07.誰かの言葉
その一言に、綾ちゃんの表情はがらりと変わった。
当たり、か。
「な……あの日?え、えっと、何の話ですか?」
「あの日って、利子ちゃんが落ちた日だよ。綾ちゃん、呼び出されたんでしょ?利子ちゃんに」
狼狽する綾ちゃん。もう、誤魔化しはきかないだろう。
このワンチャンスのために不意打ちを狙ったのだ。
「……どうしてそれをご存知なんですか?」
「いろいろあってさ」
口を閉じる綾ちゃんの横で、御社は釈然としない顔をしていた。
「ねぇ、敬司。どういうことだい?犯人は、こいつなの?」
「む。まぁ、そうと言えなくもない。多分。まぁ、話せば長くなるんだけどさ」
「もういいよね?全部教えてよ。僕は全然話についていけない」
「……うん。了解」
俺は、壁にもたれかかって座り、コーラのペットボトルに口をつけた。
……うーむ。パチパチしてベタベタする。炭酸にするんじゃなかったな。
「利子ちゃんは誰かに落とされたんじゃない。命綱なしバンジージャンプ、略して自殺だ」
* * *
御社から今回の件が殺人未遂であることを聞いたときから、自殺の可能性は疑っていた。
まず、破れた上着が屋上に落ちていること自体が不自然すぎるのだ。どんな経緯であれ、利子ちゃんを屋上から突き落とし、
その事実を隠蔽したいとするなら、上着を回収するだろう。少なくとも俺なら、足がつきそうなものは全て回収する。
考えるまでもないことだ。
そして、夜10時過ぎ、暗くて寒いときにわざわざ階段のぼって屋上に来る人間が30分で4人いたこと。
ここは隣にコンビニがあるから、少なくとも1階や2階の人間はコンビニを利用するほうがいいに決まっている。
これには何かの意味があると考えるべきだろう。俺はフルーツ牛乳を買うという日課だが。
そして、利子ちゃんの自殺であると仮定すると、この二つにも説明がつく。
まず上着。利子ちゃんは飛び降りる際、破れた上着をあえて屋上に置いて飛び降りた。乱れた靴も恐らく意図的なものだろう。
理由はおそらく、他殺に見せかけるためだ。
濡れ衣を着せられるのは、直後に屋上に入ってきた人。
一連の工作をしたのち、屋上の扉が開く音とともに飛び降りれば、入ってきた人は殺人の容疑をかけられることになる。
だが、そこが厄介だった。直後に屋上に入った人間は偶然か必然か二人いた。
この二人の片方または双方が、利子ちゃんが濡れ衣を着せようとした相手なのだろう。
一体、利子ちゃんはなぜ、誰に濡れ衣を着せようとした?
その問いの答えを模索するため、俺は御社や綾ちゃんとの何気ない会話の中で情報を集めていた。
「で、結局、彼女は佐倉綾に罪を着せようとしたんだね?」
「まぁ、綾ちゃんだろうな」
「理由は?」
「これは確固たる証拠はないが、恐らくいじめだと思う」
「……?彼女たち二人は仲が良かったんじゃないのかい?」
「そうだな。二人は仲がよかった。見た目は。ただ、陰で綾ちゃんもいじめに加担していたんだろう」
「うわー、そりゃまた何ともアレだね……」
「多分、味方だと思っていた綾ちゃんの裏切りに対するショックからか何かだろう。まぁきっかけが何だったのかはわからない」
「随分よく知ってるね」
「そのセンを検証するために綾ちゃんに利子ちゃんのクラスメイトとしての評判を聞いたとき、一瞬焦りを見せたんだ」
「なるほど」
「気になったから、利子ちゃんや綾ちゃんの学校へ行って、同じクラスだという人に同じ事を聞いてみた」
「もしかしてこの前言ってた『用事』っていうのはこれのこと?」
「そうなのら」
「で、やはり反応がおかしかった、と?」
「ああ。明らかにおかしい様子だった人間もやや居たが、何より気になったのは全員が全員『普通』とだけ答えたことだ」
俺が話を聞けたのは10名強。データとしては不十分な数かもしれないが、個人的な憶測の裏づけには充分だ。
この質問、普通だと答える人間が居るのは至って当然だが、利子ちゃんがそこまで知名度の低い存在なのか?
