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気を取り直し、振り返って部屋を見渡すとそこは異空間のようで、今まで起きた現実なんて忘れられそうなそんな素敵な空間だった。
とりあえず手にしていたカバンをベッドの上に置く。そして、カバンの中からさっきの指輪が入ったケースを取り出し、開けて見る。そこには未だに輝きが放たれ、その輝きはあまりにも煌きすぎるので、慌てて蓋をとじメインテーブルの上に置いた。
しばらくの間、そのケースを眺めていたが、この静かな空間と落ちていく感情がまた共鳴しそうになっていることに気づき、慌てて目線を反らす。すると、視線の端にドアを見つけた。興味をそそられるように近寄り、中を覗くとそこは、異常に広く、奥にはなんとバスルームまで完備されていた。
「ここで暮せと…?」
そう言われてもなんの不自由もなさそうに感じるほど整っていた。さすがに、キッチンはなかったがトイレもしっかり置いてあった。
◇
それから部屋を探索し、思う存分堪能すると明日の朝が早いことを思い出し、お風呂に入ることにした。お義母様が用意して下さったという着替えも気になり、クローゼットを開くとそこには何着もの服が収納されており、驚きのあまり、とりあえずドアを閉めてしまった。
「…着替えってパジャマのことじゃない…?」
そんなことを呟いても返答してくれる心優しき人物がいるはずもなく。仕方なくもう一度クローゼットを開け中身を確認する。そこには、ネグリジェと言われるようなものが3着と、それからシンプルなワンピース、シャツ、スカート、ショートパンツなど日常生活で着るような服が何着も収納されている。ジャンルも様々でキレイ系からカジュアル系まで幅広く、それはまるで、とりあえず集めてみましたと言わんばかりのフリージャンルさだった。
その意図はよくわからないが、ネグリジェをパジャマ代わりにすることなんて到底できなし、かといってこの高級そうなワンピースやらショートパンツをパジャマ替わりにすることもできず、諦めてクローゼットを閉めた。
そう言えば下着はどうすればいいんだろう? そんなことを考えながら悶々としていると控えめなノック音が響き、慌ててドアの方へ駆け寄った。
「はい」
「私! 春香さん」
その声はお義母さまだった。
「すぐ開けます!」
ドアを開けると素早く視線が頭の先からつま先へ移り、安堵のため息をこぼされた。
「あ、よかった。まだお風呂入ってないわよね?」
「はい」
「私ったら、下着を届け忘れてて。ごめんなさいね?」
「い、いえ! そんな、あの」
「遠慮せずに使って? あ、パジャマはクローゼットの中にあるから使ってね? 春香さんのために集めたんだから。それに、明日のパーティーに今日と同じ下着はちょっとね? 明日の着替え、私も立ち会うし」
「立ち会う?! なんですか? それ」
混乱のあまりすこし声を荒げてしまったがお義母さまは嫌な顔一つせず、クスっと笑っただけで「明日わかるわよー」と新見さんと同じことを言うので不覚にも親子なんだな、なんて頓珍漢な事を考えていた。
「それじゃ、また明日ね。あんまりいっぱい話すと怒られちゃうから」
誰に? と問う前に手を振りながらドアを閉められてしまった。
一体なんだったんだ、と溜息をこぼしながら手渡された袋の中身を確認するとひらひらの白のレースがついた生地の少ない下着だった。
「…これは澪のパンティーですよ…」
虚しくなりながらも、せっかくの好意を無碍にする勇気などなく、恥ずかしいネグリジェと下着を持ってお風呂場に向かった。
◇
朝目覚め、時計を見ると5時すぎだった。
少し早く起きすぎたかな、なんて思いながら顔を洗い、歯を磨いたところで重大なミスに気がついた。
「メイク道具!」
昨日は急いでいてメイク道具の入ったポーチを入れ忘れてしまっていた。泊るなんて思ってもみなかったし、なんて言い訳を心の中で並べてみたが、社会人としての身だしなみとして化粧ポーチを持っていないなど言語道断。澪がこの場にいれば、小一時間は説教される勢いのミスだ。
どうすればいいか悩む。が、選択肢などなかった。例えば、すっぴんでお義母さまに会い、メイク道具を貸してもらうなんて、失礼にもほどがある。どうすればいいのやら。
そこまで考え、向かいの部屋に新見さんがいることを思い出した。新見さんにすっぴんを晒すのも心苦しいが、既に昨日の朝見せているし、今の状態で贅沢は言ってられない。大きく深呼吸をして気休め程度に心を落ち着かせ、鏡の前で寝癖は付いていないか確認してから、向かいにある部屋へ向かった。
ノックをする前にもう一度深呼吸をし、髪を手櫛で整えてから控えめにドアを叩いた。
「…はい」
「す、すみません」
ドアの向こうから聞こえてきた声は今起きたのか、少し掠れた声で、先ほどとは違った緊張が身体を駆け巡りとっさに謝罪の言葉を口にしていた。
少し間を置いてからドアが開かれ、隙間からのぞく瞳が寝起きを物語っていたがそこが余計に色気を誘い、息をすることさえ煩わしく感じそうな自分がいた。
「…まだ、時間には早いと思うが?」
「す、すみません。問題というか、忘れ物をしてしまって…」
なるべくこの顔を晒さないように、視線を新見さんの足元に落としながら話すと頭上からあくびの音が微かに聞こえ、どぎまぎしてしまう。
「何を忘れた?」
まだ覚醒していないのか、言葉の節々にいつもとは違う気だるげな声に甘さを含み、朝から心臓が高鳴って仕方がない。なんて恐ろしい人。
「メイクポーチを…。すみません」
そう言うのがやっとの有様に落ち着きを取り戻すべく左手で右手の腕をさすっていた。が、急に視界が意思とはそぐい、あげられた。
「え?」
突然の変化に脳がついていけない。
顎の下に伸びた新見さんの左手であったりとか見つめている瞳であったりとかもうなにもかもがわからない。
「…ふーん。メイク道具ってベッドサイドの鏡のところになかった?」
「え? あの?」
「ちょっとおいで」
そういって昨日寝たあの可愛らしい部屋に戻された。
「…あ、これ。これじゃ足りない?」
指された指先を目線で追うと確かにベッドの横にメイク道具が揃えてあった。それも普段使っている化粧品よりも高価なものがすらりと並べられていた。
「た、足ります…。十分…」
「そ。それならいいけど。それから、今度からはその格好でうろちょろしないように」
そう言うと足早に部屋を出ていかれ、自分の姿を確認すると恐ろしい現実が待っていた。