19
遅くなりました。すみません。
お店を出るとすでに車が前に停まっており、その前にキーを預けた男の人が立っていた。
「歩いていくので、まだ預かっていてくれないか」
「畏まりました」
男の人はまたしても優雅に上半身を折り曲げた。
「こっちだ」
そんな男の人の姿に気にも留めず、新見さんは一人歩き出した。足の長さからか私よりも2、3歩先を行く新見さんに何か声をかけようと思ったが、ついていくことがやっとの私に話題を考えるスペックは既になかった。
高級店が立ち並ぶ通りを5分ほど進む一度とまり、私が追いつくとまた腰に手をあて、店の中へ入った。そんな行動一つ一つに、馬鹿正直に高鳴るこの心臓が間抜けだった。
◇
店内は白を基調としており清潔感白が店全体を覆っていた。そんな店内には至るところにガラスケースが並べられていた。
「いらっしゃいませ」
黒いパンツスーツを着た可愛らしい女性が、その姿にふさわしい声で言った。
愛されるために生まれてきたような女の子だな、なんて考えながらぼんやり眺めていた。
「君が担当をしてくれるのか?」
いつになく優しい声音で店員さんに言うものだから思わず顔をあげ表情を確認してみる。
そんな行動に気づいたのか一瞬こちらに目線を落としたがその瞳に優しさは含まれておらず、じっくり見ることもできないまますぐに視線は流されてしまった。
「はい! 本日はどういったものをお探しですが? プレゼントでしょうか?」
にこにこ微笑む店員さん。
私よりも年下に見える店員さんは、珍しく愛想のいい新見さんに魅入っているらしく私を視界に入れていない。そんなことも今更で、たまたま新見さんの態度が彼女に向いているだけ。私にその優しい声音で囁いてくれることもない。この状況に拗ねることもできない。彼の裾を掴むような可愛らしさもない。もちろん涙を流すことも。
「これにネックレスを」
「…畏まりました」
そこでやっと私の顔に視線を向けたが、視線を上から下へと落としてからにっこりと微笑んだ。その笑みはあからさまに勝者の笑みだった。
「その前に、前田を呼んできてくれないか」
圧迫感の無い声は、普段聞いている声よりも色気が漂っていて、気を抜くと自分でもわけのわからない行動をとってしまいそうになる。
「…前田、でしょうか?」
「ああ。早くしてくれないか」
「畏まりました。では、そちらに掛けてお待ちください」
そう言うと可愛い店員さんは頭を下げ、奥に消えていった。その姿を見つめてから、新見さんは勧められた椅子に座ったので、私もワンテンポずれた隣に座った。
「…君は何か主張というものがないのか」
呆れたように、ため息とともに吐き捨てられたセリフに言いようのない痛みが身体全体に走った。いや、痛み、というにはどこか違和感はある。泣き出す一歩手前のような苦しさだった。
「…新見さんにはわかりません」
私の気持ちなんて。
そんな一言を感情に任せてこぼしてしまいそうになるが、その手前で「あら」というこの場に似合わない陽気な声で遮られた。
「新見君じゃない。いきなり呼び出し食らったって聞いたから来てみたら。どうしたの?」
「…前田に頼みがあってな」
現れた女性も先ほどの店員さん同様、黒のパンツスーツに胸のところにネームプレートが付いており、『前田』と書かれていた。
「また? って、なに! このお人形さんみたいな可愛い子は!」
前田さんは、私の存在に驚いたようで、新見さんに向けていた視線を完全にこちらに向けた。
「…お前、相変わらず煩いな」
「はじめまして。わたくし、前田と申します」
新見さんの言葉を聞こえないような素振りで細い上半身を優雅に折り曲げた。その姿は本間さんと似た空気を感じ、背筋を伸ばした。
私も名乗ろうと、椅子を引いたがその動作を制するように新見さんが声をあげた。
