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彼女が微笑むそのときには

作者: 橋本彩里


 西の空に輝く星が次々と落ちる夜。

 背中まで伸びた白銀の髪を左肩から前へとやり、私、ミラはスカートをめくってつま先を湖面につけた。

 しばらく触れるたびに広がる波紋で遊んでいたが、えいっと足を踏み入れた。


「冷たっ」


 内ももまでくる水の冷たさに目を眇め、紛らわすようにちゃぷちゃぷと水面を揺らした。

 太陽の下だと透き通るほどの青くきらめく湖は、今はその鮮やかさはなく空の黒を写し取っている。

 湖面に映る自身の影が消えていくのを見ながら、ふっと息をついた。


 満月がよく見える夜は、湖に浸かりなさいとララから厳命されている。

 ララは、森に捨てられた私を拾い育ててくれた命の恩人だ。彼女の言うことは間違いないので問題が起こるよりはいいかと、これまで言いつけを守ってきた。

 そして、今夜でそれも最後だと言われているため、真冬のキンとくる冷たさも耐えられる。


「魔力のためというけれど、全然実感がないのよね」


 湖面をかき混ぜるように大きく手を動かし、両手で水をすくった。

 ちょろちょろと隙間から腕へと流れ落ちる水を眺め、最後は天に放つように両手を広げる。その水しぶきは重力に逆らえず、ぱらぱらと湖面へと戻っていった。


 ここで魔法が使えたらもっと高く遠くへと飛ばすこともできたが、魔力はあるし魔法を使えはするのだけれど、定番の火、風、水、土の四大元素の魔法を私は使えない。

 この世界の人々は生まれ持った魔力が基準を満たせば個人の能力の違いはあれ、調理のために火を起こすとか、衣服を乾かすのに風を吹かすだとか、そういった生活魔法は大なり小なり使える。なのに、私ときたらそういったことはからっきしだった。


 育ての親であるララは、魔法が得意で四大元素すべてを使える。

 そのためララがいればそれらに不便はないが、この数年、彼女はよく家を空け留守を任されることが多くなったため、様々なことを自分でするようになった。


 一人の時は火を起こすにもいまだに原始的な方法で、衣服を乾かすのも自然乾燥だし、水は川に汲みに行っている。

 ずっとそうなので慣れてはいるし、ここでの生活で急かされることはないので特に困ってはいないが、たまに楽をしたいというか、使えたら便利だろうなと思い馳せることはある。ないものねだりだ。


