18
暫く無言で車を運転していると、高級ブランドが立ち並ぶ通りでスピードを緩めた。お店の前に堂々と車を停めると、新見さんは無言でシートベルトを外したので、私もワンテンポずれながらも慌てて外した。
ここで一体なにが起こるのか、凡人の私には理解できず、ただただ新見さんの後を追い真似るしかなかった。
シートベルトを外すとドアを開けたので、私も慌ててドアを開け、降りた。
新見さん側は道路側で、降りるとこちらの歩道にまわった。
そんな行動をぼんやりと眺めていると、新見さんは何の迷いもなく私の隣に立ち、見下ろしていた。
「あ、あの?」
「お待ちしておりました。車をお預かり致します」
突然現れた給仕のような男性に私の弱々しい言葉は遮られた。新見さんは突然現れた彼に気に留めることもなく、躊躇いなく車のキーを彼に渡した。
「こっちだ」
新見さんは慣れているようで、私の腰あたりを軽く触れ、リードしてくれた。新見さんはラフな服装だというのに育ちのよさが前面に漂い、何を着ても上品でこんな高級ショップに来ても馴染んでしまっている。が、私はシンプルなシフォンワンピースで、華やかさに欠ける上、チビで出るとこが出ていない子供のような体型。そんな女が隣に立つことによりこのスマートな英国紳士を邪魔している。
自分のみすぼらしさに恥ずかしくて、唇を噛み、俯いた。
「お客様?」
お店の人が心配そうに私に話しかけ、やっと自らの態度がまたしても新見さんに迷惑がかかっていると理解し、顔をあげ、固まっていた表情筋を無理矢理ほぐすようにして微笑んだ。お世辞にも綺麗な笑顔とは言えないものだったと思うが、お店の人は優しく微笑み返してくれた。
「本日はどのようなお買い物でいらっしゃいますか?」
「これにパーティードレスを。略式で構わない」
「かしこまりました。では、こちらへ」
恭しい態度にいちいちビクビクしながら、彼の案内についていく。
新見さんは、私につきっきりになるはずもなく、彼が登場すると自分の役目は終わったかのようにぷいと離れて行った。
「あ、あの…」
「はい。どうかいたしましたか?」
「い、いえ…」
「では、こちらでサイズを測らせていただきますので、中の者に引き継がせていただきます」
そう言うと彼は礼儀正しく上半身を少し傾け、ピシッと頭を下げ、軽やかにフェードアウトしていった。
その優雅な動作に呆気にとられながらも、気を持ち直し、前を見据えると、綺麗な女の人が笑顔で迎えてくれた。
「本日はご来店ありがとうございます。担当を務めます、本間と申します。宜しくお願い致します」
本間と名乗った彼女もまた、綺麗な角度で頭を下げ、ビシッと数秒止まった後、すっと頭を元に戻した。上げられた表情は綺麗な笑顔のままで、そこに上品さが漂っていた。
「…里中 春香です。宜しくお願いします」
旧姓を名乗るか迷ったのは一瞬。
新見さんのエスコートでここまで来たが、《新見》と名乗ることは、私みたいな小娘にはおこがましく感じ、旧姓を名乗った。本間さんは、笑顔を曇らせることなく、「里中様」と優しく声をかけてくれた。
「サイズを測らせていただきますので、こちらのフィッティングルームへお越しください」
そう言って本間さんの後ろにあったキラキラと光った全面鏡の扉をゆっくりと開けた。そこは、三面鏡が施してある部屋で、広さはざっと見ても8畳はあり、フィッティングルームとしては広々としすぎた部屋が視界にひろがった。
「そのままお入りください」
にっこりと微笑む本間さんに、促されるように中へ入るが、目のやり場に困り俯いた。
「では、測っていきますので、楽にしていてください」
そう言われても、とは言えず苦笑しながらも「はい」と答えた。
◇
「なにかご希望などはございますか?」
サイズを測り終えると、本間さんがおずおずとでもしっかりとした声で言った。
「その…。私、パーティーに出席したことがなくて、よくわからないんです」