「勝手に自己紹介を始めるな」
「何よ。なんで新見君がこんなかわいこちゃんを…。そもそも、どういう関係なのよ」
「新見 春香」
「…妹?」
「お前、わざとだろ」
「だってこんなかわいこちゃんが…。春香さん、ほんとにこんな男と?」
「あ、の…?」
「黙ってろ。…それより、アクセサリーを揃えてやって」
「畏まりました。では、新見様、こちらへ」
前田さんはスイッチを切り替えるように、仕事モードに切り替わった。私を立ち上げるために手まで差し伸べてくれた。その王子様のような仕草に恥ずかしさから頬が染まるのが自分でもわかった。
◇
「ドレスはご用意されましたか?」
「あ、はい」
「どのようなドレスか教えていただいてもよろしいですか? ドレスに合うアクセサリーをご用意いたしますので」
「は、はい。ドレスはAラインのチュールドレスで、色は黒メインです。上半身は黒のレースの下が淡いピンクの生地が見えます。それから…ウエストラインにリボンがついてます」
先ほどのドレスを思い出しながら答える形となり、要領を得ない言葉の羅列だが、前田さんはニコニコと微笑んでいた。
「畏まりました。セクシーというよりかはキュートよりのドレスですね。春香さんにお似合いだと思います。いくつかお持ちいたします。少々お待ちいただいてもよろしいですか?」
「は、はい。よろしくお願いします」
前田さんは柔らかい笑みを浮かべながら、お店の中を歩き回ったり、奥に消えたりしてからまたすぐに戻ってきた。
手際良く目の前に並べられたアクセサリーは、高価で私のような平凡な女が付けると浮いてしまいそうなアクセサリーからシンプルで可愛らしいアクセサリーまで幅広く揃えられていた。
「何か、目に止まるようなものはございましたか」
ピンクゴールドのネックレスに目がとまった。トップの部分はハート型のダイヤモンドが輝いていた。ピアスもおそろいで揃えられていた。
「…この、ピンクゴールドの」
前田さんは手袋をはめ終えた手でそのネックレスを手に取った。
「着けてみますか?」
控えめなダイヤモンドの光がとても可愛いと思い、素直に頷くと首にあてがい、鏡の前で眺めた。
「とてもお似合いです」
お世辞だとわかっていても、口元はほころんだ。
「それをいただこう」
いつの間に背後にいたのか、新見さんがそう言ってしまい、慌てて断ろうとしたが前田さんが「ありがとうございます」と先ほどとは違った、意味深い笑みで応えた。
「カード払いにしますか?」
「ああ」
「あ、あの! 自分のものは自分で払いますから」
「あら。春香さんったら。ここは男が払ってこそこのダイヤモンドが輝きを放つのよ?」
砕けた口調に妙に説得力のある声で「本当ですか?」と言ってしまいそうになる。
「君が気にすることではない」
そう言うとカードを取り出した。
前田さんのスムーズな手続きでサインまでしていた。
「…すみません」
お金が無いと思われているのかもしれない。確かにお金持ちでは無いけれど、貯金だってあるし、つい先日、あのお気に入りのマンションも手放したところだった。あの可愛らしい洋館に戻れる機会も無いし、維持費も馬鹿にならない。それなら、この生活中に貯金をして、新見さんからお払い箱にされてからマンションをまた探せばいいと思い直したため、手放したのだった。
「春香さんったら、可愛らしいのね。そこはありがとうって笑って言えばチャラよ。男なんて」
果たしてそうだろうか。
新見さんは私の笑顔をみると余計顔を顰めそうだ。
「…ありがとう、ございます」
それでも、買ってもらったのだからお礼を言わなくてはと思い頭を下げた。目の前の前田さんは「笑顔がないわね」とクスクス笑いながら、それでも満足そうに言った。
◇
