは照らせない。人一人が通れるかどうかという狭く湿気がこもったビルの合間で、沙耶は青年に導かれるまま黙ってあとをついていた。



「降りるよ。」


「え?」



今度は突然、下に重力がかかる。

そこに階段があったことに気づかなかった沙耶は、つかの間の無重力を体感した後で、見事に階段を踏み外した。



「痛っ、ちょ、大丈夫?」



階段があることをもっと前もって教えておくべきだったと、青年は思う。

真後ろから押されるように仲良く転がり落ちた場所で、彼は気を失った沙耶に気づいて心配そうに顔を寄せた。



「ミツケタ」


「ッ?!」



気絶した沙耶を抱きしめたまま、唯一自由に動いた足で彼は中年男性を蹴り飛ばそうとした。けれど、その足は無残にもその男の手に捕えらえる。

暗闇は人鬼にとって何の支障もない。

そんなことは常識としてわかっていたが、血走った赤い閃光が暗闇で間近に浮かぶ恐怖は、きっとほかの誰にも計り知れないところだろう。



「ク…っ…クク」



何が嬉しいのか、異常者は背中を丸めて笑い始めた。



「ッ?!」



その瞬間走った激痛に、思わず青年は沙耶を強く抱きしめる。

ここで気絶してはいけない。

足に噛みついた狂人を今ここで刺激してしまえば、足を持っていかれるだけではすまないだろう。でも、どうすることもできない。噛みつかれた場所から血が抜けていくのが、いやでも手に取るようにわかる。



「くそっ。」



思わず声が出そうなほどの痛みに耐えるしかない。

彼は思考が薄れていきそうになるのをどうにかして食いとどめようと思った瞬間、男の牙が足から離れ、沙耶のほうへその視線が動いたのを見た。



「や…めろ」



声がかすれる。

血を抜かれすぎたか、幸いにも肉を食いちぎられなかったことはありがたいが、足どころか全身がひどくだるい。それでも今は極度の貧血になった自分にかまっている場合ではない。最初からこの目の前の異常者は、沙耶を狙っていた。



「ニンゲン…オンナ…っ…ウマソウダ」


「ッ?!」



魔の手が伸びることをただ黙ってみていることしかできないのかと青年が歯噛みした瞬間、それはあまりにも突然に訪れた。



「こら、てめぇら。さっきから店先でうるせぇんだよ。営業妨害したけりゃ他所でやれや。」



白煙を口から吐き出しながら登場した男は、玉響(タマユラ)と描かれた看板を片手に沙耶を襲おうとしていた中年男性の胸倉をつかみ上げる。



「あ゛ぁ?」



眉をしかめて吐き出された濁音に(オノノ)いたのだろう。

中年男性は、誰が見てもあきらかに震え始めた。がくがくと、胸倉をつかむ美麗な男の存在をその目で確認するなり、その中年男性はあわれなほど助けを乞い始めた。



「俺らの狩場でごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ。」


「ヒッヒィ」


「それとも何か、てめぇ。俺らとやろうってんじゃねぇだろうな?」



たばこをくわえたまま、その男は妖艶に笑う。

俺「ら」という言葉が複数を表していることに気づくか気づかないかのうちに、店の扉に別の人物が姿を見せたこともきっとこの狂った人鬼には確認できたのだろう。血走った眼を、胸倉をつかむ男、扉によりかかる男、最後に看板に視線を落として発狂した───



「ったく、飢えてんじゃねぇよ。カスが。」



───はずだった。

今では音一つ聞こえないほどの静寂な闇が辺りを包み込んでいるのは、異常な中年男性が灰となって消えたからに他ならない。あまりにも一瞬に。瞬きする間もないほど跡形もなく、すべては何もなかったことにされてしまった。



「なんだ、義治(ヨシハル)じゃねか。」


「よく言うよ、壱月(イツキ)。知ってたくせに。」


「はっ、女連れてバーに顔出すたぁ、ちっとは大人になった……へぇ。」



看板を置き、髪をかきあげ、たばこを口から指に移動させながらしゃがみ込んできた壱月に対して、義治は脱力したように息を吐く。どこからどう説明しようかと思っていた矢先に、何かに気づいた壱月が瞳を輝かせてごくりとのどを鳴らしたのがわかった。



「はい。いったん、そこまでにしとこかぁ。」


「は、霧矢?」



壱月の腕は、つい一瞬前まで目の前にいた沙耶の残像をつかむ。

義治と壱月は、自分たちの真ん中にいた少女の行方を追って、霧矢の方角へ顔を向けた。



「ええ子やから、とりあえず中、入り。」



にこりと微笑まれる。

誰もが見惚れるほど美しい笑顔のはずのなのに、悪寒が駆け抜けたのは気のせいではないだろう。いったいどうやったのか、気絶した沙耶を抱きかかえて先に店内へと足を運ぶ霧矢の後ろ姿に、義治は再び緊張感をはしらせた。と同時に、壱月はあきらめたように肩を落として立ち上がる。



「義治、立てるか?」


「当たり前だろ。」



人鬼の助けは無用だと義治は壱月の申し出を断るように、その手をなぎ払った。

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