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テーブルを囲うと、サンドイッチやフルーツなど軽食が並べられていた。
テーブルの向い側には仁さんと尊さんもおり、談笑しながらサンドイッチを頬張っていた。その隣には、見たことのない美しい女性たちが妖艶に微笑み、楽しそうに過ごしている。
「あの」
右隣に立つ栞さんの耳元に近寄り、小さく尋ねる。
「尊さんの隣にいる女性方はどなたですか?」
「あぁ。あの人たちは尊兄さんと仁の婚約者。まぁ、結婚はしないだろうけど」
さらりと言い放った言葉はあまりにも重い一言であるのにそう感じさせないのは栞さんの話術が為す技なのだろうか。
「婚約って結婚を前提にしたお付き合いですよね…?」
「一般的にはそうなんだろうけど、あの二人は非常識というか、親が悪いというか」
そう言いながら、フルーツを一口頬張り「あ、これ甘くておいしい。春香さんも食べる?」と勧めてきた。
「あ、はい。頂きます」
「どうぞ。あの二人は勝手に婚約者だって言い張ってるだけなの。尊兄さんとか最初はちゃんと否定していたんだけどもう面倒になったみたいで言いたいように言わせてるんだって。これって結婚詐欺で捕まる?」
肩をすかしわざとおどける様にして言う姿は好感が持て、少し微笑む。
「お義父さまはなんて仰っているの?」
「さぁ。好きなようにしたら、とは思ってると思うよ。うちは放任だから。そんなことより、春香さんだよ。なんでセイ兄なんて男に決めたの? それが一番の謎だよ」
一番の謎は、あの妖艶な美女と尊さん、仁さんの心境だろうに、とつっこめるわけもなく、愛想笑いで受け流した。
「セイ兄とはどこで知り合ったの?」
砕けた口調が不快に感じない上に、なぜか品の良さも損なわれていない栞を不思議に感じる。
「職場です。一緒の会社に勤めているので」
「そうなの? 春香さんって頭いいのね」
「いえ、たまたま入社できただけで、頭は良くないです」
「ふーん。ねぇ、どうして結婚式挙げなかったの?」
神に誓うから。
そう答えられればどれほど楽なんだろう。それでも、その楽さに甘えてはいけない、と内なる自分が囁く。
「忙しい時期でもありましたから挙式は落ち着いてから、ということになったんです」
こうもペラペラと嘘が吐き出せる自分が恐ろしい。それでもあまり罪悪感は感じなかった。それは、この嘘がばれてしまうと新見さんとの結婚がなかったことにされるという恐怖心が優ってことだろうか。…だとしたら、恐ろしく醜い。自嘲気味に笑みを浮かべそうになり慌てて気を引き締める。
「落ち着いてからするんだ? それならいいの。挙式は挙げないとか言い出したら私がセイ兄に一言言おうと思ってただけだから」
「あの、もしかして。栞さんは、この結婚に賛成、してくださっているんですか?」
「私だけでなく、家族皆が泣いて喜んだよ? なんたってあのセイ兄だからね。結婚は一生無理だと思ってたし」
栞さんは、フルーツを食べ終えると、今度はサンドウィッチに手を伸ばす。白く柔らかそうなパンに挟まれているクリーム色の卵が綺麗だ。
「そ、それは、謙遜ですよね?」
「…恋は盲目ってよくできた諺だよね」
大げさにため息をこぼす栞さんの姿にまさか、と言って笑い飛ばしたが、栞さんは首を左右に振った。
噎せ返るような花の香りと、目の前の妖艶な美女から香る香水が まとわりついた。
「おい」
食事をしにきたはずなのに、新見さんは何も取らずに左隣の男性と話し込んでいたのだが、急に声をかけられ思わず肩が揺れた。
「は、はい」
私の反応があまりに無様だったのか、栞さんはもちろん、新見さんの隣に立つ男性からも笑われてしまった。
「なんだよ、お前。嫁に怖がられてんの?」
「そうなんですよ。セイ兄ったら、せっかく捕まえた上玉に怯えて虚勢を」
「栞。そのままふざけて口を開けたらその口にゴキブリを放り込むぞ」
なんとも恐ろしい脅しに私はまた震える。
「これだから野蛮人は」
「君も馬鹿みたいにいちいち反応するな」
「すみません」
「へぇ、大人しい人なんだ? 今までとは毛色の違う女なんだ」
花の香りと共に漂うように放たれた言葉が私の胸と鎖骨に刺さる。
それは、どういう意味だろう、と問う間もなく新見さんの声が響いた。
「従兄弟の正臣。俺と同い年だ」
「はじめまして。大賀 正臣って言います。誠の母親の妹が俺の母さんなんだ。よろしく」
人の良い笑顔が私には少し恐ろしく思えた。
きっと、この人は私を憎んでいる。
そう、直感した。
「はじめまして。春香です」
震えてしまうのではないかと内心ではヒヤヒヤしていたが、思いの外しっかりした声が響く。
なんだ。私はまだイケるんだ。
「よろしくね。俺、夜のパーティーにも参加するからー」
ニヤニヤとだらしなく口角を歪める相手に心の中で汚い感情が蠢く。
何も答えることもないだろうと笑顔で受け流すと従兄弟の男性は軽く肩を竦めた。
「あ、誠。さっき美穂みかけたけど、今どこにいんの?」
既に興味の対象から外れた私はこっそりと息を吐き出し、気持ちを落ち着かせた。
他人からの遠慮のない非難の視線は、はっきりいって不愉快だし、傷だってつく。そんな無言の圧力をかけていただかなくともそんなこと自分が一番わかっているのに。
そこまで開き直ることができることに、新たな発見を見出した気がした。
いつだって私を奈落の底へ突き落とすのは、他人ではなく、この隣の男なのだ。
「そんなこと俺が知るわけないだろ」
「じゃぁ、探すの手伝って」
「俺がそんなことすると思うのか?」
「しないと思うからこうやって頭を下げてるんだろ?」
「頭なんて下げてないだろうが。目線は変わらずあっている」
「頼むよ。春香さん、誠連れて行くと淋しくて死んじゃう?」
小馬鹿にする言い方をあえてしているのかと純粋に聞きたかったが、飲み込み首を振った。
「ほら、嫁はいいって言ってるだろ。ちょっと付き合えよ」
新見さんが答える前に、大賀さんは腕をとり引っ張りながら場を離れて行った。
「嵐が去ったわ」
ポツリと囁く栞さんの言葉に同意するように頷いた。
「栞さんも、挨拶があるんじゃないですか?」
「嫌なことを思い出させるのね」
項垂れながらも手にしていたシャンパングラスとお皿をテーブルに置くと「嫌なことは早いうちから手を打ってくるわ」と宣言したのち、場を離れた。
両サイドがガラリと空くと、周りからの視線が直に届き、居心地は悪いが私はこの場以外どこへいっていいのかもわからないので、その場に立ち尽くしていた。
背後から声をかけられたのはそのすぐ後だった。