「さあ、最後は盛大にいきましょうか」


 私は気合を入れ、大きく息を吸い込んだ。それから、勢いよくじゃぶりと頭まで湖の中へと浸かる。

 ぶくぶくぶく、と息をしながら薄いワンピースがひらひらと水の中を舞うのを見つめ、私は瞑想するために目をつぶった。


 全身を突き刺すほどの冷たさを我慢し、体内の魔力の巡りを意識する。

 ぶくぶくと上がっていく泡の音を聞きながら、私はこれまでのことを振り返った。


 今から一年前、真実の愛に目覚めた王子様と聖女が出会い、幸せに暮らしましたとさ。まるでおとぎ話のようなことが、隣国のサンダルジア王国で起こった。

 不治の病と診断された第二王子を、突如現れた神聖力を持つ平民の若い女性が治した。そんな奇跡を起こし見目も麗しい女性を、民衆は聖女と崇めた。


 聖女誕生。それは一国の変化だけではなく、世界に影響を及ぼした。

 なんと聖女が現れたと同時に魔物が現れるダンジョンが活性化したため、人々の生活や経済システムが変わることとなった。


 私はというと、世界の変革の時を同じくして、転生の記憶を思い出した。

 そして、それらの記憶と自分の立場を理解し、出たのは盛大な溜め息だけだった。


 ――だって、本当に意味がわからないから。


 私は、『夜明けの聖女』という小説のヒロイン、昨年王国で話題となった聖女シャーロットとなるはずだった。

 しかも、その特徴、年齢、彼女の家族だという人たちの名前を聞くからに、聖女は私の姉だった人だ。

 このことは口に出すのも嫌で、誰にも告げていない。


 私は一度殺されかけている。

 この森は魔の森と呼ばれるほど危険地帯で、幼い子供を捨てる意味は死んでくれということだ。しかも、隣国であるロスマン帝国にまでと念の入りよう。


 私をシャーロットと名付けた両親が、私を殺したいほど憎かった理由はわからない。

 生活が困窮していたわけでもなく、平民として普通の生活を送っていたので口減らしなどの理由ではないはずだ。


 どうして姉が本来の名前を捨てて、私の名だったものを名乗っているのかまでは知らない。

 それらを探って、面倒ごとに関わりにいくつもりは微塵もない。


 言葉にしてしまったらせっかく切れた縁がまた結び直されそうだし、姉だった人が聖女シャーロットとして存在し、その役目を担っているのならそれでいい。

 目立ちたいわけでもないし、王子様に憧れてもいない。

 私はこの生活に満足しているし、漏れ聞く聖女の噂からは随分好き勝手しているようなので、お互い不干渉を貫くのが一番だ。


 それに物語ではシャーロットは四大魔法を使いこなせ、何より聖魔法がすごかった。それこそ、この世界で第二王子の不治の病を治してしまえるほどのものだ。

 だが、森に捨てられる少し前までは使えていたはずだが、今の私はなぜかそれらを使えない。


 だから、今更私がシャーロットだと名乗ったところで誰も信じない。

 それに私にはララが付けてくれたミラという名前があり、同じ響きがあるこの名前を気に入っている。


 シャーロットだったかもしれないが、私は殺されかけ死んだと思われている存在。しかも、使える魔法の属性も変わってしまっている。

 だから、私は聖女シャーロットとしての生に未練はないし、ただのミラとして生きていくこと、丈夫な身体と自由な生活にとても満足していた。


 ――それに読んだ小説の一つというだけで、そこまで思い入れがあるわけでもないし。


 転生する前の私は先天的な病気のため入退院を繰り返し、十五歳で短い人生の幕を閉じた。

 病弱な私は外で活動できず、小説や漫画を読み、アニメを見ることに楽しみを見出していただけなので、正直この小説はよくある話の一つくらいの認識だった。


 魔物が出てくること、今私が住む帝国といざこざがあるくらいで、基本は恋愛しながら聖女の力で解決して周囲も幸せになる、聖女万歳の話だ。

 だが、実際は少しずつ物語と違ってきているようなので、物語と似た世界なのかもしれない。その辺は、完全に弾かれてしまったのでわからない。


 とにかく転生する前の私は、生まれてずっとろくに自分のことも自分でできず、治る見込みのない病気で苦しい一生だった。けれど、重荷でしかない私に家族は優しく明るく接してくれた。

 苦しみ弱っていくたびに申し訳なさはあったし、身体の弱さに苛立ちはあったけれど、周囲に恵まれて幸せではあった。


 私なりに精一杯生きたし、家族もわかってくれている。

 悲しんだだろうけれど、私という重荷がなくなった後は、家族にはもっと気軽に生きてほしいと心から思っている。だから、前世にも未練はない。


 そして今世、私は一度入れば生きては出られないと言われる魔の森に、推定五歳の時に捨てられていた。

 それを、冒険者をリタイアし、誰にも干渉されたくないと森に引っ込んでいたララに運よく拾われた。


 推定というのは、今は少し思い出したがララに拾われた時は自分が何者なのか、なぜぼろぼろだったのか記憶はなかったためだ。

 それからしばらくはぼっと外を眺めるだけの無気力な子供で、自分の意思で活動できるようになったのは十歳頃だったからだ。


 もともとヒロインの生い立ちがこうだったのかまではわからないが、どちらにしろ私はミラとして帝国にいるし、物語とは関係ない。

 せっかく助かった命、健康体で生まれ変わったのだから満喫すべきだろう。


 魔の森に捨てられたということは不要ということで、家族も私が死んだと思っているはず。

 しかも、どういうわけかここで過ごすうちに、ピンクの髪は銀髪に淡いピンク色の瞳は色が濃くなり今では赤紫に変化し、十歳の時には完全に元の色味とは違うものになっていた。

 ということは、家族も私が生きているとは思っていないだろうし、万が一鉢合わせても同一人物であるとは思わないはずだ。


 私にとっては願ってもない話だ。

 明確な悪意を向けられているとわかっていて、名前や立場を取り戻したいとも思えない。

 ろくに覚えてもいない物語の中のヒロインだとか、何かと窮屈な世界で生きるなんてまっぴらごめんだ。


 しかも、この世界には魔法がある。そして私の魔力量は多いとお墨付きをもらっているので、想像と努力次第で今後自由度が跳ね上がる予定だ。

 いまだ、生活魔法が全く使えないことは横に置いておく。


 ようは未来が明るければそれでいい。手に職系のポーション作りも得意だし、健康でさえあればなんだってできるのだ。

 前世の分まで自分の生を謳歌したい。いろんなことを自分の目で見たい。それに尽きた。


 そんなわけで少々変わった経歴で訳ありではあるが、私は無事今日で十六歳になった。

 誕生日がわからないので、ララに拾われた日が私の誕生日。そして、ララとの約束で十六歳となったこの日は、私にとって待ちに待った独り立ちを許された日でもある。


 過去なんてどうだっていい。

 ここまで育ててくれたララと、たまに遊びにくるトットたちに、生きる術やこの世界の素晴らしさを教えもらった私は、森から出て世界を知れる日が来るこの日を夢想していた。


 前世を思い出してからはうずうずが止まらず、ものすごく待ち遠しかった。

 自分の生い立ちや処遇を言及することにも興味がない。私はこの世界で人生を満喫できればそれでいい。


 ぽこっ、とまた泡が水面へと上がっていく。これからが楽しみで、ついいろいろ思い馳せてしまった。

 一通り魔力の巡りを確認し終え、そろそろ息苦しくなってきたので上がろうかと水面へ意識を向けたところで、耳が騒音を捉えた。


 ジャブジャブと湖面を揺らしながら近づいてくる音に、どうしたのかと顔を出す前に腕を掴まれ引き上げられた。

 ぺたりと顔中に張り付く髪の隙間から自分を引っ張った主を見ると、見たことのない黒髪の目つきの悪い男が険しい顔をして睨みつけてきた。


「おい。死ぬ気か?」

「……えっ?」


 この事態についていけず、ぱちぱちと瞬きをしていると男はさらに厳しい顔をした。

 目鼻たちがはっきりしていてイケメンだけど、前世でいうとヤンキーふうで眼光が鋭く強面だ。年齢は二十代半ばだろうか。こちらの世界の人の年齢はいまいちわからない。


「何があったかはわからないが、命を粗末にするな」

「あっ。誤解です! こんなことでは死にません」


 物心ついた頃から浸かっていたら、慣れるというもの。

 今ではそう簡単に風邪は引かないし、よくよく考えれば風邪どころか病気になったことさえない。ものすごく健康体だ。


 ――はっ!? もしかして、これもララの計算?