「それでは、またのお越しお待ちしております」
入口で可愛く包装された商品を手渡され、見送られると前田さんは畏まって言った。
新見さんはその様子を見ることもなく、呆気なく店を出た。
「あ、ありがとうございました」
すぐに見えなくなる足取りの新見さんに遅れを取らないよう、早口で言いのけ、私もお店を出た。視界の端で、入店時のあの可愛らしい店員さんの刺すような視線を感じたが、構っている時間も考える時間もなかった。
新見さんに追いつくとタイミングよく声をかけられた。
「店に戻る」
「あ、はい」
その言葉を合図にドレスを買った店に戻ると、既に本間さんが待ち構えていた。
「鞄はこちらをご用意致しました」
そう言って渡された鞄は側面に薔薇があしらわれたシャンパンゴールドのクラッチバッグだった。
「す、素敵です」
感嘆の声をこぼすと、本間さんはほくほくとした笑顔で見つめ返した。
「気に入っていただけて光栄でございます」
「では、まとめてくれ」
「畏まりました」
本間さんは鞄を持ち、「失礼します」と言って離れた。その姿を見るとまた、新見さんは財布を取り出したので慌てて遮った。
「に、新見さん! 私にも払わせてください」
あまり大きな声で抗議することは、新見さんの外聞もよくないかと思い、小声で言うと、一瞥くれるだけで、財布をなおしてくれる様子はみせない。
「新見さんー」
泣きそうになりながら縋ると、本間さんが現れ、「お支払いはカードでよろしいですか?」と言った。
「ああ。…君は、外で待っていてくれ」
これ以上の抗議は一切受け付けないと瞳が語っていたので、仕方なく引き下がる。
◇
お店の前に出ると、入店する時には無かった新見さんの車と、キーを預けた男性がにこやかな表情で立っていた。
「お帰りですか?」
この暑苦しい天気にやられることもなく、涼しげに言い放った。
「えっと。今、お支払いを」
しどろもどろになりながら、わけのわかない応えをこぼすが、彼は柔らかい笑みを浮かべただけで特につっこんだ質問はしてこなかった。さすが、サービス業!と拍手を送りたくなるほどの対応だった。
「待たせた。車に乗って」
背後から威圧的な声をかけられ、背筋を伸ばし、にり返ると大きな紙袋を提げた新見さんが、爽やかに店から出てきていた。
男性からキーを受け取り車のトランクを開け、その大きな紙袋を仕舞い込み、運転席のドアの前に移動した。
「乗って」
その一言で自分が固まって立っていたことに気づき、慌ててドアを開けた。
新見さんも後を追うように運転席に滑り込み、合図もなしに車を発進させた。
慌ててサイドミラーで確認すると男性が頭を下げた状態で見送っていので、申し訳ない気持ちがメキメキと育ち、車内で頭を下げた。
◇
次に連れてこられた場所も高級そうなお店で、これ以上何を買うんだと問いただしたい気持ちだった。
「いらっしゃいませ、新見様」
「遅れてすまない」
マダムという単語が似合う上品な女性が迎えてくれた。マダムは私たちを近くの椅子に腰掛けるよう勧めると、奥に消え、箱を持って現れた。
「商品はこちらでお間違いないですか?」
目の前に見せられた商品は、光沢のある黒いパンプスだった。シンプルなデザインではあるが、高いヒールと靴底の赤が存在感を現していた。
「ああ。履いてみて」
そう言われ、試着してみるとサイズまでぴったりで驚いた。
「踵は痛くありませんか?」
「大丈夫です」
「畏まりました」
マダムはパンプスを箱に仕舞うと、にっこりと微笑み、「とてもよくお似合いでした」といかにもなお世辞を口にしてから席を立った。あとは流れるように、また新見さんに支払われ、これは餞別品かなにかなのか、と諦めに似た感情がぐるぐると頭の中で駆け巡っていた。
そのお店をあとにした頃、時間は既に夕方になっていた。