確かに内向的な子だった可能性はあるが、それなら近しい人はその辺の言及がひと言あってもおかしくはない。
「その辺の結果から、利子ちゃんがいじめに遭っていたのはだいたい確実になった」
「なるほど」
「そして、綾ちゃんがあの日屋上に来た理由。なぜコンビニを使わず、屋上に来たか」
「呼び出されたから?」
「ああ。今までの情報から、そう考えざるを得ない。何気なく飲み物のリクエストを聞いた時も、りんごジュースと答えた」
「あれにも何か意味があったの?」
「基本的に、ジュースはコンビニで買うほうが量が多く値段も安い。特に、りんごジュースなんて屋上で買う必要はないだろ」
「それはまぁ、確かにねぇ」
「あんまり有力な証拠じゃないけど、あの日も、飲み物を買うために屋上に行かざるを得ない、などという状況は考えづらい」
「なるほど。だから、別に理由がある。それが呼び出しだったと?」
「今までの情報を全て総合すると、それでほぼ間違いない。何より御社、お前の証言が決め手になった」
「僕の証言?」
「屋上に来た時の綾ちゃんが手袋をしていた、という話だ」
「あ」
「あれが本当なら、綾ちゃんが呼び出された可能性はさらに上がる。手袋は、屋上の長期滞在を予想した結果だろうからな」
「星を眺めていたという可能性は?」
「無きにしもあらず。だから、最後に調べ物をしたんだろ?」
「そうか……」
俺達は、背を向ける形で座ったままの綾ちゃんに目を向けた。
最後の確認。
「綾ちゃん、利子ちゃんを追い詰めた人間の中に、君も含まれていたんだろ?」
無言。それはこの状況では、肯定以外に受け取る方法はなかった。
でも、このまま無言を貫き通されると俺が困る。
この件にはまだピリオドは打てていない。そもそも、ピリオドを打っても変わるのは俺達だけで、公的には何も変わらないのだが。
「綾ちゃん」
「………」
俺は背後にいるので表情は見えない。
「君は本当は気付いていたんだよね?利子ちゃんが自殺したんだって」
返事はない。
でも勝手に続ける。
「あの日、君は呼び出されて屋上に行った。屋上に出た時、御社の叫び声を聞いて、利子ちゃんの飛び降りを知った。
そして気付いたんだ。利子ちゃんの策略だったと」
一人の中学生の、自己を犠牲にした痛々しい策略……
「理由はクラスでのいじめだった。そして、頼みの綱だった君がいじめに加担していたことを知った利子ちゃんは、自殺を決意した。
君を道連れにしてね」
俺が言うと、綾ちゃんは小さな声で言った。
「……そうです。全ては私のせいでした」
そして、彼女は語り始めた。
綾ちゃんと利子ちゃんは中学校で知り合った友達だったそうだ。
中学入学間もない頃、利子という同い年の少女が同じマンションに引き取られてきた。
利子ちゃんの転校先が同じ学校だったこともあり、綾ちゃんと利子ちゃんは嫌でも関わりを持つような状況だった。
気付けば二人は何をするにしても行動をともにするような仲、言うなれば親友になった。
利子ちゃんは綾ちゃんに家庭の事情も打ち明けたという。
利子ちゃんの両親が亡くなったこと、それにともなって間山家に引き取られたことなど。
それほどの信頼関係であり、よき相談相手だったという。
だが、ある日から利子ちゃんはいじめられるようになる。
稀有な青い髪、学年にしては幼すぎる容姿、そして両親の死が原因なのかダウナーでネガティブな性格。要素は充分だった。
誰かが何気なく始めたいじめはクラスに蔓延し、エスカレートの一途をたどる。
それでも利子ちゃんは耐え忍び、そして綾ちゃんに対しては心を開いたままだったという。
綾ちゃんは親友が自分を頼ってくれる嬉しさもあって、いつも以上に親身かつ献身的に利子ちゃんを支えていた。
しかし、そんな微妙なバランスはあっさり崩れる。
「佐倉は、なんでいつも間山をかばうんだよ」
利子ちゃんと下校が別になった放課後にかけられた、クラスメイト達の言葉だそうだ。
返答に窮する綾ちゃんに対し、クラスメイト達は綾ちゃんにこんなことを言った。
お前も間山と同類なのか、もし違うならそれを証明してみろよ。
困惑する綾ちゃんにクラスメイト達が命じたのは、利子ちゃんの宝物である母親の形見のキーホルダーの破壊。
そして悩みに悩んだ綾ちゃんは結果的に恐怖に負け、キーホルダーをこっそり盗んで破壊した。
クラスメイト達は喜んで早速その残骸を利子ちゃんの机に広げ、呆然とする利子ちゃんに言った。
佐倉がやったんだぜ、と。
悪夢のどん底に突き落とされる二人。その事件から程なく、利子ちゃんは自殺を図ったそうだ。
「……私は最後まで彼女のために自身を捧げることができなかった。最悪です。こんなの……親友じゃないです」
綾ちゃんは涙の混じった声で言った。