 なんて素敵なララ。この恩は絶対返さなければと、改め誓う。

 ぴっちゃん、と濡れた髪から水滴が落ち、まとわりつく冷たさにぶるりと身体を振るわせると、男は嘆息した。


「そんなわけないだろう。こんな真冬に下手をしたら心臓が止まるぞ」

「それはまあ、慣れですよね。それに私は健康なので!」


 見よ! このしなやかなぴっちぴっちの健康体。ちょっとやそっとでは体調を崩さない見事なボディーだ。

 ララのやることの成果を見せつけるように、ふんす、と胸を張ると、男が目を見張りしかめ面をした。


「ちょっと待て。服が透けているじゃないか」

「……ん? あっ、本当だ。これは困りましたね」

「困るならもっと慌てたらどうなんだ」


 盛大な溜め息とともに、私の腕を掴みながら器用に男の上着をかけられる。


「そう言われても……、ありがとうございます」


 慌てたところで、隠せるものがなければしょうがない。

 さてどうしようかと考えていると、ぐいっと前のほうも合わせられる。


「重ね重ねありがとうございます」

「危機感なさすぎだ。ちゃんとしろ」


 険しい口調も怒った口調も、文句を言いながらかけてくれる大きな上着も、どれも男の優しさからくるものだ。


 ――強面なのに優しいとか、これがギャップというやつかな?


 あと、この森で若い男の人を見るのは初めてで、まじまじと男を見ていると気まずそうに私から視線を逸らした。

 上着をかけられたとはいえ、張り付いた薄い布では見えるところは見えているため、男は気を遣って視線を逸らしているのだろう。

 粗野な見た目に反して紳士的な男だと感心しながら、私は声をかけた。


「すみません。服、濡れてしまって」

「服はどうでもいいが、このままじゃ風邪を引く。上がるぞ」


 男は私を抱え上げる湖から出ると、男の荷物以外何もないことに気づき眉を寄せた。


「着替えは?」

「家に」


 そう答えると、男はきりっとした眉を跳ね上げた。

 ちょうど月の光が男の顔を照らし、強面の顔立ちに黒い瞳が見える。頬には魔物の返り血なのか、赤く汚れていた。


「家? この辺に住んでいるのか? だったら、聞きたいことがある。暖をとったら話を聞いてもいいだろうか?」

「かまいませんよ。別に今でも」

「却下だ。しっかり身体を拭いてそのぺらぺらの服もどうにかしろ」


 険しい顔で口調はぶっきらぼうだが、終始こちらの心配を口にする男は悪い人ではないのだろう。


「はぁ~い」

「なんだその返事は!?」


 最後の警戒を解き、他人に心配してもらえるのは何年振りだろうかと気が抜けた返事をすると、はぁっと大きな溜め息をつかれる。

 やっぱり悪い人ではないなと、私は軽々と抱え上げられながら最後の身浴となった湖を見つめた。


 ◇


 ジャブジャブと水をかき分ける音を聞きながら湖から出ると、そこには熊みたいな大柄な人が落っこちていた。


「……くま?」

「違う。俺の仲間だ」


 男の抱き上げられたまま肩越しに思わず口にすると、男が首を振り痛ましげに顔を歪めた。


「顔色がものすごく悪いです」

「もともと不調が続いていたんだが、森に入りしばらくしてから悪化し、自分では動けなくなった」


 辛うじて胸元が上下しているので呼吸しているのがわかるが、血の気のない顔色はまるで死人のようだ。


「どうして引き返さなかったのですか?」

「入って六時間は経っていたし、引き返すより目的を成し遂げるほうがいいと判断した」


 動けなくなったということは、ここまで男はくまさんを抱えてやってきたのか。

 この周辺は結界が張ってあるため魔物が入ってくることはないが、抱えながらここに来るまでどれほどの時間を一人で耐えてきたのか。


 それなりの実力者であるとともに、その誠意と胆力、何より誤解であったとはいえ、見知らぬ人も助けようとする心。

 眼光鋭く見た目は少し怖いが、心根が優しい人のようだ。


「大切な仲間なんですね。私を助けている場合ではなかったのでは?」

「もちろん大切な仲間だが、長いことずっと体調が悪くて誰に見せても治らなかったんだ。ここに来て悪化したといっても、十分やそこらで変わるものではない。目の前に死にそうになっている人を見つけて、放っておけるものではないだろう」


 彼のその言葉に、私は心を決める。


 ――助けてあげたい。


 私は四大属性と聖魔法が使えなくなった代わりに、空間魔法と鑑定魔法が使える。これらは希少魔法であるため、なるべく人には見せても話してもいけないと言われている。

 使用することでバレる可能性もあるけれど、こそっと希少魔法である鑑定をくまさんにかけることにした。


 アルヴィン(二十二歳)

 魔法属性:土

 状態:衰弱(肺に瘴気が溜まっている。半年前、腐敗物を食した)


「腐敗物……」


 ってなに?

