第一章 人格破綻者と笑えない僕 -10-
水島が借りてきた健康食品だが、濃い緑色の錠剤のように見えた。素材を見ると、特に大したものは使われていない。キャベツやらザクロやら大豆やら、少なくとも遺伝子を操作できるような性質のものは含まれていない。
「…いっていいかどうかわからないんだが…」
ずいぶんと変な切り出し方をするものだと思った。僕の目の前に、いくつかの書類が置かれてある。全て水島がジェネシスウェルネス関連で調べた書類である。
「少なくとも、他の企業に比べたらこの企業は良心的であるといっていいレベルだ。にもかかわらず、だ」
「何が言いたい」
リーダーが若干不満気である。結論は何なのか、とでもいいたそうな顔をしている。
「他の会社で気を使われていない商品でも、運よくという言い方になるが、健康被害なんて出ていないものもあるだろう。それに対して、ジェネシスウェルネスは製品の製造工程や各種品質検査までしっかり開示している。厚生労働省にもしっかりとした申請をしているのに、こんなことになるってのは一体何なんだろうな」
「正直者が…馬鹿を見るってことですか」
僕は書類をめくりながらつぶやいた。この書類を見る限り、ジェネシスウェルネスは良心的な企業といえるだろう。それにもかかわらず、今回の件も含めて3件の事件が発生しているのだ。これは偶然ではないだろう。むしろ…
「そういうところだからこそ、逆に狙われたんじゃないか?」
「山岡さん…まさか」
「そうだ。企業テロってやつの可能性も考慮に入れた方がよさそうだな」
リーダーがにやりと笑う。すでに警察とのやりとりを進めているようだ。警察は混入過程がどこにあるのかの調査を進めているようで、日本以外の国ではこのような事件が発生していないことまでは明らかになったようだ。
「遺伝子操作をするよくわからない代物を、健康食品に混入する…いったい犯人は何がしたいっていうんだ」
「しかし、混入させた場所は日本国内の可能性がかなり高そうですね」
「あぁ。そして、犯行を行うためにはかなり高度な知識や技術が必要だってこともな。理由は全然見当つかんが」
そうなのだ。件の旦那も、ジェネシスウェルネスも本来は悪くない、ということになりそうではある。日本国内の代理店で、商品がどこかで遺伝子組み換えを引き起こす何かにすり替えられたか、はたまた運送過程か…ここまでくると、今度は逆に怨恨などの目的じゃないかとすら思えてくる。
「うーん。よくわからんな。犯人は一体何がしたいんだ」
「他の2件もそうなんですけど、胸が大きくなるとか、髪が黒くなるとか、正直どうでもいいところで遺伝子操作をしている。あまり悪意があるとも思えない」
「…勝手に遺伝子操作なんて悪意の塊じゃないですか!」
水島ってやつは…どこか世間とずれているんじゃないだろうか。勝手に遺伝子なんかいじられて、気持ちがいい人間なんているわけないだろう。
「悪意の有無は正直わからんが、犯人は今もどこかで遺伝子操作をしているのかと思うとぞっとせんな」
「…あぁ。今はいいが犯人がとち狂って遺伝子操作で健康被害や殺人でもおっぱじめたらたまったもんじゃない」
会議室のホワイトボードに、犯人と思われていた個人や組織を書いていたが、次々と×がつけられていき、最終的に残っているのが容疑者Xだけである。要するに何もわかっていないのと一緒か。いや、犯人はおそらく日本国内にいて、遺伝子操作とベクターに極端に詳しく、しかもとんでもなく非常識な人間だということまではわかっているのだ。
「どこかの大学か研究機関の人間が疑われるな」
それはリーダーに限らず、僕や水島も思っていることだ。だとしても何の目的でこのようなことをしているのかさっぱりだ。
「…ターゲットの遺伝子があるってことはだ、ゲノム編集技術を使用している可能性が極めて高いな。バイオトレジャー社に問い合わせしてみたいな」
「どういうことだ」
水島が普通の笑みを浮かべる。そう、その方がいい。
「ゲノム編集という、目的の遺伝子の目的の位置を操作する技術が数年前から現実のものになってきている。その技術を実際に使うとするなら、ゲノム編集の薬品を多数作っている、バイオトレジャーの製品を使ってるんじゃないかと思った」
「ふむ」
なんだかちょっと難しくなってきた。そんなことができるとか、現実の方がSFに追いついて追い抜いて行っている感じがする。
「でもバイオトレジャー社のその製品って、人間に使っていいんですか?」
「駄目だろうな」
酷い話もあったものだ。人間を実験動物にでもするつもりだろうか。
「一番の謎は、遺伝子をどうやって被害者に送り込んだかだ。正直なところ全く見当がつかない。新世代シーケンサで結果が出るまでは、何を言っても憶測にしかならないと思う」
「ウィルスが見つからなかったんですよね」
僕も数日前に行った調査のことを思い出す。
「そうだ。とするとおそらく非常識なベクターが使われてるはずだ。まともに発表すれば一流の学術誌に掲載されるんじゃないか?」
研究者の性なのかもしれないが、そのような技術を発表するっていうのは恐ろしいのではないだろうか。