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パニックを起すが、悲鳴となってあらわれなかった自分を褒めてあげたい。これ以上冷静さを失ってしまうと何を仕出かすか自分でさえわからない。そう思い、時間もまだ余裕があることもあり、軽くシャワーを浴びて、なけなしの冷静さを総動員させた。
お風呂場からあがり、昨日きていた服を身に纏い、髪を乾かすと時間は6時を少し過ぎた所だった。計算通り進む準備の良さに少しは冷静さを取り戻せたようで安堵のため息がこぼれた。
それからは用意されてあった化粧品を確認すると、化粧水や乳液、ボディクリームも準備されてあった。そろそろお肌の調子も気になっていたので、心の中でお義母さまに謝罪と感謝を述べ、使わせてもらった。それから最後に昨夜もらったばかりの指輪を今度は左薬指に嵌めて準備完了となった。
左薬指に嵌めてみると指輪の輝きとは反し、胸の中が冷たくなっていく感覚が自分でもわかるが、そこにいちいち反応していたらこの部屋から出ていけなくなってしまう。
隙あらば弱さに浸りたがる自分を叱責していると、タイミングを測ったようにドアを叩かれた。
「…はい」
「準備はできたか?」
すっかりいつもと同じ声色を放つ新見さんに少し残念に思いながらドアを開けた。
「はい」
「…クローゼットの服は気に入らなかったのか?」
「あ、いえ。服は着て来たものがあったので借りなくてもいいかと思いまして…」
「気に入らなかったわけではないのなら、用意した服に着替えてくれ」
「いいんですか?」
「頼んでいるのはこちらだ」
そう言われて、新見さんの言葉のどこで頼まれた言葉が発せられたのか皆目検討がつかず、「はぁ」という言葉にもならない声がこぼれおちると直ぐにドアを閉められた。
私が鈍感、なのかな?
そう思いつつクローゼットを開け、一番シンプルな紺色の丸襟で胸元に花の刺繍がされているワンピースを手に取り、着用した。サイズもぴったりで驚いたが、腕の部分のパフスリーブが可愛くてその驚きはすっかり消え去ってしまった。
「お待たせしました」
ドアを開けてみたが新見さんは居らず、あたりに視線をむけると、そのすぐ横の壁に凭れかかり、腕を組んでいる姿が目に入った。その姿はとても美しく、チノパンと紺色のボタンダウンがよく似合っていた。
「朝食はこちらで準備した。母も同席し、今日の流れについて軽く話があると思う」
「わかりました」
頷き返すとすぐ横の階段を降り、リビングへ案内された。
リビングは玄関をまっすぐ奥に進んだところにあるようだった。リビングは昨夜私を案内した部屋とは比べ物にならないほどの広さがあった。家具もアンティーク調で統一され、どこをみても眩暈が起きてしまいそうなほど輝いていた。
「あら。二人とも紺色の服だなんて。お揃いは指輪だけでいいのよ? まったく。可愛いことするのね」
先にリビングに来ていたお義母さまが私たちを見るや否や口元を手で覆い、上品に笑いながら言いのけた。
指輪? お揃い?
「誤解です」
固まっている私を他所に、しっかりとした声で新見さんが否定すると、すかさずお義母さまがニヤリと微笑む。
「あら? 誠が訂正するなんて余計に怪しいわね」
「あ、あの、お義母さま」
「ふふ、気にしないで。さ、座りましょう」
そのまま六人掛けのテーブルに案内される。が、どこにどうやって座ればいいのかわからない。
テーブルを前に固まっているが、私の様子に気づかないのか、お義母さまは三つ並んだ椅子の真ん中に座り、新見さんはお義母さまと向かい合う辺の端に座ったので、近くにあった椅子の内、新見さんと一つ間隔をあけた右端の椅子を引き、座った。
「春香さんはコーヒーと紅茶どちらがいいかしら? ちなみに、私のオススメは紅茶よ」
「では、紅茶をお願いします」
「誠は?」
「コーヒー」
「ひねくれ者ー。これだから無愛想はいやよ」
頬を可愛らしく膨らませる姿は女子高生のようで、とてもお義母さまには見えない潤いが漂っており、充実してると年もとらないのか、と考えていた。
「紅茶といっても、フレーバーティーなんだけど、春香さん飲める?」
「あ、はい。大好きです」
「それはよかったわ」
お義母さまがそう言われると、静かに奥から、年配の男性がやってきてこちらに軽くお辞儀をしてからお義母さまの近くで足を止めた。
「昨日のフレーバーティーを二つとコーヒーを。朝食は軽くお願いね」
「畏まりました」
年老いた男性ではあるが、漂うオーラは上品で執事として洗練された仕草が時折心を掴む。
「朝食がくるまで、今日の流れについて話しましょうか。春香さんはどこまで聞いたのかしら」
そう言われ、何と答えていいものかわからず、曖昧に微笑みその場を濁す。そもそも、今日になればわかると言ったのはあなたたちではありませんか。
「えっと、お昼から開催されるんですよね…?」
必死に情報を捻り出すと、お義母さまは少し眉を顰め、新見さんの方へ鋭い視線を投げた。
「貴方、ちゃんと説明しなかったの?」
声色も冷たさと鋭さが混ざり、そこに嫌悪感があることはは明らかだ。
「…どうせ今日わかるだろ」
「なんです? その投げやりな態度は。信じられません」
ぷりぷりと怒る姿はお義母さまとは思えないほど若々しくて可愛らしく、対象的なふたりをただポカンと眺めていた。
「男の人って本当、思いやりが足りないわね。春香さんごめんなさいね? 不安だったでしょう? お昼のパーティーは家族との面会みたいなものだからパーティーというとなんだか意味合いが違うかしら。とにかく、堅苦しくないから、緊張しないで」
表情が引きつっていたのか、お義母さまは私の緊張をほぐすように優しく話しかけてくれる。
「はい」
そう言ってお義母さまに微笑みを向けるとお義母さまも微笑み返してくださった。