 何を食べたのか気になるところだが、どうやらそれが原因で体調を崩し、この魔の森の瘴気に一気にやられたようだ。


 あと、二十代後半かと思ったら、思ったよりも若かった。

 勝手に名前と年齢を見てしまったが、そこまで事細かに見たわけではないのでご愛敬ということで許してもらいたい。

 肝心の状態を見て、私はうーんと首を捻った。


「それは半年前からですか? その時に何か腐った物を食べたはずなのですが、それが何かわかりますか?」

「半年前……って、確かにそうだが。どうしてわかる?」

「今はそんなことよりも、くまさんの状態のほうが大事です」


 私は強引に話をぶった切った。できることなら鑑定の話はしたくない。

 男はじっと私を見ていたが、考えを巡らすように視線をくまさんに向けた。


「……そうだな。そういえば、国境近くの村でやけに引き止められたうえに、断ってもしつこくつきまとってきた女性がいたな。確かその女性に、食欲を失くすほどの蛍光色の黄色に黄緑のつぶつぶのついた果物をもらっていたな。――こいつ、もしかして食べたのか?」

「きっとそれですね」

「はぁ~。あれほど普段から怪しげなものは食べるなって言っていたのに」


 日常的に注意されているとは、くまさんは食いしん坊のようだ。

 帝国ではあまり流通していないが、その果物の目星はついた。


「では、治ったらしっかり注意してあげてください。それ、私が知っている物なら、体力と魔力がバカみたいにないと、死ぬ可能性のある果物ですよ」

「そんな果物があるのか?」

「ええ。この魔の森にもありますし。それよりもまずくまさんを放置するわけにもいきませんし、家に移動しましょう。詳しくはそれからで」


 さすがに濡れたまま、真冬で立ち話は寒すぎる。

 私のせいで湖に入ってしまった男を、体調悪化させてしまっては目覚めも悪い。


「ああ、そうだな。何かわかることがあるのなら教えてほしい。礼は必ずする」

「お力になれるかはまだわかりませんが、できる限りのことはします。ひゃっ」


 確かではないので治るとは断定できないが、なんとかできるのではないだろうかと思いながらそう答えると、男はいきなり私を左腕に乗せ直し、右腕でくまさんを担いだ。


「どうした?」


 舌を噛むところだったと苦情を告げようとしたが、平然とした顔をしてはいるが男の身体ががたがたと震えている。

 それが寒さからくるものなのか、仲間の安否を気にしてなのか、その両方なのか。急く気持ちを理解し、私は文句を呑み込んだ。


「ちょっとびっくりして。あと、私は歩けるので降ろしてしてください」

「それは却下だ。こいつに比べたら羽のように軽いし、持ち上げている時に風魔法を利用しているから問題ない」

「なるほど。器用なんですね」


 よく見ると、確かに風魔法でくまさんは少し浮いているように見える。

 簡単にしているがかなり高度なのと魔力量が必要となるので、さすが魔の森(こんなところ)までくるだけのことはある。


「あとな、上着があってもその服透けて身体のラインがまる見えだから」

「ああ~。では、こうします」


 上着は大きいので。角度によっては見えるところは見えてしまうのだろう。

 そういえばそうだったと、私は運びやすいようにぺったりとくっついた。すると、男ははぁっと盛大な溜め息をついた。


 じとっと私を見るが、小さく首を振るともくもくと家の明かりを目指し足を進めていく。

 黒髪からぽとりと水滴が落ちていくのを眺めながら、男に話しかける。


「そういえば、お名前はなんていうのでしょうか? 私はミラです」


 鑑定を使えばすぐにわかるが、それは礼儀に反するので人には基本しないようにしているので訊ねると、男も一瞬沈黙し、そうだったなとひょいっと眉を上げ自己紹介した。


「……名乗っていなかったな。俺はルーカス。で、こいつがアルヴィンだ。俺たちは冒険者でパーティを組んでいる」

「冒険者……。それで、そもそもどうしてこんなところに?」

「それだが……」


 ルーカスはそこで考えるように私を見た。

 どうしたのかと首を傾げると、あくまで噂だが、と前置きとともに目的を語る。


「回復ポーションを独り占めしている魔女が魔の森に住んでいると聞いて。帝都では品薄で騒ぎにもなっている。これまで何人も魔女のポーションを求めてこの魔の森に挑んだらしいが、無事魔女と会えた者はいない。その魔女の名前はミラ。君なんだろう?」


 先ほどは後でと言われたが、家にも向かっているし、大方、くまさん、ことアルヴィンに関係するのだろう思ってだったが、そこで返ってきた返答に私は絶句した。

 確かに髪や顔を隠すためにフードを被って町に出ていたが、こんなぴちぴちの若い女性を魔女と呼ぶとは憤慨ものだ。どこに目がついているのだ。


「ルーカス!」

「なんだ?」


 ルーカスの首にがしり掴み、私はぐいっと顔を近づけた。

 顔を後ろに反らすようにしながらも、私をしっかり抱いたままのルーカスに私は言い募る。


「外でどのように言われているのかは知りませんが、魔女だと名乗ったこともありませんし、魔女ではありません! それだけは今すぐ情報を更新してください!」

「あ、ああ。わかった。俺も噂はあてにならないと思ったとこだ」

「ならいいです」


 そこで真剣に頷いてくれたので、私はようやくルーカスから腕を離した。

 大事な部分は訂正できたので、私はふぅっと息を吐く。

 本来聖女になるはずが魔女とか、どんな笑い話だ。この世界を堪能するのはこれからというのに、変な形で目立つのは絶対嫌だ。


 ――それに、独り占めしているってどういうこと?