なんと恥ずかしいだろう。
新見さんの仮の嫁という仮面は隠せたにしても、連れという現実からは逃げられず、どちらにしても恥をかかせてしまうことにはかわりない。それなのに、うまく答えられない自分が恥ずかしく、堪らなく嫌気がさす。
「では、お好きな形や理想のドレスなどはございますか?」
ほっておくと項垂れてしまう私を元気付けるように、本間さんの優しい声が響いた。
「えっと、できればロングドレス以外が…」
「畏まりました。他にはなにかございますか?」
「すみません。何も知らなくて…」
「いえ。里中様が謝られることはございません。では、新見様とご一緒に選んでみてはいかがでしょうか」
にっこりと微笑んだ本間さんの表情が、何か、企てているようですぐに反応できなかったが、ワンテンポ遅れて「…はい」と答え、フィッティングルームをあとにした。
◇
フィッティングルームをから出ると、来た道とは逆に進んだ。この先にもまだ豪華な部屋が隠されているのかと思うと衣装代が気になって仕方が無い。現金は申し訳程度にしか入っていないので、確実にカード払いになるだろう。それも、分割。そこまで考えてから軽く頭を振った。今はそんなこと考えても仕方ない。
「里中様」
本間さんは、焦げ茶色の木製のドアの前で止まった。
「こちらでございます」
そう言うとギィーという不快ではなく、味のある独特の音を伴って開けられた。通された部屋は全体がロココ調で、貴族の部屋といった印象。部屋の真ん中にあるセンターテーブルもそれを囲う椅子も猫脚で可愛らしく立派に並んでいた。
「新見様は、少し席を外されておりますがすぐに戻られるそうです。掛けてお待ちください」
「あ、ありがとうございます」
そう言われ、一番ドアに近いふかふかの猫脚のソファー椅子にゆっくりと体を沈めた。本間さんはテーブルを挟んだ向かいの椅子に座りにっこりと微笑んだ。
「お待ちの間に、何かお飲み物をお持ち致します。なにがよろしいですか?」
「お、お構いなく」
堅苦しい会話のやりとりに緊張は和らぐこともなく、徐々に増していた。そんな私の情けない姿にも本間さんは嫌な顔せず、にっこりと微笑んでくれた。
「緊張、しますよね」
「…はい。すみません」
「いえ! お気になさらないでください」
そういうと本間さんは視線を私の足もとへ落とした。
「里中様はシンデレラサイズなんですね!」
突然の単語に頭はついてこられず、ポカンとしていた。
「シンデレラ?」
「あ、すみません。興奮してしまって。靴のサイズが、20cmから22.5cmまでのサイズをシンデレラサイズと呼ぶのですが…。里中様はシンデレラサイズですよね? 私は足のサイズも無駄に大きくて、とても羨ましいです」
嫌味のない笑顔に、先ほどとは異なる少し砕けた口調に肩の力ほんの少し弱まった。
「…私は小さいサイズばかりで嫌です」
この身長も足も手も、何もかも。
「あら。そうなんですか? ふふ、お互い無い物ねだりですわね」
口元に手をあて上品に微笑った。
《コンコン》
木製のドアだからか、小気味良い音が響き、反射的に顔をそちらに捻る。視界の端で本間さんが立ち上がる姿が映り、視線はドアのままにして慌てて立ち上がる。
背後で「はい」と応える本間さんの声に続き少し低めの男性の声で「失礼します」と続いた。
先ほどと変わらない、ギィーと言う効果音と共に開かれたドアの向こうからは新見さんとパリパリのスーツを着た青年が立って居た。スーツは上品でしっかりとアイロンが施されたところをみると気品を感じるが、彼の初々しさが放つオーラからどうしても男性というよりは好青年に見える。
「遅れて済まない」
圧迫感はあるが、どうしてか嫌に感じない。新見さんの魅力のひとつだ。
「お待ちしておりました。こちらへ」
本間さんに視線を戻すと、差している腕の先へ視線を流すと私の隣の空いたスペースだ。ギョッとして本間さんを見入ったが、やはり笑顔でドアのほうを見ていた。
