01.望まない影響
「奇跡」と聞くと絵空事のような感じがするが、偶然というと何となくリアリティがある。
そもそも奇跡というのは天文学的な偶然のなせる業だ。
では、なぜ敢えて「奇跡」などという言い方をするのか。
それは俺が考えるに、「奇跡」が起きたとき、人がそれをとてつもない偶然であると同時に、
ある種の必然だと考えてしまうからなのではないかと思う。
どんな小さな偶然にも、実はそれぞれ意味がある。
その小さな偶然が絡み合ってひとつの大きな偶然となったとき、
人間はきっと、心の何処かでそれを必然だと思わずにはいられないのだ。
俺が今回体験した件についてもそうだ。
突き詰めて考えれば単なる偶然の集合体に過ぎない。
……でも、それをただの偶然と割り切るには、俺の思考回路はちょっと人間的すぎる。
* * *
「……えっと、何?」
これが、その会話における俺の第一声だった。
今、俺とその人物が視線を交差させているのは、ある意味奇跡である。
「なんだい赤月。『なんでお前が話しかけて来るんだよ』とでも言いたげな顔して」
御社真雪。腰辺りまで伸びる黒のロングヘアーが印象的な女性徒……だが、
常に無表情で、よく言えばクール、多少悪い言い方をすれば内向的な性格を有し、しかもなぜか男言葉。
おまけに、少し変な噂も流れていたりして、クラスでは孤立している。
同じマンションに住んでいる俺でさえ、まともな会話は全く交わした事が無いと言っても過言ではない。
そんな人間が、突如俺に話しかけて来たらある意味奇跡だ。
だが、その奇跡にもやはり理由は存在する。
「今朝の……いや、昨晩のことか?」
当たり前のごとき返事。
これを説明するには、少し時間を遡る必要があるだろう。
* * *
今朝、俺の目を覚ましたのは馴染みある目覚まし時計ではなくインターホンだった。
時計を見ると、6時半。
俺は毎朝7時に目覚ましをかけているわけだから、じつに30分もの睡眠時間を奪われた計算になる。
なにごとだ。というか誰だ。
70%眠っている頭で現状の理解につとめているうちに、2度目のインターホンが鳴り、部屋のドアがノックされた。
どうやら、訪問者は1階のロビーではなく部屋のドアの前にいるようだ。
俺としてはあと30分寝ないければならないないので居留守(?)を使おうかと思ったが、3回目のコールとうるさいノック音に折れた。
目をこすり、眠気とか足とか色々引きずりながら玄関まで歩き、ドアを開ける。
「どうも、朝早くにすみません。少しよろしいですか?」
ドアの前にいた二人の人を見て、俺は露骨に嫌な顔をせざるを得なかった。
二人は、俗に言うポリ公。ヤのつく自営業をいとなむ方々の言葉を借りるならマッポさんである。警察ともいう。
スーツ姿のオッサンが一人と、制服姿の若いのが一人。
ご丁寧に手帳まで出して見せてくれている。
「おやすみなさい」
ドアを閉めようとすると、新聞の宣伝よろしくドアに足を挟んできた。
俺の睡眠権(?)は無視されているらしい。お前等、公職に就いてるなら憲法を勉強して出直せよ。
……などという心の叫びは言葉になることもなく、もたれかかるようにドアを開け直した。
「セールスなら、僕のいない時間帯にお願いできますか」
「少し、お話を伺いたいのですが。5分で済みます」
オッサンが気持ち悪い営業スマイルで言ってくる。
何となく、朝起こされてよく『あと5分』と言う奴を薄ぼんやりと思い浮かべた。
「昨晩、このマンションで飛び降りがあったんです」
オッサンが切り出したのは、随分と穏やかではない話題だった。
「この寒いのに、バンジージャンプですか?若いっていいですね」
「いえ、あいにく命綱はなかったようで」
「ほほう。命綱を忘れていましたか。これまた随分ととぼけてますな」
苦笑いされた。
「飛び降りたのは2つ隣の部屋にお住まいだった中学生の間山利子さんです。彼女のことはご存知ですか?」
「……ぬ」
「ご存知ではありませんか?」
「もちろん、知ってますよ」
間山利子。ポリ公の解説どおり、2つ隣の部屋に住む中学2年生。
水色の髪を有する珍しい子だ。容姿は、中学生にしてはかなり幼い感じだったな。
登校時などによく会うため顔見知りだ。
「重体で、すぐに病院に搬送されましたが、まだ息はあるようです」
「はぁ」
で、それを俺に言って何になるのよ。
カードゲームとかでいう『情報アド』みたいなもんか。
「ちなみに、飛び降りってのはどこから飛び降りたんですか?」
「屋上ですよ」
「いつごろ?」
「とりあえず、お話を伺いたいのですけれども」
「……まぁ、構いませんよ」
その後は、淡々と質問をされ、淡々と答えるだけだった。
昨日いつどこで何をしてたか。利子ちゃんに変な様子はなかったか云々。結局、全て片付いたのは10分後だった。
俺の睡眠よりもそっちの方が大事なのか、と思ったが、まぁ警察にもいろいろあるんだろうと思って勝手に納得してみた。
「どうもありがとうございました。朝早くにすみませんね」
と言って去ろうとしたので、
「10分くらいに感じた5分間でした。お疲れ様です」
と、心からのねぎらいの言葉をかけておいた。
ポリ公は、本日二度目の苦笑いを浮かべると、去っていった。
結局聞かされたのは、利子ちゃんが飛び降りたと推定される時間帯が、俺が昨晩屋上に行った直後であることのみ。
他は必殺『捜査上の秘密』を発動され、ぼかされた。
……別にいいんだけどさ。でも、朝の睡眠10分に報いうる利益があったとは言いがたいよなぁ。
* * *
そんなわけで、眠気と気だるさと足を引きずりながら(よく引きずる日だ)学校に来れば、
今度は野生の御社女史が飛び出してくるという事態が発生(嘘50%濃縮還元)。
モンスターボールでも投げるかと思ったが、あいにく図鑑の持ち合わせがなかったので断念を余儀なくされた。
というわけで、話は冒頭に戻る。
「ああ、昨晩の話だよ。赤月は、どのへんまで知ってるんだい?」
「まぁ、中学生の飛び降り事故があったって事くらいかねぇ」
「……そう」
「俺は爽よりスーパー○ップ派だよ」
「僕はモ○派かな」
それもアリだ。
「……で、飛び降り事故がどうかした?」
「飛び降りじゃないよ」
「……んぇ?」
自分でも発音のわからない返事をしてしまった。『え』とは似て非なる発音である。
どうでもいいが、都市名の『ンジャメナ』とかもそうだけど、『ん』で始まる言葉ってどう発音すればいいんだろう。
「あれは単なる飛び降りじゃないよ」
「とおっしゃいますと」
「殺人未遂。間山利子に殺意を行動で示した輩がいるってことだよ」
……うん、雲行きがびっくりするほどの速度で怪しくなってきてるな。
どこぞのデタラメ気象予報士でも降水確率99%と予報しそうな雲行きだ。万が一のための1%という予防線が小ずるさを浮き彫りにするね。
アルティメットどうでもいいけど。
「率直に聞くよ、赤月」
「……」
うーむ……
「きみ、間山利子を殺そうとしただろ」
『嫌な予感だけが当たる』という小学生譲りの安っぽい言葉ひとつで現状を合理化したい。
そんな気持ちでいっぱいな今日この頃をお伝えします。