 少し頭が冷えてきて、おかしな部分に気づく。

 独り占めも何も、私が作っているのだからそれを売ろうが売るまいがこちらの勝手だ。しかも、難癖をつけてきたのは冒険者ギルドのほうだ。


「ああ~、噂の出どころわかりました。ギルド長ですね」

「ギルド長? どういうことだ?」

「それですが、まず家に入って互いに着替えてからにしましょう。どうぞ入ってください」


 玄関に着いたので、私は家の中へと促した。


 ◇


 家に案内し、アルヴィンは暖炉のそばのソファに寝かせる。

 互いに乾かし着替える過程で私が四大元素の魔法を使えないことがわかると、ルーカスは驚いた声を上げた。


「よくこんなところで、ろくに魔法も使えず一人で暮らしてこれたな」

「しばらく出かけているため今はいませんが、母もいます」


 ララには自分を人に紹介するときは、母と言えと言われている。


「母親? 娘を一人にして魔の森に置いてどこに行っているんだ?」

「有事だとかで、泣く泣く知人に連れて行かれました。なので、放っておかれているとかではありませんし、ここでの過ごし方はしっかり教えてもらっていますので」


 無責任な人ではないことを主張すると、ルーカスはバツが悪い顔をした。


「……そうか。悪い」

「いえ。心配していただいてのことだとはわかりますので。それでギルドではどのように私のことが伝わっているのでしょうか?」


 私がふるふると首を振り噂の中身を訊ねると、ルーカスは気を取り直すようにこほんと咳をした。

 こっちにこいと手招きされ、ルーカスの前に座らされた私は問答無用で彼の風魔法で髪を乾かされながら話を聞く。


「魔……、ギルドに回復ポーションを卸していたミラが、さっきも言ったが独り占めしてポーションを卸さなくなったと聞いた。そのため、在庫も切れたが一行に姿を現さないミラを捜しに、ギルド長が何名か魔の森に入り連行を試みたがたどり着けず失敗。その過程で命を落とした者もいる」

「連行とは穏やかではないですね。そもそも、二度と来るなと言ったのはギルド長のほうなのに」


 買わないなら、粘っても仕方がないとそこで引き上げてきたのが三か月前。

 それからララがトットたちに連れて行かれたので、私は言いつけを守り十六になるまで大人しくしていた。

 そろそろ食材や日用品が尽きかけてきたので街に出る必要はあったが、前回のこともあったし十六歳になったので、違う街にでも足を伸ばしてみようかと考えていたところだ。

 あっという間に乾いた髪に礼を述べ、ルーカスと向き合った。


「そうなのか?」

「ええ。いつも怒鳴りつけてくるので、それを聞いている職員や冒険者たちは多いのですが……」


 権力者に逆らえず押し黙っているのだろう。

 ルーカスが表情を曇らせ、黒瞳を伏せた。


「なるほどな。ギルド長は無駄に冒険者を死なせたことの罪で、現在は王都で査問を受けている。そのような感じならギルド事態が腐敗していそうだな。ここから出たらそちらの捜査にも乗り出そう」

「……」


 私はそれには何も答えず、ルーカスを見た。もう勝手にしてくれという感じだ。

 ルーカスのように話を聞いてくれる人がいるのはまだ救いだが、この国のギルドとの関わり方はもう少し考えたほうがいいかもしれない。

 それが伝わったのか、ルーカスがふぅっと重い息を吐き出した。


「ミラには申し訳ないことをした。そんな噂もあったのと、アルヴィンがこのような状態だったのもあって、帝都に依頼指名が来たこともあり俺たちはここにやってきた」

「ルーカスも私を連行しに来たのですか?」


 いい人だと思ったのにと、一気に気持ちが冷めていくのが自分でもわかる。

 軽蔑した眼差しで見ると、ルーカスが大きな声で否定した。


「違う。ギルド長はほかにも余罪があり、現在拘束中だ。そのため、そのような男の一方的な言い分を聞いていては話にならないだろう? ミラからの話、そしてできればポーションを卸してほしいとの交渉役を任されてきた。できれば証人としてギルドに出てもらえるとありがたくはあるが……」

「それだけですか?」


 私がアルヴィンに視線をやると、ぽりっと黒髪をかいてルーカスが私をじっと見つめた。

 清らかに澄んだ今日の星空のような瞳が、まっすぐみ私を捉える。


「何より、アルヴィンの状態にミラのポーションを試したくて。できればその場でもらえないだろうかと相場よりも多めに金も用意してきた」

「そうですか。ルーカスを信じます。でも、アルヴィンを治すためにポーションをお譲りするのはいいですが、ギルドに卸すのは保留でお願いします」


 咄嗟の行動で人の(さが)が見えるというが、そういう面では先ほど誠実さを見せてもらったばかりだ。

 何より、明るいところで気づいたが、ルーカスは背中を怪我している。

 それをおくびにも出さずに、アルヴィンを守りながらここまできたこと、仲間思いの相手に悪い人はいないだろう。


「ああ。助かる。できれば、ギルドに卸してもらいたいが」

「ルーカス個人は信用してもギルドはまた別です。そもそも、お前の怪しげな効果もないポーションを買ってやれるのはここだけだと、いつも難癖をつけられていましたから。資金源を得るためにほかの方法を探せばいいだけですし。それよりも、なぜ帝都にいたルーカスも私のポーションを知っているのですか?」


