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「誠の新妻って貴女?」
反射的に振り返るとそこには真っ赤なドレスを身に纏ったスレンダーな美女が艶めかしく笑みを浮かべて立っていた。その表情は、先ほど紹介された男と似たいやらしさが含まれているような気がして、またか、と肩を落とす。
「はい、そうですが」
貴女は、と促すが眼前の美しい女性はひらりと交わし、ペースよく話しを続けた。
「どうやったら貴女のように殿方をゲットできるのかしら?」
貴女みたいな女に、といういやみたらしい意味が含まれていることくらい私にだってわかる。
そんなことに少しでも傷ついた己に嘲笑したい気分だができずにだらしなく、弱々しい笑顔で受け取ってしまった。
「ゲットだなんて、そんな。私が聞きたいくらいです」
「それは結婚していない私への嫌味かしら?」
妖艶な笑みを浮かべる彼女に、それは被害妄想ですよ、と教えてあげたいのに、そんなこと言ってしまったらそれこそ嫌味だ。弱気な気持ちを体現するように、視線が下へと下がり、気を引き締め直し、視線を合わせる。
「まさか」
「貴女は今、私のことを被害妄想、と思ったのでしょうけれどその言葉、そっくりそのまま返すわ」
微笑む姿は美しいのに、なぜこうも攻撃的なのだろう。気に食わないのならほって置いてくれたらいいのに。
「どういう意味ですか?」
「そのままよ。貴女、結婚生活で一体何を主張したの? いいえ、何か言えたことがあって?」
何もない。
私は一切、新見さんへ主張したことなどない。
「主張しないことが美徳だなんて、そんな時代もう終わったのよ」
勝ち誇るかのような微笑に苛立ちよりも痛みが走った。
そんなこと、言われなくても知ってる。
そう声高に宣言してしまえたら楽なのだろうけど、私の何かがそうはさせてくれない。それが醜いプライド、というやつなのかもしれないし、ただの弱虫精神なのかもしれない。それでも、何か自分からアクションを起こすことはできなかった。
好きだ、なんてとても言えない。胸が痛い。鳩尾の奥にあるわけのわからない臓器が軋むように痛い。顎と耳の付け根の部分が細い針で貫かれたような痛みも走る。目頭だって既に熱い。痛みからなのか、それとも感情からなのかわからないが、今にも涙が溢れてしまいそうだ。
どうしてこんなことをこんな美女に言われないといけないのだろう、とか自分に甘い台詞や黒い感情が次々と溢れ、感情のコントロールがうまくいかない。
どうなっているの?
「ふふ、今にも泣き出しそうな顔がそそるわね」
ぐちゃぐちゃの思考の海にダイブしていた私を掬い上げたのは皮肉にも目の前の美女だった。
「ごめんなさい? ついついイジメすぎてしまったわ。私、貴女のような女の子好きよ? 今にも泣き出しそうな顔がとても似合う悲劇のヒロインが」
先程までのねっちょりした声音とは異なり、イヤミが含まれていないように感じた。
「本当よ? そのキョトン顔もとても可愛らしい。思わず食べちゃいたいと願ってしまうほどに」
「そ、それは、」
声を発する度に、喉が熱く言葉が焼けちぎれ、聞き取りにくい。
「嫌味じゃないのよ? あたし、大賀 美穂っていって、誠の従兄弟なの。ちなみに、正臣とは双子よ」
にっこりと笑う顔は確かに面影があるような気がした。
「誠なんて、えらく面倒な男に引っかかってしまった哀れな女の子に会いにきてみれば、こんな可愛らしいヒロインなんだもの。いじめたくもなるわ。それに、奈那子がかわいこちゃんだって珍しく興奮してたから余計いじめてしまったわ」
「ななこさん?」
聞き慣れない女性の名前に、一体、新見さんの周りには美女があと何人出てくるんだと嘆かずには居られない。
「前田 奈那子。ジュエリーショップで会ったでしょ?」
返ったきた答えに、昨日出会ったあの女性を思い出し、目を見開く。
「お知り合いだったんですか?」
「ええ。私たち、大学が同じなの。そんなことより。ねぇ、本当にどうして何も言わないの?」
砕けた口調に、少しだけ安堵するが、やはりこの話題は辛い。辛い、と一言で表してしまうと味気ないけれど、他にはっきりとした言葉では言い表せない感情で、強いて言えば、辛い、となる。
「美徳だなんてそんな大層な信念は持ち合わせておりませんが」
「何なら持ってるの?」
「…何も。何も持っていないんです。誓いを立てられる環境も、分かち合う時間も、貫き通す意思も、主張する根性も」
「なさそうね」
「実際、ないんです。だから」
「なんか、暗いわ。貴女お酒は? 飲めないの?」
「飲めますけど」
「ちょっと飲みなさい。なんだか辛気臭くて聞いているとこのドレスが萎れて枯れてしまいそうだわ」
言う通りだと思った。