「…ああ」
新見さんも特に気にした様子も見せず、私の隣へすんなり腰をおろし、つられるように私も腰をおろした。
「それでは。ドレスなんですが、里中様はお顔がどちらかと言えば、かわいらしい印象ですのでロングドレスよりもひざ丈のドレスがよろしいと思うのですが、新見様は何かご希望ございますか」
「ない」
「では、こちらで見繕ったものが何着かございますので、まずはそちらでイメージをされてみるのも良いかと思います。…榊君、お願いします」
ドアの横で立って居た好青年が、壁に近づき照明のスイッチのようなボタンを押した。すると無音で壁が開放され、向こう側から何着ものドレスが吊るされて居た。
「か、壁が…」
「元々薄いカーテンのようなもので仕切っていただけですので、そちらをサイドに束ねただけでございます」
本間さんが答えてくれたが、そんな雑な説明で納得できる光景ではなかったが、お金持ちにはなんだってできるんだ、と思うようにし無理矢理納得させた。
「いかがですか」
並べられたドレスは多岐に渡り、どれも美しかった。が、その中でも、淡いピンクでふんわりとしたAラインのドレスに目が留まった。そんな視線を感じ取ったのか、本間さんはニコニコしながら口を開けた。
「…右から二番目のドレスなんていかがですか? 淡いピンク色で可愛らしい印象ですがネックラインのベアトップとなっておりますのでセクシーなデザインでございます。素材はサテンとオーガンザとなっておりまして、上品な光沢が放ち、肌触りも良いものでございます。女性らしさが際立つドレスとなっております!」
本間さんは興奮しているようで、力強く言い切った。
「えっと、でも、すこし露出が多すぎませんか? 背中が異常に開いているみたいですし…」
「そんな! 出さないともったいないです。もしくは、ボレロを羽織ってみてはいかがですか?」
「ボレロ…」
そうは言っても、ぱっくりと背中全体が開かれているドレスなため、ボレロで隠せるとは思えない。
何か策があるのかもしれないが、そのぱっくり空いたドレスを着るのはなんだか恥ずかしく、うーんと唸った。
「新見様はどう思われますか?」
にっこり微笑んで新見さんと向き合ったのは本間さん。恐ろしい質問を難なく投げかけられる接客技術…いや、対人スキルに驚きながらも新見さんの方を見ることはできなかった。
「……君が気に入ったのなら」
なんだっていい、という一言を飲み込んだのだろうか。
私にはわからない。
「あら。新見様、ここははっきり言っていただかないと女性は決められませんわ。それに、里中様も新見様の好みのドレスをお召しになりたいですよね?」
本間さんの迫力に負けるように小さくうなずいた。
「に、新見さんは…」
新見さんは、あからさまに眉間にしわを寄せ、嫌悪感を顔いっぱいに表し、ため息を吐き捨ててから口を開いた。
「…左端のドレス」
左に目を向け、ドレスを見つけた頃本間さんの説明という名の演説が始まった。
「Aラインのチュールドレスですね。ひざ丈のデザインが可愛らしく見えますが、裾部分をシックで上品なブラックで引き締めています。おとなっぽくなりすぎないよう、上半身の淡いピンクの下地が緩和しております。ネックラインはハートカットでセクシーさ、ウエストにあるリボンのベルトがキュートさを表現したデザインでございます。新見様、さすがです。あちらのドレス、いかがでしょうか。試着してみますか?」
「い、いえ! 試着は結構です! あ、あのドレスで大丈夫です」
「畏まりました。では、サイズを見て参ります。此方でお待ちになられますか?」
「いや。少し出る。その間に適当に鞄も見繕っていてくれ」
「畏まりました」
新見さんは本間さんを見ずにすっと席を立ちあがり、ドアに向かおうとしたので、私もあわてて立ち上がり後に続く。ドアの前では好青年が小気味好い音と共にドアを開けてくれた。