 私は鑑定魔法が使えるので、自分のポーションの効能がはっきりとわかる。

 だから、完全にギルド長の言いがかりであったが、難癖つけられていたポーションがなぜ帝都まで知られているのか、そちらのほうが不思議でならない。


「ミラのポーションは帝都でも売られていて、その効能の評判はかなりのものだ。……ちょっと待て! 一体、いくらでギルドに売っていた?」

「五銅貨です。ですが、三か月前は半値で卸せと言ってきたので、さすがにそれはないだろうと文句を言ったら、二度と来るなと追い出されました」


 そう告げると、ルーカスは頭を抱えてしばらく動かなくなった。それから、ぼそりと苦虫をかみつぶしたような表情で告げる。


「あのたぬきめ。最悪だな」


 姿勢を正したルーカスは私の両肩を掴むと、まっすぐに私を見つめる。

 怒りを抑え込んでいるつもりなのだろうけれど、眼光が鋭くて私へ向けてのものではないとわかっていてもひやりとする。


「いいか。ミラのポーションは王都では最低一金貨で取引されている。それを五銅貨、しかもさらに半値で買い取ろうなんて、鬼畜のすることだ。ギルド長に今まで言われてきたことは全部忘れろ。そして、俺がその不当に買い取られたものを取り戻す」


 一金貨は十銀貨分、一銀貨は十大銅貨分となる。

 私のポーションがそこまでの価値があることにも、そして手数料がかかるにしても、相場との差に驚きを隠せない。

 随分と足元を見られていたようだ。


 ちょっと他人事のように思えるのは、ルーカスが私の分まで怒ってくれるからか。

 帝都で活動し指名が入るほどなら、それなりに実力のある冒険者で発言力もあるのだろうし、ルーカスなら最善を尽くしてくれそうだ。


「では、お願いします」


 ぺこりと頭を下げると、ルーカスがはぁっと大きな息をつく。

 まだギルド長に対する怒りが収まりきらないようで、「本当、くそだな」と吐き出した。


「そもそも今回悪いのはギルド長なのは確かだが、どうしてミラはほかに売りに行かなかった? 聞けば普段から扱いが悪かったのだろう?」

「十六歳になるまではこの森と町以外は出ないよう母と約束していたので。ギルドに行くのは母に内緒なので、こそこそしていた自覚はあります」


 森の中で暮らす私が、対価を得るための物を売るとなるとポーションぐらいしか思い浮かばなかった。

 制限されたなかできることは限られていたし、十六歳まではと我慢していた。


「フードを被っていたのはそのためだったのか。確かにその髪と瞳は目立つからな。四大元素の魔法を使えないのにどうやってギルドまで行っていた?」

「? 普通に歩いてですが」


 首を傾げると、ルーカスは険しい顔をさらに険しくした。

 何を当然のことをと思ったが、もしかしたらほかに方法はあるのだろうか。


 毎回片道二時間の道のりは大変で、前回はあまりいい思いをしなかったのでちょっと面倒な気分を引きずったままだ。

 あと、帝都でも騒動になっていると聞き、このことがバレたらララに大目玉を食らいそうで、徐々に心配になってくる。


「信じられない。ここに来るまで魔物がたくさん襲ってきたし、道にも迷いそうにもなった。下手をすれば死ぬこともある森だぞ。そこら辺の冒険者じゃ無理だから、俺たちに依頼が回ってきたくらいだ」

