【創作落語】ごめんの呪文
えー、世の中には「言わぬが花」なんて言葉がございますが、かと思えば「言葉は刃物」なんてことも申しまして、一言多いばかりに大騒動になることもあれば、たった一言でスッと収まることもございます。
特に、夫婦の間なんてのはこの「言葉選び」ひとつで明暗がパッと分かれるもんでございますね。
よく世間の旦那方が震え上がる問いかけというやつがございます。
女房から「ねぇ、あたしと仕事、どっちが大事なのよ!」なんて詰め寄られる。あれ、困りますねぇ。
真面目な旦那が「そりゃ仕事だよ、働かなきゃ飯が食えないだろ」なんて正直に答えますと、「あらそう!じゃあ仕事と結婚すればいいじゃないのさ!」なんて火に油を注ぐ。
じゃあと思って「お前に決まってるだろ」なんて調子のいいことを言うと、「嘘おっしゃい!先週の結婚記念日も残業ですっぽかしたじゃないの!」と、過去の古傷まで引っ張り出されて蒸し返される。
どっちに転んでも大火傷でございます。
これね、現代の賢い心理学者なんだかが分析したそうですが、この問いに対する満点の模範解答ってのが決まってるんだそうです。
正解は「そんなことを言わせてしまって、ごめんな」……なんだそうで。
なるほど、「どっちが大事か」という二者択一の罠には乗らず、「そうやって不安にさせてしまった自分」をまず詫びる。
これを出されたら女房の側も「あ、いや……そこまで言われたら、あたしも言い過ぎたわ」なんて、振り上げた拳を下ろさざるを得ない。
まさに無敵の一言、最強の呪文でございます。
ですがね、こういう「これさえ言っておけば大丈夫」という虫のいい知恵ってのは、だいたい愚かな男の耳に入るのが世の常でございまして……。
お江戸は長屋の与太郎さんも、この「魔法の言葉」を耳にしてしまった一人でございまして——。
お店で与太郎がお客に怒られているとこにすっと現れて話を聞く通りすがりの旦那。
旦那はクレーマーに言う。
「そんな不満を言わずにはいれなくなるようにしてしまったことがいけない!ねぇ、旦那!」
クレーマーはそうだそうだと頷いて与太郎が謝ればすんなり帰っていきます。
与太郎は言います。
「いやあ、よく帰りましたねぇ」
そこで旦那は言います。
「『そんなこと言わせてごめんな』が最強なんだ。女も仕事もこれ言っとけば解決。覚えておくといい」
「へぇ〜そういうもんですか」
「でもこの呪文は『秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず』と言って、相手に『これ言っとけば大丈夫』がバレたら魔法が解けるんだ。だから誰にも言うなよ」
「へいへい」
これは良いことを聞いたと仕事帰り飲みに行きます。
早速家に帰って怒られて、
「あんた!こんな時間まで飲み歩いて!」
「そんなことを言わせてごめんな。これから気をつけるから」
鬼嫁の角がシュルシュルリと小さくなるじゃありませんか。
与太郎は調子に乗り、仕事でも怒られたら、
「そんなことを旦那に言わせてしまうなんて申し訳ない」
と謝れば許されるもんだから、ますます調子に乗る。
あるとき奥さんが堪忍袋の尾が切れる。
「あんた!そんなこと言わせてごめんなって言ってればいいと思ってるでしょ!」
「そんなこと言わせてごめんな」
「ほら!」
「おおっといけねぇ」
「ちゃんと反省してんの!?」
「そんなこと言わせてごめんな」
「また言った!あんたねぇ、さっきから心のこもってない謝り方ばっかりして、一体なんなのさ!」
「へい……『秘すれば花』って言われてたのに、バレちゃ魔法が解けちまう……」
「なにかい!あたしを誤魔化す魔法の呪文でも使ってたってのかい!?いい加減にしなさい!だいたいあんたは昔から——」
かんかんに怒った奥さん、今までの溜まりに溜まった愚痴や小言を、1から100まで一気に捲し立て始めました。
与太郎、ぐうの音も出ずに頭を抱えて縮こまるばかり。
小一時間ほど説教が続き、ようやくハァハァと息を切らした奥さん、ふと我に返ってため息をつきます。
「……はぁ、なんだかアタシばっかりギャーギャー捲し立てて、みっともないじゃないのさ。こんなに怒鳴らせないでおくれよ」
すると与太郎、パッと顔を上げて嬉しそうに一言。
「……そう言わせて、ごめんな」
お後がよろしいようで。
(次回作もまた気が向いた時にお付き合いください)
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