04.不自然な偶然
ガコン。
「……寒っ」
屋上の自販機の取り出し口からフルーツ牛乳を取り出しながら、俺は上着を羽織ってこなかったことを後悔していた。
冬が終わり、寒さも大分ましになったのだが、まだ朝と夜は寒い。
ましてや、寝間着だけという格好ならなおさらである。
朝の眠気と寒さが複雑怪奇なハーモニーを奏で、不快さは上昇の一途を辿っている。
朝日を眺めながらの一杯といきたかったが、ここで冷たい飲み物を飲む気にはとてもなれなかった。
「……ちくしょー」
誰にともつかぬ呟きをこぼしてみたが、眠気も寒さも和らぐ兆候はない。
寒くて眠い。せめてどっちかは何とかなれよ。
「随分と景気の悪い表情だねぇ」
御社に似た声が背後でした。
「まったくだ。寒いし眠いし不景気の波に飲まれっぱなしだよ。政治家、デフレスパイラルを何とかしろ。無理だろうけど」
適当に返事をしながら振り向くと、深緑色の寝間着に身を包んだ御社が寒そうに肩をすくめ、身を丸くして立っていた。
そして「僕もフルーツ牛乳を買いにきたんだ」とか呟きながら自販機に100円玉を突っ込んだ。
「俺は寒いから部屋に戻るわ」
「うん」
入れ替わりに屋上を出ようとして、何となく立ち止まってみた。
「なぁ御社」
「なに?」
む。……む?
「呼んでみただけだ」
「ふーん」
返事は淡白だった。
「赤月」
「なんだ」
振り返ってみた。御社は無表情だった。
「呼んでみただけ」
「そうか」
はたから見るとアホな会話を交わし、今度こそ屋上を出た。
あー、寒かった。今度からは絶対上着を着てこよう。うん、そうしよう。
* * *
登校時、マンションのロビーを出ると、またしても見知った顔が。
「おはよう、綾ちゃん。よく会うね」
「あ、おはようございます」
学校のものと思われるコートを着た綾ちゃんは、小さく頭を下げてきた。
「まだまだ寒いねぇ。特に朝と夜は」
「そうですね……」
綾ちゃんは、わずかに頬を緩ませた。
……おや?
「手袋」
「へ?」
「手袋してるんだね。暖かそう」
綾ちゃんは、青い毛糸の手袋をしていた。
「あ、ああ。これですか。まぁ、まだ朝は寒いですからね」
「ふむふむ。俺も明日から手袋したいな。……あれ、持ってたっけな」
「さすがにあるんじゃないですか?」
「どうかな。どこにしまったか忘れたし」
ちなみにこれは本当だ。学生の一人暮らしということもあり、金銭的な面から家にはあまり物がない。
これといった生活必需品以外は、あまり俺の家にはないのだ。
手袋なんて、冬もたしか使ってなかった気がする。
綾ちゃんはくすくす、と笑うと、
「それじゃあ私、そろそろ行きますから」
と、俺と反対側に歩き出した。
「あぁ、悪いね。行ってらっしゃい」
俺もそろそろ学校に行くとしよう。
しかし、手袋か。ふむふむ。
* * *
「何か分かったかい?」
昼休み、またしても俺は御社と会話していた。
というか、コイツが俺に話しかけてきてるだけなんだけどね。
俺は久々に購買で買ったパンを齧りながら適当に応対していた。
「ああ、分かったよ。購買の焼きそばパンのうまさが」
御社は少し拗ねたような表情を見せた。
「僕はそんな話をしてるんじゃないんだよ。事件の話だよ」
「なんだなんだ。初めて購買で人気のパンを入手できたんだ。少しくらい祝ってくれてもいいじゃないか」
「ふぅん。じゃあひと口ちょうだい」
「嫌だ」
「ケチだなぁ、赤月少年よ」
「ケチで結構だよ」
しかし美味いな。入手に苦労しただけに喜びもひとしおだ。
「で、どうなんだい?」
「ソースが素晴らしい。欲を言うならマヨネーズも「赤月?」」
なんだか目の前にいる人は声のトーンが下がっている。お怒りのようだ。
……ふぅ。
「何とも言いがたい。まだお前を信用してるわけでもないしな」
大体、コイツは俺に変な結託の話を持ちかけてきた。