「まあまあ。ルーカスも大変ですね」

「何を他人事みたいに。文句を言う筋合いはないのはわかるが、ミラはずっと危機感が足りていない。お金のことといい、いろいろ気をつけてくれ」


 最後は私の心配をしてくれるルーカスに、私はくすぐったい気持ちで小さく頷いた。

 こんな状況なのに、ちょっとまったりする。


 ルーカスの瞳がどこまでもまっすぐで嘘をつく人の瞳に見えなくて、これで騙されたら私の見る目がなかったと諦める。

 ひとまず双方の誤解は解けたし、次は治療だと私は声を上げた。


「では、さっそくルーカスの背中の治療からしましょう」


 回復ポーションを渡すと、ルーカスが首を振った。


「俺はいい。まずはアルヴィンを治してくれ」

「そうしたいのは山々なのですが、一般的に出回っている回復ポーションは怪我による傷の回復だというのはご存じですよね?」

「ああ」

「なので、これはルーカスの分です」


 ずいっと渡して、その手に握らせる。


「だが……」

「帝都でかなりの値段になっているようですが、基本のポーションです。そこまで貴重な材料を使用しているわけでもありませんので」


 迷っているようなので、強引に服を脱がしにかかる。

 風魔法でさらっと乾かしてはいたが、滲み出た血で背中は赤く染まったままだ。


 おい、と一度抵抗したが、じっと見つめると溜め息をつき観念したルーカスは、されるがまま背中を向けじっとした。

 背中の左側に、魔物に襲われたであろう爪痕が痛々しく主張している。

 私は一度渡したポーションを再度渡してもらい、蓋を開け手のひらにポーションをつけた。

 そっと、広い背中に塗っていく。


「つっ……」

「すみません。痛かったですか?」


 訊ねると眉を寄せたルーカスは、小さく首を振った。


「大丈夫だ」

「この後、再生するのに少し痛みが生じるかもしれませんが我慢してください」

「わかった」


 ルーカスが頷いたので、遠慮なくポーションを塗り付けた。古い傷と思われるものにも、丹念に塗っていく。

 じわじわと皮膚が再生し、傷口が閉じていくのを眺めながら私は再び口を開いた。


「話を続けます。在庫にはアルヴィンの状態に適したポーションはありません」

「だったら、どうすれば」


 労しそうにアルヴィンに視線を向ける気配がする。


「アルヴィンは半年前に食べた果物により魔力体力が奪われた状態で、ここの瘴気で肺がやられてしまっています。悪循環を繰り返し、最低限の呼吸で生命を維持しているようです。腐っていたから本来の効果がないとはいえ、すごい生命力ですね」


 普通ならば死んでいる。

 この魔の森はもともと生息していた植物とは別に、ララがどこからか仕入れてきた変わった物まである。


 そして、蛍光色の黄色の植物は、魔力を奪う植物でララは『魔食黄(まぐき)』と呼んでいた。見たまんまだ。

 魔食黄は主に魔物の体内に種子を残すために目立つ色をしており、私も実物を知っているがまさかそれを人が食べるとは思わなかった。


「そんな。どうすればいい?」

「それにはまずルーカスの傷を治すことが第一です。どうですか? 見た目はすっかり良くなりましたが」


 目の前のルーカスの傷が消えたことを確認し訊ねると、ルーカスが驚いた声を上げる。


「えっ。もうか?」

「ええ。ルーカスは魔力が多く、その分治りが早かったようですが」

「だとしても、こんなに早く……。本当に助かった」


 森の動物で確認してきたが、実際に怪我した人を目の前にするのは初めてでまじまじと見てしまった。綺麗に治ったので、ちょっと誇らしくなる。


「それはよかったです。では、話の続きを。まず、アルヴィンが食したのは生物の魔力を食べると言われる、魔食黄だと思われます。それで合っているかルーカスに確認してもらい、間違っていなければ魔食黄と反対の性質を持つ魔食桃(まぐもも)を食べればそれで治ります」


