第一章 人格破綻者と笑えない僕 -3-
水島望という男が、確実に人格破綻者であるということがわかったのはいいとしよう。それにしたって、どこの神だか悪魔だか人だか、まぁなんでもいい。とにかく何の恨みがあるのかは知らないが、そいつはこのような人格破綻者を何で僕の人生のレールの上に置き石でもするかのように置いたんだ。
「…それで、結局どうします」
「やっちまったことはもう仕方ないから、とにかく今日のところは保釈してもらってこっちで引き取るしかないわけだ」
「はぁ」
僕は気の抜けた返事をするしかなかった。とはいえリーダーとしては仕方がないことであろう。こんな人格破綻者でも、なんとか回収しないとならない状況に追い込まれたのだから。
「で、あの詐欺師とはこれからどうするんだ」
「あぁ、あちらはあちらで盛大にやらかしてるわけだからな、詐欺を」
リーダー、ニヤニヤしながら僕の方を見る。そんな目で見ないでくれ。面白いことがまだあるぞとあなたが思っているということは、逆にいうなら面倒なことがまだあるということなのではないか。
「詐欺師の親玉が出てくるんだろうな」
「親玉ねぇ。そりゃあちらさんとすりゃ、商売敵どころか単なる敵だからなお前」
「さすがにまた闇の波動を使うわけには」
「お願いだからやめてください」
僕はそれだけ言い放った。さすがに頭を抱えたくなった。またやる気かよこいつ。天丼っていうのは、面白いネタを繰り返すから効果があるんだよ。正直つまらないからやめてくれ。
「…闇の力すら使えないのか…。闇よ、おお…闇よ…」
「あの世でモーパッサンに土下座してください」
「君なかなか詳しいなぁ」
変なところでリーダーに感動されてしまった。モーパッサンの辞世の言葉って、
そんなに有名じゃないものだろうか。ゲーテのに比べれば有名ではないだろうけど、大体ゲーテの辞世の言葉って要は「窓開けて」ってことだし。
リーダーが書面手続きを進めている。
その間僕と水島は、お互いをちらちらと見ながら終始無言だった。正直、この男と相性がいい人間って存在するのだろうか。警官や刑事が時々こちらの方をみながら通り過ぎたりしている。彼らもこの珍事件、興味が多少なりあるようだ。
そうこうしているうち、リーダーが呼んだタクシーで僕たちは仕事場に向かうことになった。警官たちが水島に言った言葉がなんとも言えなかった。
「なぁ…何もするなとは言わないけど、もう少し常識ってやつを身につけてくれ頼むから」
その時僕は、この男他にどういう迷惑をかけたんだろうと興味を覚えつつも、絶対死ぬまで触れないでおこうと心に誓った。
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タクシーの中でも僕らはまだ無言だった。
エリート街道というのは言いすぎにしても、それなりのレールの上を走っていた僕がとんでもない躓き方をしたものだとふと思う。
湾岸の橋の上から見える、普段は美しい光景であるはずの東京の風景は、今の僕にとっては壁のペンキのしみと大差ないんじゃないかとすら感じられる。
だまりこくったまま仕事場に着いた。
「お疲れ様です山岡です。水島、箱崎の両名、ただ今到着しました」
無人の受付のインターホンから、部門に連絡をいれると、自動ドアが開いた。
さぁ今日から仕事だ、と普通なら胸躍るものだろうが、僕の胸は全く躍らなかった。…それなりにはあるはずなのだが。
それからグループ長とあいさつしたり、各チームのメンバーとあいさつしたりしたのだがその日は余り記憶に残っていない。仕方ないだろう。インパクトがありすぎる初対面の奴が隣にいるのだ。
これから働く職場のソファで、3人が向かい合い座って、リーダーから労働契約書を受け取った時だ。水島の顔色がすごい勢いで変わった。
「…なんだこれ…どういうことだよ…」
「あぁ、それかい」
リーダーがニヤニヤしている。あぁまただ、と僕は思う。僕の方の労働契約書は極めて普通のものだが、水島の方には何が書いてあるというのだろう。
「他にもいろいろあるけど、一つ言わせてくれ。なんでここに住むことになってるんだよ俺は!!」
「えぇえっ??」
僕まで素っ頓狂な声を出してしまった。一体全体何がどうなったら、職場に住むとかいうことが許されるんだよ。
「そりゃお前、お前みたいなのこっちで引き取って有効活用するとなったらそれなりに無茶な条件も必要だろ」
「だからってそれはないだろ…」
水島の顔色がまた変わる。
「…あと何で博士論文を三年以内に出すことになってるの?それと給与の一部を強制的に財団…ってこれうちのじゃねぇか!…に収めることになってるとかどういうことだよ」
「ってそれはお前さんの家賃とか税金の滞納分を、お前さんの家族が肩代わりした分を回収するってだけだが。利子込みで」
「なんて奴らだ」
「…こうやって仕事を用意するっての考えたら、全然すばらしい家族だと思うが」
何が何だか意味がわからない。ただ一つ言えるのは、水島家はそれなりの家だが、この男水島望はダメ人間で、そいつを構成するためにブートキャンプするということのようであるのだ。
「…まぁ、いい。そんなことより自分で言うのもなんだが、こんなダメ人間に何の仕事をやらせる気だ」
「あぁ、それはだな…」