どう考えても怪しい。というか、セオリー通りならコイツは明らかなクロ。
ただ、情報の出所として活用できる可能性があるから形式的に結託しているだけなのだ。
少なくとも、俺が情報を提供する義理はない。
「……そうか。やっぱり僕のことは信じられないよね」
御社は小さく俯いた。わずかに長い黒髪が揺れ、柚子の香りが漂う。
普段感情をあまり表さない顔には、心なしか悲しげな表情がうかがえる。
……その表情に、心が揺らぎそうになる。
これこれ。怪しい奴の精神戦術に負けようとするなよ俺。
* * *
放課後、早足でマンションに戻ると、俺はロビーのソファーの真ん中に陣取った。
座り心地はなかなかである。ロビーは空調もととのっているし、うたた寝したい気分だ。
ソファーで寝るのって気持ちいいんだよね……風邪ひくけどさ。
しばしぼーっとしていると、声をかけられた。
「あれ?赤月さん?」
「お、綾ちゃんじゃないか。本日2回目のエンカウントだね」
「珍しい事もありますね」
まぁ、今回は偶然じゃないんだけどね。
「なっはっは。しかしこのソファーはなかなかの座り心地だよ。綾ちゃんもどうかな?」
俺が右端に詰めると、綾ちゃんは左端に腰掛けた。随分とノリを解する子である。
「そういえば綾ちゃん、ちょっと気になったんだけどさ」
「何ですか?」
「利子ちゃんってさ、どんな子だったの?」
俺の質問に、綾ちゃんはきょとんとした。
「どんな子……といいますと?」
「いや、利子ちゃんってたまに顔を合わせたり言葉を交わすことはあったんだけどさ、普段とかあまり見たこと無いから、
あんまり詳しく知らなくてさ」
「はぁ……まぁ、結構おとなしい子でしたね」
「あ、やっぱりそうだったんだ。見た感じ的に、そんな感じがした」
「はは。それはそうかもしれませんね」
「クラスは一緒だった?」
「ええ。一緒でしたよ」
ほほう。なるほど。
同じクラスだったのか。
「クラスではどうだった?評判とかは?」
「えー、あー……特に何も」
「そうかそうか。もしかして図書委員とかだった?」
「いえ、違いましたけど?」
「あ、そうか。なんか外見的には本が似合いそうだよね、利子ちゃん」
「さぁ、それはどうだか」
くすくす、と笑う綾ちゃん。
さ、もういいか。
「ありがとう。じゃあ俺は部屋に戻るよ。手袋探さなきゃ」
「あ、はい。見つかるといいですね」
「ははは、じゃあね」
「はい」
手を振って、階段へと向かった。
うーむ。
……なんだかなぁ。
* * *
部屋に戻ると、ベッドへダイブ……と行きたかったのだが、昨日の貴重な教訓を活かして先に着替える事にした。
適当に寝間着に着替え、布団にくるまる。
しかし、眠りの淵へと旅立とうとした矢先、不快な音で現実に引き戻された。
インターホンだ。
誰だ……またしても俺の睡眠権を妨害するのは……
心の中で訪問者Xに罵詈雑言を浴びせかけつつ扉を開けると、
「やっほー、敬司、筋肉筋肉~!!」
……何だこいつは。思わず「うしゃ、筋肉、筋肉~!!」と言ってしまったではないか。
訪問者Xは、御社真雪女史に129.3%くらい似た誰かだった。
「いつの間に俺のことを下の名前で呼ぶようになったよ」
「仕方ないじゃないか。真○くんが主人公を下の名前で呼んでるんだから」
「そうかそうか。それははかばかしく納得だ」
というか、コイツ(睡眠妨害者)は何しに来たんだ。
「まぁ、これからは敬司で良いだろう?」
「ダメ」
「そうかい、じゃあ敬司と呼ぶ」
「言うと思ったよ」
御社はけらけらと笑った。男言葉といいよくわからない雰囲気といい、本当に女なのかこいつ。
「敬司も、僕のことは下の名前で呼んでくれ」
「お前、下の名前なんだっけ」
「ひどいなぁ、忘れたのかい。ナンシーだよ」
「真雪でいいのか」
