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新見さんの背中をただぼんやりと眺めていたがそれもすぐに人ごみへ消えてしまい見失う。見えなくなってしまえばすることもなくなり、会場をぐるっと観察してみる。
会場の作りはリビングと同じ雰囲気らしいが、部屋の広さが格段に違い、普段はこの部屋を何に使っているのか、それより使い道があるのかと嘆きたくなるほどの広さがあり、そこに恐ろしい程の人が集まっている。いったい何人集結しているのか、そんなことを考え出したら眩暈が起きそうですぐにやめた。
ふぅ、と息を漏らしながら周りを観察してみると嫌な視線から逃れられないことを再認識した。
そうと言うのも、私を値踏みする行為はあちこちで、あからさまに行われていたからだ。それに対して怒りや苛立ちよりも恐怖心が勝ち、無様に突っ立っていることしかできない。お酒に逃げることもできず、美穂さんやジュエリーショップの店員さんなど居るはずの知り合いもこのだだっ広い会場で探し出すことのほうが困難に思え、早々に諦めてしまうとただ立っていることしかできなかった。
そうやっていると一時間くらい経ったのか、だんだんと小腹が空いてきた、と無理矢理理由を自ら見出しその場から離れようとしたが、気の強そうなご令嬢様がコツコツとヒールの音を響かせながら近づき、私の前でピタリと止まり、タイミングを逃してしまった。
「貴女が、里中さん?」
向かい合っている顔に視線をむけ、頭の中で知り合いではないかと探してみるが該当者は見当たらない。
一体誰なのだろう。見ず知らずの美人令嬢に全身で気に入らないというオーラを纏って堂々と立たれてしまえば、徐々に背筋に嫌な緊張感が増し、これから繰り広げられるであろうひと時を思い描くと手足から力が抜け出てしまいそうになる。
「…はい」
必死に這い出た声は、消え入りそうなほどか細い。弱々しい態度が気に食わなかったのかご令嬢様はあからさまに眉間にシワを寄せた。
「みっともない人。なんで貴女のような人が新見様の隣に厚かましく並んでいるのかしら。貴女、どういう神経をしているの?」
投げかけられた問いは、普段私の身体の中で留まっていたものでもあり、この会場にいる誰もが思った疑問でもあったのだろう。心なしかちらちらと視線が投げかけられている。
だが、いくら自らそんなことを考えていたからと言って知りしない他人の口から音となって、傷つけられるとは思いもしなかった。
その殺傷能力は、ご令嬢様の想像をも超えていた。
ガクガクと震える身体を支えることで精一杯で、目線を合わせることもできず足元に視線を落とす。それが気に食わなかったのかご令嬢様は大袈裟にため息を吐き捨てた。
「悲劇のヒロイン気取り? …無様ね」
その通りだ、と思った。
本当に何故私のような小娘が新見さんの隣に立って居られるのだろう。仮とはいえ、妻という立場は、想像以上に重い枷となっていることに気づいたが、だからと言って離れることはできるのだろうか。
胸が痛い。鎖骨も痛い。肋骨も喉の奥も何もかもが痛みを主張している。おまけに目頭が熱くなっている。泣き出しそうな身体に鞭を打ち、震える吐息を吐き出した。
「…失礼、します」
すぐに消えてしまいそうな、弱弱しい吐息のような声にご令嬢様が馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
そんなご令嬢様から、この会場から、逃げるように外へ出た。
このまま帰ってしまいたいと心が主張しているけれど、帰る勇気など持ち合わせておらず、どうすることもできない感情から目を背けるために視線を足元へ落とす。が、すぐにこのままここに突っ立っていてはダメだと本能が告げるので、とりあえずトイレへ駆け込もうと落としていた視線をあげたところでふと気づいた。
どこにトイレがあるのかわからない。
そんな情けない現実を突き詰められると、わけのわからない感情が、こみ上げてきた。トイレの位置さえもわからない惨めな感情が。なにもできない。
ぷっくらと肥えた涙が堪らず地面に落ちた。
「あれれー? 里中さん?」
能天気な声が廊下に響く。振り返らずとも上司の声だとわかった。顔を見られたら何を言われるかわからない。そう思いすぐに俯きその場を離れようとしたが、腕を掴まれた。驚き、振り返るとそこには、朝井さんと新見さん、従兄弟の男性、そして見たことはあるが名前の知らない新見さんの知人が何人か立っていた。
「帰るつもりか」
低く、強張った新見さんの声が響き、身体が震えた。唇を噛み、掴まれている腕に視線を向けると、驚いたことに私の腕を掴んでいるのは新見さんだった。
「帰るつもりか、と聞いている」
一層咎めるような声に反射的に頭を左右に振り、応える。
「なら、どうして会場に居ない」
居ろと言われた覚えはない、と反論したい欲求が芽生え、キッと視線を新見さんに向ける。が、すぐにその勢いは萎んでしまった。その瞳に私はきっと一生囚われているんだ。
「そうだよ、里中さん。俺たち、探し回ったんだよー?」
朝井さんの能天気な声がこめかみにダイブし、突き刺さったように感じた。
「へぇー。この娘が、奥さん」
「可愛らしい娘だねー。新見と並んだら美女と野獣」
「言えてる。もしかして、ハーフ?」
飛んでくる言葉が全て嫌味に聞こえてしまう。先ほどの収まっていない感情が勢いを増して喉元を過ぎた。
もう、止められなかった。