第一章 人格破綻者と笑えない僕 -11-
僕と水島だが、健康食品からのDNA抽出を終え、バイオトレジャー社に依頼したり、ジェネシスウェルネス社へアポイントを取ったりとそれなりに忙しくしていたと思う。にもかかわらず、このあたりの記憶がいまいち曖昧である。
どうして、といわれるとよくわからないのだが、少なくともあの謎の美女の影響というのは否定できないようにも思える。彼女は一体僕とどういう関係なのか、そして僕は誰だと彼女は言いたいのか。
しかしそうはいっても、まだこのころの僕は、水島に相談するという発想は全くなかった。無論相談したところで、彼は精神科の医師というわけでもないので対応などできなかっただろうが。
それでも他の誰に相談できるかを考えてみると、何しろ夢の中の美女が現実に出てきて僕におかしなことを言うんだ、などという荒唐無稽な話である。少なくとも笑わずに聞いてくれそうな人物は、僕にとっては水島しかいないと思うのだが、それでも聞くに聞けなかった。
もう少し前に知り合っていたなら、あるいは違ったのかもしれないが。
いずれにせよたらればの話は置いておこう。
さて、春先からそれなりに忙しくしていた僕らだが、ゴールデンウィークくらいは普通に休みを取ることになっていた。
水島はぶつくさ言っている。自業自得とはいえ無理もない。何しろ家と呼べるのはこのオフィスなのだから。実家に帰るのかと聞いたらありえないという。だが、正直こんなオフィス街のど真ん中いてもやることないだろう、仕事以外に。
「ハコちゃんは帰省するの?」
「はい」
「実家ってどこだっけ?」
「岡山です」
「岡山かぁ…でもハコちゃんてさ、あんまり訛りとかでないね」
「そうでもないぞ」
急に水島が僕とリーダーの話に入ってきた。
「前物凄く驚いた時、『もんげー!』って叫んでただだろ」
「えぇ?そ、そうでしたっけ?」
「なんかどこかの子供向けアニメのキャラみたいだなぁ…」
「…そのアニメのキャラ…たぶんうちの近所の神社由来です…」
「マジか。世界って狭いな」
リーダーが妙なところで感心している。まぁそんな方言、普通はでないらしいから。僕の出身は山の方なので、たまたまそのアニメのキャラを見て、妙な親近感を抱いていたらこれである。親近感もくそもなかった。おそらく製作者に同郷に近い奴がいる。
「それにしても、それ何やってたときに叫んだんだよ…」
「いや…新宿駅で乗り換えのときに…余りの人の多さで…」
「君帝大だったよな?東京暮らし長くないの?」
「あまりの人ごみの勢いで、つい」
お恥ずかしい話である。あまり新宿の方にはいかなかったのがいかんかったのか。代々木とか原宿とか、そっち方面に用がない喪女だったから仕方ない。といっても、乙女ロードとかそっちにも用はない。
「リーダーは御実家どちらです」
「山梨の方だ。嫁の実家は静岡だけど」
「…なんか富士山関連でもめそうな配置だな…」
まったくだ。何であんなに両県の富士山に対するこだわりが強いのか意味がわからない。もっとも岡山にも、異常なまでの謎のきび団子推しがあるからよそのことは言えない。
「ま、とにかく奇妙な事件のことはいったん忘れて…ってメールだ」
「どうしました?」
「ジェネシスウェルネスからだ。あー…向こうはゴールデンウィーク休みじゃないのか?」
「いや、そんなことはないと思うんだが…」
リーダーも水島も露骨に嫌そうな顔をしている。連休中に仕事は嫌だ、ってやつだろうか。
「うーん。ハコちゃんも水島も、連休中で悪いんだけど、神戸まで行ってくれないか?」
「神戸ですか?」
「ジェネシスウェルネスの日本支社って、アイランドポートにあるからさ」
「あぁ…再生研関連か…」
アイランドポートには、故ケビン山崎氏の肝いりで各種生命系企業が200社以上も軒を連ねている。いうならば再生医療都市が形成されつつあったのだが、不幸にして彼がなくなったことで少なからぬ会社が撤退している。とはいえ、まだまだ企業の数は多く、撤退した企業の代わりに別の企業が入ったりと生命医療系はまだまだ熱いようである。
「ハコちゃん、神戸までの交通費と宿泊費でるから、帰省にちょうどいいんじゃない」
「うーん」
まるめこまれた。とはいえ決して安い金額ではない。出張という形にしてくれるんであるなら、こちらとしても願ったりかなったりである。
「水島は出張すんだら報告頼むな」
「わかった…が…結局帰ってくるのここなのか…」
「それともどこか行きたいのか、連休だし」
「そういわれても」
水島の気持ちもわからないでもない。連休といっても、結局会社に帰ってくるのではやってられないだろう。その一方で、そんなに貯金もないって話ではどこかに行くなんてことも到底無理だろう。まぁ、そこのところは自業自得だ。
「では、報告の方よろしくお願いします」
「わかった。ジェネシスウェルネスに行ったあとはそのまま帰省するんだな」
「そうですね」
「家族と仲がいいのはいいよな」
水島が少しうらやましそうにつぶやくのを、僕は聞き逃さなかった。