「うん。マユでもユキでもマキでもいいよ」
「わかった、じゃあ御社と呼ぶ」
「つれないなぁ」
「で、本題は?」
御社は、無表情に戻った……かと思うと、またニコッと笑った。
「勉強を教えてもらいに来たんだ」
「は?」
「勉強を教えてもらいに来たんだよ」
「……何をまた突然」
「いやぁ、今日宿題が出てたじゃない?なんか一人でやってると時間かかりそうだったから」
確かに、御社は学校での成績はあまりよくない。というか悪い。
かくいう俺も別段良い訳ではないのだが……。
「俺、これから昼寝しようと思ってたんだけど」
「お爺さんじゃないんだから、昼寝なんかしなくていいんだよ」
「全国のお爺さんに謝れよ」
「むしろ○び太?」
「死ねや」
軽口に受け答えしている間に、御社は勝手に上がりこんでいた。
「お前、一応女だろ。易々と男の部屋に入ると早死にするぞ」
「大丈夫だよ、敬司はお爺さんで不能だから襲われる心配はないって」
「お爺さんお爺さんうるさい。ていうか帰れよ……あーもう」
はいはい。どうせ俺はお爺さんですよーだ。
……いや、性欲はちゃんとあるよ?
* * *
結局俺たちは、食卓に使っている小さなテーブル(ちゃぶ台)に理科のプリントを広げていた。
「『(1)太陽の周りを動く天体を□□という。』うーん、なんだっけこれ?」
……いきなり爆弾発言をぶちかまされた。
「……いや、諦めろ。俺は知らん」
「やっぱり敬司にもわからないか。難問だね。僕は出題する先生の気が知れないよ」
「ウン、ソウダネ」
「僕はたぶん『彗星』だと思うんだ。まぁ、彗星と書いておこう」
御社はなんだか楽しそうだ。夢があっていいねぇ、と微笑ましい気分になる……わけがない。
太陽の周りを彗星がいくつも回っている様子を思い浮かべてみた。ある意味幻想的だった。
しかし、だんだんこいつに対する認識も変わってきた。
無口無表情で陰気な奴かと思いきや、最近は結構感情を表に出している所もよく見かける。
だが、やはりこいつの真意がどうにも窺いづらい点には変化がない。
「おい御社」
「ん、なんだい?」
「今日は何しに来たんだよ」
「いや、宿題だけど?」
きょとんとして言い返される。
「なわけないだろうが。この宿題はどう考えても俺が手伝うほどの難易度じゃないだろ」
「そうなの?僕は全然わかんないけどなぁ」
……まぁ確かに、『惑星』も知らないような奴にはそうかもしれん。
じゃなくて。
「大体、このプリントの提出期限は来週だろ。わざわざ今日、それも人に教わってまでやるか普通?」
「だめ?」
「……はぁ」
だめだ。こいつはいつも重要なときに軽口ばっかりで、だから真意がわからないんだ。
「利子ちゃんのことか?」
「……」
沈黙は肯定と取ってよいのだろう。
……まぁ、そうだよな。
こいつがこんなタイミングで『勉強』などという口実で来る理由なんてそれぐらいしかない。
御社には、さっきまでの表情はなく、またいつものような凍るように冷たい無表情に戻っていた。
「率直に聞こう。殺そうとしたのは誰なんだい?」
「へ?」
「君は知ってるんだろ?」
……。
「いや、知らねぇけど」
言うと、御社は黙って立ち上がり、俺の前に歩いてきて膝立ちした。
身構えた時には遅かった。
俺は上半身を押し倒され、跨られて、右手首は掴まれて床に押し付けられた。
御社は、ニコニコと笑顔を浮かべていた。……が、その右手にあるのは、およそ似合わないもの。
普段は主に調理に使われる、黒い柄に銀色の刃をもつ道具が、蛍光灯の光を反射している。
「……話せばわかる、とか言ったほうがいいのか?」
「常套句だね。でも、話し合いの余地は、あながちなくもないんだよね」
御社は笑顔を崩さないまま、顔に刃を近づけてきた。
「話せばわかる。話さなければわからない。話してくれるよね、敬司?」