 同じ形で桃色をしているから魔食桃と言われるそれは、魔食黄とは反対に魔力を増殖する植物だ。

 だが、これも食べ過ぎれば命を落としてしまう。


「本当か?」

「配分を間違えれば死に至りますが、私ならそれができます」


 そんな時には、私の鑑定魔法が役立つ。

 状態を見ながら適量に調合することができるのだ。


「そうか。お願いしたい」


 一点の曇りなく頼まれて、私はくすぐったい気持ちになった。


「……んっ、わかりました。ですが、魔食黄と魔食桃を手に入れるのに、私一人の力では不可能なんです。力を貸してもらえますか?」

「もちろんだ。俺は何をすればいい?」


 ルーカスがやけに思いつめた顔つきで私を見た。

 私はそんなに難しいことではないと首を振り、ルーカスならできるだろうとお願いする。


「この家から少し離れたところに大きな木があるのですが、そこから実を取ってください!」

「…………そんなこと? いや、取るのに条件があって難しいのか?」

「いえ。ただ、取るだけです。知っての通り、調合に自信はありますが、私は四大魔法が使えませんから。ルーカスがいるので最大の難関がクリアできそうでよかったです」


 材料調達からちょちょいとできたら恰好がつくのになと、ちょっと恥ずかしくて視線を伏せると、はぁっと溜め息とともにぽんっと頭に手を置かれ慰められた。


 それからは早かった。ルーカスはあっさりと魔食黄と魔食桃を取り、食べた物は魔食黄で間違いはなかったため、調合して飲ませたらあっという間にアルヴィンの顔色は戻った。

 正常な呼吸をしているのを確かめ、私はほっと息をつく。


「いろいろ助かった」

「ええ。大事ならなくてよかったです」

「俺、復活」


 あとは目を覚ますだけと思っていたら、話している最中にむくっとアルヴィンが起き上がる。

 さすが、腐っていたとはいえ命を落とす食べ物を食べて半年以上生きていた人物だ。しかも、この数分で、自力で肺に溜まっていた瘴気も排出したようだ。


 あまりにあっさりと起き上がってきたものだから、私はびっくりしてその場に固まった。

 これだけの騒動を起こしたアルヴィンの一言にルーカスは目を吊り上げ、思いっきり彼の頭を叩く。


「あれほど拾い食いするなと言ったのに、何をしているんだ! 半年前のあの変な色のヤツ、食べただろ」

「ああ。でも、もらい食い」

「どっちでも一緒だ。これからは外でもらったもの拾ったものは勝手に食うな」


 かなり思いっきり叩かれたのに、アルヴィンは自分の頭をよしよし撫でてはいるがそこまで痛がってはいない。

 どちらかというと余裕そうで、ルーカスの言葉にええ~と唇を尖らせている。やっぱり食いしん坊のようだ。


「そうですよ。次、助かるとは限りませんよ」

「誰?」


 つい口を出すと、ぐいんと私のほうに顔を向けたアルヴィンは金色の目を瞬いた。


「彼女はミラ。アルヴィンを救ってくれた。彼女がいなければ、お前は冗談ではなく命を落としていたぞ」


 ルーカスの紹介に私を見る瞳に熱が入る。

 茶色い髪から想像もつかないほど金色の澄んだ瞳。でっかい図体。むっくり起き上がった姿はたれ目のせいかぼんやりして見え、どことなく警戒心をなくさせる。


「これからは、大丈夫と言われたものだけ食べるようにしてください」

「そうだ。彼女の言う通りにしろ!」


 ルーカスも追い打ちをかけると、アルヴィンは交互に私たちを見てそれから頷いた。


「わかった。ミラとルーカスの言う通りにする」


 とても素直だ。

 納得してくれたのならそれでいいと私とルーカスは顔を見合わせ、ふっと安堵の息をついたルーカスは仕切り直すように口を開いた。


「ああ~、それでだ。改めて、俺たちは主に帝国の首都キャンベルを拠点に活動している冒険者だ。ギルドで流れている誤解を解くためにも、一度ギルドに顔を出してもらえないだろうか?」

「交渉するんじゃなかったんですか?」

「俺たちが世話になりすぎたからな。それに一度話を通してから、ミラがどうするか決めたらいい。俺たちはミラの味方だ」


 ギルドと聞いて面倒になっていたけれど、よくよく考えれば、味方だと言ってくれる人たちがいるうちにさっさと対応してしまったほうがいいのではないか。

 お金も工面してくれると言っていたし、ララが帰ってくる前にこの件は終息させとくほうがいいかもしれない。


「わかりました。では、さっそく明日にでも行きましょうか? ルーカスたちも今夜はここに泊まってください」

「警戒心……、いや、いつ魔物が出るかわからないこの森で泊まれるところがあるのは助かる。だが、ミラはさっき死にかけたんだ。体力が回復してからのほうがいいのではないか?」


 それを聞いて彼らは治療したばかりだったと思い直し、私は言い換えた。


「それを言うなら、ルーカスたちも大変ですね。なら、私一人でも」

「なんでそうなる! 俺たちも行く」

「ねえ、死にかけたってどういうこと?」


 そんなやりとりをしているとアルヴィンが低い声で入ってきて、ぽすっと私とルーカスと三角形になる位置に座り直す。


「――それは後で話す」

「――わかった」


 しばらく真剣な顔をした二人は視線で会話をし出した。

 なんだか嫌な予感がして、私は慌てて口を挟む。


「いえ。改めて話すようなものではありませんから。死にかけていません。あれはもう何度もしていますし、そう、儀式みたいなものなので問題ありません」


 そう告げると、ルーカスは痛ましげな顔をした。

 ちょっと怖い顔のお兄さんであるが、冷たい湖に誤解とはいえ躊躇なく助けに入り、心配で怒ってくれる優しい人である。


 きゅっと口を結んだルーカスは私の手を掴むと、力強く告げた。なぜか、アルヴィンも手を重ねてくる。

 仲間外れにするなということかな。なんか、朴訥な話し方と言い可愛い人だ。


「そんなに何度も……。ああ、こんなところに置きざ、……女性二人で住んでいるようだし、これまで大変だったのだな。華奢な身体であの森を抜けてきたのに、ギルド長の懐の潤すために利用されるなんてひどい話だ。それ相応の裁きを受けさせてやる。ミラの回復ポーションはものすごく価値があるんだ。必要なら値段交渉も任せておいてくれ」


 まだ誤解が解けていないようだ。

 うんうんと、話半分しかわかっていないだろうにアルヴィンが力強く頷く。

 あと、母親がいるという私の主張は、もしかしてルーカスのなかでは、捨てられたことを認めたくない娘の主張だと捉えられているのかもしれない。


 どうも湖に浸かっていた時の印象が抜けきれないようだ。

 ギルドでの扱いを知っていたため勘違いが増長され、ルーカスからすれば四大元素の魔法を使えない私は可哀想な娘に見えるのかもしれない。


 ――仕方がない、か。


 今、ララがここにいないのも事実だし、もう何を言っても今は印象が変わることはなさそうなので、否定することは諦める。

 それに、依頼で来ただけの人に事情をあれこれ説明するのも面倒だし、相手にこの件で時間を取らせるのも申し訳ない。


「お願いします。私は帝都にいつか行きたいと思っているので、資金があればあるほど嬉しいです」


 これだけ言っておけば十分だろう。

 せっかくの健康体を得た私は死ぬ気はないし、ルーカスたちも依頼さえこなせれば問題ない。

 冒険者ギルドに関わるのは正直億劫なので、そこまで言うならルーカスに丸投げさせてもらおうと私は頭を下げた。


「ああ、必ずミラの笑顔をと取り戻してみせる」

「みせる!」


 ん?

 私、笑ってないかな。いろいろあって疲れて笑顔というのを忘れていたかもしれない。

 まあ、そのうち誤解はもろもろ解けるだろうと、やる気をそぐのもなと静かに頷いた。



 ◆



 それからギルドで誤解を解いたり生んだり、微笑んだらドン引きされたり、蔑まれ怖がられたりしながらギルド長と対峙しやり返したり。

 帰ってきたララにげんこつをくらいといろいろあるのだが、このルーカスたちとの出会いがミラの人生に大きく影響を与え、これがのちに帝国全土、そして姉であった聖女がいる王国にも及ぼすことになる。

 ヒロインの座を奪われた彼女の物語は、今、始まったばかり。




お付き合いありがとうございました!

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