俺の返答は一つだ。
「……いや、あのね。よくわかんないけど、俺カウンセラーじゃないから、俺に言わないでよ」
「……え?」
綾ちゃんと御社は不思議そうな顔だ。
いや、そんな顔されましてもなぁ。
「というか、それは俺じゃなくて、利子ちゃんが聞くべき台詞なんじゃないかなぁとおぼろげに思うわけだよ。
俺はとりあえず、そのへんの話には無関係な人間だし、俺に対して懺悔してもしょうがないでしょ」
「……そうですね」
分かってもらえて何よりです。
「さぁ、今日のゲーム大会はもうお開きだ」
「え!?何を言っているんだい敬司!?こいつをどうするんだ!!」
「まぁ待て、落ち着け御社。狭い日本そんなに急いでどこへ行く」
御社をいなして、続ける。
「俺達はこの件は忘れる。あとはよしなにやっといてくれ」
俺はもともと自分に濡れ衣が着せられるのを予防するために事件と関わらざるを得なかった。
だが、これ以上の無駄な手出しは不要だ。
「敬司!?きみは何を考えて……」
「うるさい黙れ帰れ」
綾ちゃんはふらふらと立ち上がって、ドアのほうへと歩いていった。
さて、最後にひと言、言っておこうか。
「綾ちゃん」
「……何でしょう」
振り返らずに返してきた声に、俺は。
「相談はごめんだけど、マルオパーティがやりたくなったら、いつでもどうぞ。歓迎するよ」
それだけ言った。
すると綾ちゃんはちらりとこちらを振り向くと、わずかに微笑みを見せた。
「……はい」
小さく返事をすると、ドアの向こうへと消えていった。
* * *
「ねぇ、敬司、どういうこと?」
「お前、そればっかりだな。ていうかまだいたのか。お開きって言ったじゃ……」
笑顔とともに、両手で首を強く掴まれた。
「僕、そんなに邪魔かな?」
「うん」
「死にたい?死にたいの?ごめんなさいは?」
「ごめんなさい」
豹変モードの予感を感じ取った俺は、早めに折れておいた。
「で、これ以上何が聞きたいの?」
「何がも何も、なんで佐倉綾を見逃したりするんだい」
「いや、他にどうしろっての」
「そりゃ……突き出すとか」
「何ゆえ?」
「だって、そうしないと僕たちの無実が証明できないよ」
「突き出したら証明できるの?」
「それは……あ」
そう。別に彼女を突き出しても、何の特にもならない。まさに誰得である。
誰得どころか、変に警察に絡まれたらどうする。貴重なゲーム時間の無駄だ。
それに、いじめのラインは警察も学校をよく調べればどこかで分かる。
そもそも俺達がアクションを起こす必要などないのだ。
「それでも!!彼女のせいで僕たちは濡れ衣を……」
「違うな」
「……え?」
「違うよ。犯人はたくさん居るって言ったろ?」
「……そういえば」
「綾ちゃんはもちろん今回の事件のキーパーソンだが、利子ちゃんをいじめていたのは、周りの人みんなだよ」
「犯人がたくさんって、そういうことだったの?」
「そう。つまり彼女を自殺に至らしめた原因は、多数の人間によるいじめだ。たまたま今回、きっかけが綾ちゃんだっただけさ」
「……」
「この事件は、今は公的には自殺で通っている。いじめに加担した『犯人』の多くは、自分たちが原因だとわかっているだろう」
「それは、そうだね……」
「それに、綾ちゃんを今責める意味は皆無だよ。彼女だって、責められれば楽だろう。でも、それじゃ駄目なんだよ」
殺人を犯した人間に対して、遺族が被害者の命日ごとに罰金を分割払いさせることがある。
自分の罪を忘れさせないため。
「もし綾ちゃん一人でも味方でいてあげれば、利子ちゃんはこんなことに及ばなかったかもしれない。
そのへん、ちゃんと受け止めて欲しかったんだ」
一つの罪。それを、他者からの糾弾という形で償った気になってしまったら、利子ちゃんの涙も報われない。
綾ちゃんは、背負うべきだ。誰にも相談できなかった利子ちゃんと同じ分、苦しめばいい。
誰にも相談できず、一人で抱え込む苦しみを味わえばいい。
「でも、幸いだった。利子ちゃんはまだ命を失っていない。まだ綾ちゃんは、許されるチャンスを持っている」
本当に幸いなことだ。抱え込んだ罪を本当の意味で怒ってくれ、許してくれる可能性をもつ唯一の存在を失っていない。
だから綾ちゃんは、ただ祈るだろう。
自分の罪を抱え、その重さに耐えながら。
自分が散々苦しめた利子ちゃんが、自分を許してくれる唯一の人物が、その命を吹き返すことを祈るだけだ。
「じゃあ、最後の別れ際のひと言はなに?」
「ああ、あれか」
俺は軽く笑って答えた。
「俺も、彼女を応援したい気分ではあるんだよ」
いいことを言ったつもりだったが、御社には案の定首を絞められた。
締まらない終わり方だ、などと思ったが口に出すのはくだらなすぎてやめた。




