第一章 人格破綻者と笑えない僕 -12-
僕たちが神戸アイランド空港に降り立ったのは、翌日の朝のことだった。眠い目をこすりながらあくびをかみ殺す僕と、頭頂部にちょっとアレな寝癖をつけている水島の二人は、羽田発の始発の格安航空便でこの空港の端っこの方に降り立った。腹も減っている。くぎゅるるる…なんて腹の虫の鳴き声だ。
「まだ1時間弱はあるんで、何かお腹に入れていきませんか?」
「賛成だ。その腹の虫の鳴き声止めないとな」
アイランド空港にはそれほど立派な店が入っているわけではないが、とにかく胃袋に入れられるものなら何だっていい。例えばそう…うどんとか。見るとさぬきうどんの店がそこに入っているではないか。
「うどんとかでもいいですか」
「朝からうどんか…俺はパン系でもいいんだけど…」
早朝にもかかわらず、僕らと同じような考えを持っているビジネスマンが複数いるからなのか、店は結構込んでいる。ファストフードで腹満たすのもどうかと思うので、それだったらまだうどんの方がましだと僕は思う。
「いらっしゃいませ」
「すいません、天玉1丁」
僕の胃袋は空っぽだ。こういうときは男の方がいいなぁとつくづく思う。さすがにノーメイクというわけにもいかない。かといってごってごてにメイク決めてた、この近所の某女子とかはやりすぎなんじゃないかと思う。
「天ぷらうどん」
「御注文はいりました、天玉1丁、天ぷら一丁」
店内を見回すと、一人の男がいた。結構な美形で、長身である。別に好みのタイプというわけではないが、多分モテそうな感じである。大体こういう男は美人の彼女連れているんじゃないか、と勝手な憶測を立てる。無論僕の妄想だが。だが、大体よほど異常な発言をしない限り、この男がモテないということが想像でき
「お前にうどんの何が理解できる」
…前言撤回。この長身イケ面からこれだけ痴的な発言が飛び出すとは思わなかった。いやいいじゃないか、うどんを理解しなくても。
「…だからってな…いい加減にしろお前…出張が香川で夕飯までうどんで…まだうどんを食べたいと思うお前の脳には一体何が詰まってるんだ!?」
もう一人の茶系の髪の毛の男がキレ気味に発言する。御愁傷さまとしか言えない。多分その長身イケ面の脳にはうどんしか詰まっていないんだろう。うどん県民だって三食は食べないだろう。
「その脳を有効に活用するためのうどんだ」
「…わかった、もういい。だが付け合わせはしっかり野菜入れろよ」
「ああ、美味しくうどんを食べるためにも体調管理は大切だからな」
…茶髪イケメンはいい奴だと思った。そして僕と水島はその二人のコントを無料で見ながら、うどんを黙々とすするのだった。
「やっぱり関西は笑いのセンスが違うな」
水島の独白に、いや、あれは多分笑いのセンスという問題じゃないだろ、とかき揚げをかじりながら心の中で僕はひとり突っ込んだ。店員も他の客も完全スルーしているのが、またなんとも言えない。関西はしょうもない笑いに冷たい。
---
ジェネシスウェルネスに到着して、簡単に説明を受けている間に僕はあることを思っていた。おそらく水島もそうだろう。
出来たばかりとおぼしきオフィスで若い人たちが働いている。基本的に最先端のオフィスの中に倒福が飾ってあるところで、この企業が中国系なのだと再実感させられる。
「…そしてこれが厚労省への提出資料です」
非常にきれいな発音の日本語で、日本支部長の劉氏が説明しつつ書類を見せる。担当者ではないのでどの程度の正確性があるのかはわからないが、少なくとも彼らは想像以上に誠実なビジネスを行おうとしているように感じる。
「ありがとうございます。ところで」
水島が切り出す。おそらくそろそろ聞かざるを得ないことが一つある。
「今回、このようなことになってしまったことについて、何か気になることはありましたでしょうか」
「気になること?」
「はい。どんな些細な変化でもかまいません。例えば急に誰かが辞めたとか…」
「いま、なんと?」
劉氏がびっくりしたような顔でこちらを見る。
「いや、誰かが辞めた、とか…」
「え、でもそんな…いやしかし… 」
劉氏は部下に小声で何かを耳打ちする。中国語のようである。
「実は…2週間前にうちの事務の女性が急に退職してしまい…」
「はい?」
「非常に優秀な女性だったんで残念だと思っていたんですが…この、霧島くんなんですがね」
僕は信じられないものを見た。
メガネをかけているが、間違いない。この目の前の写真には、自分がここ数日で何度も見た美女の姿が映っている。これで3度目ということになる。偶然ということがあるだろうか。
「ふーん。ん?どうした?」
僕は水島の気のない返事にこたえられないでいた。どうやって説明すればいいというのか。夢の中で会った美女が自分に会いに来て、さらに目の前の写真と一緒だというのだ。こんなこと誰が信じる?
「おい。箱崎」
「は、はい」
「何か気付いたのか」
水島が怪訝な顔をしてこちらを見る。僕だってどうやってこたえればいいかわからない。とにかく落ち着け。落ち着いてどう説明するか考えろ。
「ふー…」
僕は深呼吸をしつつ10数える。落ち着け、思考を整理しろ。説明すべきところを絞れ。
「すいません、実はこの女性を東京で見たことがあるんで」
「なんだって?」
劉氏と水島の二人が、ありえない、といった顔でこちらを見る。
「地下鉄の中で見かけただけなんでよくはわからないんですが、すごい美人なんでよく覚えていたんです」
「しかしなんで東京に…」
「普通に考えればいい仕事でもあったのだろうが…」
劉氏も水島も怪訝な顔をしたままである。無理もない。何の接点もないはずの僕と彼女がニアミスしていたというのだから。水島の方は納得いっていないという顔をしている。
「…本当にそれだけか?」
「ちょっと待ってください?何か疑われてますか僕」
今の説明だけでは納得がいかなかったのか。しかし少なくとも嘘はない。
「いや…そうじゃないんだが、一度見ただけの人間を良く覚えていたなぁと、そう思っただけだ」
「そう…それだけです」
僕は水島の目をまともに見られなかった。しかしながら本当のことを言ったところでおかしな人扱いされるのではないか。そういう考えから逃れられなかった。